行きたい場所
「はてさて、困りましたねぇ」
夕日が地平線に隠れて少しばかりした現在、夕景は大通りを残して殆どの光を失っていく。
地方から暗闇が広がり、やがて月が真上に来る頃には完全に暗闇に落ちる。その様を少し離れた山から眺めて、季節外れのローブを来た商人はため息をついた。
強い天然パーマのかかった銀髪を揺らし、ペットボトルに入った水を飲み干してため息を着く。
「どうしたってのさ、ため息なんかついちゃって。珍しくない?」
そんな商人を、暗闇から歩み出てきた女がからかってきた。商人は自分の仕草から見て、仕事が失敗に終わったことを悟られたことを悔やみながらも白状する。
「斬咲の子には、やはり断られてしまいました」
「ふーん、やっぱ無理か。あの血はアタシ達の天敵だし、一歩目が無理なのは割としゃーなしな感じがするけど」
女は黒い布で隠された顔、その目があるらしい位置を擦りながら商人の対面に座った。
「──それは?」
「今日勧誘した人ら。適合できなかったみたいで、犬みたいになっちゃった」
女が座っているのは椅子でも岩でもなく、一定のリズムで膨張しては収縮する肉の塊であった。
全身真っ赤で、少しでも引っ掻けば血が吹き出しそうな程に血管が浮き出たそれは、おおよそ人の原型を保っていない。
四足歩行のまま、苦しげに嗚咽を漏らす肉の塊を、女はなんの気兼ね無しに椅子替わりに使っている。
「はぁ。せっかくの顧客をぞんざいに扱ってはなりませんよ」
「知ーらね。ていうかどっちかって言ったら、アタシらが道具与えてやってんのにそれに見合った対価を払えそうにないこの人らのほうが問題ありでしょ」
女がバシバシと乱暴に肉の椅子を叩くと、いっそう苦しそうに肉は顔を上げて呻いた。
思っていた方とは違う方の肉の突起が持ち上がり、商人はそっちが頭なのかなんて呑気に考えながらペットボトルを懐にしまう。
「それはそうと、お目当ての物を回収することが出来ました」
「おぉ!本当に!?見せて見せて」
商人の言葉に興奮したように反応した女がまたも椅子をバシバシと叩く。その暴力性に苦笑しつつ、商人は女の背後を指し示して、
「そこにいらっしゃいますよ」
「え?」
素っ頓狂な声をあげて女が振り返ると、そこには下顎を失った白髪の青年が立っていた。虚ろな瞳でぼんやりとこちらを眺める青年は、一言も喋ることなく女を見つめている。
女は椅子から降りて青年の顔を覗き込み、それから虚空に向かって右手をひらりと動かしてみせた。
直後、青年が左手の指を一本立ち上げると、女と青年の周りに細く硬い糸がピンと張ってギリギリと音を立て始めた。
「うわ、本当にこの人なんだ。姿初めて見た」
「探すのには苦労しましたよ。僕ぁ霊媒師じゃないんでね」
「同じようなもんでしょ」
女が感心するその青年は生きていない。所謂屍というやつだが、その動きは生きている頃と遜色ないほどだ。
本人の意思関係なく、死後無理やりその成果を利用するというのは不誠実極まりないが、それも死んだ本人が文句を言わないのだから仕方がない。
「死人に口なし。そういうことにしましょう」
「それって多分、こういう場面で使う言葉じゃない気がする」
女はまた椅子に座り、まじまじと青年を見つめている。普段は何に対しても興味をあまり持たない仲間がこれだけ関心惹かれるのなら、苦労した甲斐もあったというもの。
この手札があれば、目的遂行に大分近づける。
「それでは、後は火種を撒き散らしましょうか」
「了解。呪印の準備はよろしくね」
「えぇ。そちらも、手札の用意は入念に」
「大丈夫大丈夫。クトゥルーが用意してくれるからさ」
闇の中で行われた日陰者の会合。それは太陽によって退けられる影のように、ひっそりと終了した。
