楽しいひとときを共に
アンリはしばらくどこを見るのか迷っていたようだが、しばらくすると「あのお店、見ても良い?」と遠慮がちに聞いてきた。
そこはご令嬢で賑わっている店舗ではなく、お客さんが誰も居ないレトロな雰囲気が漂う場所。どうやらレジ前に座るお爺さんが一人で切り盛りしているようだ。
商品を見てみると髪飾りやピアス、指輪などの金属製品が売られている。店舗の外観からは想像できなかったが、全ての商品が複製品が存在しない唯一無二のモノらしく、店主のこだわりを感じる。
アンリは一つ一つをゆっくり真剣に眺めているものだから、あまり近くに居ても邪魔になるだろうと少し離れた場所で商品を流れるように見て回る。
しばらくそんな風に過ごしていると、アンリが一カ所で立ち止まっていることに気がついた。
「何か気になるものがありましたか?」
アンリの視線の先を見ると花やハート、鍵といった小さなモチーフが付けられたブレスレットが飾られている。豪華な指輪やブレスレット、髪飾りで着飾りたがる貴族令嬢が身に付けるデザインにしてはシンプルだが、無理に着飾ろうとしない純粋無垢なアンリが身に付けたら素敵だろうなとも素直に思う。
「とてもお似合いになると思いますよ」
「うん、とっても可愛い。でも…」
そう言って悩んでいるのは、おそらく値段を見たからだろう。ブレスレット横に置かれた木製の値札には金貨五枚と書かれている。
アンリがご主人様から受け取ったものを使えば簡単に買える値段だ。それでもきっと金貨五枚の価値を相当なものと考えているのだろう。
ふと、自分の所持金を思い出してみる。確かお使いを頼まれていたモノを差し引いたとしても、十分余裕があったはずだ。
「良ければ私からプレゼントしましょうか?」
「え?いいよ、そんな…」
「この一週間よく頑張っておられましたし、迷われているようなら」
「ううん、やっぱりちゃんと自分で買うよ」
アンリは眺めていたブレスレットを手に、真っ直ぐにレジの方まで歩いて行ってしまった。本当は今日、この外出中に何か良いものを見つけて、贈り物を差し上げようと思っていたが仕方ない。後で他のモノを考える事にしよう。
アンリが店主のお爺さんと会話していることを確認すると、新たに入店してきた老夫婦と入れ替わるように店の外に出た。
しばらくすると満面の笑みを浮かべたアンリも出てくる。
「気に入られる物が見つかって良かったですね」
「うん!」
アンリは嬉しそうに返事をすると、次はどこを見ようかとキョロキョロと辺りを見渡す。そしてその後もフレッドとアンリはいくつかの店舗をゆっくりと見て回った。
百貨店を出ると休憩がてら近くのコーヒー・ハウスに入る。ここのコーヒー・ハウスに入るのは初めてだが、天井が高く各テーブルの感覚はゆったりしていて、どの席の椅子も一人用の肘掛け椅子だ。比較的店舗も新しいのか店内は明るい印象で、特に若い方々で賑わっている。
空いていた席に向かい合うように腰掛けると正面の椅子に座るアンリは胸を躍らせるようにメニューを開く。
「注文は決まりましたか?」
「私はカフェオレにしようかな」
「分かりました。では注文してきますね」
「私も一緒に行こうか?」
「いえいえ、こちらで休んでいてください」
腰を上げカウンターに向かうとカフェオレとホットコーヒー、それからプリンも注文した。代金を支払うとすぐにトレーに乗せられた品物が渡される。
アンリの元へ戻り、カフェオレと共にプリンをアンリの前に置くと彼女はキョトンとした表情を向ける。
「プリンは苦手でしたか?」
「ううん。好きだけど、私にくれるの?」
「丁度甘い物が食べたくなる頃かと思いまして」
「フレッドは食べないの?」
「私はお腹が空いていないので」
「じゃあ遠慮無くもらうね?」
「えぇ、どうぞ」
「いただきます」
スプーンで掬ったプリンを口に運ぶと、アンリの頬はピンク色に染まり緩む。アンリは甘い物を食べるとき、本当にいい顔をする。見ている側が幸せな気持ちになるほど。
そんなアンリを見ていたフレッドもコーヒーを一口、口に含んでみる。香りは良く、風味も良い。無駄な苦みも出ていないし美味しい。
