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にくつぎ人形  作者: のっぺらぼう
にくつぎ人形
1/16

#01

樋口(ひぐち)紗綾(さや)を美しいという者はいない。かと言って、醜いと言った者もかつていなかった。瓜実(うりざね)形の顔に、凹凸(おうとつ)(ゆる)い、小粒な目鼻が付属してる、一言で言えばのっぺりとした顔立ち。黒く真っ直ぐな髪は、硬い上に一見真っ直ぐなのに実は癖毛で、短く切っていようと長く伸ばしていようと、まとまりが無い。身長、体型は一般的な日本人の成人女性のそれで、太っても痩せてもいないが骨太なのか妙に骨張って見える。唯一誇れるものと言えば、小学生時代から健康診断の度に優良を貰っていた、虫食い一つ無い、見事に整列した歯並びだったが、およそ顔の一部分を(あげつら)い、褒めそやさなければならないということ自体、全体としての面立ちが、目立たない、平凡、地味、という事実の表れであった。

容姿だけでなく、生まれも育ちも全てが平々凡々で、地方の中小企業に勤める父親と、地元のスーパーで働く母の元に三人姉弟の真ん中に生まれ、地方の高校から、それほど入るのが難しい訳ではない首都圏の四年制大学の文系学部に進み、卒業後は契約社員としてどうにか就職し、今年で四年目に入る。社内では、新人と呼ばれるには時が()ち過ぎたものの、中堅にはほど遠い立場で、ただ黙々と与えられる仕事をこなす日々だ。派手に金を使う性質(たち)ではないので、数年の、大人しい社会人生活で貯金通帳の額はそれなりになっていた。貯蓄と言えば聞こえは良いが、では何に使う予定の貯蓄なのかと言われると答えられなかった。


そろそろ夏物と、雨具の用意が必要になる時期のその日、紗綾は三十分ばかり定められている勤務時間より余計に働いて、退社した。普段は大体、1LDKの自宅アパートの部屋に直行だが、その日は来月出席する友人の披露宴に際しての贈答品を購入するため、繁華街の百貨店に寄った。少しぼんやりしていたらしい。いつもとは違うが、それなりに慣れている筈の駅と駅から百貨店への道程(みちのり)で、曲がる小道を一本間違えて、正面出入り口がある側では無い、貨物搬入口のある裏側に出てしまった。もっとも、搬入口の先には裏とはいえ出入り口があり、どこから入ろうと中に入れば同じである。いつ何時(なんどき)大型車輛の出入りがあるか分からない百貨店側の歩道を避けると、紗綾は逆側のセレクトショップと(おぼ)しき小型の店舗が並ぶ前を通って、裏口から入る事にした。百貨店から視線を前に向け、紗綾はそこで一つの煌々(こうこう)と輝く陳列窓の光に、目を射られた。他の店舗の陳列窓も明るいが、そこだけは特に、真夜中にコンビニに入ったときに感じるような、問答無用な照明が(とも)されていた。その光量で紗綾の目を己に向けさせたその陳列窓は、次にその展示物で紗綾の注意を奪った。(あふ)れる光の中、一対の、両手に抱えられるほどの大きさの、美しい少女と少年の人形が、硝子越しに浮かび上がっていた。

歳の頃は四つか五つか。日本昔話に出て来そうな、膝が隠れるくらいの丈の着物を着ていて、何かを話しているのか、何かの遊びの最中なのか、二体とも首を少し(かし)げてお互いの方を向いている。淡い桜色が引かれた唇は花の蕾が(ほこ)んだような、(かす)かな笑みを浮かべている。漆黒の、宝石を()め込んだのかと見紛(みまご)うような瞳が、人工的な照明を受けて、きらきらと輝いていた。紗綾はしばらく(ほう)けた(さま)で二体を眺めていたが、陳列窓には、二体の人形の他は、臙脂(えんじ)色の布が飾り付けられているだけで何も無いことに、ふと、ここが何を売っている店なのか気になり、視線を横に動かした。閉じた硝子扉がある。陳列窓ほどは無いが、内側からの光に照らされて、硝子に金と銀の塗料で書かれた、店名と(おぼ)しき凝った字体の横文字が見て取れたが、紗綾には読めなかった。ただ、その上に漢字で一回り小さく書かれた、画廊、の二文字で、ここがどういう場所なのかは理解出来た。公立の美術館でさえ十年近く前の学校の行事で足を踏み入れて以降訪れたことのない、美術や芸術と無縁な紗綾だったが、気が付いたときには硝子扉を押していた。

