初めてのお泊り会
昼頃、馬車に揺られ学園に向かう。昨日の話ではクイニーとザックは昼過ぎまで授業があるらしく、それが終わり次第集合するとのことだった。アンリとミンスについては特に授業が無かったため、お互いに好きなタイミングで向かう事になっていたのだが、あまり遅くに屋敷を出るとせっかく休みをあげたフレッドの自由に使える時間が無くなってしまうと思い、昼食を取った後、すぐに屋敷を出発した。
荷物を詰めたトランクを持つフレッドと並んで学園内を歩く。二人で外出する事はあっても、こうして二人で並んで学園を歩くのは初めてだ。
制服を纏った学生が多い中でモーニングコートを着るフレッドはどうしても目立ってしまうかと思ったが、周りはどうやら気にしていない。思い出してみれば時々ご令嬢の一歩後ろをついて歩く執事の姿を見たことがあったし、特別珍しい事では無いのかもしれない。
別館に入り階段を登っていく。別館は昨日に比べたら静かで、その分、二人分の足音がよく響く。隣のフレッドはと言うと、荷物はかなりの重さがあるはずなのに、涼しげな表情だ。
ようやく三階まで登り、扉の前に立つとサッチェルバッグから鍵を取り出す前にドアが自然と開く。どうやらドアを開けてくれたのは一足先に来ていたらしいミンスで、アンリの顔を見るとパッと可愛らしい笑顔を浮かべる。
「ごきげんよう、アンリちゃん!」
「ミンスくん!ごきげんよう。早かったんだね」
「うん、実はザック達の授業が終わるタイミングに合わせて屋敷を出れば良いかなとも思ったんだけど、屋敷に居てもソワソワしちゃって」
そんな風に会話をしているが、半歩後ろで静かに立つ人物の存在を思い出す。
「あ、ミンスくんごめんね。フレッドに私の荷物持ってもらってて、話の前に部屋の中入ってもいい?」
「フレッド?あっ、舞踏会の時の…!いいよいいよ、ごめんね気が回らなくて。二人とも早く入っちゃって」
三人で部屋の中に入ると、フレッドは既に三つのトランクが置かれている場所に並べるように、アンリのトランクをゆっくり降ろす。おそらくクイニー達も授業を受ける前に荷物だけ置きに来ていたのだろう。
しかしフレッドは鞄を降ろしたかと思えば、いきなりミンスに向かって頭を下げる。いきなりの行動にアンリだけでなくミンスまで驚いている。
「え、ちょっと?」
「先日の舞踏会ではアンリ様を助けていただき、ありがとうございました」
「そんな!僕は何も…。どちらかと言うとザックやクイニーのおかげだし」
「いえいえ、シェパード様が駆けつけて下さったことでアンリ様がどれだけ安心出来たことか…」
「それなら僕より先に駆けつけていた君の方がよっぽど心強かったんじゃないかな。だから君もアンリちゃんを守ってくれてありがとう」
「私のような者にそんな…」
二人は互いに「ありがとう」と言い合う。そしてしばらくして落ち着くと「では、そろそろ」とフレッドがアンリに向き直る。
「アンリ様、私はそろそろお邪魔します」
「もう行っちゃうの?少しでも休んでいけば良いのに」
「いえ、私が邪魔をするわけにいきませんから」
「…そっか、分かった。じゃあ今日一日、フレッドはフレッドの好きなように過ごしてね」
「はい、では失礼します」
フレッドが会釈をして部屋を出ていく姿を見ていると、なぜか胸の辺りがギュッと苦しくなったが、それがなぜなのか理由を考える前にミンスに声を掛けられる。
「アンリちゃん、今のフレッドって人、オーリン家で働いている使用人?」
「うん、私の執事。いつも側に居てくれて、私に色々な事を教えてくれるんだ」
「へぇそうなんだ。それにしても、しっかりとした人だね。言葉遣いも丁寧だし、所作にも文句の付けようがないよ」
「うん、本当にフレッドってすごいんだよ。ダンスもとっても上手だし」
そう何気なく言ったつもりがミンスは余程驚いたのか「そうなの?」といつもは見せない驚きと疑いが混じったような表情を浮かべる。
「私が舞踏会で踊ったダンスを教えてくれたのはフレッドだよ」
「へぇ…。貴族でもない彼がアンリちゃんに教えられるほどの技術を持っているってすごいね」
「うん!」
「アンリちゃんは彼のこと、相当大切に思っているんだね。従者なのに」
「身分とか立場なんて関係ないよ。私は私の事を大切にしてくれる人のことを、大切にしようって決めてるだけだから」
「そっか…、珍しい考え方だね」
やっぱりミンスだったとしても、身分の差は気になるモノらしい。だがミンスくんの言葉は差別的な意味で発したと言うより、どちらかと言うと純粋な疑問から聞いているという感じだ。
ミンスはすぐに元のフワフワとした雰囲気に戻ると、アンリの腕を引いてソファーへ向かう。
「アンリちゃん、紅茶飲む?」
「うん、もらおうかな」