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とある日の夕方、暁の家へ帰る途中、暁と白狼は世間話をしていた。
「白狼は、晴宮の外へ行ったことはあるでござるか?」
「ねぇよ。俺ァこの場所で生まれて、墓ができるまでここにいるだろうなァ」
「そうでござるかぁ。拙者、父様から外の国の話を聞いて羨ましくなったでござる。知ってござるか?エレスト王国という国には『勇者』やら『剣聖』やらがいて、セシンドグロス共和国には『鋼鉄』の異名を持つ戦士がいて、ルヴァイブ帝国には『竜剣王』がいて、聖樹大国には『大魔道師』がいるんでござる!」
「てめぇ、物知りだなァ。んで?そいつらがどうしたよ」
「戦ってみたいんでござる!異名もかっこいいし、きっとすごく強いでござるよ!」
「はッ、そりゃそうだろうよ。なんせ今、人類は史上最強の戦力を持ってるって話だぜ。世界規模でな」
遥か昔、『魔王』が封印された瞬間を最大値として、人類の強さの水準を見てみると、現代は最大値へ最も近い時代とされている。固有の能力である『勇者』や『剣聖』、『剣王』は、終焉期以降初めての登場だし、魔術も発展して戦士個人の能力値は増している。
その代わり、最近は魔獣の活発化が問題になっており、『勇者』の再来に伴って『魔王』の復活が噂されている。
人類は今、その『魔王』が再び魔界から姿を現す前に力を蓄える必要があるのだ。
世界にある五大国家はそれぞれ戦力を積み上げている。
エレスト王国には『勇者』、『剣聖』、『聖女』が。
セシンドグロス共和国には『鋼鉄』の戦士と『白黒』の騎士が。
ルヴァイブ帝国には竜撃隊と『竜剣王』が。
聖樹大国には魔術連盟と『大魔導師』が。
「では晴宮には何がいるでござろう?」
「あァ?何言ってんだてめぇ」
白狼は暁を指さして、
「てめぇがいるだろうが」
「拙者でござるか?」
「自覚なさすぎだろ。てめぇはいずれ将軍にはなる侍だぞ?『妖狐』と呼ばれる帝とてめぇが、晴宮の最高戦力だろうが」
今は灰呂が将軍だが、実は灰呂は歴代の将軍の中でも最弱と言われている。
斬咲赫羅を筆頭に、斬咲家は代々、その時代の最強の侍を産んできた。しかしながら、灰呂は時代にそぐわぬ凡才を持って生まれてきた。
彼は身近な者しか知らない努力を積み重ねてあの地位に立っている。それは果てしない道で、灰呂も十分な実力者なのだが、歴代と比べると見劣りする。
そんな中、伝説の英雄、赫羅が言い残した予言の子が、この世に生まれ落ちた。
「それが、てめぇだ。この国の連中、特にジジババはてめぇに鬼ほど期待してやがる。知ってっか?てめぇがどれだけ、愛国家から崇拝されてるか」
第十四代目当主、予定の暁は、世界で出遅れた晴宮の希望の星。その実力もさることながら、暁は多大なる期待も背負っているわけだ。
「んー……考えたこともなかったでござる」
「そりゃあれだな、てめぇの世話係が優秀なんだ」
白狼は「大層なこった」と呆れて暁の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「てめぇが晴宮最強になるまで、俺が最強でいてやるよ」
「うーん……そうでござるな。父様が将軍を降りた時、白狼がそこにいるなら安心でござるな!」
「──そうかよォ」
暁の頭を乱暴に手放し、白狼は笑った。暁も同じように笑った。
「白狼は?行きたいと思う場所はないでござるか?」
「行きてぇ場所かァ……」
少し考えたあと、白狼は自らの胸に手を当てた。
その思考時間は思ったより長く、白狼にしては珍しいと暁が首を傾げた時、白狼は喧騒まみれの大通りを眺めて、
「静かな場所に、行きてぇなァ……」
白狼らしくない答えに、暁は白狼の横顔を見つめた。
一瞬、ほんの一瞬だけ、白狼の顔が憂いに沈んだのが見えたような気がした。




