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にくつぎ人形  作者: のっぺらぼう
にくつぎ人形
6/16

#06

週末明けの月曜日は、梅雨の合間の(わず)かな雨の無い朝で始まったものの、空は厚い雲が立ち込めていて、お世辞にも良い天気とは言い難かったが、天候など日々の糧を稼ぐための行動に影響は無いと言わんばかりに、いつも通り駅は混雑し、いつも通り会社の建物はそびえ立っていた。ただ、いつもと異なる点として、紗綾が出社した時にはもう、課長と灰谷が既に会社にいた事がある。作田の机を半円に囲み、課の管理職二人は作田の私物を段ボールに梱包していた。

レンタカーで運ばれ、危険水位だとニュースが教えてくれた川に夜半、捨てられた作田は、翌朝、かなり下流まで流された後で発見され、酔って転落したと片付けられてしまっていた。丁寧に調べれば、作田の肺と気管を満たしているのが川の泥水ではなく浄水された水道水だと分かるのだろうが、判断基準は不明だが、そこまでの丁重な扱いは無用とされたようだった。

「おはよう、樋口さん。土日を潰させてしまって、悪かったわねえ」

灰谷が、欠片(かけら)も済まなさそうでは無い表情と声色で、声を掛けて来た。作田が金曜日の朝、職場で問題を起こして無断で出て行ったきりだという下りを、課長と灰谷が警察に話しており、(から)まれた紗綾も前夜からの着信の件を含めて、自宅に侵入された件は勿論口を(つぐ)んで、説明していた。警察が当初から事故だと決めつけていたかどうかは分からないが、その話を聞いて、自棄酒からの転落死という方向に落ち着いたのは確かだった。そして紗綾の土日は、警察からの呼出しで潰れていた。

「作田くん、通夜は明日でね、有志で参列なのだけど、来る?」

「他の方々はどうされるんでしょう」

紗綾の、何か手伝うかという問い掛けに、無用と答えた後、灰谷は逆に尋ねて来た。紗綾は少し戸惑った表情で答えた。

「わたしと課長は参列するわよ、当然。他はどうでしょう。分からない」

灰谷は手を止めずに答えた。

「他に行く方々が多い様でしたら参列する、ということにしたいのですが」

「そうね。まあ、そんなところでしょうね」

紗綾が作田に言い掛かりをつけられた一件を理解しているためか、紗綾の後ろ向きな返答にも、灰谷は淡々とした態度で応じた。灰谷はその後、次々と出社して来た社員たちと同じ内容の会話を繰り返したが、結局、参列したいと言い出す者はいなかったので、紗綾も(なら)った。慶事ならまだしも、弔事にわざわざ時間を()こうとするほど、作田に親しみを感じていた者は紗綾の所属する課にはいなかったようだ。唯一の例外は国立(くにたち)だろうが、国立(くにたち)は始業開始の放送が始まっても出社しておらず、後で有給休暇の連絡が入っている事に課長が気付いた。

始業前に作田の席は片付けられた。そこだけ無味乾燥な空間が出来ている事を抜かせば平常通り、の一日が始まり、昼頃には皆、先週に比べて一人欠けていることは忘れ去られている様に過ごしていた。ただそれは昼頃に突如破られた。有給休暇を取っている筈の国立(くにたち)が、喪服姿で両手で抱えるほどの大きさの見事な胡蝶蘭を抱えて入室して来たのである。余りの光景に、誰もが唖然としている内に、国立(くにたち)は部屋を横切り真っ直ぐに作田の机に向かい、そこが綺麗に片付けられているのを見て、床に崩れ落ちた。部屋内に絶叫が響き渡った。

「ちょっと!国立(くにたち)さん!」

灰谷が、負けず劣らずの大声で国立(くにたち)を制した。他の面々は皆呆然として動きを止めていた。国立は胡蝶蘭の鉢から手を放すと、両手で髪を逆立てる様に掻きむしる仕草をしつつ、再度獣じみた声を上げた。胡蝶蘭が倒れ、植木鉢と水苔の間に挟まれていた紙が床に落ちた。灰谷が大股で近寄ってしゃがみ込み、何か声を掛けつつ、肩に手を当てた。国立(くにたち)は首をぶんぶんと勢い良く振った。