ローテーブルにはミンスが用意していたのか、空のカップとソーサー、そして湯気の立つポットがトレーの上に乗せられている。ミンスはカップに紅茶を注ぐとアンリの前に置く。
「アンリちゃん、お砂糖は入れる?」
「ううん、私はこのままで。ありがとう、ミンスくん」
ミンスは笑顔で頷くともう一つカップを手に取り、自分の分の紅茶も注ぐ。そしてシュガーポットの蓋を開けると角砂糖を四つ紅茶に落とす。スプーンで砂糖を溶かしソーサーごとカップを持ち上げると、紅茶をゆっくり口に含む。その表情は満足そうだ。どうやらミンスはかなりの甘党らしい。
しばらくの間、二人で紅茶を飲みながらくつろいでいると廊下から二人分の足音が聞こえ出す。足音が近くなると扉が開く。足音の主はやはりクイニーとザックだ。
ザックはいつも通りの落ち着いた表情だが、その横に立つクイニーはなんだか不機嫌だ。なんというか彼の周りにだけ負のオーラが漂っているのが見える。
ミンスもその不穏なオーラにはすぐに気がついていたようで、ザックに「どうしたの?」と聞いている。
「実はここに来るまでの間、かなりのご令嬢に囲まれたんだ。まぁいつもの事と言えば、いつもの事なんだが…」
「あいつら、どこから聞いたのか俺らのクラブの事を聞きつけたらしい。それで自分も所属させろってうるさいんだ」
「あぁ、そういうことか~。確かに僕も今朝同じようなお願いされたよ。んー、一体どこから聞きつけたんだろうね」
クイニーとザックは肘掛け椅子とカウチにそれぞれ腰掛けると三人は頭を悩ませるモノだから、「そんなの簡単だよ」と間に入り込む。すると三人は同時にアンリに視線を向け、クイニーに関してはお前がバラしたのかと目で訴えてくる。
「違うから、別に私が広めたわけじゃないよ?そもそも私、他の人とは上手く喋れないし」
「じゃあどうして簡単だなんて言うんだよ」
「それは私も一応、女子だし?」
「言ってる意味が分からねぇ」
その言葉に共感するように頷くミンスにザック。
仕方ない、ここは三人を推すご令嬢の気持ちを代弁することにしよう。
「いい?女子っていう生き物はね、自分の好きな人や推しのためなら努力を惜しまないの。最新情報は常にチェックをして、少しでも認知されたいから思い立ったらすぐに行動。誕生日に好きな食べ物、好きな色や趣味、嫌いな曜日まで、相手のことを誰よりも知っていたいから、常日頃の観察は欠かせない。それが女子って生き物なんだよ」
一息に言い切ると、途端に饒舌になったアンリに驚いたのか、三人揃って口をポカンと開けて間抜け面だ。
「僕、アンリちゃんがこんな風に語っているの、初めて見た」
「えぇ、私も」
そんな風に言っているが、今までこの一面を見せる場面が無かっただけで、これでも一応は元々推し活なるものをしていた。
だからこそ、彼らと日々一緒に過ごしていると女学生からの猛アタックを受ける彼らを気の毒に思いつつも、彼らを推す女学生の気持ちや行動も分からないわけじゃなかった。
暗璃は彼女達と違って好きなアイドルや俳優、同じクラスに推しが居たわけじゃないが、漫画や小説で推しキャラを見つけては恋心に似たものを抱き、彼らを知り尽くし、グッズなんてモノが発売された日には雨の日だろうが並んでゲットした。時にアニメ化や実写映画化が決まった日には嬉しい気持ちがある反面、独占欲の強かった暗璃は声優やら俳優を目的で新たなファンが増えるのがイヤでドロドロとしたイヤな感情に包まれることもあったっけ。
今になってみれば懐かしい記憶だが、その頃の暗璃には推し活や、自分だけの妄想世界でハッピーエンドを作る事が唯一とも言える楽しみだった。今思い出せば完全にいわゆるオタク的思考だ。
過去に想いを馳せていると、邪魔をするようにクイニーが口を挟む。
「つまり女子はめんどくせーって事だな」
「愛がある、って言ってもらえるかな」
「はいはい、そうですか」
これ以上何を言っても聞く気はないだろうし、彼らの日々の苦労を知らないわけじゃない。だからこそ早々にこの話は終わりにしてしまおう。
そんなナイスタイミングで計ったようにミンスが「よし!」と声をあげる。
「せっかくの楽しいお泊り会なんだから、この話はここまで!さぁ早速何する?」
「何するって言われてもなぁ」
「お泊り会をしたいと言ったのはミンスとアンリだろ。だから二人で決めるんだな」
「えぇ、人任せだなぁ」
そう口では言いながらもミンスは可愛らしい満面の笑みでアンリに振り向くと「どうしよっか」と小首をかしげながら言う。今日も相変わらずミンスの可愛さは健在だ。
「うーん、お泊り会って言ったら何をするんだろ」
ただでさえ今までお泊り会なんてやったことが無いし、おまけにこっちの世界では友達と遊ぶときに何をして遊ぶのか全く見当が付かない。テレビやネットが存在しない世界では、ゆっくり映画やアニメを見る事もできないし、もちろんテレビゲームなんかも存在しない。
