私達のクラブ
目が覚めるとベッドの上だった。フレッドと二人、街へ出掛けていたあの時間は夢だったのかと一瞬脳内をよぎったが、左手を見れば昨日買ったばかりのブレスレットのチャームが揺れている。どうやら帰りの馬車の中で眠って、今の今まで一度も目覚めること無く眠ってしまっていたらしい。
今日は午後のみの授業だ。午前中は屋敷で過ごした後、学園に向かうと相変わらずクイニー達と校門前で待ち合わせ、授業が始まるまでの時間を潰そうとラウンジに来ていた。
「あぁ、ひつこい」
そう唸るのはクイニーだ。その横でミンスが宥めようとしているが特に効果は無さそうだ。
なぜクイニーの機嫌が悪いのか。それは周囲に群がる女学生が原因だろう。
ラウンジに来たのは授業開始まで時間もあるし、せっかくだから行ってみようという軽いノリだった。だがクイニーやミンス、ザックと少しでもお近づきになりたい女学生達は自らから行かずともやって来た好機を見逃すはずも無く彼らを捕まえた。
アンリはと言うと、同じ席に座っているはずなのに今では完全に見物人状態だ。周囲にバレないように溜息をこぼしていると、不意に遠くの席に座る男子学生の二人と目が合う。すぐに目を逸らしたつもりだったが、二人組は席を立つと真っ直ぐにアンリの元へと向かってくる。
「ねぇねぇ、こんな所に居ても暇でしょ?俺たちと一緒しない?」
はぁ、またか。顔には出さず内心でウンザリしていると、隣に座っていたミンスがすぐに気がついてアンリの腕を抱きしめる。
「ダメダメ、アンリちゃんは僕達と一緒に居るんだから」
「チッ」
舌打ちしながらも男子学生達は大人しく去って行く。これで今日三度目だ。一昨日の舞踏会以降、興味本位だと思うが何かとこんな風に男子学生に声を掛けられるのだ。
ただ、男子学生はミンスやクイニーが間に入ってくれれば、すぐに諦めて去ってくれるものの、肝心のアンリ達四人を囲む女学生達は消えない。
徐々にクイニーの機嫌が悪くなるのが雰囲気で分かる。それでも女学生達はそんな雰囲気に気がついていないのか、かなり強気だ。
「そろそろ去らないとクイニーが噛みつきますよ」
ザックが溜息と共に忠告するが「でもぉ」と女学生達はアンリを指さすと一斉に視線を向ける。
「どうしてこの子は一緒に居て良いの?」
その一言にその場に居た女学生の全員が「うんうん」と頷く。
この場にいる女学生達は揃って化粧が濃く、髪飾りや指輪でオシャレをし、自分に自信があるのか威圧感が強い。いわゆる一軍女子だ。アンリは男女問わず一軍と呼ばれるタイプの人間が苦手なのだ。だからこそ、なるべく関わりたくなかったし、空気でいる事に徹していた。それなのに途端に話題の中心に入れられたかと思えば、ヘイトを向けてくる。
それにきっとこの質問に対し、アンリがクイニー達の味方になったり、女学生達の機嫌を取る言葉を言ったところで、反感を買ってしまうことは目に見えている。
「アンリ様はクイニーの幼馴染ですし」
「えぇ、幼馴染だったら側に居て良いの?なんかズルくない?」
「そうだよぉ。それにソアラ様と幼馴染みだったとしても、レジス様やシェパード様とはそういう関係じゃないでしょ?」
そんな女学生達のグチグチとした文句が続くと、しばらく黙り続けていたクイニーがついに爆発した。
「あぁもう!うるせぇな!いいか?アンリはお前らと違ってうるさくねぇし、わざわざ媚び売ってこないんだよ」
「じゃあ私達も静かにしていれば良いの?」
「めんどくせぇ、さっさと消えろ」
吐き捨てるようにクイニーが言うと女学生達は「わぁ、ソアラ様が怒ったぁ」とはしゃぎながら離れていった。一体あのメンタルの強さはなんなんだろう。普通、こんなボロクソに言われれば砕け散らないだろうか。
でもクイニーのおかげで、ようやくこの場が静かになった。
「ああいうのって、よくあるの?」
「えぇ、特に授業後が大変ですね。すぐに教室を出ないと、あっという間に囲まれてしまいますから」
「うわぁ、人気者ってすごっ」
「人気者な訳じゃない。アイツらは俺やザックのことを地位や外面でしか見てない」
「そう、なの?」
クイニーやミンス、ザックはいつだって女学生達の注目を集めている。にも関わらず、どれだけ女学生に人気を集めても彼らはいつも冷静で、どちらかと言うと迷惑そうな表情をする。
ずっと不思議に思っていた。確かにここまで囲まれるのは迷惑だが、彼らも年頃の男だ。少なくとも好意を向けられれば嬉しいのではないのかとずっと疑問だった。
だがきっと幼い頃から社交界に出ていた彼らは幼い頃から一人の人間としてでは無く、家名や地位を含めた上で見られてきたんだろう。そんな彼らにも彼らなりの苦労があるのかもしれない。
「アンリ様も気を付けてくださいね?」
「私?」
「アンリ様だって伯爵家のご令嬢なんですから」
「そうだよ、アンリちゃんは可愛いからすぐに男が集まって来ちゃうもん」
「アンリの力じゃ何かあっても男になんて到底勝てないしな」
「でも大丈夫、アンリちゃんの事は僕達が守るよ~」
「まぁ危ない目に遭わないためにも、あまり一人で動き回らない事だな」
「えぇ、今も男女問わず何人かがこちらを伺っているようですし」
周囲を見回してみると、何人かの男女と目が合う。女子からは羨むような視線、品定めするような鋭い視線、男子は目が合うと焦ってすぐに視線を逸らされてしまう。が、やはり彼らの言う様にしばらく一人になるのは避けた方が良いだろう。
「チッ、こんなんじゃゆっくりも出来ねぇ」
「何か私達だけで使える部屋があれば良いものの…」
「あはは、さすがにそんな都合の良い部屋があるわけ無いよ~」
そんな何気ない会話が耳に入る。周囲を気にせずに四人だけで使える部屋か。さすがに何百人も在籍する学園内でそんな都合の良い部屋なんてあるわけがない。
