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伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く1  作者: 月乃くも
伯爵令嬢になった世界では初めてだらけ
2/18

初めての友達

 数百人は余裕で入れるほどの大講堂。まるでヨーロッパのオペラハウスだ。ここが入学式を行なう会場らしい。

 一階には固定式の椅子がビシッと並び、周辺の壁を百八十度囲うように個室が付けられている。そんな個室は二階、三階とあるのだが、アンリはなぜかクイニーと二階の一室で並んで座っていた。

 

 一階の椅子は一般的な劇場や映画館にあるような赤い椅子だが、個室の椅子は革製でボタン留めがされているチェスターフィールドソファーだ。そんなソファーはアンリの体を包み込むのには丁度良く、隣に置かれたローテーブルにはボトルとグラスまで置かれている。


 一階に視線を落とせば、前方にはストライプのネクタイを巻く学生が、後方には無地のネクタイの学生が座っている。


 フレッドは一目で階級が分かるようにネクタイの柄が決まっていると言っていたが、ネクタイで見分けなくても一目瞭然だ。

 なぜなら前方に座る貴族階級の子息や令嬢と思われる学生は後方に座る学生と制服が同じでも髪を綺麗に結っていたり巻いていたり化粧をしている。それに身に付けている装飾品がアンリの目でも高価な品だと分かる物ばかりだ。そんな彼らと違い、労働者階級の学生は化粧っ気も薄く、装飾品の類いは身に付けていない。


 だが、改めてなぜアンリはここに座っているのだろう。貴族階級の学生全員に個室が用意されているのなら分かるが、一階にはストライプ柄のネクタイを巻いた学生が大勢座っているのだ。


「ねぇクイニー」

「ん、なんだ?」

「どうして私達は一階の席じゃないの?」

「なんだ、そんな事か。伯爵家の俺らがここに座らずに、どこに座るんだよ」

「だから一階に座れば良いじゃない」

「はぁ、お前には伯爵家の娘だという自覚はあるのか?」


 呆れたようにクイニーは言うが、アンリにはいまいち分からない。確かこの個室に入るとき、扉にはアンリとクイニー、両家の名がドアプレートに書かれていた。まるで初めからこの部屋はアンリとクイニーのために用意されていたかのように。

 だからって、どうして伯爵家だから高待遇なのかなんて分かるわけもないし、昨日まで階級制度なんて存在しない世界で生活していたのに、これが当たり前だという風に言われても理解できない。


 頭を悩ませていると、クイニーはいまいち腑に落ちない表情を浮かべるアンリに呆れながらも再び説明し出す。


「良いか?一階は主に子爵と男爵、それから後ろの方に座っているのが労働者階級の奴らだ。そしてここのロイヤルボックスは伯爵と侯爵の家の奴らが座る席だ」

「それ、わざわざ分ける必要あるの?」

「はぁ、めんどくせぇな。とりあえず当たり前の事なんだ。いちいち説明するような事じゃない。金が無ければパンや服は買えない、それと同じで当たり前の事なんだよ」

「ふーん…」


 クイニーが説明してくれること自体はアンリにとってはありがたい事だが、言葉の節々に呆れとイラつきが見え隠れするクイニーにそれ以上深く聞く気にはなれず、大人しく入学式が始まるまで待った。


 入学式はこんなに豪華な会場でやっているくせに、特別な事は何もない。学園長の話や校内の説明、最後に生徒会長からの話、それで終了だ。


 入学式後はそれぞれ教室に向かう事になった。教室はレベルごとに分けられているようで、よく分からないまま案内された教室で適当に一番前の席に座る。パッと見たところ、この教室には労働者階級の学生はいない。全員、アンリと同じストライプ柄のネクタイを巻いている。

