肉はすぐそこまで
不可思議な商人とその仲間であるらしい忍の捜索の流れは、晴宮全土に広がっていった。人攫いの不審者に対する人々の警戒心は高まり、その事件数は少しずつ数を減らしている。
しかしながら、その不安が全土に広まりすぎてしまうのもまた問題で。
「人間の性は複雑に見えて、大きく見ると単純ですなぁ」
ゆらりゆらりと揺れる根無し草のような商人は、すっかり人気の無くなった夜の街を一人で歩く。
中心からは離れているので人が少ないのは承知の上だったが、ここまで人が見当たらないのは感服であった。
よく行き届いているのだろう。不審者への警告が。
「えぇ、いい流れです。それが国としてすべきこと、人としてすべきことでしょう。僕ぁ分かりかねますがね」
警戒のせいで、商品を売れる相手もいなくなってきた。当然成果も得られず、このままでは商人の利益は損失と釣り合わなくなる。
が、これだけ商人を宣伝した今、もう自分から飛び込み営業しなくとも、客は来るようになる。
「き、貴様っ!噂の商人か!」
暗闇の中、ボーッと立っていた商人の背後から威勢のいい声が飛んできた。
振り返るとそこには、刀の切っ先をこちらに向けて戦意を見せる侍が三人、商人を睨みつけていた。
鍛え上げられた肉体と鋭い眼光。油断せず、驕らず、されど自らの力に確固たる自信を持つ彼らは、刀を構えて商人と対峙する。
「貴様には人攫いの容疑がかかっている!大人しくついてきてもらおうか!」
「ふむ、僕ぁ大分やらかしたつもりですが、まだ容疑者なんですかね。もう犯人だと決めつけてもよいでしょうに、甘い人達だ」
三人の侍に囲まれようと、商人はけらけらと分からいながら彼らを挑発する。逃げる素振りも見せず、しかし何かしらの武器も持たぬ様子の彼へ、侍の一人が踏み込んだ。
「甘いのは貴様だ!一人で闊歩とは、我々を舐めすぎだ!」
鍛え上げられた剣士の一撃は、それなりの速度、それこそ商人は絶対に避けられないほどの速さで振り下ろされた。
その銀閃は商人の左肩から右脇腹までを鮮やかに両断せんと迫って───
「な……!?」
振り下ろされた刃は、既のところで商人の肩に触れることが出来なかった。刃が止まってしまったからだ。
ギリギリと音を立て、いくら力を込めても落ちない刃を見つめて気づく。
その刀には、捉えるのが困難なほど細い糸が巻きついていることに。
「僕がいつ、一人だと言いましたかねぇ?侍さん?」
暗闇の中からの増援に、商人は嗤う。糸がピンと張り、侍の命を零さぬ程度に肉を削ぐ神業が炸裂する。
目の前の侍達が痛みに悲鳴をあげ、得体の知れない恐怖に顔を歪める様を見て、商人は彼らを哀れんだ。
「そんなあなた方にとっておきの商品がございます。是非、お手に取ってみては?──あぁ、もう手は亡くされてしまいましたね」
商人は嗤う。血溜まりに伏し、恐怖に震える眼球の前で数珠を揺らしながら、商人はやってきたお客様を丁重にご案内する。
死を拒み、失敗から目を背け、自らを肯定するために周りの一切を否定した愚か者は、この商人の絶好のカモ。
そんな愚か者の手を、商人は引いてやるのだ。
「では二名様、地獄へご案内」
この日、調査に伺った侍三人のうち、一人の死体が見るも無惨な状態で見つかった。死体は一つだけだったが、そこにある血の痕跡は明らかに一人のものではなかった。
これを機に、不審者は人攫いから別の罪に手を染め始め、次第にその件数は人攫いを遥かに超え始める。
敵は、ゆっくりと着実に目的へと近づいていた。
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思い通りにならない現状に、灰呂は頭を悩ませていた。
警戒を強めれば強める程に、被害が増していってしまったのだ。
ただ変わったのは、被害者が一般人から侍に変わったということ。そして敵の残虐性が増したということだ。
人を攫う。これだけで十分すぎるほど大罪であるが、少なくとも目に見える死人は出してこなかった相手だ。
だが今は捕らえようとした侍を殺して回っているようだ。それに死体の数も合わないことから、瀕死にして攫っていると考えられる。
最悪だ。最悪の状況になり始めた。
あちらから明確な攻撃か始まり、危険も増した。たった一人の商人の噂のせいで、晴宮全土に不安が募り始めていた。
一刻も早く、この商人を見つけ出さなければ。
そう、誰もが思っていた時だった。
新たな問題が発生したのは。
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「えぇっ!?!?剣術会長期休暇!?!?」
その知らせを受け、暁は目が飛び出でるほどに驚愕し、絶望した。
毎日毎日、自分を鍛え上げてくれる師匠と高めあえる仲間達に囲まれ、成長の実感と友人との団欒が、暁は大好きになっていた。
それが突然、取り上げられてしまった。
「仕方ないんよ、暁。最近は物騒な事件が立て続けに起きとる。暁は強いけど一人じゃ危ないし、皆暁と同じくらい強いわけちゃうんよ。誰かを見捨てちゃいかんから、みーんな一緒に休みましょうって、鎌鼬さんが決めてくれたんやからな」
