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酔っ払いを拾いました。

駅を出てすぐの、きったない居酒屋なんだかおでん屋なんだかよくわからない店・『さっちゃん』。

ヨレヨレの濃紺の暖簾にボロボロの木造の建物。壁に貼っているお品書きはうっすら黄ばんでおり、その年月を物語っているようだ。

そんな普通なら会社帰りのおじさんくらいしか立ち寄らないような店で、仮にも女子大生でうら若き乙女な私は、平日の夜11時、カウンターで1人座っていた。

目の前には、おでん一皿と日本酒。

この蒸し暑い6月の夜に何を食べているんだと突っ込まれそうだが、暑い時に冷房のきいた場所でアツアツのおでんを食べる。そして、冷えた日本酒をグイっと1杯。最高だ。

この良さがわからない大学の女友達は心底可哀想だと思う。


特に、この店のおでんは最高なのだ。コンビニおでんなんて、はっきり言って比べ物にならない。

大学生になって、早3年。自由気ままな一人暮らしは気に入ってるが、1人では楽しめないおでんやすき焼きなど、鍋物が恋しい私には最高のご馳走である。

たとえ、流れている有線が石川さゆりの『津軽海峡冬景色』だろうと(何故、夏にこんな曲が…)、店名の由来が実は目の前のハゲ親父の本名(三郎)だろうと、味が良ければそれでいい。



「ふぅ~、満腹満腹。ご馳走様~!おじさん、おあいそお願ーい」


「はいよー、えっと、1080円だな。まあ、唯ちゃんよく来てくれるし、1000円でいいよ」


「マジですか!?ありがとうございまーす。また来ますね!」


レジの前で、すっかり顔なじみになってしまった”さっちゃん”とそんなやりとりをしていたその時、店の奥の方から、バイトの兄さんの何か困ったような声が聞こえてきた。

さっきまで座っていたカウンター席からだとよく見えなかったが、どうやら座敷に座っているお客さんが酔いつぶれたらしく、エプロン姿のバイト君が起しているようだった。

ゆるくパーマのかかった長い黒髪の女性が机に突っ伏している。そして、その机の上には日本酒の一升瓶。

まさに絵に描いたような酔っ払いだ。

思わず失笑してしまい、私には関係ないのだからさっさと帰ろうと思ったのだが、次の瞬間、私は自分の目を疑ってしまった。

バイト君が肩を持ち上げ、丁度こちらを向くような形で抱え起したその女性は、実に見慣れた女性だったのだから。


「――藤枝先生!?」


慌ててそばへと駆け寄り、間近で顔を確かめてみたが、やっぱり藤枝先生だった。

話した事はおろか、直接講義を受けた事さえないけれど、ほとんどが中年から老年のおじさんか化粧の濃いおばさんばかりの先生の中に、こんな若くて美人の先生がいれば嫌でも目に付く。

うちの大学に彼女を知らない生徒がいるとしたら、よっぽど視野の狭い人間に決まっている。


「唯ちゃん、知り合いかい?」と、さっちゃん。


「ええ、うちの大学の先生なんですけど…」


「へぇ、先生か!まったく、教師ともあろうもんがこんなところで泥酔しててどうするってんだよ、なぁ?」


こんなところって……さっちゃん、アナタの店でしょう、ここ。

私がただ眺めている間にも、可哀想なバイト君は頑張って藤枝先生を揺り起こしているのだが、彼女はまるで死んだように、クッタリと体の力を抜いたまま、静かに寝息を立てていた。

まさか急性アルコール中毒ではないかと疑ったが、酔っ払いを山ほど見てきたさっちゃん曰く、どうやらただ眠っているだけらしい。


「困ったなぁ、こんなに起きない人は珍しいよ。唯ちゃん、この先生の住所、わかるかい?」


「や、さすがにそれは知りませんけど…あ、鞄見たらわかるんじゃないですか?