 ちなみにクイニーとは違うレベルだったらしく、軽く挨拶をすると別の教室へ向かっていった。


 教室に学生が集まり全員が席に着いた頃、タイミングを見計らったようにやって来た事務科のスタッフだと名乗る男が話を始めた。

 前に立つスタッフの話は様々な手続きや明日以降のこと。最後に学園についての決まりを三つ。

 一つは学園に通う一人として、そして貴族として家柄を背負っている自覚を日々持って生活すること。二つ目は殺人や密売、法を犯すことは絶対にしないこと。ここまでは普通のことだ。


 だがアンリが引っかかったのは最後の一つ。この教室に居る貴族階級の学生には関係ない話だがと前置きを置いたスタッフは、貴族階級の者に制限区域は無いが、労働者階級の者は最上階フロアと別館への立ち入りが禁止されていると言う。


 正直、身分でなぜ行ける場所が限られてくるのか、いまいち分からない。だが恐らくクイニーに言われた通り、この世界では当たり前の事なんだろう。アンリはひとまず深く考えずに聞き流した。


      ***


 …もしかしたら私は天涯孤独の身なのかもしれない、なんて馬鹿げたことを考えたのは、全ての説明が終わり解散が言い渡された後のこと。


 「ではお疲れ様でした」と言いながら教室を後にしたスタッフの挨拶を皮切りに、それまで大人しく座っていたのが嘘のように周りは一気に騒がしくなる。


 この教室に初めて入ったとき既に何人かの学生は楽しそうに会話を繰り広げていたが、元からの知り合い同士なんだろう程度に思って特に気に留めていなかった。そのはずが今ではアンリを含む数人以外の学生が男女問わずに楽しそうに輪を作っている。


 確かにアンリには今日この世界に来たというハンデはある。だからといって教室の半数以上の学生が既に同じ教室に友人が居た、なんて奇跡みたいな事が起きるのだろうか。

 いや、でも後ろから「初めまして」なんて挨拶している声も聞こえてる。もしかして貴族のように幼い頃から社交界で生きていると、自然とコミュニケーション能力が身につくのだろうか。


 どちらにしてもアンリが一歩遅れていることに変わりは無い。きっとこのまま何も行動を起こさなければ、こっちの世界に来る前のように独りぼっちで過ごすことになる。


 向こうに居る時の人間関係は正直諦めていたし、どうでも良かった。でもせっかく異世界に来て何も変われないなんて嫌だ。そう思いつつも、もし誰かに話しかけて上手く話が合わなかったら、上手く会話が出来なかったらどうしようと次々に不安が溢れ出すと、アンリの足はまるで鉛がついたかのように重たくなり、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。


 やっぱり世界が変わってもアンリは暗璃だ。何も変われないのかもしれない。


「トントン、お嬢さん」


 自分に嫌気が差して俯いていると、そんな声とともに優しく肩を叩かれる。内心では心臓が飛び出してしまうほど驚いていたが、顔には出さないようにアンリは振り返ると、そこには愛嬌良く微笑む可愛らしい男の子がアンリを真っ直ぐに見ていた。


「私、ですか?」

「はい、良かったら僕とお話しませんか?」

「え、えっと…私なんかで良いのならぜひ」

「良かったです!僕はミンス・シェパードと言います」

「シェパードさん…」

「ミンスで良いですよ。貴方のお名前もお伺いして良いですか?」


 そう笑いかけるミンスの声は他の同年代の男より高く、嫌な威圧感を与える事が無い。おかげで強張っていたアンリも自然と緊張が解けていく。

 ミンスの髪は黄色がかったクリーム色でマッシュヘア、目はクリクリしていて、身長はアンリと同じくらいだろうか。


「アンリ・オーリンです」

「…!!貴方がオーリン伯爵のご令嬢でしたか。噂には聞いていましたが、とても可愛らしい方ですね」

「私を知っているんですか?」

「えぇ、ですがこうして顔を合わせたのは初めてです。オーリン伯爵は社交界で有名な方でしたが、不思議とご令嬢のお顔を見たことがある方はほとんど居なかったんです。だからアンリ様について、社交界では色々と噂が飛んでいたんですけど…」