そう思うと同時に、何かが引っ掛かる。なんだったろうか。確か昨日、百貨店を出た後に入ったコーヒー・ハウスでフレッドが何かを言っていた気がする。
「あっ!!」
「うわ、なんだよ急に大声出して。心臓に悪いだろ」
「ごめん」
「どうかしましたか?」
「あるよ!そんな都合の良い部屋!」
「どこに?」
「クラブを作ると部屋が貰えるんだって。あ、でも流石に部屋を貰う為だけにクラブなんて作らないか…」
「よし、作るか」
「え?」
「いいね、面白そう~」
「そうと決まれば、まずは理事長室に行ってみるか」
「え?ちょっと?」
「行きますよ、アンリ様」
呆然とするアンリを置いて、三人の変な団結力に何も口を挟むことが出来ないまま理事長室に向かうのだった。
理事長室がある辺りは、学生とすれ違う事もなく静かだ。理事長室の扉は大きな二枚扉でなんだか仰々しい。それでもクイニーは臆することなく、扉をノックすると「失礼します」と声を張り堂々と重たそうな扉を押した。
理事長室には来客用のソファーとテーブル、窓際には飴色のアンティークデスクに革張りの椅子、壁際には背の高い本棚が並ぶ。
お母様から聞くだけ聞いていたが、実際にお父様の事を学園内で見かける事はこれまで一度も無かった。そのため正直半信半疑でいたが、革張りの椅子に座っていたのは本当にお父様だった。
お父様はアンリ達の突然の来訪に目を見開き驚いたような表情を一瞬見せたが、すぐにいつもの優しい笑みを浮かべて来客用のソファーに座らせた。
「一体どうしたんだい?四人揃って」
「それが一つ、相談があるんです」
「クイニーが私に相談だなんて珍しいね。言ってごらん」
「この四人でクラブを作りたいんです」
「クラブ?それは構わないが、一体何のクラブを作るんだい?」
お父様のその一言に、それまで堂々とお父様と言葉を交わしていたクイニーは意表を突かれたように狼狽える。
「あ、それはえっと…、おいザック、俺たちは一体何のクラブを作るんだ」
「それは、…そう言われると決めていないな」
クイニーやザック、ミンスは今の今まで自分達だけで使える部屋が欲しい、と張り切っていた。が、何の為にクラブを作るのか何も決めていないどころか、特にクラブを作ってやりたい事があったわけじゃ無い。完全に不純な理由ってやつだ。
そんな事を言い出すクイニーやザックにさすがのお父様でさえ、驚きを隠せてない。
「へ?何かやりたい事があったんじゃ無いのかい?」
「いえ、それがクラブを作ると部屋が貰えると聞きまして」
「確かに部屋は与えられるけど、それが理由かい?」
「はい。実は困ってることがありまして、このままではアンリに良くない虫が付いてしまうのではと…」
なんて言いながらクイニーはアンリに哀れむような目を向ける。
いくら馬鹿でも分かる。これはあたかもアンリを守りたいという前提を作り、完全に言い訳に利用しようとしている。だが聞く人によっては、まるでアンリ一人の我儘じゃないか。
「違うでしょ。”クイニーが”どこに行っても女の子達に囲まれて嫌だったからでしょ?」
「そうだよ〜。確かにアンリちゃんの男関係にも問題はあったけど、第一にクイニーがご令嬢達に対して爆発したのが原因でしょう?」
クイニーに対し大袈裟に言ってみせると、ミンスもアンリの味方になる。味方になってくれたのは嬉しいものの、ミンスの言い方ではお父様に変な誤解を与えてしまう。
「ねぇミンスくん、私の男関係に問題があったって言うと変な意味に聞こえちゃうよ」
「え?そうだった?ごめんね」
「おい、お前ら…」
空気の読めないアンリとミンスにクイニーは「お前ら…」と怒りを隠さず、ザックに関しては「あらら…」と言いながら呆れている。
「あはは」
それまでアンリ達の様子を静観していたお父様が突然声を上げて笑い出すものだからアンリ達の言い合いは自然と止み、お父様に全員の視線が集まる。
「そんな理由でクラブを作りに来たのかい?ふふ」
「やはりダメですか?」
「いや、いいよ。でも本当に面白いね。そんな理由でクラブを作りたいと言われたのは初めてだよ」
「本当に良いのですか?私達からお願いをしに来たとは言っても、こんな勝手な理由で」
「うん、いいのいいの。クラブの部屋は別館にあるんだけどね、やっぱりそういう部屋として作られているから教室としては使えないんだよね。その上、労働者階級の学生の利用は禁止されてしまっているからクラブに一つずつ部屋を提供すると言っても、使われていない部屋がかなりあるんだ」
「なるほど、そういう事ですか」
「でもクラブを作ると言った以上、形だけでもクラブを作ってもらうよ。とりあえず、この紙を書いておいで」
そう言ってお父様は書類を取り出す。活動内容に、誰が所属しているのか、所属するための条件の有無など、クラブを新設する上で必要な事を一通り書くモノらしい。
「理由故に色々と難しい部分はあるだろうけど、一応書類として残さないといけないんだ。と言っても急いで提出しなくて良いからね」
「分かりました」
「それから鍵はこれ。今は二本しか無いけど、人数分の鍵を用意してもらうように申請しておくからね」
「ありがとうございます」
「アンリの大切なお友達だからね。私も大切にしたいんだ。これからもアンリのこと、よろしく頼むよ」
「はい」
「お任せ下さい」
お屋敷に居る時と変わらないお父様は無茶なお願いをあっさり承認する。理事長として本当にそんな即決して良かったのかと不安にもなるが、それでもお父様の気持ちにアンリの胸は温かくなった。
理事長室を出ると、部屋の下見もかねて別館に向かう。別館の存在は知っていたが、実際に行くのは今日が初めてだ。
