ひとりじゃない
ハッとして目を開ける。だがそこは暗闇だった。
そんな暗闇に色々な情景が勝手に映し出されていく。お母さんの怒った声や表情、妹のゴミを見るような瞳。高校生が向ける暗璃を睨む表情。金髪の派手な男達に腕を掴まれ細い路地裏まで連れて行かれたこと…。
あれは過去、沢木暗璃として過ごしていた時に実際にあった一日だ。それが夢として、とてもリアルに事細かに再現されていた。
…なんだか呼吸が苦しい。
視線を這わせると隣の部屋からぼんやりとした光が見える。その光に導かれるようにベッドを出る。が、ソワソワしてしまって落ち着かない。手を伸ばして枕を両手で抱えると、ゆっくりと足を動かす。
隣の部屋を静かに覗くと床には三枚の布団が敷かれ、クイニーは肩まで布団を掛けグッスリ眠り、ミンスは真ん中に敷かれた布団で眠っていたのだろうが、四十五度回転し隣の布団にまで侵入し、丸くなって眠っている。だが、ザックだけはまだ起きているようで、布団には入らずにカウチに寄りかかり薄暗い明かりの中で本を開いている。
「…ザックくん」
小さな声で呼びかけると突然名を呼ばれて驚いたのか一瞬肩をビクつかせるが、アンリの顔を見ると穏やかな表情を見せる。
「眠れなかったのか?」
「ううん、ちょっと怖い夢を見ちゃって…」
「そうか。それなら少し、話でもするか?」
「うん。…あ、でもザックくんは眠らなくて大丈夫?」
「私は三時間でも眠れたら十分だ。お茶でも淹れるから、ここに座って待っていてくれ」
「うん、ありがとう」
そんな言葉に甘えさせてもらい、カウチの端に腰掛ける。
ザックが静かに紅茶を淹れている姿をぼんやりとした光の中で眺める。が、どうしても無言でいると先程の夢を思い出してしまいそうで、その後ろ姿に話しかける。
「ミンスくんって寝相悪かったんだね」
「ミンスの寝相の悪さは、これでもマシになった方だ。昔はベッドの上で寝ても朝になると決まって床に落ちていたよ」
「そうなんだ。なんだか可愛らしいね」
「まぁ一緒に寝た時は少し面倒だけどな」
「ザックくんはミンスくんのこと、何でも知ってるんだね」
「まぁ幼馴染だからな」
「そっか。…ねぇ、ザックくんは毎日この時間は起きてるの?」
「ん?いや、毎日ってわけじゃない。ただ寝る時間があるなら、その分本を読んでいたいんだ」
「そっか、確かに本って色々な世界があって面白いよね」
訳もなく会話を続けようと心情では焦りながら話しかけていると、ザックはアンリの会話を遮るようにハッキリとアンリの名を呼ぶ。
「アンリ様」
「…どうしたの?」
「そんなに無理に話をしようとしなくても、私はここから居なくならない」
「え?」
「怖い夢を見ていたと言っていたし、無言の時間が怖いんだろう?夢を鮮明に思い出してしまいそうで」
「もしかしてザックくんってエスパー?」
思考が全てバレていたとなると恥ずかしい。小さな子供じゃないのに、未だに夢に気持ちを引っ張られるなんて。この世界に来るまでは自分の気持ちを隠したり作り笑いをしたり、時にはポーカーフェイスを作るのも上手かったのに。
「さっき言っただろう?アンリ様は素直だって。分かりやすいんだ」
「私ってそんなに分かりやすい?」
「あぁ、ここのメンバーは揃って分かりやすい。だがまぁ、思っていることが分かりにくくて抱えている気持ちに気がついてやれないより断然良い」
「でもこの歳で夢を怖がるなんて…」
「たとえどんな凶悪犯だとしても夢には抗えない。だから怖いんだ」
「凶悪犯って…。例えが極端じゃない?」
「そこは何だって良いんだ。気にするな」
少し恥ずかしそうに言うのが、いつも完璧なザックと違ってなんだか可愛らしい。するとわざと咳払いをして真剣な顔に戻る。
「幸せな夢はちょっとした幸福感が残ったとしても目が覚めた途端、夢の内容なんて忘れてしまう。それでも嫌な夢はいつまでも鮮明に覚えているモノだ」
「ザックくんも怖い夢を見たりするの?」
