『待つ女』をやめたら、『追われる女』になりました
シャルロッテ侯爵令嬢は、今日も婚約者のエドゥアルト王太子を待っている。
ここは、貴族たちの通う王立学園の、中庭の噴水前。
彼女は放課後、いつも彼を待っていた。
まっすぐに立ち、端正な顔を上げ正面を見て微動だにしない凛とした姿は、生徒たちのあいだで『生きた彫刻』と囁かれるくらい神々しいものがあった。
彼女は待ち続ける。何分も、何十分も、何時間も。
約束の時間が過ぎても、愛しい婚約者を。
「侯爵令嬢。王太子殿下は、本日はご学友方と王都へ視察へ出かけるそうです」
時計の針は約束の時間をとうに過ぎて空がオレンジ色に染まりかけた頃、王太子の護衛がやって来て抑揚のない声で告げた。
「そうですか。では、わたくしは先に王城へ向かいますと殿下にお伝えくださいませ」
シャルロッテはやっと身体を動かして、侯爵家の馬車へと向かった。
◆
シャルロッテとエドゥアルトの婚約は、二人が物心ついた頃には既に決まっていた。
初対面は互いに好印象で、それからも友好的な関係が続いた。
エドゥアルトは王太子の身分ゆえに少々傲慢な面もあったが、シャルロッテは王族とはそういうものだと思っていたし、両親からも「王太子殿下の意向は絶対。婚約者として一番に殿下を尊重すべき」だと徹底的に叩き込まれた。
なのでシャルロッテにとってエドゥアルトは絶対的存在で、彼女の生活……いや人生は彼が全てだった。
エドゥアルトもそんな従順なシャルロッテのことを気に入っていたし、彼女は己の『所有物』だと思っていた。二人の関係は、山も谷もなくずっと平和そのものだった。
二人は貴族の通う学園に入学してからは、放課後に王太子専用の馬車に乗って共に王城へ帰っていた。そして彼は執務や継承者教育、彼女はお妃教育や彼の政務の手伝いをおこなっていた。
待ち合わせ時間は、授業が終わって30分後。場所は中庭の噴水前。
シャルロッテは王族を待たせてはいけないと、遅くとも待ち合わせ時間の10分前には到着して、ぴしりと姿勢を正して彼を待っていた。
美しい侯爵令嬢の立ち姿は誰もが見惚れて、思わず足を止めるほどだった。
エドゥアルトはいつも時間ぴったりに到着していた。
「待たせたね」
「いいえ」
まるで挨拶のようにお決まりの会話をして、王太子のエスコートで馬車に乗り込む。それから城に着くまで他愛のない会話をする時間が、シャルロッテのささやかな楽しみだった。
しかし、学園に入学して半年ほど経った頃、エドゥアルトは徐々に待ち合わせに遅刻するようになった。
最初は5分ほど。それが10分、15分……と、どんどん伸びていって、今では一時間は当たり前になった。
王太子と親しくなりたい貴族は山のように多い。なので彼はいつも大勢の取り巻きを抱えていた。
彼はそれらを身分問わず全て相手にしていたので、放課後に時間を取られるのも仕方ないな……と、シャルロッテは思った。
むしろそんな大変な彼の力になりたいと、これまで以上に王太子の執務も代わりに励むようになった。
有事の際は、国王や王太子の代理を妻が務めなければならない。今はその予行練習だと思うと、彼のためにもっと頑張ろうと思った。
◆
エドゥアルトは学園入学で運命の出会いをした。
男爵令嬢のローゼだ。
学園では身分関係なくクラス編成をおこなっていたので、彼女とは偶然同じクラス、しかも隣の席になった。
彼は、明るくて笑顔の絶えない彼女を一目で気に入った。
いかにも貴族然としたポーカーフェイスのシャルロッテとは違って、喜怒哀楽を素直に表現する彼女が眩しかった。
二人はすぐに親密になり、やがて恋人同士になった。彼は限られた学園生活だけでは物足りず、もっと彼女と一緒にいたいと思った。
そこで、放課後に王族専用の貴賓室で彼女と過ごすようになった。