画廊の内部はどちらかと言えば暗かった。そしてその(ほの)暗い室内に、所々間接照明が(しつら)えられ、手の平に乗るほどのものから、成人男性の上半身くらいほどあるものまで、様々な大きさの人形が照らし出されていた。男女両方があるが、どちらかと言えば女性、特に少女の形をしたものが多い。髪や目の色、肌の色は多種多様、顔立ちも、東洋人のものから彫りの深い西洋系や中東系のものまで、服装は欧州の、美術の教科書になにやら調と載っているのであろうレースをふんだんに使った丈の長いドレスから、和服や旗袍(チャイナドレス)亜細亜(アジア)のどこかの民族衣装を着ているものまであった。

室内には、生きている人間は紗綾以外には一人だけだった。片隅、ポスターが貼られた壁の前で木彫りの椅子と机に向かっている、四十がらみの灰色の品の良いスーツ姿の女性である。いかにも画廊の担当者と言う雰囲気があったが、マナーの講師とか、上客専門のベテラン銀行員だと言われても納得出来る。紗綾はその辺りの人材の区別がつくほど、物馴(ものな)れてはいなかった。その担当者は、紗綾が入場してきた際に顔を上げたが、にっこりと柔和な笑みと会釈を見せるとすぐに手元に目を戻した。紗綾が行こうとしていた百貨店の婦人服売り場で、つきまとってご高説を聞かせて来る店員とは違う。人形たちに狼藉でも働かない限りは席を立つことすら無さそうである。紗綾は有り難く人形を一体一体、気が済むまで眺め尽くした。

その帷幕(カーテン)に気が付いたのは、およそ目に付く人形たちを堪能し終えた後だった。人形たちはどれも美しく、紗綾はすっかり疲れ切っていた。美しさとは疲労を引き起こすものだという新しい気付きがあった。普段の勤務を終えた後に感じる疲れは、ただ無意味に感じるが、今の疲労は寿命を明確に削り取られたようで、同時にそれだけの価値があると感じさせた。紗綾は画廊のほぼ中央に立ち、疲労に沈みつつ、室内に流れる微かなオルゴールの音を味わい、部屋をぐるりと見渡した。その時、人形が飾られていない一角に目がいった。それまで人形ばかりを目で追っていたので、気付かなかったのだ。薄い青紫色の帷幕(カーテン)が引かれた横の壁に、他の人形たちの前や横に置かれている、金の地に黒で書かれた主題と同じものが取り付けられている。縦書きで、『落花』と読めた。

紗綾は何とはなしに、隅の担当者に目を向けた。依然、机に目を落している。主題がある以上、隠されている訳ではない筈だが、紗綾は秘密の出入り口でも見つけた気分で、足を忍ばせ、帷幕(カーテン)に近寄った。そっと手を掛け、帷幕(カーテン)を引く。レールには余程良いものを使用しているらしい。無粋な音は立たず、ただ、さらさらと衣擦(きぬず)れの音があった。

紗綾の手と心臓が脈動した。帷幕(カーテン)の向うには、一人の青年がいた。


椅子に腰掛けているので、頭部のある位置は紗綾の目線より低い。(うつむ)き加減で、真白の肌に烏羽玉(うばたま)の色をした髪が目元に掛かっている。その下の、切れ長の目は髪と同色の長い睫毛(まつげ)に縁取られていて、その奥に、灰色というのか、白に少し違う色を混ぜただけの、ごく薄い色の瞳があった。遠くから見れば、瞳は白目と同化してしまうだろう。鼻筋は通り、若干薄い、女性的な朱を差したような唇がその下にある。口は閉じていたが引き結んでいるのではなく、ただ自然に閉じていた。