「そりゃあな。それにミンスなら、怖い夢を見ればすぐさま泣きついてくる」
「あはは、ミンスくんらしいね」
「そういう時は誰かとひたすら会話をするのが一番だ。誰かと一緒にいれば気持ちは少しずつ楽になるからな。ほら、これ」
「ありがとう」
受け取ったティーカップには温かいハーブティーが淹れられている。鼻腔をくすぐる香りは少しずつ気持ちを落ち着けてくれそうだ。
同じカウチに少しだけスペースを空けてザックも腰掛ける。二人で座るには小さなカウチだが、今はこの距離感の方が落ち着く。
「夜はまだ長い。眠たくなるまで思う存分話せば良い。だからといって無理に夢の内容を話せとは言わない。けどアンリ様が聞いて欲しいと思うのなら、私はいくらだって話を聞く。それが例え大まかだろうが、詳細な話だろうがな」
そんなザックなりの優しさが嬉しくてアンリは夢の内容を大雑把にだが話してみることにする。もちろん、それが現実で起きた事だとはバレないように。
「それは怖い夢だったな」
「うん…。その夢はもちろん怖かったし、何より世界に私の味方は誰一人居ないんじゃ無いかって…」
「…じゃあアンリ様は今もこの世界に独りぼっちだと感じるか?」
「ううん。だって今はザックくんが居てくれるから」
「そうか、それなら良かった」
「それにクイニーやミンスくん、屋敷に帰ればお父様にお母様、フレッドやルエも居るもん」
「あぁ、アンリ様には味方がたくさん居る。楽しいことを共有するのはもちろん、怖い想いをしている時に守るのも私達の役目だ」
「私、いっつも守られてばかりだね」
「そんな事はない。みんな、いつもアンリ様には助けられている」
「でも私、何もしてないよ?」
「何か特別な事をしなくても、そこに居てくれる。それだけで大きな支えになってくれていることもあるんだよ」
「そっか、それなら良いな。私にはみんなを物理的に守れる力は無いから」
実感はないが、それでもアンリがここに居るだけでみんなの事を助けることが出来るかもしれない。それが無性に嬉しくて仕方ない。
ハーブティーを飲み干し、体がポカポカしてくると段々と瞼が重たくなってくる。
こうしてザックと二人っきりで話す機会は今日まで無かったが、普段仲裁役やまとめ役に回ってくれるザックは、こうしてじっくり話してみると誰よりも周りのことを見ている。
「お、段々と眠たくなってきたようだな」
「うん…」
「その眠気がどこかに消えてしまう前に、ベッドに戻った方がいい」
「ソファーにお布団を持ってきて寝ちゃダメ?」
「さすがにソファーで寝たら体を痛めてしまう」
「じゃあ部屋の明かりを付けて眠ってもいい?」
「明るくしていたら眠れないだろう?…もしかしてまだ暗闇で一人、眠るのは不安か?」
「うん…」
いくらザックのおかげで気持ちが落ち着いて眠気が来ても、誰も居ない暗闇の中で眠るのは怖いし、やっぱり寂しい。
「仕方ない。今日は特別に寝かしつけてやるか。それなら怖くないだろう?」
「いいの?」
「あぁ、だからさっさと寝室行くぞ」
「うん」
布団はすっかり冷えてしまっていたが、布団に包まると少しずつ温かさを取り戻す。ザックはベッドに腰掛けたらしいがこの暗闇に目が慣れていないから、どこに座っているのか、いまいち分からない。
「ザックくん、ちゃんと居る?」
「あぁ、ここに居る。…まだ目が慣れないのか?」
「うん。お願いだから、私が眠るまでどこにも行かないでね」
「分かっている。ほら、ゆっくりと目をつぶって」
「…ねぇ、背中トントンして欲しい」
「背中?ほんとアンリ様はミンスにそっくりだな」
ザックの手は布団越しでも温かくて、ゆったりとしたテンポで振動が伝わってきて心地良い。おかげで心拍や呼吸も次第にゆったりとしたテンポになってきた。
今度こそ怖い夢を見ませんように。そう願いながら、アンリは再び夢の世界に旅立った。
「…もう寝たのか?今度は良い夢が見られると良いな」