「よく聞くのはアレじゃない?ゲームとかお茶会」
「お茶会か…。でも私、クイニーが優雅に紅茶を飲んでる姿とか想像できないんだけど」
そんな風に冗談交じりに言ってみると、すぐさま「おい!」と突っ込みが飛んでくる。
だが実際、ミンスやザックがお茶会をするイメージは出来る。ミンスなら楽しそうにお喋りをしていそうだし、ザックは紅茶を片手に読書をしていそうだ。でもクイニーとお茶会をすると想像しても、いまいちイメージが湧いてこない。
「おい、失礼だぞ。俺だってお茶くらい飲む」
「あはは、ごめんって。半分くらいは冗談だから」
そう適当に返すと気に入らないのか、一人でブツブツ言っているが、ここは無視だ。無視。
「でも僕から提案しておいてだけど、さっき昼食を取ったばかりだからお茶会って気分じゃ無いんだよね」
「確かに、私もさっきミンスくんと二人で紅茶も飲んだし、今はお茶会って気分じゃ無いかも」
「だよね」
「んー、じゃあミンスくんは何か遊べるようなモノ持ってきた?」
「えっとね~、あ、僕トランプなら持ってるよ」
「良いじゃん、トランプやろう。なんかお泊り会って感じがして、すごくいい!」
「えへへ、じゃあ僕取ってくる~」
ミンスは自分のトランクの元まで走ると、ゴソゴソとトランクを漁り小さな箱を持って戻ってくる。
それにしてもトランプなんて本当に久しぶりだ。最後にやったのは…、小学校のお昼休みだっただろうか。
「何する?トランプと言えばババ抜きとか大富豪?」
そんな風に案外ポピュラーなゲームをあげたつもりだったのだが…
「なんだそれ、聞いたことねぇぞ」
「え、知らないの?」
「残念ながら知りませんね」
「僕も初めて聞いた」
そう三人に口を揃えて言われてしまった。大富豪はともかく、ババ抜きなんてトランプで一番有名なゲームだと思っていたのだが。だけど三人が揃って知らないと言うことは、この世界にはババ抜きや大富豪なんていうゲーム自体存在しないのかも知れない。
「じゃあみんなはトランプと言ったらなにをするの?」
「そんなのトランプと言ったら神経衰弱かポーカーだろ」
「ポーカー?」
ポカンとした表情で三人を見つめると、いつも味方をしてくれるミンスですら、まさかそんな事を知らないのかと言った目を向けてくる。
もちろん神経衰弱は分かる。アンリの知っているルールとこの世界の神経衰弱のルールが変わらないのなら、だけど。でも肝心のポーカーは名前を聞いた事がある気がするがルールどころか、どんなゲームかも分からない。
「ポーカーを知らないと言われたのは初めてだ。まさかそれを幼馴染に言われるとは…」
「アンリ様には悪いが、私も同じくだ。幼少からダンスと同じようにポーカーは散々仕込まれてきたから。私達には将来、付き合いの中でポーカーを始めとしたゲームに触れることが多々あるからと教えられて…」
そんな風にこの世界では常識だと話す二人の言葉がグサリと胸に突き刺さる。
アンリがこの世界に来たのはつい最近だ。なによりトランプでただ遊ぼうとしただけなのに、アンリの知っている遊びはこの世界に存在しないどころか、トランプが社交の場で必要になるなんて思うわけがない。
「あ、でもアンリちゃんって学園に入るまで社交界に出てくる事って無かったじゃん?だからオーリン伯爵もわざわざ教えなかったんじゃない?」
「ミンスくん…!」
今はただフォローしてくれるミンスが天使に見えてくる。おかげでそれまで疑いの目を向けていた二人も「なるほど…」となんとか納得してくれそうだ。
そして改めて学園に入学するまで、つまり暗璃がアンリとしてこの世界にやって来る日まで社交界に出されることが無くて本当に良かったと思う。
おかげで話が合わなかったり、少し世間知らずな事を口走ってしまっても、こんな風に余計な詮索や疑いを掛けられる前に社交界に出ていなかったからと言ってしまえば、なんとか納得してもらえる。
もしも、そのハンデがないまま、いきなりこの世界にやって来たらと考えると恐ろしい。
と、途端にアンリの脳内にはある疑問が浮かぶ。ミンスやザックと出会ったのは学園に入学してからだ。でもクイニーは幼い頃からの幼馴染だったはず。それなら昔のアンリを知っているだろうし、何よりお母様やお父様、お屋敷で働いている人はみんな幼い頃からのアンリを見てきたはずだ。それでも今のところ、今のアンリに違和感を感じている様子は無い。
もしかしたら、元々のアンリ・オーリンと日本からやって来た沢木暗璃。この二人の性格や言葉遣いは元から似たり寄ったりなのかも知れない。いや、それ以前にアンリがこの世界に来る前からアンリというご令嬢はこの世界で生活していたはずで…。その頃のアンリは一体どこに…?
