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側仕えとしての使命

 アンリを連れて旦那様のもとへ向かうと、程なくして旦那様がお客様に向けて挨拶を始めた。


 アンリはソアラと口を交わしているようだ。その姿を見届けると、今朝の約束を果たすため、周囲の邪魔にならないように廊下に出た。早足に廊下を進むとホールと繋がる階段とは別の階段を登る。そして急いでホールが見下ろせる吹き抜けにやって来た。


 わざわざここまで来たのは周囲の邪魔をせず、そして途中で妨害を受ける事なく特等席で鑑賞できると思ったからだ。もちろん立場上、目立った行動は出来ないため隠れて見るつもりだ。


 だが、この場に着いた頃には旦那様と奥様が階段上からホールの様子を眺めていた。

 さすがに旦那様と奥様が居る中、同じ空間で鑑賞するわけにはいかない。諦めてもう一度、一階に戻ろうかと思案している間に旦那様はフレッドの存在に気がついた。すると快く横に立つように勧めてくれる。


「フレッド、ここに来るかい?」


 本来持ち場があるにも関わらず、それを放棄しているフレッドを旦那様は咎める事はしなかった。奥様もフレッドへ笑いかける。


「あの子の晴れ舞台だもの。ちゃんと見ていてあげてね」


 そう言って貰えたおかげで、フレッドの心の奥にあった罪悪感や後ろめたさはスッと消えた。

 二人のお言葉に甘えることにして、少しスペースを空けた場所に立たせてもらう。ここからは想像通り、一階の様子がよく見える。お客様一人一人の表情、メイドが対応に当たっている姿。中央に立つアンリは目をつぶり、どこか表情を硬くしている。それでもソアラがアンリに何か声を掛けると落ち着いた表情に戻ったようだ。


 演奏が始まるとアンリのオーラが変わった…ような気がした。


 ここ数日で何回、何十回と聞いた音楽が屋敷中に響き渡る。それに合わせ、今日まで何度も踊ったダンスをアンリはソアラと二人で踊っている。


 いつからか耳には何の音も聞こえなくなった。まるで二人以外の時間が止まったかのように、人の声も音楽すらも消えていた。


 この一週間、アンリを一番近くで何度も見てきたのは他でもないフレッドだ。

 初めはカウントや音楽に追いつく事に必死で、一回踊り終わるごとに本人も無自覚だろうが、目に涙を浮かべていた。そのたびに「大丈夫」「上達している」と声をかけ続けてきた。そんなアンリが今は堂々と、そして何よりも楽しそうに踊っている。


 舞踏会というのは貴族の方にとっては日常のほんの一時だ。舞踏会だから特別、という意識は少ないだろう。それでもオーリン家やフレッドにとって、今日は大切で特別な一日なのだ。


 もちろんずっとアンリの事を信じていた。それでもやはり初めての舞踏会、心配だと思ってしまう気持ちはフレッドを始め、誰の心にもあったのだろう。だからこそ、大勢の前であんな風に踊っている姿を見ると、言葉では言い表せないような気持ちが心の底から湧いてくるのだ。


 時々、アンリが足を踏み外しかける事があってもソアラがさり気なくサポートしているおかげで、おそらくフレッド以外にその事に気がついている人はいないだろう。


 …あっという間だった。アンリ達が音楽の終わりと共にダンスを終えるとホール中に拍手が鳴り響く。それに対しアンリは恥ずかしそうに、はにかんでいる。


 しばらくして拍手が収まってくるとホールでは再び演奏が始まった。これからの時間は誰でも自由に踊ることが出来る時間になる。余韻を感じていたい気持ちはもちろんあるが、ずっと仕事を放棄するわけにいかない。アンリへと優しい眼差しを向ける旦那様方の元を静かに離れると、もと来た道に戻る。


 舞踏会中の主な仕事はホールとコンサバトリーでの客人対応だ。記憶通りなら執事長であるジーヤが全体進行、ディルべーネは途中でいらした方の受付、シーズとルエが軽食作り、メイド二人が厨房でサポートに回る。フレッドと同じく客人対応に回るのは、残りのメイド二人だったはずだ。もちろん担当があっても人手が少ないため、その場で臨機応変の対応が大切になってくる。


 しばらくの間、ホールとコンサバトリーを行ったり来たりして対応に当たっていた。対応と言っても特に問題は起きず、時々お手洗いに案内したり、空いたお皿を運ぶくらいだ。


 お客様はみなさん楽しんでいるようだった。若い方はホールでダンスを楽しみ、その両親に当たる方々はコンサバトリーでお酒を嗜みながら周囲との交流を図り、旦那様や奥様はドローイングルームで親しい方と今日という日に会話を咲かせていた。


 だからだろうか。その空間の一角で辺りとは違った空気が流れている事にすぐに気がついた。コンサバトリーで青白い顔をしたご令嬢が背の高い三人組のご子息に囲まれているのだ。


 そして青白い顔をしたご令嬢とは、先程まで凛とした表情を見せていたアンリだ。様子から見て、一人で軽食を楽しんでいたところに、ここぞとばかりに三人組が近づいたのだろう。


 急いでアンリの元へ向かうが、多くのお客様の失礼にならないように避けながらだと中々たどり着くことが出来ない。アンリ達の元へ向かっている間にもご子息達はアンリに何かを言い、アンリは必死に抵抗しているのが分かる。だがご子息達には痛くも痒くもないようで、怖がっているアンリを面白がっているようにも見えた。


 やっとご子息達の顔が見えるところまで来たところで思考を巡らせる。確かあの三人は男爵家のご子息だったはずだ。何度か社交の場で今のようにご令嬢に寄って集って迫っている姿を見た事がある。


 ようやくアンリの元に辿り着くと、ひとまずアンリの腕を掴むご子息の手を解くと間に入り、彼らからアンリが見えないように立った。そして胸の中に渦巻く怒りや怨みのような感情をなんとか鎮めると、あくまで使用人として落ち着いた声を絞り出す。


「失礼ですが、アンリ様がお困りです。そろそろおやめになって下さい」


 淡々とご子息達へ伝えると、背後から小さく震えてしまった声で「フレッド…」と名を呼ぶ声が聞こえる。弱々しい声が今にも泣き出してしまいそうで、一度アンリへ振り返り「大丈夫ですよ」と微笑む。するとアンリはおそらくずっと我慢していた涙を一滴だけ流して頷いた。本来ならこの場から今すぐにでも連れ出して差し上げたいが、こうもご子息達に睨みを利かせられている状態では動けそうにない。


 邪魔をされた事で気分を害したのか「ふざけんじゃねぇ」とご子息の一人が声を上げた。そんな声が怖かったのか、アンリはフレッドの背中にくっついて服をギュッと握る。本当に早くこの場をどうにかしなければいけない。


「お前なんなんだよ」

「俺たちが楽しんでるのに使用人の分際で邪魔するとか、貴族様のこと舐めてんの?」

「アンリ様を守ることも私の仕事の一つです。このような場、しかもアンリ様にとって初めての特別な場で恐怖を与え苦しめるのであれば、貴族様だからと言って許しません」

「は?お前みたいな奴に何が出来るんだよ」

「そもそも使用人のくせに出しゃばって正義のヒーロー気取りとかウザいんだよ。お前みたいな奴は皿洗いでもしてろ」

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