割り込む異常
その日も変わらぬ一日を終え、暁は剣術会の門から家へと向かっていた。
「ンだよ、今日はお一人か?」
「水蓮は本日から親族の元へ帰省するようでござるから、一週間ほどは一人で帰るでござるよ」
「別にてめぇなら一人でくりゃいいだろってー思ったが、そういやてめぇまだ六歳だったなァ」
実力と肝っ玉のせいで忘れがちだが、暁は見た目通りの幼女だ。白狼と並ぶ実力を有している暁が誰かに負けることはそうそうないだろうが、忍云々がいる世界だ。油断はできない。
「ついて行ってやろォか?」
「む、別に必要ないでござるよ。拙者は一人で帰れるでござる」
「不審者に会ったらどうするよ」
「先ず、名乗って構えを……」
「不正解だ。ほら家まで案外しろや」
「んなぁぁーー!?」
暁も自分の実力に自信があるのか、年齢通りの幼女の反応をしてくれない。名の知れた暁を狙う刺客がいたっておかしくはないのだ。ここは人生の先輩である白狼が着いていくべきだろう。
そう胸中で完結させた白狼は暁の頭をわしゃわしゃと撫で回して道を案内させる。
「白狼の門限はどうするでござるか?」
「あァ?門限なんざあるわきゃねェだろ。俺ァ十二だぞ」
「拙者と六歳しか変わらないじゃないでござるか!」
「こちとらてめぇの二倍生きてんだよ」
筋肉と気迫のせいか、白狼は実際より年上に見られがちだ。溢れ出す自身と実力を隠すこともしないので、ある程度の人間は白狼に勝負を挑むということはしない。
いれば安心な護衛少年ということで、白狼はこの日暁の帰宅に付き添うこととなった。
「拙者だって一人で帰ることくらい造作もないでござるのに……」
「まァだ言ってんのかよ、これは俺からの愛ってことで受け取っとけやァ」
「むー……いつかお返し申す」
「いらねェよ。無償の愛ってやつだァ」
白狼はそう言うと暁から目を背けた。夕焼けに照らされる彼のいつものニヤケ面が自嘲気味だったのは、暁の気のせいだろうか。
暁の家がある場所まで小一時間。その間、暁は護衛の身でありながら暁より大分速く歩く白狼に必死に食らいつきながら話しかけていた。
修行中は白狼がちょっかいを出してくるから、白狼に質問されることが多かったが、こうして修行から離れた場面で話すのは初めてなので、暁が質問攻めしている。
「白狼は、どうしてそんなに強いんでござるか?」
「てめぇ、煽りかァ?」
「?」
「冗句だ。てめぇがそういうことをしないのも、言わんとしてることもわーってる」
要はなぜ白狼が自分と同じ土俵にいられるのか、暁は知りたいのだ。暁は他人よりも自分が強いことも、そしてその強さには血筋が大きく関わっていることも分かっている。
身近にいる人間があの将軍だからか、暁のレベルに到達するには埒外の努力か才能がなければ説明ができない。
故に不思議なのだ。自分と同じ土俵に、齢十二の少年が堂々と立っていることが。
「一体どんな修行をしてござるか?」
「てめぇも見てんじゃねぇか。師範とやってる剣術の修行だよ」
「それだけではないでござるよね?白狼は家に帰ってから、何やら特殊な修練を積んでいると見るでござる」
「へぇ、その根拠は?」
「毎朝出会う度、白狼の動きに違いがあるでござる。腕を庇うようにしたり、太ももを気にした足運びなど、注視すればいくらでも違和感は募るでござる」
「……てめぇは、案外目ざとい野郎だなァ」
勉学はからっきしの癖に変に勘が鋭い暁は、白狼の隠し事を見事見抜いてみせた。
白狼は困ったように髪をかきあげ、しばし考えてから話を切り出した。
「てめぇんことにもいるだろ、忍の姐さんがよ」
「輪廻のことでござるか?」
「凄腕の元忍って話だが、その元同僚だったらしい忍の師匠が家にいてな。毎日しごきまわされてんだよ」
「忍の鍛錬……それが、白狼の強さの理由?」
「さぁなァ」
ここでそうだと言いきれないのは、白狼と暁が侍であるからだ。
「察してるとは思うが、俺ァ師匠から忍としての訓練を受けてる。結果的に活きてはいるが、少なくとも侍が身につける術じゃねぇ」
白狼の肉体の使い方は、師匠から教えられた身運びに忠実だ。前にも述べたが、忍の鍛錬は素質ある者でなければ耐え切る事が出来ない。想像を絶する厳しさはこの世界の鍛錬の中でも随一だ。
侍の修練との食い違いも起こりうるため、並行して学ぶのは決して正解とは言えないが、
「俺ァ強くなれる可能性があるならなんだってやる。それが正解か間違いかなんて、時と場合によって変わりやがんだ。備えあって憂いなしとも言いやがるしなァ」
白狼の強さは彼のその信条が起因している。普通の強さから逸脱したいのならば、積む経験も埒外でなくては辻褄が合わない。
血筋や才能ではなく、狂気的な研鑽によって辿り着いたのが今の土俵だ。暁と並ぶまで、白狼はどれほどの努力を詰んだのだろうか。
「……忍の、鍛錬」
「真似しやがんのは勝手だが、てめぇに合うかどうかは知らねぇからなァ?」
「もちろん、心得てござる。しかしそう言われた手前、拙者も気になって仕方がないんでござるよ」