いた、と思ったのが紗綾の主観で、青年が等身大の人形で、ある、と表現せねばならないのだと気付くまでには、しばしの時が必要だった。かといってそれほど長い時間ではない。知らず知らず紗綾は息を止めていた。青年が人形だと認識したときに深い息が漏れた。その間、せいぜい、数十秒だった。

「お気に召されましたか?」

先程は表面的には手だけが脈動したが、今度は紗綾の全身が跳ね上がった。一瞬、目の前の青年の人形が喋ったのかと思われるような、土鈴を振るような、少し低めの良く響く声だった。紗綾は、手は帷幕(カーテン)に掛けたまま、一歩後退し、己の横手にいつ間にか立つ人影に気が付いた。紗綾が見入っている間に、近づいてきたらしい。人影に目を向け、紗綾は息を呑んだ。声を掛けて来たのは、スーツ姿の女性ではなく、どこから出て来たのか、十四、五歳くらいの少年だった。白い長袖の開襟シャツに黒いズボン。学校からそのまま来たのかというような格好から雄性(、、)だと判断したが、もしスカートを穿()いていたら、自然に雌性だと思い込んだであろう華奢な体付きと、肩に掛かるほどの長めの真っ直ぐな黒髪に、白い肌、黒真珠のような瞳を持つ、画廊内に飾られている人形たちの一体が機巧(からくり)仕掛けで動いていると思われんばかりの、美しい中性的な面立ちが細い首の上にあった。だだ唯一、左胸に取り付けられた、照明を反射する合成樹脂製の、画廊名と名字が記された名札だけが、そのどことなく現実的で無い姿形から、唯一逸脱していた。

「え、ええ、はい」

その必要は全く無いにも関わらず、焦りを含んだ声で紗綾は応じた。少年は、浮かべている微笑を深くした。

「良かったらどうぞ」白絹の手袋が差し出された。「お手を触れてみて下さい」

紗綾は、まだどこか夢見心地で、(ぼう)としたまま、手を出したと。手袋を渡した少年は、そのまま流れるような動作で、紗綾の肩から機能性重視の無骨な造りの鞄を外し取った。紗綾は手袋を、使用方法が分からないかのように、(わず)かな間、しげしげと眺め、躊躇(ためら)いつつ、()めた。若干火照(ほて)っていたらしい手に、白絹は涼しく感じる。手袋をはめる際に放した帷幕(カーテン)に再度手を掛け、向こう側に一歩踏み入れた。青年は相変わらず、やや斜め下を向いている。紗綾は不安を感じて少年を返り見たが、帷幕(カーテン)の陰の少年は変わらず微笑んだまま、(うなず)いた。紗綾は目を閉じ深呼吸を一つすると、そっと青年の頬に触れた。柔らかい。木や陶器の質感を予想していた紗綾は、思わず手を引いた。深呼吸の後、またも自然と息を止めていたらしく、手を引き、後ろの少年を振り返り様に、息が深く吐き出された。

「これ…」

紗綾の目は驚愕の余り、これ以上無いほどに見開かれていた。声は(かす)かに震えている。

「本物のようだ、と皆さん、おっしゃいます」

少年は誇らしげに(こた)えた。誰かが、皆、という不特定な何者かを指して言葉を使うとき、事実として、全員が全員、というであることは稀だ。だが、この時に限っては、青年に触れた誰もが皆、今の紗綾と同じ感想を持ったと断言出来た。本物の様である。しかし本物(、、)、例えば人形らしく演技をしている生きている役者でないことは確かだった。眼前の青年は、青年でありながら、白絹を通してでもその肌が赤子のような、(なめ)らかさと細やかさを持つことが感じ取れる。そして、染み入るようでは無いにしろ、冷たい。本物では不可能だった。