本館は八階まであるにも関わらず、別館は三階建ての建物だ。貴族しか立ち入ることが出来ない上に本館とは違った趣で外観や廊下だけを見れば完全にどこかの貴族のお屋敷だ。
扉が開けっ放しにされた部屋の中からはワイワイとしたこの歳特有の活気が溢れ出している。アンリ達はなるべく静かに気配を消して部屋の前を通るが、嗅覚の鋭い女学生達はすぐに部屋の中から飛び出してくる。
「ソアラ様!どこに向かわれるの?」
「レジス様はどこかのクラブに所属なさるの?」
「私達のクラブにご入会なさらない?まだまだメンバー募集中なのよ?」
そんな声に一切振り向くこと無く三人はスタスタと歩いて行く。ここで彼らが何か返事をしてしまえば、女学生達が興奮して余計に騒がしくなるだけだろう。それにアンリも、変に彼女たちを宥めようと声を出せば怒りを買うのは分かりきっている。
思ったような反応をもらえなかった女学生達はつまらないと思ったのか、少しずつ去って行く。最後まで諦めずに声を掛けてきた女学生も部屋の中から出てきた無愛想な顔をした男子学生に捕まって部屋に戻っていった。
「よく我慢したな、クイニー」
「でも眉間の皺、すごいよ~?」
「アイツらを相手にするのはかなりの労力を使うからな。こんな顔にだってなる」
「クイニーの女嫌いは相当だな」
「そう言ってるが、どうせお前らも面倒だと思っているんだろう?」
「私は面倒というより、時間の無駄だと思っているだけだ」
「それはほとんど同じ意味じゃ無いか?」
「はいはーい、僕はね面倒じゃないよ?もちろん一気に話しかけられたら大変だなって思っちゃうけど、一人一人なら全然話すよ。まぁでもクイニーと一緒の時は僕のせいで俺まで女子に捕まったって怒られそうだから話さないけどね」
「お前はそうだな。どちらかと言うと、相手が誰だろうと喋ることが好きなんだろう?」
「うん!でも今はこのメンバーで居るときが一番楽しい!」
階段を登り鍵に刻印されていた3-Pまで向かう。他の階にはいくつも部屋が並んでいたにも関わらず、三階には数えられるほどしか部屋が無い上に、見たところ今はどの部屋も使われていないようだ。重厚感漂う木製の二枚扉にはpremium roomと刻印されている。下の階で見た部屋には1-1や2-3といった階層に部屋番号が振られていたのに。
まさかお父様、鍵を渡し間違えちゃったのではとアンリが一人で不安になっている間にもクイニーは既に鍵を開け、ミンスは「一番は僕!」と勢いよく扉を開け部屋に入っていく。
開かれたドアの先はまるで時が止まっているかのような静寂が広がり、大きな窓にはカーテンが掛けられていて部屋は薄暗いが、カーテンの隙間から入り込む光に反射して宙を舞う埃がキラキラと踊っている。アンリ達が室内に入り扉を閉じてしまえば、外の騒がしかった声は遮断される。
カーテンを一斉に開ければ部屋中に明るい光が差し込み、止まっていた時間が進み出したようだ。
部屋の真ん中にはソファーやカウチ、一人用の肘掛け椅子がローテーブルを囲むように並んでいる。他にも大きなダイニングテーブルや空っぽの大きなシェルフ、暖炉まで設置されているし、さらに隣の部屋にはベッドまで完備されている。
それからお父様の話だと、一階には売店や備品の貸し出しをする受付、大きな大浴場もあるとの事だ。
「すごい!ここ本当に僕達が使って良いのかな」
「鍵はここのもんだし、良いんだろ」
「そうだよね」
「ここで暮らせちゃいそうだね」
「実際、クラブの活動と言ってお泊り会をしているクラブもあるらしいですよ」
「へー、面白そう!私達もやりたいね」
「え、僕もやりたい!昼間からたくさん遊んで、夜は眠たくなるまで、みんなでお喋りするの!うわぁ、楽しそう」
ミンスはどんどんと妄想を広げて語っていく。そんな様子にアンリにも伝染したようにテンションが上がる。だがそんなアンリとミンスにクイニーは大袈裟なまでの溜息をつく。
「正気か?」
「なんで?お泊り会、楽しそうじゃない?」
「いや、そこじゃなくて一応俺ら男だぞ?そこの所、分かってるのか?」
「だから?」
「色々と問題があるだろ」
「寝相が悪いとか?あ、もしかして鼾掻くタイプだった?」
アンリが純粋な疑問を投げかけると、その場が一瞬静かになる。
「なに言ってるんだ、俺が言いたいのは…」
「あー!ストップストップ。クイニー、それ以上は、ね?」
「まぁアンリ様はその純粋さが良い所でもあるからな」
クイニーが口を開こうとすると、ミンスは大袈裟なまでの声を出しクイニーにそれ以上喋らせないようにすると勝手に話を終わらせる方向に持って行こうとする。
「クイニーは何を言おうとしたの?」
「アンリちゃん、アンリちゃんはまだ知らなくて良いんだよ。ね?」
ミンスは意地でも続きを聞かせたがらない。まぁでも知らなくて良い事だと言うのなら、これ以上聞く必要は無いか。
「でもそういう事なら特に問題は何もないよね」
「あぁもう好きにしろ」
クイニーは諦めたような声を出す。だがそれよりも今は急遽お泊り会が出来るかもしれないという事実の方が嬉しい。
「じゃあいつ頃にする?」
「善は急げだよアンリちゃん。って事で、明日は?」
「多分予定は無かったと思うよ」
「じゃあ決定!ちゃんとオーリン伯爵にも許可、もらってきてね」
「うん、わかった」
「ザックとクイニーは強制ね」
初めてのお泊り会。今までやってみたいという願望は密かに持ち続けていた。それでも一緒にする相手も居ないまま諦めていた。それなのに、それを明日出来るなんて。この世界に来てからと言うもの、これまで憧れを抱いてきた事をたくさん経験させてもらっている。
「嬉しそうだね、アンリちゃん」
「うん!お泊り会ってずっと憧れてたんだ」