こんな風にのんびりしていて良いのだろうかと不安になってしまうほど、リラックスしている。この時間が驚くほど心地良い。
「そういえばアンリ様はクラブに入られるのですか?」
「クラブ?うーん、正直どうしようか迷ってるんだ」
「せっかくの機会ですし、何か興味があるところに入ってみるのも良いかもしれませんよ」
「確かに面白そうだけど、クラブに入ると今の友達以外と関わらないとダメだよね」
「そうですね、上級生や同級生も今まで関わった事のない方ばかりでしょうね」
「それが嫌なんだよね」
そう言うとアンリの表情が一瞬、曇ったような気がした。恐らく気のせいでは無いだろう。今までにもアンリからは過去に様々な経験をして、それに耐えてきたと思われる節の話は何となく聞いてきた。それに聞いている限りだと交友関係も少なかったらしい。
「…でもせっかくの機会だし考えてみるよ」
そう言ってアンリはすぐに笑顔に戻る。だがその笑顔が貼り付けられたモノだと言うことは見ていれば一目瞭然だ。が、それをわざわざここで指摘するのは違うだろう。
「でしたら、ご自分で作ってみるのはどうです?」
「作るって…クラブを?そんな事、出来るの?」
「出来ますよ。ソアラ様や仲の良い方を誘ってクラブとして成立させ、自分達の好きな活動をするんです」
「それなら友達として遊ぶのと一緒じゃない?」
「あ、確かに。ですがクラブを作ると活動部屋として学園内にある専用の部屋を一つ、貰えるそうですよ」
「へぇ、すごい。でも流石に私一人で決める事は出来ないし、明日みんなと話してみるよ」
「それが良いと思います」
そう言うと今度は作り笑いでは無く、心からの笑顔を浮かべた。
「もし本当にクラブを作ったとして、フレッドも一緒にクラブのメンバーになる事が出来れば良いのに」
アンリの顔に笑顔が戻ってきた事を安心していると、アンリは呟くようにそう言った。それが冗談で言っている事だと分かっていても、胸の辺りがギュッと締め付けられるような感覚がしてフレッドはアンリに何も言葉を返す事が出来なかった。
しばらく世間話をした後、コーヒー・ハウスを出たフレッドとアンリは今度はフレッドの買い物の用事でマーケットに向かっていた。本来、マーケットの様な場所にご令嬢であるアンリを連れていくのは場違いだと思われるかもしれないが、アンリ本人が行きたいと仰る以上断る理由もないし、どこかで一人待ってもらうのも忍びない。
マーケット内は基本的に貴族の方が来る場所ではない。来るのは貴族の屋敷で働く執事やメイド、そして労働者階級の人だ。だから自然と貴族のご令嬢であるアンリは周囲の視線を集めている。二度見する視線や訝しむ視線が向けられている。
だが、そんな視線に気がついていないのか、それとも気がついていながらも無視しているのか当の本人は特に気にする素振りを見せなかった。
様々な野菜や果物、ブロックのままで売られた肉や今朝水揚げされたばかりの魚が余程珍しかったのか、アンリは普段以上に周りをキョロキョロと見渡す。マーケット内を見ているだけなのに、どこか楽しそうだ。
「フレッドはここで何を買うの?」
「基本的にはシーズさんに頼まれている食材ですね。後は紅茶が無くなりそうだったので紅茶も」
「私も欲しいものがあるんだけど見ても良い?」
「えぇ、もちろんです」
ポケットに入れていたメモに書かれた野菜や魚を一通り見て回る。このメモは今朝、シーズから預かっていたものだ。一通り目的のモノをカゴに入れると、今度はアンリの欲しいと言うものを見に行く。お砂糖に小麦粉、バターなどを次々にカゴに入れていくが、一体何をする気なんだろうか。
「もし召し上がりたいモノがあるのなら、シーズさん達にお願いしますが…」
「ううん、自分で作りたいの」
「アンリ様がご自分の手でですか?」
「お菓子作りが好きなんだ。って言ってもルエやシーズさんみたいに上手に作れる訳じゃないんだけど…。二人に頼んだらキッチンを使わせてもらう事って出来るのかな」
「それなら大丈夫だと思いますよ。私の方からもお願いしておきますから」
「ありがとう」