「おかしい!おかしいでしょう!どおして!作田さんがいないのにっ、どおして!喪に服さないのですかっ!」

同僚たちは互いに困惑した顔を交わした。実際のところ、皆、平静を装っている部分はある。いくら関係が薄いと言っても同じ部屋で同じ様に仕事をしていた間柄である。急死して動揺しない筈が無い。ただ同時にそれ以上のものでは無かった。

戸惑った空気の中、不意に国立(くにたち)は立ち上がると、どういう訳か紗綾に駆け寄って来た。国立(くにたち)が動いた弾みで灰谷は突き飛ばされた形になり、床に手を突いた。それまで同情的だったその顔にはっきりと怒りが浮かんだ。

「ひぐっ…さっ…ったっ…んでっ!」

国立(くにたち)は紗綾の胸ぐらを掴むと、前後に揺さぶった。紗綾は()せずして(かす)かに悲鳴を上げ、国立(くにたち)の腕から逃れようと()()った。紗綾が後ろに下がった分の空間を埋める様に国立(くにたち)は前進し、(なお)も言葉になっていない声で叫んだ。

「…国立さん」

灰谷の、静かな、しかし有無を言わせない声が近くで響いた。いつもは油野(ゆの)がやるような、空中を滑るような移動で近づいて来ていた灰谷は、手の中の紙を国立(くにたち)の顔の前に突き出した。印刷してある側は国立(くにたち)に向けたのだが、裏からでも透けて内容が読めた。会社宛の花屋の領収書だった。

「経費で落そうとするだけの余裕はあるのねえ」

国立(くにたち)は再び絶叫した。幸いそれも含めてこれまでの声が大き過ぎて廊下にまで響いていたため、他の部署の社員が呼んだ警備員が到着した。ころころと太った女性の警備員と灰谷が、力を合わせて叫び続ける国立(くにたち)を紗綾から引き離して部屋の外に押し出した。紗綾は二三度咳き込んでから、席に座り込んだ。


その日、紗綾は課で一番最後に退社した。作田の分の業務が紗綾に回って来た、というより紗綾が志願して回して貰ったのだった。何せ作田が欠員となったのは自分に原因がある。その分の負担を同僚たちに掛けるのは、何か筋が通らない気がしたのだ。他の社員の大部分が帰途に付き、終了時刻の目処が立った頃、紗綾のスマートフォンがメッセージの着信を知らせて来た。点滅する光で、会社関係者からの連絡だと分かったので紗綾は鞄から小型の機械を取り出して確認した。会社関係者と言えばそうだが、どちらかというと友人の色合いが近い、今は別部署で働いているが、以前は同じ課にいた同僚からだった。内容は、今日も大変だったみたいだね、という書き出しから始まり、会社の正面玄関の前で、大変にだった原因、(すなわ)国立(くにたち)がうろうろしているから気を付けて、というものだった。紗綾は無言のまま手の中の液晶画面を眺めた。若干、顔色が悪くなっているのが自分でも分かった。それでも指を動かすと、忠告を感謝する旨の返信を、親切な同僚に送った。

同僚の忠告に従い、退社の際、紗綾はこれまで一度も使った事の無かった裏口から出た。裏から出ると、駅までおよそ一区画分くらい余計に歩く事になってしまうのだが仕方が無かった。疲労を振り払う様に、一歩道路に踏み出した紗綾は、直後、電柱の影からぬっと現れた黒い人影に、鋭い呼気にも似た悲鳴と共に、跳び上がってしまった。

「く、くにたち、さんっ」

心臓が口から飛び出しそうだったが、何とか言葉が(つむ)がれた。国立は相変わらず両手一杯に見事な胡蝶蘭の鉢植えを持っていた。

「川に」

「え?」

「これから川にこれを供えに行くの」

国立(くにたち)の目は、電柱の上部に備え付けられた街灯からの光に照らされて、爛々と、どちらかというと獲物を狩りに行くと言った方が似合うような輝きを放っていた。紗綾は、今すぐ(きびす)を返して逃げ出したい衝動に駆られつつ、国立(くにたち)から目を離さず真っ直ぐに見据えた。目を離せば、飛びかかられそうな気がしていた。国立(くにたち)はじり、じり、と紗綾に近づいて来ている。