次第に、エドゥアルトはシャルロッテとの待ち合わせをなおざりにするようになった。
最初は5分ほどから始まった遅刻は、やがて彼の時間の感覚を麻痺させて、今では平気で一時間以上も彼女を待たせるようになった。
遅刻は当たり前。謝りもしない。馬車で向き合っていても、彼は心ここにあらずといった様子。
名残惜しそうに窓から校舎を眺める彼に、彼女は戸惑った。
だが、幼い頃より「常に王太子殿下を優先するように」と教育されてきた彼女は、特に怒ったり質問責めをするような真似は決してしなかった。
侯爵令嬢が一時間以上も姿勢を崩さずに王太子を待ち続けている姿は、今では学園中の名物になっていた。
主にその見惚れんばかりの高貴な美しさが囁かれていたが、令嬢たちのあいだでは長時間も婚約者を待たせる王太子に眉をひそめる者も多かった。
ある時、シャルロッテは親しい令嬢から「そんな式典時みたいな姿勢でただ待っていないで、読書や刺繍でもしてればいいのに」と言われたことがある。周囲の令嬢たちも同意して、不誠実な王太子を責め立てた。
しかし、低い身分の者が高い身分を待つ際に『暇つぶし』などをおこなうのは非常に無礼な行為にあたる。
ましてや相手は王族だ。侯爵令嬢という立場では、姿勢を崩さずにひたすら待つほかなかった。
◆
そして今日も、シャルロッテはエドゥアルトを待っていた。
「くしゅん!」
小さなクシャミが出て、初めて彼女の姿勢が少しだけ崩れた。
今日は季節外れの寒さで、雪が降るかもしれないと言われていたのだ。
彼女は何事もなかったかのように、すぐに姿勢を正した。
手がかじかむ。首筋に寒気が伝う。しかし、王太子を待つのに、寒さで縮こまっているわけにはいけなかった。
そのとき。
「もう見てられん」
ぱさりと、彼女の背中に重みが落ちてきた。
「!」
視線を向けると、それは令息用の制服の上着だった。
「アルトゥール殿下……?」
シャルロッテは大きく目を見開く。眼前には、留学中の隣国の皇太子が険しい顔をして立っていたのだ。
「このようなこと……恐れ多いですわ!」
彼女は慌てて肩にかかった上着を彼に返そうとしたが、
「風邪をひく。そのままでいなさい」
彼は押し付けるように彼女の両肩に手を乗せた。
「あ……ありがとうございます……」
さっきまでとは打って変わって、全身に温もりが広がっていく。彼女は困惑しつつも、彼の親切が嬉しく思った。
「いつまで待っているつもりだ?」
「エドゥアルト様がいらっしゃるまでですわ」
「はぁ……」
彼女の当然といった返事に、彼はため息をつく。彼女はなぜ彼が不快そうにしているのか、皆目見当がつかずに目を瞬かせた。
「君は優秀なのに、婚約者に関しては極端に視野が狭くなるな」
「えっ……? どういう意味でしょ――きゃっ!」
「付いてきなさい」
シャルロッテが質問する間もなく、アルトゥールは彼女の手首を掴んで引っ張っていく。
「な、なんですの……!?」
「君に見せたいものがある」
彼はそう言って、あとは無言でずんずんと足を進めた。
彼女は一瞬だけ躊躇したが、自国の王族よりも身分の高い帝国の皇太子に逆らってはいけないと判断し、黙って彼に付いて行った。
しばらくして二人が到着した場所は、王族専用の貴賓室だった。
アルトゥールは人差し指を口元に当ててから、
「しっかりと見るといい」
そっと扉を開けた。
「っ……!」
5センチほどの僅かな隙間からは、暖かい空気が流れて来た。
パチパチと暖炉の音が聞こえてきて、湯気の立つティーカップ、そしてケーキやサンドイッチなどの軽食。
中央の広いテーブルには王太子と男爵令嬢、取り巻きの令息たちが座ってなにやらカードゲームに興じているところだった。
「やったわ! フルハウス!」
王太子の膝の上に座っているローゼが、嬉しそうに声を上げる。彼は目を細めて、優しく彼女の頭を撫でた。
「……」