…あぁダメだ、止めよう。こういう難しい話を考えていても、キリが無いどころか分からない事だらけで頭がおかしくなりそうだ。
それに今はせっかくのお泊り会だ。余計な事を考えていたら、思う存分楽しめないだろう。
「せっかくだしポーカー、やってみる?アンリちゃんもこれから先、社交の場で遊ぶ機会もあるかもしれないし、とりあえず今日は勝敗よりもルールを理解して楽しむって事で」
「うん、せっかくだしやってみたい」
「じゃあどうしよっか。僕は人に物事の説明をするって苦手なんだよね」
「あぁ、ミンスは止めておいた方が良いだろうな。それからクイニーも」
「うん、僕もそう思う」
「は?俺?なんで」
「だって一度説明して、もし相手が上手く理解出来てなかったらどうする?絶対怒るでしょ?」
「お前らは俺をなんだと思ってるんだよ」
そんな風に言い合うクイニーとミンスの様子を呆れたように眺めていたザックは溜息を一つ吐くと「あぁもういい」と二人を宥める。
「私がアンリ様に説明をするから、二人はその間にラウンジの貸し切り予約と、それから布団を一階で借りてこい」
「は、どうして俺らが」
「私が説明をしている間、二人は手持ち無沙汰だろう。それにどうせ遅かれ早かれ、誰かが行かないといけないんだ。もし夕飯の時にラウンジでご令嬢に囲まれながら食事を取ることになっても構わないと言うならラウンジの予約を取る必要は無いし、布団を掛けずに眠るというのなら布団を借りてくる必要も無いが…」
「あぁもう分かった。行けば良いんだろ、行けば。ほらミンス、さっさと行くぞ」
「はーい、じゃあ行ってきま~す」
そうして二人は部屋を出ていく。そんな様子にザックはトランプを取り出しながら「初めから大人しく行ってくれれば良いものを」と呟いている。
「前から思っていたのだけど、ザックくんとクイニーって仲が良いよね」
「私とクイニーが、ですか?そうでしょうか、あまり自覚は無いのですが…」
「私から見る限り、お互いになんでも話せる友達って感じがする」
「まぁクイニーはあの通り口は悪いですが、それでも大抵言っている事は理に適っていますし、嘘が嫌いな正直者ですから話していて楽しいですよ。…時々、子供のようなワガママを言い出した時なんかは面倒ですけど」
「確かにクイニーって思った事をなんでも口にするし、素直かも」
「思ったことを素直に口に出せる。ミンスもそうですが、良いところだと思いますよ。それによってもちろん傷つく人が居るかも知れないというのは分かっていますが、嘘を吐かれながら共に居るより、ずっと信頼出来ますから」
「そうだね。やっぱりザックくんは二人の事が大切なんだね」
嘘を吐かれながら共に居る、と言う言葉に一瞬胸がチクッと痛む。別に嘘を吐きながら過ごしている、と言うわけではないけれど、やっぱり隠し事をしていると引け目を感じてしまう。だからといって身を守る、と言う意味でもやはり全てを曝け出すわけにいかないのだ。
「さぁ、あの二人のことは置いておきましょう。二人が戻る前に遊び方やルールや一通り説明しなければなりませんから」
「うん、じゃあお願いします」
そしてザックによるポーカーについての講座が始まった。
「ポーカーというのはジョーカー以外の計五十二枚とチップを使います。そして勝敗は強いハンド、つまり役を作った人の勝ちです」
「役?」
「はい、簡単に言うと手持ちのカードは一人五枚。そのカードで決まった組み合わせを作っていくゲームなんです」
「なるほど…。じゃあその決まった組み合わせって言うのがいくつかあって、それぞれ強さが違うって事?」
「えぇ、そんなところです。まず一番強いのはロイヤルストレートフラッシュと言って同じ種類の十、J、Q、K、Aのカードが揃うことです。その中でもカードの種類、ハートやスペードによって勝敗は変わってくるのですが、滅多にこれが出来る事はないので、今は割愛させて貰います」
「うん、わかった」
「ではゲームの遊び方を説明します。まず初めにカードが五枚配られます。そこで親の左横からビットとパスを選びます」
「パスはそのままの意味だよね。ビットって言うのは?」
「ビットはチップを出すことです。勝利すればその場に出ているチップを全て回収できるので、ビットをするのは勝てる自信のある人ですかね。ただ、一人がビットしてしまえば、それ以降の人はパスが出来なくなります。そして一周したところで今度はコール、レイズ、ドロップを選択します。コールは前のプレイヤーと同じだけチップを出す。レイズは前の人よりも多く出す。ドロップはゲーム自体を棄権するという意味です」
「棄権なんてできるの?」
「えぇ、負けを確信した時はあえて棄権するんです。負けが分かっているゲームでチップを出し続けても得は無いですから、これも一つの作戦です。そしてここでも一周したら強い役を作るために一人ずつ手札を交換するんです。もちろん交換しないという選択肢もあります。そしてその後、今度はビットかチェックを選択します。チェックはパスという意味です。これも一周したところでコール、レイズ、ドロップを選択し、最高ビットに対して誰もレイズせずに一周すると終了です。ここで全員の手札を見せ合い、強い役の人が勝利、よってチップを全て獲得することが出来ます」