「そっか、それじゃあ余計に楽しみだね!」
「うん!」
「ほらクイニー、こんなアンリちゃんを見たら今さらイヤだなんて言えないでしょ」
「はぁ…、分かった。俺も参加する、それでいいんだろ?」
「なら明日の為にも、このプリントは早めに提出すべきでしょうね」
ザックは預かっていたプリントをローテーブルの上に出す。それはお父様の言っていたとおり、クラブについて一通り書く事になっているようだ。
プリントの置かれたローテーブルを囲むようにそれぞれ腰掛ける。クイニーが肘掛け椅子、ザックがカウチ、アンリとミンスが二人でソファーに並ぶ。プリントの記入はザックがしてくれるようだ。
「所属メンバーはこの四人。後は一から考えないとだが、あくまで提出書類。どんな不純な動機だとしても、まともな事を書かないとだな」
「活動はどうするの?面倒な男女から静かなクラブ部屋に避難する活動?」
「…。いくら本当の事とは言え、そんなの絶対にダメだろ。もういい、活動内容は後回しだ」
「じゃあ次は…所属条件?」
「これはクイニーが決めた方が良いだろう」
「それなら所属条件は無しだ」
「無し?全員受け入れるの?」
「違う、その逆だ。誰一人、所属を許可しない。例外はなく」
「あはは、クイニーらしい」
「まぁ確かに一人でも受け入れてしまえば他の学生も殺到するだろうな。それこそ本末転倒だ。だったら条件無しに受け入れない方がいい」
その後、他の記入箇所も埋めていく。最後まで空欄だった活動内容についても、主にミンスのおかげで埋める事が出来たのだが、アンリは内心、本当にこれでいいのかと思ってしまう。
「よし、とりあえずこれでいいな」
「じゃあそれは私からお父様に渡しておくよ」
「そういう事なら理事長室に行く手間も省けたし、そろそろ教室に移動するか」
「次って確か必修授業だっけ」
「あぁ、大講堂だな」
***
大講堂に来たのは入学式以来だ。あの日は出会ったばかりでただただ怖いという印象だったクイニーと二人、ボックス席に座り入学式に出席した。恐怖や緊張に加え、この世界の事も何も知らない状態で学園に通うことになり漠然とした不安ばかり抱えていた。
まだあの日から大して時間も経っていないのに、こう思えるのは少しでもこの世界に慣れてきた証拠だろう。
大講堂に入ると、あの日のようにクイニーに続いて階段を上がろうとする。だが後ろを振り向くと、ミンスとザックは一階の扉から講堂内に入ろうとしている。
「二人は上に来ないの?」
「私達は子爵家の息子ですから。ボックス席に私達の席は用意されていないんです」
「アンリちゃん、また後でね」
そんな当たり前の様に二人は笑うが、アンリの心はモヤついてしまう。友達同士なのに、階級云々で一緒に居られないのかと思うと、そう言う意味ではこの世界にまだ慣れる事は出来ない。
アンリがそんな風に思っていると、前を歩いていたはずのクイニーが二人の元まで歩いていく。そしてミンスとザックの背中を押す。
「お前らも来い」
「だが…」
「いいんだ。俺とアンリでボックス席を使っても席は空いているんだ。それに俺が決めたことだ。文句でもあるのか?」
「クイニーがそう言ってくれるなら…、なぁミンス」
「うん!ありがとう」
ボックス席に入ってしまえば、再び四人だけの空間になる。ここは他の人の目を気にせずに話せるし、居心地が良い。一階席の方を見下ろしてみれば、まだ時間があるからかチラチラと学生が集まっている程度だ。
アンリの隣に座るクイニーは静かに足と腕を組み座っている。そんな彼とは対照的にミンスはキョロキョロと周囲を見渡しては感動の声を上げる。
「うわぁ、やっぱりボックス席って広いし、座り心地が良いんだね。まさかボトルまで用意されているなんて、至れり尽くせり」
「確かに一階席は肘掛けがあるくらいだからな。しかも時々、隣に座る奴が肘をぶつけてくる」
「うんうん。…ねぇ待って、ザックっていつも端の席に座りたがるから、その肘が当たるって僕の事じゃん!」
「そうだが?」
「もぉザックの意地悪。僕とザックの仲じゃん」
「それでも迷惑なものは迷惑だ」
そんなやり取りをアンリは苦笑いで眺める。
これから行なわれる授業は貴族階級必修の観覧という授業だ。この授業ではその名の通り、演劇や歌、オペラを見るのが主だ。舞台に立つのは時々有名な劇団を呼ぶこともあるようだが、基本は二年生以降の学生だ。
この学園では勉学はもちろんのこと、芸術面に力を入れているようで、一年次からこうしてたくさんの芸術に触れ合い、二年次からは自分の興味ある選択科目を選ぶ事になっている。
選択科目には演劇や歌、オペラなど実際に舞台に立つ授業もあれば、絵画や彫刻と言った一人で黙々と作品を制作するものまであるらしい。
確か今日観るのは演劇だ。
演劇と聞くと少しソワソワするような、どこか嬉しい感覚に包まれる。というのも、暗璃として生活していた頃、中学の部活動では演劇部に所属し音響担当のチーフまで務めた過去がある。
初めは中学校のほぼ強制で入部しなければならない部活動。運動が苦手な暗璃の選択肢なんて文化部の演劇部と吹奏楽部しか無かった。そのため流れで入部する事になったのだが、それでも暗璃にとって珍しく良い思い出として残っている日々だ。だから懐かしいような、不思議とあの時の緊張感まで思い出すのだ。
***
「本日もお疲れ様でした」
「今日もお迎え、ありがとう」
一時間の演劇鑑賞を終えて三人と別れた後、既に校門前には迎えの馬車が止まっていた。
演劇の感想と言えば、ここであの照明の入れ方をするんだ、ここであの音を使うのかと経験者だったこともあって普通とは別の視点で楽しめた。
馬車から手を引いて下ろしてくれたフレッドに向かって名を呼ぶとすぐに「なんでしょうか」と反応が返ってくる。