***
帰りの民用馬車の車内は今朝と違って荷物で溢れていた。なんとかアンリの邪魔にならない場所に荷物を並べて御者にお屋敷までの道を伝える。
馬車は心なしか、今朝に比べてゆっくりと走っている気がする。
「そっち、座っても良い?」
そんな言葉に静かに頷くと、向き合って座っていたアンリが隣に腰掛けた。何も考えずに返事をしたが、まさか荷物が邪魔だったのだろうか。
「これ、あげる」
そんな心配をよそにアンリは膝の上に大切そうに置いていた小さな紙袋を探り、可愛らしいリボンの付いた水色の包みを差し出す。
「フレッドにプレゼント」
「そんな…、よろしいのですか?」
「うん!開けてみて?」
綺麗に包みを解き、小さな箱を開けるとピカピカと輝く懐中時計が顔を出す。彫刻が細かくオシャレな見た目でありながらコンパクトで使いやすそうだ。
「フレッドはいつも私を助けてくれたり、側で支えてくれるでしょう?だからそのお礼。…気に入らなかったかな?」
「気に入らないなんて、そんな。とても嬉しいです」
「ほんと?良かった!」
「でも一体いつの間に?」
「私がブレスレットを買ったお店、覚えてる?あそこでお会計してもらってる時にレジ横のショーケースに並んでたの。デザインが素敵で即決で買っちゃった。はぁー、バレてなくて良かった」
そう言うとアンリは嬉しそうに目尻を下げて笑う。
本当は今日、フレッドからアンリに何か贈り物をしようと決めていた。なのに結局、良いものを見つける事が出来なかった。それなのにまさかアンリから贈り物を貰うことになるなんて思いもしなかった。なにより自分のものを買う時はあんなにも迷っていたのに、人のためを想ってプレゼントを買う時は即決だなんて、アンリの優しい人柄が出ている。
「大切にします」
懐中時計を見つめたまま、そう告げるが返事は何も帰ってこない。不思議に思って横を見ると、それまで笑っていたアンリの目はウトウトとしていて瞼は重たそうだ。そんなアンリは眠気に逆らい、ゆっくりと口を開いて声を出そうとするが、急激な眠気には逆らえないのか何を言ってるのか聞き取れない。
「今はゆっくりと休んでください」
そう声を掛けると頑張って持ち上げようとしていた瞼を閉じてすぐ気持ち良さそうな寝息を立て始めた。
きっと昨夜の舞踏会だけでなく、約一週間前いきなり知らない地で目を覚まし、分からないなりに順応しようとする生活は普通以上に気を張っていた事だろう。おまけに本日の外出もはしゃいでいた様子だったから疲れが限界まで溜まってしまったのだろう。
馬車が揺れるたびにカクカクと揺れる白い首が危なっかしい。こんな事、執事としておこがましいと分かっていながらもフレッドはアンリの頭をゆっくりフレッドの肩へと置いた。
アンリは周りの方と違う。普通以上に他人に気を遣われているように見えるし、これまで色々な貴族の方を見て来たが、こんなにも分け隔てなく人と接する方は見たことがない。
この世界で目覚める前にいらっしゃった世界に階級制度は無いと仰っていたが、それでも上の立場になり敬われる存在になれば掌を返して権利を振りかざしてもおかしくない。使い方によっては、自分の思うままに人を動かす事だって出来るのだから。
それでもアンリはそのような素振りを絶対に見せない。むしろフレッドを始め、お屋敷で働いている人達に助言を求めながら仕事を手伝おうと動いてくれたりもする。
そんなアンリのおかげなのか、最近は前よりもお屋敷の雰囲気が良くなった。もちろん前々から旦那様や奥様が優しい方だから雇用体系は良いものだった。
それでも使用人達の間に仕事以外の会話や笑顔が生まれることは滅多に無かったし、最近雇用されたばかりのルエは人見知りや人間不信があったらしく、シーズ以外の人間と会話する事はほぼ無かった。それなのにアンリは知らず知らずの間に使用人達との関係を築き、ルエの心まで開いて見せた。
誰もそれが全てアンリのおかげだとは気がついていない。おそらくご本人でさえ、気がついていないだろう。
だからこそ、思ってしまう。もしかしたらいつかアンリは、何か大きな事を成し遂げてしまうのではないかと。