「結構難しそうだね…」
途中から聞いたことの無い言葉のオンパレードで、正直まだ頭が混乱している。その後、実際にトランプを使って役の種類も教えて貰ったが、あまりに種類が多くて完全には覚えられていない。
「後は実践あるのみです。それに今日はアンリ様が初心者だと分かった上でのゲームですし、途中で分からない事があれば聞いて貰って構いませんよ」
「そっか、そうだよね。ザックくん、丁寧に説明してくれてありがとう」
「いえいえ、ポーカーの遊び方を知っていて損はありませんから。どうやら社交界ではポーカーをしながら重要案件を決める、交渉を進めると言った事も頻繁に行なわれているようですよ」
「そうなの?じゃあポーカーってただの遊びじゃないんだ」
「えぇ、そうですね。ですから私達も幼い頃から仕込まれてくるんですよ」
ポーカーについて一通り説明が終わった途端、室内には一気に沈黙が漂う。
ザックが苦手と言うわけじゃないが、こうして二人きりになるのは初めてで、正直何を話したら良いのか分からないし、クイニーやミンスに比べたら表情の変化の少ないザックの心はいまいち読めない。
「あの…」
「なんです?」
「ずっと気になっていたのだけど、どうしてザックくんは私にだけ敬語で話すの?」
「気に障りましたか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど…。もちろん私はクイニーやミンスくんに比べたらザックくんと出会ったのは最近でしょう?だけどみんなで居るときに私相手にだけ敬語で話されると、まだ受け入れてもらえてないんじゃないかって思う事があって…」
なんとなく心にあった不安をこの機会に吐き出すとザックは珍しく慌てたように「そんなわけないです!」と声を上げる。
「私にとってアンリ様も大切なご友人の一人です。そうですね…、とは言いつつも私はどこかでアンリ様をオーリン伯爵のご令嬢、つまり自分よりも上の立場に居る方だとどこかで思っていたのでしょう。もしアンリ様が許して下さるのなら敬語、止めましょうか」
「無理にとは言わないけど…。うん、その方が接しやすいかな」
「分かった。ただ呼び方はどうしようか。呼び捨ては何だか違う気がするし、ミンスのようにアンリちゃんと呼ぶのも違う気がする。アンリさん?いや、それも変だな」
「無理に変えようとしなくても、呼び方が決まるまでは今のままでも良いよ?」
「…そうだな。それにやっぱり私の中でアンリ様はアンリ様だから、呼んでいてそれが一番シックリくる」
「確かに」と笑っていると「ずいぶんと楽しそうだな」と低い声が離れたところから聞こえる。
声の聞こえてきた方向に視線を向けると、敷き布団と掛け布団を何枚か重ね持つせいで顔が隠れているクイニーが扉の側に立っている。クイニーの一歩後ろに立つミンスの手には枕を三つ持っているだけだ
「ミンス、クイニーに全て持たせて来たのか」
その声に「もぉ~」と声を上げてミンスはプクッと頬を膨らませると、なにやら自慢げに咳払いをする。
「僕だって一階の階段手前くらいまでは持ってたんだよ?だけどお布団を抱えて階段を登ろうとしたら転びそうになっちゃって、そこから持ってもらったんだもん。それに枕は持ってるし」
「そんな事言って、布団を借りる場所はここの一階だろ。ほとんど自分の力で持ってないじゃないか」
「まぁまぁ細かいことは気にしない~」
「そんな会話どうでも良いからミンス、そこを通してくれ」
「あっ、ごめんごめん」
クイニーは隣の寝室に入ると持っていた布団を降ろし、体を伸ばしながら戻ってくる。いくら布と綿の塊とは言っても、布団を何枚も抱えればかなりの重さがあるし、その状態で階段を登ればかなり疲れるはずだ。
「それでラウンジの予約は出来たか」
「それが夕方から予約している人達がいるらしくて、その後の時間で予約してきた」
「そうか、まぁもし小腹が空けば紅茶でも淹れてお茶菓子を貰ってきても良いからな」
「あ、それなら私みんなで食べられるように焼き菓子持ってきたよ」
「え、本当?」
「ちょっと待っててね」
小走りでフレッドが運んでくれたトランクの元まで向かい、中から小さなカゴを取り出す。カゴの中身は昨日焼いたばかりのポルボロンだ。本当はラッピングした状態のまま持って来ようかと思ったのだが、馬車の揺れやちょっとした衝撃で割れてしまうかもということでフレッドにカゴを用意してもらい詰め替えていた。
「これなんだけど」
「わぁ、すごい美味しそ~」
「へぇこんな菓子、初めて見た」
「たくさん持ってきたから、遠慮せずに食べてね」
「アンリちゃんは用意が良いね!じゃあ早速一つ貰っちゃおう。…ん~、これ凄く美味しいよ!」