「これから厨房って使えるかな」
「厨房ですか?あぁ昨日仰っていた件ですね。今の時間なら下ごしらえは既に終わっているでしょうし、おそらく大丈夫かと」
「ありがとう。じゃあ私はしばらく厨房に居ると思うけど、良いよって言うまで入って来ちゃダメだからね?他の人にも伝えておいて?」
「かしこまりました」
もう一度「絶対だよ」と念を押して屋敷に入る。そのまま真っ直ぐ食堂に向かい厨房に入るが、ルエしか姿が見えない。
ルエは休憩中だったのか、紅茶を飲みながら読書をしていたがアンリに気がつくと慌てたように本を畳み机の上に置くとアンリに向き直る。
「えっと…、シーズさんなら今は外に出ています」
「今日は厨房を使わせて貰いたくて来たんだけど良いかな」
「フレッドさんから伺っていましたが、一体何を?」
「秘密…と言いたい所なんだけど、ルエにお願いがあるの」
「なんですか?」
「私ここの厨房を使ったことがないし勝手が分からなくて。だからちょっとだけ手伝って欲しいのだけど」
「いいですよ、僕も丁度暇していたので」
「ありがとう。じゃあまずは手、洗ってくるね」
シンクに近づき蛇口を緩めると水が一気に流れ出し、念入りに手を洗うとルエが持って来てくれたタオルで水滴を綺麗に拭き取る。
「そう言えば私の買っておいた食材ってどこにあるか分かる?」
「それでしたらパントリーの方に…」
そう言うとルエはキッチンの奥にあるパントリーに入っていく。アンリもルエに続いて中に入ると、小さな物置の様な場所に野菜やパンと言った食品達が綺麗に並べられている。この部屋には窓が無く薄暗いからか、他の部屋に比べてずいぶんと涼しい。そんな部屋の隅っこに置かれたカゴをルエは持つと、パントリーを出る。
「これがアンリ様の買われてきたモノです。…聞き忘れていましたが、一体何を作るんですか?」
「ポルボロンって言う焼き菓子を作ろうと思うんだ」
「ポルボロン…?初めて耳にした焼き菓子ですね」
「一緒に作ってくれる?」
「はい、僕にもお手伝いさせてください」
「じゃあまずはポルボロンの下ごしらえかな。えっと、オーブンってある?」
「オーブンならこちらに。すぐに使うようなら急いで温め直しますが…」
「うん、じゃあお願い出来る?まずは小麦粉を焼かないといけないんだ」
「小麦粉を、ですか?変わった調理法ですね」
天板に小麦粉を薄く敷いてルエが温めてくれたオーブンに天板を突っ込むと、そのままルエに手伝ってもらいながら他の材料の計量を始める。バターに砂糖にアーモンドプードル。さすが毎日パンや焼き菓子を作っている事もあってルエの計量は手際が良い上に正確だ。
それらの計量が終わると丁度オーブンに入れていた小麦粉もきつね色になっている。これで下準備は完了だ。
ボウルに計量した材料と共に小麦粉を入れて混ぜれば、初めはボソボソとしていて中々まとまってくれないが、次第に一つの生地にまとまってくる。
生地がまとまれば生地を落ち着かせるため、ルエと共に地下に降りて肉や卵を保存している一際涼しい食料保管室で生地を休ませる。
「名前も聞いた事の無かったお菓子ですが作ってみると簡単に作れるんですね」
「でしょう?しかもこんなに簡単なのに美味しいんだ」
「そうなんですか。ですがアンリ様は一体、いつの間にこんな焼き菓子を作られていたんです?」
「あっ、えっと…それは…。そんなことよりほら、生地を寝かせている間に二人で紅茶でも飲みながらお話でもしようよ」
昔はよく家で一人のタイミングを見つけるたびに時間潰しも兼ねてお菓子を作っていた。その時に一番作っていたお菓子であり、一番美味しく作れたのがポルボロンだ。
昨日の買い物中、色々なお菓子を目にした事で不意に昔作っていた焼き菓子の存在を思い出し今に至る訳だが、うっかりその事を口に出してしまうところだった。
そんな事がありながらその後はルエと紅茶を飲みながらゆっくりと世間話をした。ルエのよく読んでいる本についてだったり、お互いの一番好きな食べ物や苦手なモノについて。
もちろん学園で友達と話す時間も大好きだが、こうしてルエと話す時間はお互いの性格の相性が良いのか穏やかな時間が過ごせて心地が良い。
そしてタイミングを見計らって生地を成形しオーブンで焼き上げ、焼き上がったクッキーに粉糖を振りかければポルボロンも完成だ。
と、ここまでは順調にいったもののラッピングが中々上手くいかない。そんなアンリの隣で同じようにラッピングするルエはと言うと、本当に手先が器用でお店に並べても普通に商品として扱えそうだ。そしてここでも手際が良い。
「本当にルエって手先が器用だよね、羨ましい」
「ありがとうございます。アンリ様のは…、えっと…心がこもっていて良いと思います」
「下手って言って良いよ」
「そこはノーコメントでお願いします」
「あはは…、それが一番辛いよ。どうやったらルエみたいに綺麗に出来るんだろ。何かコツとかある?」
「コツ、ですか?うーん…、とりあえず折り目にはしっかりと折り目を付けることです。多分それでなんとかなるかと…」
「ねぇなんかそのアドバイス、適当じゃない?」
「だってよく考えてみてくださいよ。この僕が誰かに物事を教えたりアドバイスする、なんて経験があると思います?」
「…無いと思う」
「つまりそういう事です。…でもアンリ様は僕と違って誰かに物事を教えたりアドバイスするの得意そうですよね」
「え、そう見える?」
「はい。なんと言うかアンリ様は誰と喋る時でも楽しそうに喋られているイメージなので」
「うーん、でも人と話すのが好きでも、実際に上手く物事を教えられるかって言われたら別の話だよね。それに友達とは話せても私にも人見知りな部分ってあるし」
