P.002 プロローグ(2)
「――…っ、ぷはぁっ!!」
まるで水から上がったように布団から起き上がる1人の少女。黒く腰まであろう長い髪に丸く大きな黒い瞳。
「はぁ…はぁ……って、夢…?そ、そうだよね、夢だよね…」
少女は汗のにじんだ額を拭い、辺りを見渡す。少し開いたカーテンから射し込む光りに照され、古い土壁に木製の学習机。本棚に並んだ教科書や漫画本……いつもの自分の部屋だ。
『夢だった』その安堵のひと息と共に起き上がり、枕元に置かれたデジタル時計を見る。
20XX年 5月20日 AM 8:20
朝日が昇り、辺りに鳥達の鳴き声が聞こえてくる、山間にあるのどかな田舎町。山の斜面にある畑の中には、数件の木造家屋がちらほらと見える。その1つ、2階建ての民家から――…
「んぎゃあぁーっ!!」
周囲の民家にも確実に響いたであろう悲鳴。それに驚いた鳥達が、木々や電線などから一斉に飛び立った。
悲鳴の聞こえた民家から、次はドタバタという慌てた足音が聞こえてくる。その足音は、民家の2階から誰かが駆け下りてくる音。そして民家内の古めかしいしょうじが強く「バンっ!」っと開き、1人の少女――…あの黒髪の少女が茶の間に駆け込んで来た。
少女は深緑のブレザーの制服姿。しかし上着とYシャツのボタンは開けたまま。今度は寝汗とも違う汗を頬に伝わせる。
「ちょっとお母さん!何で起こしてくれなかったのよ!?」
叫ぶ少女の目が、TVの前にちょこんっと座った、彼女の『お母さん』と呼ぶにはかなり年配な白髪の老婆に向けられた。すると『母』と称された老婆が振り返り、少女を見て微笑む。
「あらおはよう」
「あ、うん、おはよ――…じゃなくて!何で起こしてくれなかったの⁉︎また遅刻じゃない!」
「遅刻って…今日は日曜日じゃないのかい?」
「え⁉︎ちょっ、何言ってんのよ!?今日は木曜日!1日どころのズレじゃないじゃん」
母は「そうだったかねぇ?」っと首を傾げた。その姿にため息をつく少女は、制服等のボタンを閉めながら台所に向かう。そして冷蔵庫を開き、中の牛乳パックを手にしてひと口飲む。グビっと飲みつつ、再び茶の間の母を見た。
「あれ?お父さんは?」
「お父さんならもう裏の畑に行きましたよ」
「そっか、そろそろ収穫時期だしね」
そう言って再び牛乳をひと口。
「あ、そういえばお母さん?親戚とかに銀色の髪した知り合いなんていないよね?」
「銀?…はて、白髪頭ならたくさんいるがねぇ」
「あ~白髪とは違うの。若い人で銀の髪の男の人で~…あれ?確か名前呼んでたなぁ、私…」
確かに呼んでいた。しかし思い出す事が出来ない。
「まさか学校で悪い友達と遊んでいるのかい?髪を銀に染めた友達と」
「そんな訳ないでしょ。ウチの学校校則厳しいんだから、染めた時点でアウト。心配しなくてもわかってるから大丈夫だよ、その点は」
「今もそうだけど、将来結婚する相手も――…」
「はいはいわかったわかった。銀髪男は連れてきませんよーだ。じゃあ行ってくるね」
牛乳パックを冷蔵庫に戻し、小走りに茶の間を横切る。
「ちょっと【アヤメ】」
呼び声に振り返る【アヤメ】と呼ばれた少女。
「今日は5月20日でしょ?16歳の誕生日おめでとう、アヤメ」
「誕生日?…あ~そういえば今日だったね」
「帰ってきたらごちそう準備しておくからね」
「そんな事言って、去年みたいに大盛りの赤飯だけとかヤメてよね…でも期待してるよ、ありがとうお母さん。じゃあ行ってきまーす」
母に笑顔で手を振り、先程玄関に放り投げておいた鞄を拾って靴を履く。つま先でトントンと地面をつついて靴を整えた。そして外に駆け出し裏の畑に向かうアヤメ。
家の裏には3メートル程の木々が生る果樹畑。その入口ともいえる木との境界線辺りに、手押しリアカーに畑仕事の器具を積み込む、腰の曲がった老人が1人。
「お父さーん!」
「ん?何だアヤメか。日曜日なのに学校か?」
「ちょっとお父さんまで…今日は木曜日。だから学校行ってくるね」
『父』と呼んだ老人のかぶる帽子のつばを軽く突きながら笑顔をみせる。
「全く、16歳の誕生日なのに慌ただしいなぁ〜アヤメは」
そう言ってアヤメに缶コーヒーを差し出す。
「へ?……えーっ!誕生日プレゼントが缶コーヒー?」
「寝ぼすけにはピッタリだろうが。ほれ、早く行け。バスに間に合わんぞ」
「はーい。ピッタリかはよくわかんないけど…ま、一応ありがと。じゃあ行ってきまーす!」
缶コーヒーを受け取ると、その父に笑顔で手を振り、木々の間を走り抜けて家の裏側の車道に出る。すると数10メートル先のバス停には、既に乗るべきバスの姿があるではないか。