「本当?良かった」
「ザックとクイニーも食べてみなよ。とっても美味しいから」
「あぁ、じゃあ言葉に甘えて。…確かに美味しい」
「こんなに美味しい焼き菓子をアンリちゃんは毎日食べられるなんて、アンリちゃんのところのシェフを雇いたいよ」
「あっ、えっと…」
「どうしたの?」
「実はこれ、私が作ったの」
「えぇ!アンリちゃんが作ったの!?すごいね!」
「そんな、アンリ様が自ら作らなくても作らせることも出来るのでは?」
「うん、多分頼んだら作ってくれると思う。でも私、料理するの嫌いじゃないんだよね」
そう言うと二人は感心したかのような声を出す。ただ一人、クイニーはどこか小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ふっ、そんな事言って本当はシェフの味が気に入らないんじゃねぇのか。アイツらはどこか学校で料理を学ぶわけでもねぇし」
そこまで言われると、それまで褒められて浮かれていた気持ちが一気に萎んでカチンとくる。
これだけの期間、クイニーと過ごしていたら彼が労働者階級の人間を毛嫌いしているのは分かっているし、最近はそういった発言をしていても聞き流していた。それでも大切な人を想像や固定観念だけで悪く言われるのは腹が立つ。
「そんな風に言わないで。シーズさんやルエの作ってくれる料理はどれも美味しいんだから」
「そんな事言われても、貴族は普通キッチンになんて立たないんだよ」
「普通じゃなくても私は立つの。それに私にとってルエは大切な友達なの、馬鹿にしないで」
「冗談じゃない、あんな労働者階級の奴を友達なんて呼ぶな」
「なにがダメなの?同じ人間でしょう?」
「身分が違うだろ。労働者階級の奴らはいつまで経っても貴族になることは出来ないし、対等の立場になるなんてあり得ないんだよ」
「それはクイニーが対等に思っていないだけでしょう?別に貴族とか貴族じゃないとか、友達になるのに関係ないよ」
「お前は変だ」
「変でいいもん!」
長身のクイニーに立ち向かうアンリは周りから見たらきっと大きな犬にキャンキャン吠える小さな子犬だろう。恐らくクイニー本人にもアンリの言葉なんて何一つとして届いていない。
彼がそういう人だと分かりつつも、大切な人達を侮辱されたことに対するイライラは止まらないし、ただただ悔しいのだ。
「二人とも、そこまでだ」
険悪な空気が漂う中、その空気を破るかのように声を上げたのは、それまでアンリとクイニーの動向を見守っていたザックだ。
「二人の言い分は分かる。だからってお互いに言い合っていても何の解決にもならないだろう」
「そんな風に言うって事は、お前もアンリの味方なのか」
「そうは言ってないだろう。クイニーの言うように労働者階級は貴族と一緒になれない。その考えは私達貴族が持っている考え方だ」
「そうだろ」
「だが考えてみろ。アンリ様は私達と育った環境が違う。幼い頃から社交界に出される事もなく、屋敷の中で大切に育てられてきた。幼馴染であるお前と遊ぶことがあっても、お前以外との関わりなんて自ずと屋敷の中だけだ。そしたら必然的に屋敷で働く者と関わりを持とうとする気持ちだって分かるだろう」
「だが…」
「もうこの話は終わりだ。これ以上、険悪な雰囲気になったところで良いことは何も無い。それは自分でも分かっているだろう?それに私達は喧嘩をしたり言い合いをするために、お泊り会をするわけでも、クラブを作ったわけでもない」
「…あぁ、分かったよ」
「アンリ様も、それでいいか?」
「…うん。ザックくん、ありがとう」
正直に言えば怒りが全て消えたわけじゃない。だがザックの言ったとおり、喧嘩をしたくて今日こうして集まったわけじゃない。
それにきっと無理のある話なんだ。アンリの元いた世界と、ここフェマリー国での当たり前という考え方には大きな違いがある。そんなそれぞれにある当たり前の常識を変えるなんて、なによりも難しい事だ。
「よし、じゃあせっかくアンリ様もポーカーのルールを覚えたんだ。みんなでやろう。な、ミンス」
それまで黙り込んでいたミンスに視線を向けるとアンリの陰に隠れ、目には薄らと涙を浮かべている。
そんな悲しそうな顔を見ていられずに咄嗟に力強く抱きしめると「わっ」っと声を上げられるが、今はまだ離してあげない。
「ごめんね、怖かったよね」
「ううん、僕の方こそ見ている事しか出来なくてごめんね」
「いいんだよ。ほら涙拭いてあげるから、一緒に遊ぼう?」
「…うん!じゃあ最初は僕が親をやるよ!」
「うん、よろしくね」
ミンスの頭を一度ゆっくりと撫でた後に抱きしめていた腕を放すと、すっかり元気を取り戻したようでひとまず安心だ。やっぱりミンスはこんな風に笑ってる顔が一番可愛い。
「あっ、そう言えばポーカー専用のチップ、屋敷に忘れてきちゃった」
「ほんとミンスは抜けてるな」
「ごめんごめん」
「あ、じゃあチップの代わりに飴を使えば良いんじゃない?」
「飴?あぁ、生徒会からクラブの部屋に配布されている飴か」