今はアンリの周りにはいつも誰かが居てくれて、笑いかけてくれる人が居る。両親や屋敷で働いている人、学園の友達。彼らはいつだってアンリを気遣い、大切にしてくれる。だからこそ、アンリも彼らを大切にしたいと思うのだ。
だからと言って彼ら以外の初対面の人とは上手く喋れないし、そもそも今以上にわざわざ交友関係を広げたいとも思っていない。自分で言うのもアレだが、昔から人との付き合いは狭く深くなのだ。
「アンリ様?どうかしましたか?」
「ん?ううん、なんでもないの。そんな事より今日は手伝ってくれてありがとう」
「こちらこそ。僕も良い勉強になりました」
「じゃあこれはルエにあげるね」
そう言ってラッピングを終えたばかりの包みの一つを手渡すと、ルエは驚きから目を見開く。
「良いんですか?」
「いつもありがとうって事で受け取って欲しいな。…って言ってもルエに手伝って貰っちゃったんだけど」
「ありがとうございます。後ほど、大切に食べますね」
「あ、そうだ!実はポルボロンにはおまじないがあるんだ」
そして最後にもう一度お礼を告げて厨房を出ると屋敷中を歩き回る。外で花壇の世話をしていたり、廊下で掃除をしているメイドや外出していたシーズのもとへ向かい、ポルボロンの入った包みを一つずつ手渡していく。みんな初めはルエと同じように驚いた顔を見せるが、ルエと共に作った事を話すと喜んで受け取ってくれた。
最後にフレッドが居そうな場所は…
思考を巡らせ、辿り着いたのは書庫だ。
フレッドはどうやら本を読むのが好きらしく、暇な時間が出来ると大抵書庫で分厚い本を読んでいる。そのため今回もここに居るのではと当たりを付けてやって来たのだ。
予想は見事的中。書庫の扉を開けるといつもの席に座り静かに本をめくっている。そして余程集中しているのかジッとその姿を見つめていても一向に気がつく気配はない。
「今日は何を読んでいるの?」
「アンリ様!いつの間に、いらしていたのですか」
「ちょうど今来たところ。そんな事より、今回は何の本?」
「これは戯曲です」
「へぇ、そう言うジャンルの本も読むんだ。なんか珍しいよね」
フレッドがいつも読んでいるのは法律や歴史、理科に数学、芸術や園芸についてなど多岐に渡り、どれもアンリには簡単に理解できない内容のモノばかりを好んで読んでいる。そんなフレッドが戯曲を読むことがあるのだと知ると、どこか親近感が湧く。
「いつも難しい本ばかりを読んでいては疲れてしまいますから。たまには私もこういった趣向の本も読みますよ。…それでアンリ様の用事は終了したのですか?」
「うん、ついさっき終わったよ。それでこれ、フレッドにも渡したくて」
「私にですか?」
隠し持っていた包みを一つ手渡すと中に入った焼き菓子を眺めた後、優しく微笑んでくれる。
「このクッキーはもしかして、アンリ様の居た世界で食べられていた焼き菓子ですか?」
「うん、ポルボロンって言うんだ」
「ずいぶんと可愛らしい名前ですね。ありがとうございます。そうだ、せっかくですし本日はアンリ様の下さったポルボロンでアフタヌーンティにしましょうか」
「うん!」
「では準備をしてくるのでアンリ様はお部屋でお着替えをしてお待ちください」
言われたとおり自室に戻り、ラックに掛けられていたワンピースに着替えて待っているとタイミング良くフレッドがポットと二人分のカップをワゴンに乗せて持って来る。
アンリは初めてアフタヌーンティをしてから、この時間が大好きになっていた。美味しい紅茶やお菓子を食べながらゆったりと色々な話をする。この時間、アンリがどんな話をしてもフレッドは頷いて反応してくれるから、いつも安心してお喋りが出来る。
もちろんクイニーやミンス、ザックやルエと話している時はそれぞれ違った話が聞けるし楽しい。それでも時々気を付けてないと元の世界に居たときの事を口走りそうになって焦るときがある。その点、フレッドなら事情を知ってくれている分、変に気を遣わずとも喋れて楽なのだ。
「では早速、アンリ様の下さった焼き菓子を食べてもよろしいですか?」
「もちろん、食べてみて?あ、そうだ!その前にルエにも教えたんだけど、ポルボロンにはおまじないがあるんだ」
「おまじない、ですか?」
「うん。クッキーを口の中に入れたらね、心の中でポルボロンって三回唱えるの」
「それだけですか?意外と簡単そうですが…」
「簡単に聞こえるけど、このお菓子は脆くてすぐに口の中で溶けちゃうの」
「なるほど、そういう事でしたか」
「でも上手くいけば幸せになれるんだって」
「ふふ、私はそのおまじないが叶う前から十分幸せですよ」
「んー、じゃあもっと幸せになれる!」
「私はいつか、幸せに埋もれてしまいそうですね」
そう笑いながらパクッとクッキーを口に放り込むと、フレッドは素直におまじないをしてくれた。
そんな姿を見て改めてアンリに関わってくれている全ての人が幸せで溢れると良いなと思った。
「とっても美味しいです」
「本当?」
「えぇ、今まで食べてきたクッキーとは違ったホロホロとした食感で、とても美味しいです」
「えへへ、喜んでもらえて良かった」
「ですが、私は貴族の方がキッチンでお料理をするなんて、初めて聞きましたよ。しかも作った焼き菓子を使用人にプレゼントするなんて」
「それ、ルエにも言われた。でも料理をしたり、焼き菓子をプレゼントするのに階級なんて関係ないよ」
「そうですね、アンリ様を見ていてよく分かりました」
その後、フレッドは全て食べてしまうのは勿体ないと言いつつも一つ一つ口に放り込むたびに美味しいと感想を告げながら綺麗に完食してくれた。