シャルロッテの息が止まる。そこにはこれまで見たこともない楽しそうな表情の婚約者と、その恋人の過度なスキンシップの姿が映っていたのだ。
「ワンペア。負けましたね」
「駄目だ。ノーペア」
「同じくノーペア」
負けた令息たちは、王太子たちの前に銀貨を差し出す。
途端にシャルロッテの顔が青くなった。ギャンブルは国営施設以外では禁止されているのだ。
「殿下、そろそろ婚約者のところへ行かなくても良いのですか?」
令息の一人が、時計を見ながらエドゥアルトに訊いた。
「あぁ、まだ大丈夫だろう。待たせておけ」
王太子は時計の針を一瞥して、鼻で笑いながら言う。
「えぇ〜? 侯爵令嬢が可哀想〜」
ローゼはくすくすと馬鹿にするように笑った。
「あれは放っておいても付いてくる。犬みたいに待っているからな」
「まさに忠犬ね。わんわん!」
ローゼが犬の鳴き真似をすると、彼らはどっと声を出して笑った。
「なんてこと……」
シャルロッテは小刻みに肩を震わせながら、その様子を眺めていた。やがて限界に達したのか、ふらふらとよろめいて倒れそうになる。
「大丈夫か?」
そのとき、彼女の肩をアルトゥールがしっかりと掴んだ。
彼はそのまま彼女を抱き上げ、その場を離れる。力強い支えに彼女は意識を取り戻し、はっと我に返った。
「は、離してください!」
だが彼は無言のまま彼女を抱きかかえたままで、皇太子専用の貴賓室まで連れて行った。
「手荒な真似をして悪かった。だが私は、君ほどの令嬢が待たされるのはおかしいと常々思っていたのだ」
「わたくしは……王太子殿下を待つことは当然のことだと思っておりますわ」
シャルロッテは反論するが、すっかり意気消沈して俯きがちになっていた。
さっきの光景が、あまりにも衝撃的すぎた。それは徐々に鋭利な刃となり、彼女の胸に深く刺さっていく。
(エドゥアルト様は、わたくしのことを犬のようだと思っていたのね……)
ローゼの犬の鳴き真似が頭の中に響く。動揺で思考が回らなくなり、溺れたように息ができなくて苦しかった。動悸が激しく打って、ガタガタと震えが止まらなかった。
アルトゥールはそんな彼女をしばし介抱してから、
「時間は君の命そのものだ。それを蔑ろにする者に、尊い生命を捧げる必要はない」
「それは……!」
これまで考えてもみなかった意見に、彼女は弾かれるようにはっと顔を上げる。
たしかに彼の言う通りだ。自分は今、エドゥアルトに生きている『時間』を与えているのと同じである。
でも、それは。
「高貴なる方に命を捧げるのは、貴族として光栄なことですわ」
だって、子供の時から王太子殿下に尽くすように言われているから……。
彼のために生きて、彼のために死ぬのは至極当然のことなのだ。
「ならば、見方を変えよう。高貴なる者は時間を守る義務がある。僅かでも遅れれば、周囲に多大なる迷惑をかける。
現に君は、エドゥアルト王太子の遅刻癖に連鎖して王宮の者たちを待たせているではないか。それは、君も相手の命を軽んじているのと同義だな」
「ちっ……違います! わたくしは、王宮の方々のことをそのようになど思っておりませんわ!」
そうは言ったものの、彼の言うことは正論に違いなく、彼女は羞恥心で顔を赤らめた。
自分もお妃教育の講師や王宮の関係者たちを毎日待たせている。わざわざ時間を割いて、自分のために準備をしてくれいてる彼らのスケジュールを乱しているのは事実だ。
「私は生まれながらに皇族なので、いずれ王族になる令嬢に、先輩としてアドバイスをやろう。
まずは王族は時間厳守だ。一分一秒たりとも遅れてはならないし、その逆もいけない。……ま、これは既に身に沁みているようだな」
「はい……」
「よろしい。では、もう一つ。王が誤った道へ進もうとしたら、止められるのは配偶者だけだぞ。いくら忠臣といっても身分の差は明確にあるからな。王の隣に立てるのは、王妃だけだ」