「うわぁーっ!乗ります!乗りますぅーっ!!」
今度はバスに向かい手を大きく振り必死に走る。バスの運転手がアヤメの姿に気づいたようで、「プッ」っと短めのクラクションを鳴らす。運転席の窓から運転手の右手が振られてるのが見え、アヤメも「気づいてくれた」とひと安心。だからといって待たせてはいけない。とにかく急いでバスに走った。
息を切らしバスに乗り込むと、車内にはアヤメと運転手以外誰もいないかった。
「ハっハっハ!この時間でアヤメちゃんに会うって事は、また遅刻ってやつかい?」
小太りで中年男の運転手がアヤメを見て笑う。
「そーなの、またやっちゃった…もう入学してから遅刻しなかった日の方が少ないくらいかも…」
馴れた関係のように運転席の斜め後ろの席に座り、ため息を1つ。「アハハ」と笑う運転手は、アヤメの着席と周囲を確認し、ゆっくりとバスを発進させた。
古いバス独特の腹の底に響く震動を感じながら窓の外を見る。山の斜面から見下ろす中心街。そこにアヤメの通う高校がある。その高校まではこのバスと、もう1つのバスを乗り継いでで1時間程かかるのだ。「道のり長いなぁ…」っと思いつつ、視線を手元の缶コーヒーに向けた。
「曜日感覚はズレてるくせに、誕生日…"私を見つけてくれた日"は忘れないんだ…」
呟くようにクスっと笑い再び外を見る。そして手元で缶コーヒーを「プシュ!」っとあけた。
「おや?寝坊したから缶コーヒーかい?アヤメちゃん」
「寝坊したからって何よそれ?でも同じような事言われてお父さんから渡されたの、この缶コーヒー。しかも『誕生日おめでとう』的な流れで渡されたのよ」
「誕生日?…あー確か今の時期だったなぁ。アヤメちゃんが【萱島】さん家に来たのは」
「そうなのぉ~、だから~何かちょ~だい♪」
わざとらしい甘えた声で運転手に手を伸ばすアヤメ。
「ん~アヤメちゃんがおじさんとデートしてくれるなら、何でも買ってあげるんだがねぇ」
「え?ホント!?じゃあじゃあ、ゴッチの新作バッグが欲しいなぁー♪」
「ゴッ、ゴッチ!?運転手風情の貧乏なおじいさんにそんな高級ブランドを~…」
「アハハハ~、そんな冗談だって。別に何もいらないから大丈夫大丈夫」
「脅さないでくれよ~…んじゃま、とりあえずはアヤメちゃんの誕生日祝いって事で」
そう言って自分も飲んでいた缶コーヒーを片手に、アヤメに向かい手を伸ばす。アヤメも缶コーヒーを近づけ、
「かんぱーい!」
カチャン!っと鳴らし、ひと口飲んだ。
「うぇっ、苦ぁ~い…何この微糖って。砂糖微量過ぎるよ~…」
「おやおや、16歳にもなったのに苦いコーヒーは苦手かい?」
「そーゆー味覚に年齢って関係なくない?でもやっぱまだカフェオレくらいね、私が飲めるのは」
しかしせっかく父からもらった缶コーヒー。飲まないのも悪い気がするもの。再び缶に口を付け、ちびちびと飲み進める。
「まぁ確かにコーヒー系は慣れもあるだろうしね。アヤメちゃんくらいの歳にはコーヒー飲む人少ないだろうし」
そんな会話の中、バスが下りの急な右カーブに差し掛かった瞬間――…突如カーブを抜けてきた大型トラックが、対抗車線にはみ出した状態でバスの前に現れた。
「…――っ!?うっ、うわぁぁぁぁぁッ!!」
……………………………………
……………………………
プルルルル プルルルル
電話の呼び出しコールの鳴る、アヤメのいない萱島家。
「はいはい、誰からでしょうねぇ?」
ちゃぶ台を支えに「よいしょ」と立ち上がり、コールの鳴り続ける電話に向かうアヤメの母。その背中に、点けたままのTVに入る緊急ニュース。
『只今入りましたニュースです。先程県内の〇〇市の〇〇山道で、市営運行バスと運送トラックによる衝突事故が起こったようです。事故の詳細はまだあきらかとなってはいませんが、対向車線にはみ出したトラックとバスがカーブでぶつかり、バスはそのまま10メートル下の崖下に転落し大破。ドライバーは頭を強く打っており意識不明ではありますが、奇跡的に軽傷で命に別状はないそうです。トラックのドライバーにも怪我はありませんでした。しかしバスの乗客として乗っていたであろう1人の行方がわかっておりません。大破したバスに学生鞄が残されてた為、市内の学校に通う学生とみて調べを進めているそうです。乗客に関してはドライバーの意識回復を待ち―――……』
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