「ごめんなさい、もう遅いし」

喉が乾燥し切ったため、(かす)れた声を紗綾は発した。

「一人は、いや」

国立(くにたち)が一歩進み出、紗綾は一歩後退した。

「そう、思わない?」

「明るいときにしましょう」

紗綾の提案に国立(くにたち)は首を横に振った。紗綾はその一瞬、国立(くにたち)の視線が己から外れた瞬間、くるりと反転すると全力疾走を開始した。紗綾が駆け出した事に気付いた国立(くにたち)の、パンプスの(かかと)がアスファルトを打つ音が聞こえたが、十回にも満たなかった。重量はとにかくあれ程の大きさの鉢植えを抱えていればまともに走る事など出来はしない。それでも紗綾は、息が続く限り走り続け、息が上がった後も早足を(ゆる)めず、駅にまでたどり着き、運良く到着したところだった列車に駆け込んだ。車内は帰宅するひとびとで溢れ返っていたが、紗綾は生まれて初めて満員電車が安心出来るものだと感じ入った。一息()くと、揺れる人波の中で必死に、灰谷宛に、国立(くにたち)の行動についてショートメールで連絡した。社外の事で(わずら)わせれば、灰谷は嫌みの一つも言ってくるかもしれないが、灰谷が対処にまわってくれるのなら安いものだった。すぐに返って来た返信は、紗綾が危惧したような嫌みは無く、事情は分かったというだけの簡潔なものだった。


買い置きの惣菜とお茶漬けを()き込んだ後、『落花』の前に座り込んだ紗綾は、もう何十回と確認しているにも関わらず、再度足に汚れが付着していないか、三日前に付着した箇所に何かしらの影響が出ていないかの確認をした。材料は不明ながら、有機物に思える弾力のある『落花』の表皮に、ただの一箇所の染みすらないことを今回も確信すると、紗綾は安堵して『落花』の前に座り込んだ。

国立(くにたち)さんの行動が、少しおかしくてね」

ほぼ日課になっている、『落花』との『会話』を紗綾は続け、三十分ほどが()った頃、スマートフォンが音を鳴らした。会社関係者からの電話の際の着信音で、画面には灰谷の名前が踊っていた。親しい間柄でも電話を(はばか)るような時刻である。紗綾は、直感的に、何かあったと悟った。

「はい」

「ああ、樋口さん。ごめんなさいね。実はさっき、警察から連絡があってね」

「何かあったんですか?」

警察、の単語を持ち出されても、紗綾の口調は程よく不安を含んだだけだった。

国立(くにたち)さんがね、河川敷で、あの、作田くんの遺体が上がったところね、あそこ、危険だからまだ立ち入り禁止なのに入ろうとしてね」

現場付近にいたひとに(とが)められたのだが、尋常ではない様子だったため警察が呼ばれ、保護されたとのことだった。既に警察からは国立(くにたち)の身内が引き取ったが、もし連絡して来るような事があったら、刺激をしない様に、電話には出ず返信もしないで、すぐに灰谷に連絡して欲しいとのことだった。紗綾が了承すると、灰谷は短い会話を終えた。紗綾が何番目に掛けられてきたのか分からないが、国立(くにたち)が連絡先を知り得るような会社関係者全員に注意喚起に回っているとしたら、結構な人数になる筈だった。

「灰谷さんも大変だね。うん、国立(くにたち)さんは、ちょっと怖い」

紗綾は『落花』に話しかけ、国立(くにたち)の目付きを思い出し、(かす)かに身震いした。何となく言葉途切れてしまったのを機に、紗綾は『落花』に薄く柔らかい綿の布を掛けた。作田が不法侵入して来た際に、まともに『落花』の姿を目にする機会を与えてしまった事が悔やまれて、それ以降、己が向き合っているとき以外は、姿を隠す事にしていた。