「えっ……!」
想定外のアドバイスに驚きを隠せずに、彼女は大きく目を見開いて息を呑んだ。
そんなこと考えてもみなかった。幼い頃から「王太子殿下をお支えしなさい」とは何度も聞かされてきたから、そんな出しゃばった真似をするなんて恐れ多いことを……。
いろんな情報ですっかり頭が混乱して視線が定まっていない彼女を見て、彼はふっと目を細めた。
「それから最後に一つ。王太子妃として離縁するよりも、令嬢が婚約破棄するほうが容易だし傷は浅いと思うぞ」
「っ……!」
またしてもこれまで考えたこともない過激な意見に、シャルロッテはドキリと脈が跳ねた。
一瞬だけ王太子のいない未来を想像しかけたが、幼い頃からの王太子妃教育の記憶がそれを塞いだ。
しかし、彼女自身の『王太子妃としての在り方』は、僅かだが変化が起こった。
◆
「約束のお時間にいらっしゃらないようなので、わたくしは先に王城へ参りますと王太子殿下にお伝えください」
「っ……!?」
シャルロッテが堂々とした様子でエドゥアルトの護衛にそう言うと、彼は驚きのあまり目を剥いて身体を強張らせた。
美しい姿勢のまま何時間も待っているあの侯爵令嬢の口から、そのような言葉が出てくるとは思いもよらなかったのだ。
彼女は彼の返事を待たないまま踵を返して、王太子専用馬車ではなく侯爵家の馬車へ優雅に乗り込んだ。
あれから、彼女はアルトゥール皇太子の言葉の意味を何度も考えた。
その度に彼の言うことは正しいと思ったが、実際に行動に出るのは憚られた。
やはり二人の身分の差は大きい。まだ王太子妃でもない自分が王太子に意見をするなど恐れ多い。
幼少の頃より受けた教育は、もはや洗脳の如く想像以上に彼女の思考を侵食していたのだ。
それでも、己の行動だけでも変えなければならないと思った。
少なくとも、時間厳守は徹底しなければと思った。
勇気を振り絞り、まずは30分から始めた。
それから15分、5分……と徐々に待つ時間を縮めて、今ではもう約束の時間になったらすぐに一人で王城へ向かうことにした。
『生きた彫刻』の姿をほとんど見られなくなり令息たちは残念に思ったが、令嬢たちは密かに侯爵令嬢を応援した。
シャルロッテが時間丁度に到着するようになって、彼女の教育係をはじめとする王宮の人々も時間の余裕ができ仕事が円滑に進むようになった。
彼らはいつ来るか分からない王太子より、きちんと時間を守る侯爵令嬢を次第に頼るようになった。
以前より彼女が手伝っていた王太子案件の執務も、これまで以上に任されるようになった。
「侯爵令嬢風情が、王太子を待たないとはいい身分だな」
王太子を蔑ろにする侯爵令嬢を、当然エドゥアルトは激怒した。
いつものように約束の時間になっても王太子が来ないので彼女が馬車へ向かおうとしたとき、彼は大声でシャルロッテを呼び止めた。
彼女は彼の剣幕に少しだけ怖気づいたが、意を決して彼に言う。
「エドゥアルト様、王宮の方々はわたくしたちの時間に振り回されておりますわ。彼らにも予定というものがございます」
「そんなもの待たせておけばいい。俺の時間に合わせるのがあいつらの仕事だろ?」
「……」
だが彼女は、彼から何を言われても時間厳守だけは頑なに守り続けた。
王太子は嫌がらせのように己の仕事のほとんどを彼女に押し付けるようになったが、時間に余裕ができた彼女はそれらを難なくこなしていった。
それでもシャルロッテは、まだエドゥアルトを信じていた。
今は学園生活が楽しくて、少し遊んでいるだけ。王太子としてずっと厳しい生活をしていたから、今のあいだくらい羽目を外しても仕方がない。
自分が時間を守って王太子の仕事も務めることによって、彼の名誉を守ることができる。
卒業して婚姻したら、きっと王太子として立派に務めを果たすはず。