「アンリちゃん、ナイスアイデア」
机の上には小ぶりなカゴが置かれていて、その中にはカラフルな包装紙に包まれた飴がたくさん詰められている。詳しくは知らないが、生徒会からの支給品で月に一度、補充されるとのこと。そんな飴を均等に四人で分けると、飴をチップ代わりにポーカーが始まった。
アンリとクイニーの間にはまだなんとも言えない気まずい空気が漂っているし、ザックやミンスがその空気を打開しようと明るく努めているのが目に見えて分かってしまい、何だか申し訳ない。
だがそんな気まずい空気もゲームを進めていくごとに自然と消えていく。
ザックやミンスに時々ルールを確認しながら一通りのゲームを終え、手札を見せ合う時間。アンリは内心で勝利を確信していた。なぜならザックに事前に色々な役を教えて貰っていたが、アンリの手札はその中でも一番強いと紹介されていた役だったから。
まずザックとミンスが順に手札を公開し、ザックはフラッシュ、ミンスはストレートだ。ようやくアンリの番が回ってきて堂々と手札を公開すると、二人は「えー!」と驚きの声を上げる。
「嘘でしょ!本当にアンリちゃんって今日がポーカー、初めてなんだよね?」
「うん!」
「なるほど、通りで途中から口角を上げていた訳か」
そして誰もがアンリが勝者で決まりだろうと確信していたとき、静かに「ふっ」っと笑い声が聞こえる。それは今の今まで黙ってその場の様子を眺めていたクイニーだ。
「残念だったな。俺の勝ちだ」
そう宣言しながら手札を公開すると、彼の手札もアンリと同じロイヤルストレートフラッシュだった。
「えぇ、クイニーも!?」
「えっと、こういう時の勝敗って…」
「残念だが勝つのは一人。カードの柄でも強さが違うからな」
「あっ、確かザックくんが何か言ってた気がする…」
「えぇ、確かにこの役は最強の役。だが、同じ役でもスペード、ハート、ダイヤ、クラブの順でも強さが変わってくるんだ」
「私はハートで、クイニーはスペード…」
「って事で俺の勝ちだ」
「えぇー、そんなぁ」
このカードが揃ったとき、絶対に勝てたという確信とあまりの嬉しさからコール、レイズ、ドロップを選ぶタイミングでレイズばかり選んでいたのに。
「ねぇ、待って!私の飴、一つも残ってないんだけど!!」
そう叫ぶと三人はゲラゲラと吹き出したように笑い出す。
「計画性なさ過ぎ、あはは」
「ねぇ笑わないでよ。だってこの役が一番強いって教わってたし、揃った瞬間に勝ったと思うじゃん!」
「仕方ない奴だな。ほら、俺の飴分けてやる。だから今度こそ、俺に勝ってみせるんだな」
そしてその後、三回ほどゲームをした。その結果、クイニーが一勝、アンリが二勝。これで私とクイニーは同点だ。
そんなアンリ達を前にミンスとザックは焼き菓子やらチップ代わりに使っていた飴を頬張りながら項垂れている。
「ねぇザック?これ僕達じゃ勝てないよ」
「そうだな、二人とも強すぎる」
「僕達、結構幼い頃からやってたよね?」
「あぁ、確かにクイニーは昔から強かった記憶があるが、まさかアンリ様にも一度も勝てないなんて」
「アンリちゃんにルールを教えたとき、何か必勝法でも教えたの?」
「そんなの知っていたら今頃私が全勝しているだろ。そもそもポーカーはほとんど運だからな」
「じゃあ生まれ持った才能?」
「だろうな」
「えぇ、いいな~」
そんな二人の会話が面白く、クスリと微笑むと「勝者の笑みだ」と揶揄ってくる。
「ねぇ次は神経衰弱やろうよ。このままポーカー続けても僕達に勝ち目ないからさ」
そのままトランプを回収し机に並べるとクイニーから順に神経衰弱が始まった。
結果として勝ったのはアンリだ。
「え、嘘でしょ!アンリちゃん強すぎ!」
「神経衰弱なら記憶作業が得意な私、もしくはミンスが勝つかと思っていたのに」
「途中から無双してたな」
「あはは、実は私、こういう事の記憶は得意なんだ」
思い出すのはかつての暗璃だ。最近は中々読む機会が減っているが、昔はよく長編小説を読んでいた。そういうものを読んでいると登場人物が大勢出てくるし、ある程度登場人物についてや、物語の道筋を覚えていないと展開がいまいち楽しめない。だからなのか、気がついた時には自然と覚える作業が得意になっていた。
まぁだからと言って何でも覚えられる万能な能力ではなく、自分が熱中した事にのみ発動するから勉強の役に立つことはない。
「まぁでもアンリ様に勝てなくても、クイニーには勝てたし良しとするか」
「確かに。クイニーがこんなに弱いなんてビックリ」
なんと予想外なことにクイニーの手元には二ペアしかカードがなかった。そのため自然と最下位だ。ちなみに二位はザック、三位はミンス。と言っても、この二人は一ペアの違いで勝敗が付いたのだ。
「うるさいな。俺が記憶したカードに限って、お前らが取っていくのが悪いんだろ」
「だってクイニーがどこを記憶しているのかなんて知らないもん」
「まぁ良いじゃないか。一回くらい、私達に負けたって」