お菓子を作ってこんな風に喜んでもらえたのは、いつぶりだろう。向こうの世界に居た時はお菓子を焼いても、ご飯を作っても、喜んでもらうどころか感謝なんてされた事が無かったし、それを当たり前だと思っていた。
…いや違う、そう自分に言い聞かせていたのだ。だからこそフレッドやルエ、メイド達にお菓子を渡した際、感謝を伝えられて笑って貰えて心が温かくなった。
「そういえば、本日は学園で何か良いことがあったのですか?」
「良いこと?どうして?」
「勘違いだったら申し訳ないのですが、本日馬車でお迎えに上がった際、ご学友と一緒に居られたアンリ様がとても幸せそうな表情をしていたので、何か良いことがあったのかと」
「実はね、今日みんなでクラブを作ったんだ」
「クラブ…。まさか昨日の今日で本当に作られたのですか?」
アンリは今日ラウンジで起きたこと、そしてそのままクラブを作った経緯を全て話した。すると聞き終えたフレッドは珍しく苦笑いを浮かべている。
「それは…、なんと言いますか、ずいぶんと不純な理由ですね」
「だよね。だけどお父様もそれで許しちゃうんだもん」
「それはきっと溺愛している愛娘からのお願いなら、出来るだけ叶えて差し上げたいと思う親心だと思いますよ」
そんな風に冷静に返すフレッドが何だか面白くて笑い出す。だって恐らくアンリと年齢がほとんど変わらないであろうフレッドに親心を真剣な顔で語られるのがなんだか可笑しい。突如笑い出したアンリの心情を知らないフレッドは困惑した表情で見つめてくる。
「ふふ、ごめんね。なんでもないの」
「そう、ですか?」
「それより、これで私達の学園生活も少しは落ち着くのかな」
「どうでしょう。ですが皆様だけのお部屋が確保できた分、今まで以上に良い時間が過ごせるのではないですか?」
「うん、そうだといいな」
そうしてあのクラブの部屋でこれから過ごすであろう未来を想像してみる。あのローテーブルを囲むように並んでお話したり、ゲームをしたり…。
「でもフレッドも一緒に過ごせたら、もっと良かったのになぁ」
「私はそもそも学園に通っていませんし、もし仮に通える年齢だとしても私の所属をアンリ様のお友達は許さないのでは?」
「んー、ミンスくんとザックくんは許してくれると思うけど、問題はクイニーか…。でもクイニーが何を言ってもフレッドは私にとって大切な人だもん。絶対どうにかする」
「ありがとうございます。その気持ちだけで私は十分ですよ」
そう言って微笑むフレッドの顔は大人っぽいような、でもどこか幼い子供のような表情を浮かべる。
「そういえば聞いてなかったけどフレッドって何歳なの?」
「言っていませんでしたっけ。私はアンリ様の一つ下ですよ」
「…!!えっ、私より年下だったの?!」
「年上だと思っていましたか?」
「うん。えっ、本当に一つ下?」
「そんなに疑います?」
フレッドの言葉遣いは丁寧だし、周りへの気遣いとか所作だって完璧だ。その上、いつも彼が読んでいた小説は難しいモノばかり。だからこそ、すっかり年上だと思い込んでいた。
だが年下だと知ると、アンリは今まで年下の男の子に色々とお世話してもらっていた訳で…。
「なんだかすごい申し訳ない気がしてきた。これじゃあまるで後輩を自分の都合よく使う先輩みたいじゃん」
「いいんですよ。これが私のお仕事ですし、何よりアンリ様のお側に仕えていると新しい発見で溢れていて、とても充実しています。ですから気になさらないでください」
「そんな事言われても、やっぱり気になるよ」
「私は旦那様や奥様がこのお屋敷に置いてくれなければ…」
その続きはずいぶんと小声で聞き取れなかった。すぐに聞き返そうと口を開きかけたが、フレッドの沈痛な表情にこれ以上、聞き直す気にはなれなかった。その代わり、話を変えるために大袈裟なまでに「あれ?」と呟いてみる。
「どうなさいました?」
「フレッドが私より年下って事は、ルエも私より年下なの?」
「いいえ、ルエさんはアンリ様の三つ年上だったかと」
「あっ、そこは年上なのね」
お兄さんだと思っていたフレッドが年下で、年下だと思っていたルエがまさかお兄さんだなんて。人は見かけによらないと言うのは、どうやら本当らしい。
そして些細な事かもしれないが、大切な人達の知らなかった事をまた一つ知れたのが素直に嬉しい。でもやっぱり彼らの事は知っている事よりも、知らない事の方が多いのだろう。だからといって慌てて聞く必要は無い。時間はたっぷりあるのだから。
***
オーリン家の朝は早い。と言うのもお父様とお母様は早い時間に馬車に乗って学園に向かうからだ。そのため朝食を一緒に取る事は滅多に無い。
だからこそ夕食の時間は余程の事が無い限り全員揃って食事するのがオーリン家の決まりだ。そんな親子団らんの時間には、お父様とお母様がいつもアンリの話をニコニコと微笑みながら聞いてくれるのだ。
今日も夕食の時間になると食堂の定位置の席に座り食事が始まる。フレッドやジーヤ、ディルべーネはそれぞれの主人の近くに立ち、いつでも紅茶を淹れたり要望を聞けるように待機している。
黙々とフォークやナイフを動かし食事を口に運ぶが、内心では隣の空席に置いてある”それら”の話をいつ切り出そうかと考えながらウズウズしている。
「アンリ、どうしたんだい?今日はずいぶんとソワソワしているね」
お父様はアンリのちょっとした異変はお見通しのようで、一度持っていたフォークやナイフを置くとアンリに話を促す。だからありがたく、このタイミングを使わせて貰うことにする。
「実はプレゼントがあるの」
フレッドやメイド達に渡した時は感じる事の無かった緊張に手を震わしながら隣の席に置いていた包みを四つ、テーブルに優しく乗せる。それに対し二人は嬉しそうに「何かしら」と言い合い、中身が焼き菓子だと分かるとお母様は明らかにテンションが上がったように「まぁ!」と声を上げる。