「噂?」

「はい、髪は綺麗な黒髪でその髪をより際立たせるブルーの瞳。そしてその瞳に捕まった男は二度と引き返せなくなると」

「そんな噂が…」

「まぁ人というのは話をあること無いこと盛って話すのが好きですから。例え真実がどうであれ、自分たちの都合のいいように話を作り上げたいんですよ。でも噂もあってか、先程から周りはアンリ様の話で持ちきりですよ」

「そうなんですか?気がつかなかったです」

「こうして話しかけている僕が言うのも変ですが、気を付けてくださいね?」

「…?はい…、わかりました」


 そう言われて頷いたものの正直アンリは何に気を付けるべきかよく分からなかった。


 にしても、アンリが今まで社交界に出たことが無いって言うのは意外だった。勝手なイメージだがご令嬢は幼い頃から舞踏会やパーティーに出席しているのだと思っていたから。何にしても、クイニー以外にアンリ・オーリンを知る人が居ないと言うのは色々と都合が良い。


「あの…アンリ様」

「え?そんなアンリ様だなんて…、アンリで良いですよ」

「確かにお友達になれたのに、敬語って堅苦しいですよね。壁を感じちゃうって言うか…」

「うん。タメ口で話そう?」

「うん、アンリちゃんがそう言ってくれるなら」

「じゃあ私もミンスくんって呼んで良い?」

「うん!もちろん」

「やった〜。じゃあアンリちゃん、これからよろしくね」

「こちらこそよろしくね、ミンスくん」


 こうしてアンリはこの世界に来て初めての友達が出来たのだった。

 今までのアンリなら、いきなり心を開いて喋るなんて考えられなかった。だがミンスの明るさと優しさ、愛嬌のおかげで焦ることも無くゆっくり喋ることが出来て、すぐに打ち解けることが出来たのだ。


 そうして二人はしばらく、たわいない世間話を続けた。


「ねぇ一つ聞いても良い?」

「ん?なぁに?」

「ミンスくんはどうして私に話しかけてくれたの?」


 ミンスが話しかけてくれるまで、アンリは一人でずっと俯いていた。周りから見れば、とても話しかけづらいオーラを纏っていたはずだ。


 それなのにミンスはアンリに話しかけた。アンリからしてみれば、とても嬉しい事だったが、どうしてわざわざ話しかけてくれたのか、どうしても気になってしまったのだ。


「んー、一番前の席に座ってるアンリちゃんの背中が、寂しそうで放って置けなかったんだ」

「そうだったんだ」

「でも話しかけて良かった!アンリちゃんとお話していると、すごく楽しい」

「ありがとう!私も楽しい」

「それならよかった~」

「ミンスくんが一番に出来たお友達で良かった!」

「えへへ、なんだかそう言われると照れちゃう」


 そう言って頬をかくミンスはとても可愛らしく、チラチラとアンリとミンス、主にミンスの様子を眺めていた女学生達からはうっとりとしたような甘い声を出す。


「あ、アンリちゃんってまだ時間大丈夫?」

「うん、お迎えが来てくれるまで時間はまだあるから大丈夫だよ。どうかした?」


 フレッドが迎えに来てくれるのは余裕を持った昼過ぎだ。各部屋の壁には時計が付けられているから、時間を忘れる心配も無いだろう。


「良かった~。実はねアンリちゃんに紹介したい僕の幼馴染がいるんだ」

「幼馴染?」

「うん!僕とタイプは違うんだけど良い奴だし、きっと仲良くなれると思うんだ。どうかな」

「会ってみたい」

「ほんと?じゃあ早速会いに行こう」


 今までの暗璃ならば友達の友達はただの他人、という考えで生きてきた。

 でもアンリは今日から過去の自分を誰一人知らない場所に来て、一から始める。暗璃らしい行動は取らなくて良い。新しい自分になれる他には無い大きなチャンスだ。そう思ったアンリはミンスの提案を嬉しく受け入れていた。