白い布地に隠された『落花』に断りを告げると、紗綾は着替えを持って部屋から出、廊下との境の扉を閉じた。浴室に入る。金曜日のあの件以前より磨き抜かれて清潔に見える浴室ではあったが、使用する気にはなれず湯船はずっと空のままだった。手早くシャワーで全身を洗い流す。

その音が聞こえたのは、ちょうどシャワーを止めるべく、蛇口に手を伸ばしたところだった。水音に(まぎ)れてはいたが、異質過ぎる音に、紗綾ははっとして、手を一瞬止め、次の瞬間、動かせるだけ速くて首を動かし、水を止めた。硝子が割れる音だった。濡れた身体に膝まである寝間着の上だけ袖を通し、髪から水を(したた)らせながら浴室を飛び出ると、部屋の中に何かが動いているのが、扉の磨り硝子越しに目に入った。紗綾は咄嗟(とっさ)に台所のフライパンを手に取ると、扉を開けた。その音に顔を上げた国立(くにたち)と真っ向から目が合った。お互い、無言。国立(くにたち)の手にあるペットボトルから、液体が床に流れ落ちる音が妙に大きく耳に着いた。

先に我に返ったのは紗綾だった。鼻に突く匂いで灯油だと分かった液体だ、床を流れて『落花』の足元にまで侵食しているのに気付いたのだ。紗綾は意味不明な叫び声を上げると、フライパンを構えて国立(くにたち)に突進した。国立(くにたち)は反射的に手にしていたペットボトルを紗綾に向けて投げ出したが、まだ中身がたっぷり残っていたそれは、国立(くにたち)自身の足元に転がっただけだった。紗綾は床のペットボトルを避けつつ、国立(くにたち)の頭上に向けてフライパンを振り下ろした。国立(くにたち)は自由になった両手でフライパンを受け止めた。足元にペットボトル一個分の間があるため、両者共、腕を伸ばした不安定な格好のまま、揉み合った。国立(くにたち)が、先程の紗綾の叫びとは比べ物にならないほど大声で叫んだ。国立(くにたち)が腕を動かすたびに灯油の匂いが辺りに広がった。国立(くにたち)は、今日は制汗剤を着けていないのだろうか、と紗綾の脳のどこかが考えていた。再度、国立(くにたち)が絶叫した。気圧(けお)される形で紗綾が後退し、そのまま押し切られ、紗綾は床に尻餅をついた。

紗綾に競り勝った国立(くにたち)は、片手で紗綾の動きを阻害したまま、上着から着火ライターを取り出した。紗綾はフライパンから手を放し、国立(くにたち)の手元に手を伸ばしたが、それより早く国立(くにたち)は床に小さな炎を向けた。

ぼっ、と音と同時に炎が上がった。紗綾と国立(くにたち)の足元は灯油にまみれている。炎は床と同時に両者の足も()めた。

「きゃ、きゃはっ。きゃははははっ!」

国立(くにたち)が堪え切れなくなった様に笑ったかと思うと、手で払って足に点いた火を必死で消していた紗綾を突き飛ばし、一挙に立ち上がり、侵入経路を逆にたどる形で、硝子が割られている窓からベランダに出、ベランダから外に出た。突き飛ばされた紗綾が、間髪入れずに起き上がったときには、国立(くにたち)はベランダから飛び降りたところだった。恐らく入って来るときには電源ケーブル伝って来たと思われたが、出て行く際は手軽だった。

「『落花』!」

起き上がった紗綾は、悲鳴を上げて落花の足元を両手で叩いた。今や部屋の床全体が薄く炎を上げていた。紗綾が消し止めるより早く、ほんの擦っただけで、燃え易い綿は床から一気に『落花』の頭上にまで炎を上げた。紗綾は金切り声を上げつつ布を引き外し、『落花』にまで火が回るのを食い止めようとした。その時は、確かに『落花』までの延焼は免れた。だが、手元に火種を抱え込んだ形の紗綾の寝間着に燃え移った。火が目に入り、紗綾はたまらず布を床に放り出し、顔を手で覆った。視界が暗転するのとほぼ同時、紗綾は己の身体が制御を失ったのを感じ取った。目や足に鋭い痛みをこれ以上無く感じつつ、紗綾の身体はぐらりと(かし)いで、床に倒れた。

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