いつか彼も分かってくれるはず……。
だが――……。
◆
王太子の誕生日パーティー。
エドゥアルトは、約束の時間に現れなかった。
シャルロッテは王太子妃教育の一貫でパーティーの主催を任されていたので、このまま一人ぼうっと彼を待つことなどできなかった。
主役は来ないが、貴族たちは揃っている。それに今夜は、政治に影響を持つ大貴族も多かった。
本来は貴族たちが王太子へ祝いの言葉を述べるのが先だが、待っていても仕方がないので、彼が登場するまで音楽やダンス、そして料理を楽しんでもらうことにした。
エドゥアルトの代わりに彼女一人で高位貴族たちへ挨拶回りをした。
王太子の不在を不審に思う貴族もいたが、どこからかアルトゥール皇太子が颯爽と現れて彼女をフォローしてくれた。
貴族たちは王太子よりもさらに身分の高い帝国の皇太子との会話の機会に満足しており、彼女は大いに彼に感謝した。
しかし、時間は過ぎていく。そろそろ国王夫妻の到着の時間だ。
さすがにその時に王太子が不在なのは不味いとシャルロッテが焦っていると、
「王太子殿下のご到着です」
正装姿のエドゥアルトと、彼と色を合わせたドレスを着たローゼが腕を組んで入場してきた。
その日、シャルロッテはコーラルピンクのドレス。ローゼはベビーピンクのドレスを着ていた。
そしてエドゥアルトは、白を基調にローズピンクの差し色の服装だ。
それは婚約者の衣装に合わせたようにも見えるが、オレンジ味の含まれたシャルロッテではなく、ローゼのドレスを濃くしたような色味だった。
なによりも、外国語でローズはローゼと同じ意味である。
楽しげに見つめ合う二人の姿を見て、シャルロッテの中でなにかが崩れていく気がした。
パーティーは無事に終わった。
エドゥアルトからは「正確な時間を伝えなかったお前が悪い」と叱責されたが、近くにいたアルトゥールが「確認を怠ったお前が悪い」と言い返してくれて、シャルロッテは少しだけ溜飲が下がった。
王太子の遅刻以外はなにもかも完璧で、シャルロッテは周囲から称賛された。
だが、いくら褒められても彼女の心はぽっかりと穴が空いたままだった。
虚しくて、悔しくて。でも、苦しい胸の内を誰にも言えなくて……。
それからシャルロッテは、またいつもの生活に戻っていった。
エドゥアルトとの待ち合わせ時間が来たら、一人で王城へ向かう日々。淡々と、同じことの繰り返しだ。
しかし、ただ一つこれまでとは違うことがあった。
彼女は王太子との婚約破棄に向けて、彼の不貞や、王太子としての責務を果たしていない証拠を密かに集めはじめた。
シャルロッテは、ついに決心したのだ。
エドゥアルトが変わってくれるのを『待つ』のを止めた。
もう彼との明るい未来を『待つ』のを止めた。
◆
シャルロッテが待つのを止めたら、自分の世界が突如動き出した気がした。
実際に大きな変化が起こった。
「シャルロッテ嬢、学園を卒業したら私と一緒に帝国へ行かないか?」
「……それは、帝国へ留学するということでしょうか」
アルトゥールは、シャルロッテが婚約破棄の準備を始めたことにいち早く気付き、証拠集めを水面下で手伝ってくれた。
さすがは帝国の皇太子。どこに潜んでいるのか分からない彼の間諜が、瞬く間に情報を集めてくれた。
もとより同じクラスメイトとして良好な関係だった二人だが、彼が皇族の先輩としてアドバイスをしてくれた日から会話をすることが多くなった。今では、親しい友人となっていた。
彼女の質問に、彼はしばし黙り込む。彼女はそれを肯定と捉えて話を続けた。
「そうですわね。それも、良いかもしれません。きっと王太子殿下と婚約破棄をすれば、しばらく騒がしくなるでしょうし。帝国のアカデミーでもっと高度な学問を――」
「いや」
彼はいつもよりやや低音で、彼女の言葉を遮る。
そして、まっすぐに彼女の瞳を見て言った。