 それにもしかしたらアンリもミンスと仲良くなれたことで少し自信が持てたのかもしれない。


 ミンスと教室を出ると、廊下でも教室と同じように学生達が楽しそうに談笑を繰り広げている。そんな廊下を歩き、階段を登るとすぐ目の前の教室にミンスは入っていく。ここでもアンリの居た教室と同じように、いくつかの輪が作られ「初めまして」と挨拶をしている人がほとんどだ。


 その中に一人、一段と背が高く深紅色の髪の見知った横顔がある。


 ミンスはそんな彼の元へスタスタと歩いて行く。クイニーは誰かと話をしていたのにも関わらず、教室に入ってきたアンリの存在に気がつくと一瞬眉を上げた。

 そんな怪訝そうな顔で見られても、まさかミンスの向かった教室にクイニーが居るとは思ってもいなかった。


 そんな思考も知らないミンスはクイニーの元で立ち止まる。が、どうやら用事があったのは、クイニーが今まで話をしていたアーモンドグリーンの髪をした大人しそうな黒縁眼鏡の学生の方らしい。


「ザック、ちょっと良い?」

「ん?あぁミンスか、どうした?」

「新しくお友達が出来たから、ザックに紹介したくて」

「そんないつも新しい友達が出来るたびに、紹介しに来なくて良いんだぞ?」

「でもでも、アンリちゃんもザックに会ってみたいって言ってくれたもん」


 その言葉で一気に三人の視線はアンリに向く。ミンスにザックと呼ばれていた彼はクイニーよりは低いものの高身長で、ミンスと並んでいると不思議と兄弟の様にも見える。


 ザックはアンリを一目見ると、何を思ったのかハッとした顔をする。


「貴方はもしかして、オーリン伯爵のご令嬢では無いですか?」

「あ、はい。アンリ・オーリンです」

「やはり、そうでしたか。私はザック・レジスと申します。ミンスの連れてきた方がまさか貴方だったなんて…」

「貴方も私をご存じだったんですね」

「えぇ、もちろんです」


 やはり何かとオーリン家、そして令嬢であるアンリの存在はこの世界では有名らしい。アンリが自己紹介して以降、近くで聞き耳を立てていた男女からは「あの子が?」とアンリについてコソコソと喋っている声がチラチラ聞こえてくる。


「もぉ二人とも堅いよ。アンリちゃんは僕と話す時みたいに、ザックと話して良いんだよ?ザックも、ね?」

「ミンス、お前という奴は…。そもそもオーリン様は伯爵家のご令嬢なんだぞ?」

「あ、良いんです。ミンスくんに私からタメ口で話そうと提案したので」

「そうでしたか。…オーリン様がそう言うのなら、まぁ良いでしょう」

「えっとレジスさん、改めてよろしくお願いします」

「ザックで構いませんよ。こちらこそ、よろしくお願いします」

「じゃあ私の事もアンリと呼んでください」

「分かりました、アンリ様」


 するとそれまで黙っていたクイニーがわざとらしく咳払いする。


「おい、談笑中に悪いが俺のこと忘れてねぇか?」

「あぁ悪い、すっかり忘れていた。アンリ様、こちらはクイニーです。口と性格はあまり良くありませんが、悪い奴ではありませんよ」

「あ、知ってます」

「俺とアンリの親は俺らがガキの頃から、同じ領土を治めているんだ。お互いの事なんて、昔から知ってる」

「あぁ、そう言えばそうだったな」


 ザックとクイニーは元々、仲が良かったのだろうか。なんだかお互いに打ち解けていて今日二人と初めて顔を合わせたアンリから見ても相性が良さそうだ。


「お前、そんな事より俺の事を口と性格はあまり良くない、なんて言ったよな」

「いや、何のことだ?」

「とぼけるんじゃねぇ」

「だって仕方ないだろう?本当の事なんだから」

「おい」

「あはは、クイニーが怒った~」


 ミンスの楽しそうな声にクイニーは不満げだが、アンリとザックは笑い出す。


 こうしてフェマリー国にやって来た初日にしてアンリには、かけがえのない友人が三人も出来てしまうのだった。

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