「もしかしてアンリが作ったの?」
「うん、ルエにも手伝って貰ったの」
「すごいわ!アンリにはお菓子作りの才能があるのね。ありがとう」
「あぁ、本当にすごい。アンリにこうして贈り物を貰うのは初めてだな」
「えぇそうね」
そんな光景を見守っていたジーヤとディルベーネにも包みを一つずつ手渡すと初めは戸惑っていたようだが、お父様が促してくれたことで受け取ってくれた。
「いやぁ、本当に楽しみだ」
そんな風にお父様が言ってくれるものだから、嬉しくなったアンリは自信を持ってこう返す。
「フレッドのお墨付きだから楽しみにしてて」
「おっ、それなら余計に楽しみだな」
と、食卓に笑顔が溢れる。いきなり名前を出されたフレッドも「甘く、とても優しいお味でしたよ」なんて味の感想を告げ出す。
しばらくしてその場が落ち着いた頃、アンリはクッキーの包みとは別に椅子に置いていたプリントを取り出しお父様に差し出す。
「お父様。これも書き終えたのだけど、今渡しても良い?」
「あぁ、構わないよ。急がなくて良いと言っていたが、ずいぶん早くに書き上げたんだね」
「理事長室を出た後、みんなで考えたの」
「そうか、でも大変だっただろう?特に活動内容のところは」
「うん、他の箇所はすぐに書き終えたのだけど、活動内容だけは中々決まらなくて」
そんな会話をしていると、理事長室での一幕を知らないお母様はアンリとお父様の会話の意味が気になっている様子だ。
「ちょっと二人で話し込んじゃって何の話?私にも教えてちょうだい」
「あぁ実は今日アンリ達が私の部屋に来たんだ。そこでクラブを作りたいと言ってきてね」
「クラブ?素敵じゃない。それでどんなクラブなの?」
「それが、その時はやりたい事は決まってないと言ってきたんだ」
「え?」
「ほら、君も知っての通りクラブを作ると別館の部屋が活動部屋として貰えるだろう?それが目的だったらしい」
「まぁ面白い理由ね。それを言い出したのはクイニーくんかしら」
「うん、よく分かったね」
「クイニーくんとは私達も長年の付き合いだもの。それくらい想像が付くわ」
そうクスリと笑うと書類に目を通していたお父様に続いて、お母様の視線も書類に向く。
「さて、アンリ達はどんな活動内容にしたのかな」
そう言いながらお父様の視線はプリントの中間辺り、活動内容が書かれている辺りを目で追っている。そして読み終えたのか、プリントから目を離したお父様の目は孤を描いている。正直プリントを渡すまで、本当にこれでいいのかと内心不安でいっぱいだったが、その表情を見る限りだと大丈夫なのだろうか。
「やりたい事をやる、やりたくない事は無理強いしない、か。うん、良いじゃないか」
「本当?具体的な内容は何も書いていないのだけど…」
「これでいいさ。本来クラブはそこに所属する仲間が自分たちの好きな事を極めたり共有する場だからね。って事で、この書類は預かってしまうよ」
「うん、ありがとう」
「ちなみにアンリ、クラブを作って最初にやりたい事は決まったのかい?」
「え?あ、えっとそれがね、私達の貰った部屋ってとても広いでしょう?」
「そうだね、別館で一番広い部屋だからね」
「それで、話の流れでみんなで一緒にお泊り会をしたいねってなったの」
「お泊り会?」
やはり言ってみたものの、いくら友達だと言っても、流石に男女が一晩を過ごすなんて許してくれないだろうか。
「友達同士でお泊り会だなんて素敵じゃないの!」
「え、良いの?」
「あぁ、せっかくの機会だ。行ってきなさい」
そんな風に言う二人はアンリの心配なんて吹き飛ばす程、優しい表情を向けてくれている。
「それでそのお泊り会はいつあるの?」
「それが明日なの」
「まぁ、明日?それなら急いで準備をして、今日は早めに休んだ方が良いわね」
「あぁ、そうだな。それじゃあアンリ、明日は思いっきり楽しんでくること、良いね?」
「うん!ありがとう。そうと決まれば早く準備しないと。フレッドも一緒に来て」
「ご馳走様でした」と席を立つと、食堂を飛び出し自室に向かう。
お泊り会には何を持って行こうか、早く明日にならないかな。
幼い子供のようにはしゃぎ、自室に走っている間、アンリが飛び出した後の食堂ではアンリの知らない会話が続いていた。
「ふふ、アンリったら」
「フレッド、あの子のことを手伝ってきてくれるかい?」
「はい、かしこまりました。では失礼します」
そうフレッドが食堂を後にすると、お父様とお母様は目を見合わせて微笑み合う。
「アンリが楽しそうで良かったわ」
「あぁ。これまで過保護故に色々と制限を掛けた日々を過ごさせてしまったからな。これからは好きな様に過ごして欲しい」
「えぇそうね。それに、あの子も最近とても楽しそうよ」
「それはフレッドの事かい?」
「えぇ」
「そうだね。二人が楽しそうで何よりだよ」
***
部屋に戻りガサゴソと引き出しを漁っていると遅れてやって来たフレッドはボルドー色のトランクを持っている。
「その鞄に荷物を詰めれば良いの?」
「はい。こちらは明日、私がお部屋までお運びしますので」
「えぇ、そんな。私もこれくらい自分で持てるよ」
「いえいえ、アンリ様の手を煩わせる訳にはいきません。それにアンリ様のようなご令嬢がこのようなお荷物をご自分で持って歩かれていたら、周りの方に笑われてしまいますよ。なので私にお任せ下さい」
「分かった。じゃあお願い」
「かしこまりました」
「でも明日、荷物を運んだらフレッドは一日ゆっくりお休みしてね」
「お休みですか?」
「うん。ほらいつもフレッドは私の側に居てくれるから、休憩する時間があっても一日お休みするタイミングって無いでしょう?だから明日くらいは休んで欲しいの」