「私の……皇太子妃として、帝国へ来てほしいんだ」
「えっ……」
彼女は大きく目を見開いて、彼を見た。
静かに見つめ合う二人。
ほんの僅かだが、時間が止まっているように感じた。
「私は、君を愛している。だから、私の伴侶になってくれ」
「……」
再びの沈黙。シャルロッテは、頭が真っ白になって二の句が継げない。
だが、彼の熱のこもった強い視線を、逸らすことができない。
「わたくしは……」
数拍して、乾いた唇をやっと開いた。
「わたくしは、すぐにお返事ができません……。その……立場も、ありますので……」
帝国の皇太子の求婚を拒否して良いものだろうかと彼女は少しだけ逡巡したが、自分はまだ王太子の婚約者という身分だ。何と答えれば良いか、最適解が分からなかった。
しかし彼女の不安とは裏腹に、彼はふっと微笑んだ。
「あぁ。君の立場は分かっているつもりだ。だから――」
彼は彼女の頭の上にぽんと優しく手を置いた。
「待つよ。君の気持ちが私に向いてくれるまで、いつまでも待ってる」
「っ……!」
にわかにシャルロッテの頬が薔薇色に染まった。
これまでエドゥアルトを待ち続けた彼女が、生まれて初めて『待たれる』という経験をしたのだ。
嬉しさと気恥ずかしさと申し訳なさが混在して、胸がそわそわと波立った。
それは、彼女が無意識に心の奥に抑え込んでいた『恋心』というものが顔を出した瞬間だった。
◆
「シャルロッテ侯爵令嬢! 貴様とは婚約破棄をする!!」
学園の卒業パーティー。
エドゥアルト王太子は恋人のローゼを伴って、シャルロッテに向かって得意満面に叫んだ。
彼はこの日のために婚約破棄の証拠――愛しい恋人への嫌がらせや、侯爵令嬢として相応しくない言動などの客観的な証言を準備していた。
王太子妃にはシャルロッテではなくローゼこそ適切だと、今こそ訴えるのだ。
「――って、おい! シャルロッテはどこだ!」
エドゥアルトは目を剥く。
シャルロッテの友人の令嬢を見かけて、その隣にはシャルロッテと同じ髪色の令嬢がいたので不意打ちを食らわせようと、大音声で婚約破棄宣言をしたのだが。
「侯爵令嬢は、卒業式の終了後にすぐに帝国へ向かわれました」と、いつも王太子とシャルロッテの言伝を預かっていた護衛が淡々と述べた。
「なんだとっ!?」
「そして、こちらが侯爵令嬢からの婚約破棄の証明書です。……国王陛下の署名もございます」
「はあぁっ!?」
「決定事項です」
「そういうわけだ、エドゥアルト」
「ち……父上!?」
気が付くと、国王や大臣たちが王太子を囲んでいた。
次の瞬間、屈強な王宮近衛騎士に彼は呆気なくねじ伏せられてしまった。
「ぐっ……。どういうことですか、父上!?」
国王の相貌が鋭く光る。
「さぁ、始めようか。廃太子へ向けての査問会議を」
◆
シャルロッテは、アルトゥールの求婚を受け入れた。
なので、もうエドゥアルトのことなど待つ必要は完全になくなった。
彼女は、卒業パーティーで王太子が婚約破棄宣言をする情報を得ていた。しかもお粗末な証拠付きで。
そこで、密かに王太子サイドが用意した『証拠』を手に入れ、全ての反証と、逆にこちらから婚約破棄を申し入れる正当な理由を記した書類を作成した。
国王は最初は渋ったが、息子の無能さを知ると決心がついたようだ。
彼女はパーティー会場で王太子を返り討ちにするのも面白いと考えたが、その日まで彼を『待つ』時間が勿体ないと思った。
エドゥアルトなど、もう待つ価値もない。
シャルロッテは、先に行くのだ。
「行こうか、シャルロッテ嬢」
「えぇ。アルトゥール様」
シャルロッテはアルトゥールの差し出した手を取る。
これからは、自分を待ってくれる人を大切にしようと思った。
ずっと。
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