母である紅葉はそう優しく諭して暁を撫でた。膝の上で「むー……」と唸っている愛娘は不満気であるが、それでも理解はしてくれたようで、お気に入りの『爛丸』をしまってくれた。
娘から楽しみを無くしてしまうのは親として心苦しいが、何より優先すべきは暁の安全だ。事件を引き起こす連中が何を狙っているのか分からぬ以上、斬咲家は一層警戒しなければならない。
暁は、伝説から予言を受けた子。狙われたっておかしくはないのだ。
「気ぃつけなあかんよ、暁」
「はぁい」
紅葉の心配を他所に、暁は片手間にそう返事した。いくら周りが気にかけようとも、暁からすれば自分はただの六歳児。狙われる意味も、その肩にかけられた期待も理解はしているものの、その重圧を認識できずにいる。
だがそれでいい。少なくとも、周りを意識しすぎて自ら潰れるよりはよっぽどマシだ。
暁は暁らしく、堂々と生きていられればいい。そのためには、大人達が危機から守らなければ。
だがその役目は紅葉のものではない。適材適所というのは遵守すべきで、いるべきでない人がその場にいるのは良くないことだ。
紅葉の役目は、安全になるまで暁が暇にならないようにすること。
いい機会といってはなんだが、暁に勉学を仕込む絶好のチャンスだ。
「さぁ、どうしよっか」
いかにして暁に苦痛を与えず、斬咲家に必要な知識を与えようか。熟考する紅葉はロウソクに火を灯し、夜な夜な勉学の本を開いていた。
暁も寝鎮まり、灰呂は泊まり込みだが、この家には水蓮や輪廻、それに他の御家人達もいる。紅葉に何かあっても、暁が最優先で助けられるはずだ。
紅葉はその足枷になる自分は切り捨ててくれて構わないが、灰呂や輪廻がそれを許してはくれないだろう。
家族を信頼して、紅葉は紅葉が出来ることをする。そう、改めて胸中で誓った時だった。
「──ん?」
背後の襖の先に、気配を感じたのは。
「あ、ァァ……」
その掠れ声を聞いた瞬間に身を固め、全身を虫が這うような不快感に包まれた。振り返ることもせず、じっと押し黙っていた紅葉だったが、
「ガぁッ!」
掠れた声が明らかな敵意に染まったその時、瞬時に顔をあげ叫んだ。
「輪廻ッ、お願い!」
背後で襖が派手に破棄される音が響き、荒らしい足音がすぐそこまで迫ってきた。恐怖に紅葉が目を閉じたその時、
「承知しました」
確かな怒りを宿した凛とした声とともに、騒々しい足音はやがて悲鳴すら上げずに消失する。
ドタンと大きな音を立て、刺客らしき者はその場に倒れ伏した。
「輪廻……」
「えぇ、紅葉様。お怪我はありませんか」
落ち着いた表情で紅葉を受け入れてくれたのは、深夜であろうとすぐに駆けつけてくれる自慢の従者であった。手に持った短刀、『桜咲』はあまり血で汚れておらず、おそらくは一撃で葬ったのだろうと、紅葉が輪廻の背後に視線を向けた。
「な、なんや、これは……」
そこにいたのは、およそ人の形をしていなかった。
「申し訳ありませんが、私も分かりかねます。このような生き物は初めてで……」
様々な局面を見送ってきた輪廻でさえ、その死骸を見て顔を引き攣らせた。
それは端的に言うと、命をねじ込まれた肉の塊であった。
手や足のような突起物が見受けられ、その先端には大きさも形もバラバラな鉤爪がくっついていた。
頭と思しき部位は輪廻が斬り飛ばしたが、その切り口には今も鼓動を繰り返す心臓のような臓器が二つ入っていた。赤い皮膚は皮を剝いだ後のようで、筋繊維が丸見えの不格好な生き物の死骸を今も少し痙攣している。
畳がどんどん血で汚れていく様を眺めながらも、そのおぞましい姿を見て紅葉が呼吸を忘れそうになるほどだった。
「ま、魔獣……?でもこないな魔獣、見たことも聞いたこともないよ……」
「いえ、これはおそらく……人間です」
「に、人間……!?」
輪廻の言葉に信じられないと顔を跳ねさせる紅葉。輪廻は未だ顔を顰めながら、『分身』を作り出して死骸の片づけを始める。
まだ暖かい、むしろ普通よりも厚いと感じる死骸の体温。生き物を真似て作った禁忌の術に、輪廻は吐き気を催した。
「灰呂様に要相談ですね。この侵入は、私の『分身』を気づけなかった」
「そうやね……助けてくれてありがとう、輪廻」
「いえ、お気になさらず。これは私の仕事ですから」
輪廻はそそくさと死骸を回収し、血濡れた畳までも即座に交換してくれた。この夜はこの襲撃もあって、輪廻も久しぶりの徹夜体制で屋敷を見て回ったが、これ以降、襲撃が起こることはなかった。
紅葉は強い不安を抱く。輪廻ですら気づかぬ侵入方法などほぼないはず。おまけに紅葉の部屋は屋敷の内側のほう。ここまで来るのに輪廻の索敵を搔い潜るなど不可能に近い。
なにより、あの自我のなさそうな元人間らしい肉の塊が紅葉だけを狙ってきたことが一番の不安要素だ。
何者かが、明確な敵意を持って紅葉を狙っている。この日の事件から、紅葉は警戒を強め、屋敷の中であろうと警戒を緩めることができなくなった。