ちょっと、失礼しますね」


一応、さっちゃんとバイト君に断ってから、先生の座っている横に置いてあるブランド物のバッグを「失礼します」と開けてみると、中には財布と携帯と化粧ポーチ。あとは、手帳やハンカチなど、細々としたものが入っているだけだった。

その中から財布を取り出して、免許証を見てみたけど……結構遠い。調べないと詳しい駅はわからないけれど、もしかして終電には間に合わないんじゃなかろうか。

もし終電があったとしても帰れる状態ではない。


となると、残る手段は家の人に車で迎えにきてもらう事なのだが、携帯のアドレスを開こうにも暗証番号がわからず、これも断念。見事なまでにお手上げである。

ここまで迷惑な酔っ払い、初めて見た。

だからといって、このままここに放置するわけにはいかないし、道端に捨てておくわけにもいかない。

こんな正体不明の美女を放っておいたら、別の酔っ払いのおつまみにされてしまいそうだ。


――こうなれば仕方ない。さっちゃんには世話になってるし、この人はうちの大学の先生で、顔見知りとまではいかなくても身元はハッキリしている人間だ。


「今晩は、とりあえず私の家に連れて帰りますから」


本当にいいのかと、何度も確認しながら礼を言うさっちゃん&バイト君に、先生の財布の中から勝手に彼女の支払いを済ませ、私は未だにスヤスヤと寝息を立てている真っ赤な顔の教師を見下ろし、苦笑いを浮かべた。

本当に、人は見た目によらないものだ。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆




十数分後、駅前で拾ったタクシーで下宿先に帰った私は、背中に担いでいた彼女を放り投げるようにして、ベッドの上へと転がした。

まったく、意識がない人間というのはなんでこんなにも重いのか。

駅前から背負って帰ろうかとも思ったけれど、さっちゃんの忠告通りタクシーを拾って正解だった。


「は~、これ、本当に藤枝先生だよねぇ……?」


と、ベッドに横たわる美女を見下ろすが、どこからどう見ても藤枝先生だ。ていうか、さっき見た免許証に名前書いてたし。

それでも、いつも大学で見かける、細身のパンツスーツをビシっと着こなして颯爽と歩いている姿とは大違いで、もしかしたら双子の妹なんじゃないだろうかなんて思えてくる。

それくらいに、私の知っている彼女と目の前にいる彼女との間には、かなり大きなギャップがあった。


「ま、拾ってきてしまったもんは仕方ない。今日はこのまま寝かせておくか。

……あ、でも、上着は脱がせておいた方がいいか…」


多少乱れているとはいえ、キッチリと来たままのスーツのジャケットは見るからに暑そうで、これくらいは脱がせておこうと、私はそのボタンに手を伸ばした。

別にやましい下心はこれっぽっちもないのだけれど、ベッドの上で美女の服のボタンをはずすというのはなかなかドキドキするもので、もし今彼女が目を開ければ誤解されそうなシチュエーションだな~、なんて考えもしたが、ありがたい事に先生はずっと眠ったままだ。


「んー、ベルトもキツそうだし、緩めておくか。シャツも…1番上のボタンくらいは外して……」


先生が寝たままなのを良い事に、調子に乗った私は、彼女のベルトを抜き取り、淡い水色のシャツの一番上のボタンに手をかけようとした時、――何も前触れもなく、先生の目が薄く開いた。

この時の私は、彼女の傍らに右手をついてボタンをはずそうとしていたため、これだけ見ればまるで彼女に襲いかかろうとしている体勢だ。

こんな時に目を覚まされてしまっては変な誤解をされそうで、私はそのままの状態でフリーズしてしまう。


「あ、あの…」


「――ミカコ…」


私が言い訳をしようと口を開くと、薄く開いた目を細めてにっこりと微笑んだ先生は、誰か知らない女の人の名前をつぶやいた。うっかりその笑顔に見とれてしまっていた私の首にスルリと腕を回し、さっきまで軟体動物みたいになっていた酔っ払いとは思えない力強さで引き寄せた。そして――


「――…っ!?」


引き寄せられるままに頭を下ろしてしまった私が、まだ少し酒の香りが残る唇に口付けられていると理解したのは、それから数秒が経過してからだった。

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