紗綾は、青年の人形に向き直り、何度目か、深く、深く息を()いた。

「すごい」

唇から自然と一言が漏れたが、紗綾はこの時ほど、己の貧弱な語彙(ごい)を呪ったことは無かった。他に出てくる言葉が無いのが腹立たしく、後方の少年から、背中越しに嘲笑を受けている様にすら感じた。実際のところ少年は、ただ静かに微笑んでいただけだったが。

紗綾は帷幕(カーテン)の外に出ると、手袋を外して少年に返した。少年は礼を述べると、紗綾の鞄を渡しつつ、続けた。

「いかがでしょう?ご購入の検討をされては」

にこやかに続けられた台詞に、紗綾は目を(しば)かせた。予想外過ぎて、理解が追いつくのに時間が掛かった。鞄を両手で抱えるという、やや間抜けた姿でしばし沈黙した後、紗綾は問い掛けた。

「売り物、なんですか?」

「勿論」

少年は軽やかに身を(ひるがえ)すと、隅の机に向かった。スーツ姿の女性は背筋を真っ直ぐ伸ばして立ち上がっていて、紗綾と少年を見守っていた。少年は女性に手袋を渡すと、机の上からタブレットPCを取り上げ、足音一つ立てずに帷幕(カーテン)の前に戻って来た。少々呆気(あっけ)に取られている紗綾の前で、軽妙に指が動き、液晶の画面が示された。そこには、今は薄青紫の布地に半ばその姿を隠してしまった青年を真正面から(とら)えた画像と共に、(ゼロ)が沢山付いた価格が記されていた。ざっと、紗綾の年収三倍近くである。

「…」

少し前の沈黙とは違う意味で黙り込んでしまった紗綾に向け、少年は(ほが)らかに言った。

「分割払いも受け付けておりますよ」

それまでの、胸の名札以外およそ現実的と思えるものがない姿から一転、急に俗っぽくなった少年を紗綾はまじまじと見つめてしまっていた。改めて名札を見、『宮園(みやその)』という名字であると知った。同じ名前をどこかで見掛けた気がして、紗綾はすぐに気が付き、少し視線をずらした。今は椅子に腰を下ろした女性担当者の後ろの壁に、淡い色彩のポスターが一枚貼ってある。陳列窓に展示されている少年少女の人形の写真と共に、薄墨の行書体で宮園累香人形展、の文字がある。この少年は、人形師と同姓らしい。紗綾は視線を、引き続き美しい笑みを浮かべている少年に戻した。

「申し訳ないのですが、分割でも、わたしには手が届きませんね」

社会人として、まだ数年の経歴しかないが、その(わず)かな間に骨の髄にまで叩き込まれた愛想笑いを前面に押し出して、紗綾は断言した。視線は真っ直ぐ少年に向けて微動だにさせなかった。少年はより深く笑ったようだった。その視線が(かす)かに、右手、薄青紫の帷幕(カーテン)の方に動いた。紗綾は自制心を全力で働かせ、帷幕(カーテン)の向うに再度目をやることを抑えた。もう一度、あの青年を目に入れていしまえば、馬鹿馬鹿しいローンを組んでしまいそうな気がしていた。(かたくな)な紗綾の様子を感じ取ったのか、少年は笑みはそのままに、ほう、と息を吐くと、声に哀惜を混ぜた。

「左様ですか。残念です。貴女のような方であれば、落花も幸せになれると思ったのですが」

「申し訳ありません」

紗綾は再び繰り返すと、するりと少年の傍らをすり抜け硝子扉を押した。視界の片隅で、再び女性担当者が立ち上がり、深々と一礼して紗綾を見送った。紗綾は足早に画廊から遠ざかった。パンプスの踵がこつこつとアスファルトの道路に音を立てた。振り返ってはいけないと、己に言い聞かせる。電車から降りたときには、友人への贈答品を何にしようかと迷っていたことなど、もはや彼方に飛んでいた。

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