「じゃあ結局、トランプに関してはアンリちゃんが一番強いって事だね!」
と、それまで自分でも知らなかった特技を発見することになった。
「よし、じゃあ一番弱かったクイニーにはお茶を淹れてきて貰うか」
「は?どうしてそうなるんだよ」
「クイニーだってずっと頭を使っていて、喉が渇いただろう?」
「いや、俺が言いたいのはそこじゃなくて。どうして俺なんだよ」
「良いじゃないか。ビリ、だったんだし」
「そう言ってるお前もポーカーでは散々負けていただろ」
「あれはあれだ。それかもう一度神経衰弱でビリを決めても良いが、結果は自分で分かるだろ?」
「…あぁもう分かったよ。淹れてくれば良いんだろ?味の文句は受け付けねぇからな」
「あぁ、じゃあ頼んだぞ」
不貞腐れた子供のようにクイニーはローテーブルの端に追いやられていたポットを持って食器棚の方に歩いて行く。そんな様子が面白くて、つい笑いそうになってしまう。
「ザックくんって本当にクイニーの扱いが上手いよね」
「ね!羨ましい~」
「そんな事を言うミンスくんだってクイニーの事、たまに上手いこと使ってるよね」
「えー?そうかな。でもたまにクイニーに何か物事を頼んだつもりが、なぜか僕がクイニーの分まで片付けてる事もあるし」
「まぁそれはきっと二人が素直すぎるからだな。特にミンスはちょっと褒められたら気分が良くなるだろう?それを上手く使われているって事だ」
「え~、じゃあこれからは褒められても素直に喜ばない方が良いのかな」
「そういうところが素直なんだ。だがミンスもアンリ様も、そのままで良い。その性格は周りが真似ようとしても、簡単に身につくモノじゃないからな」
ザックはそう言うが、素直だろうか。もちろんミンスはアンリから見ても素直だし、感情が全て表情や態度に表れるワンちゃんの様だ。だけどアンリは今まで周りの人に素直だと言われた事も無いし、感情が全て顔に出る訳でもない、と思うのだが。
***
別館から本館の最上階にあるラウンジに向かうと、そこには誰も居ない。昨日の昼間、あんなに女学生に囲まれた場所と同じ場所だとは思えない。
ラウンジでは既に夕食が用意されていて、そのまま席に座り料理を堪能する。
夕食はいくら貴族専用のラウンジだったとしても、学園のメニューだし学食のような簡単に作れる料理が出てくるのだと思っていた。だが実際はホテルの夕飯で提供されそうな、一つ一つ丁寧に作られた創作料理だ。これを直前の予約で食べさせて貰えるって、なんて贅沢なんだろう。
食後の紅茶まで飲みきると、すっかり暗くなってしまった空の下を歩いて別館に戻る。夜の学園は昼間と違って本当に静かだが、等感覚に置かれた電飾がオレンジ色の綺麗な光を放つためとても綺麗だ。
そのまま部屋に戻る前に別館の一階にある大浴場を利用し、一日の疲れをのんびり落とす。きっと今頃、男湯では三人でワチャワチャと楽しんでいるんだろうけど、女湯はアンリ一人だ。こんな広いお風呂に一人というのも寂しい気がするけれど、全く知らない女学生と入浴することを想像すると丁度誰も居ないタイミングで入浴できて良かった。
制服から寝間着のワンピースに着替え部屋に戻ると既に寝間着姿の三人は入浴を済ませ各々の時間を過ごしていた。
「お待たせ」
「あ、アンリちゃんお帰り~」
「よし、じゃあアンリも帰ってきたことだし、そろそろ横になるか」
「あ、そう言えば寝室はダブルベッドが二つだったよね。どこで寝る?」
「あ?俺らはこっちで寝れば良いだろ。そのためにザックも俺らに布団を取りに行かせたんだろうし」
「えぇ、私達は適当に寝るしアンリ様はベッドを使うと良い」
「え?そんな、みんなに悪いよ」
「悪いも何も、どうせベッドが足りないんだ」
「じゃあせめて二つベッドがあるんだし、もう一人だけでも寝室で寝れば良いじゃん」
「あ、じゃあ僕が一緒に寝る~」
「止めとけ。いくらミンスとは言っても、アンリ様は女性なんだぞ?」
「そんなの分かってるよ。でも別に良くない?」
「私もミンスくんと一緒で全然いいよ?」
「アンリ様はもう少し自覚を…。何よりミンス、お前は私達と大人しくこっちで寝るんだ」
「え~」
クイニーとザックはスタスタと眠る支度を始める。最後の最後までミンスは寝室で「アンリちゃんと一緒に寝るの」と粘っていたが、最終的にクイニーに連行されていった。
なんだか申し訳ない気持ちのまま屋敷のベッドより固めのベッドに入り込むが、いつも眠る前に「おやすみなさい」と声を掛けてくれるフレッドの姿が無い事に途端に違和感を感じる。
さっきまでは楽しくて寂しさを感じなかったが、その分、一人になると反動が来てしまう。そんな寂しさをぶつけるように隣の部屋に向かって「おやすみ!」と叫んでみると、笑いながらも三人は「おやすみ」と返してくれた。
いつもとは違う部屋のベッドは落ち着かずに寝付けないかと思っていた。が、体は一日遊んだ分、しっかり疲れが溜まっていたようで瞼はどんどん重たくなった。