「まァ、俺が始めたのがちょうどてめぇくらいの歳だったかもなァ。案外、適合するんじゃねぇか?」
「百考の余地あり、でござるな!」
「やる気しかねぇなァ、それでこそてめぇだ、暁」
胸下らへんではしゃぎ回る後輩の頭を撫で回し、白狼は満足そうに笑っている。
「てめぇが俺と同じような術を使うなら歓迎だァ。精々、泥臭くやりやがれ」
そう言う白狼の笑みに、先程のような自嘲の雰囲気はなかった。もしかしたらそれは、強者ゆえの孤独からの解放を人知れず体験していたのかもしれない。少なくとも暁はそう感じ取った。
「拙者も白狼のように、強さのために精進するでござる!」
「んで、てめぇはどうするんだ?」
「拙者は将軍になるでござる!父様に代わり、この晴宮を守る最強の侍に!」
「はッ!いいじゃねェか。てめぇなら文句ねェ」
暁の大宣言に、白狼は笑いながら太鼓判を押す。暁なら成れる。そしていずれ、あの予言のように伝説と語り継がれる侍に、この幼女ならばきっと──
「とても良い心意気ですねぇ。僕ぁ感心しましたよ」
そんな時、突如として第三者の声が二人の会話に割って入った。
背後からかけられた聞きなれぬ声に二人が振り返ると、そこには珍妙な格好をした旅人がいた。
つばの大きな帽子を深く被り、心配になるくらいに色白の肌、夏だと言うのに全身を覆うくらい大きくて分厚いローブを羽織ったその男は、白狼と暁を覗き込むように見下ろしていた。
「ンだよおっさん、俺らに用でもあんのかよォ?」
「そうですねぇ、時にあなた方、差し支えなければ僕の推測を聞いて頂きたいのですが……今から更にお強くなりたいと?」
何やら奇妙な雰囲気の旅人だ。白狼でなくとも警戒する不審な人物に、白狼は暁を庇うように前に一歩踏み出した。
「だったら、なんだってんだァ?」
「いえ、僕ぁ、あなた方のような人を探して物を売っているんですよ。どうぞ、こちらがサンプルです」
旅人に見えるその男は商人を名乗り、懐から一つの数珠を取り出した。彼はそれを白狼の目の前に掲げ、手に取らせようとしてくる。
だが白狼はその数珠を掴むようなことはしない。それは、背後にいる暁も同じだ。
二人して、この男と周囲の違和感に気づいている。
「白狼、周りの人が」
「あァ……さっきまでまぁまぁな人数がいたはずなんだがなァ」
大通りから外れているとはいえ、住宅街に続くこの道をこの時間に通る人は少なくない。実際、先程二人が喋りながら歩いている間にも帰路に着く人々はいた。
それが今は一人もいない──というよりも、
「見えねェ……ぼやけて認識ができねェ」
「ここだけが切り取られているような、不可思議な空間でござる」
夢で上手く走れないように、金縛りで解除に手間取るように、そこにある物を認識しようとするのに、体がそれを拒否している。
それは二人に起こった生理的な事象ではなく、何らかの攻撃だ。
白狼はもう一度目の前の男を睨め付ける。数珠を揺らす商人は、怪しげな笑みを浮かべて首を傾げた。
「どうなさいました?こちらのサンプルをお手に取って頂きたい。直ぐにその効能を理解していただけるかと」
「お生憎と、口うるさい親から知らねぇ大人の言うことは聞くもんじゃねぇって躾られてるもんでなァ」
話を聞き流しながら白狼は思案する。
この商人は只人ではない。おそらく、晴宮の人間でもない。
珍妙な格好もさることながら、『さんぷる』などの意味不明な言葉を用いる商人は明らかな不審者だ。
加えて、外界との関係を擬似的に遮断するこの術。商人が商談のために客を異空間に閉じ込めるなんて聞いたこともない。
「てめぇ、何が目的だ。俺らが誰だか知っててやってやがんのかァ?」
「さぁ?僕ぁ俗世の話題に疎くて、申し訳ない。あなた方が誰なのか、どこで生まれたのか、何をしているのか、何を期待されているのか、何もかも知りはしません。ただ一つ言えることは、あなた方は選ばれた」
商人の意味不明な話の内容は置いておいて、どうやら白狼と暁を拘束して身代金の要求、というわけではないらしい。
斬咲家と波門家を敵に回すとは中々度胸ある悪党だが、この不可思議な術を持つなら可能かもしれない。しかしその可能性を、商人は自ら否定した。
「僕ぁただ、顧客が満足するように務める熱心な商人であります。さぁ、こちらのサンプルをどうぞ。きっと気に入られると思いますよ。あなた方はこのサンプルによって、更に強くなれる」
「はッ、だとよ暁。てめぇはどうする?この意味わかんねェ道具に頼って強くなるか?」
白狼は商人の言葉を鼻で笑い、振り返って暁へそう問うた。暁は白狼の隣に立つように一歩踏み出し、商人が差し出す数珠なるものを見上げた。
商人は暁に渡しやすいように手の高さを下げた。しかし、暁はそれを受け取ることなく、背中にこさえた木刀、『爛丸』を取り出して数珠を弾き飛ばした。
「僭越ながら、拙者は自ら歩んだ道以外信じられぬ質にござる。道具に頼ることを否定はしないでござるが、少なくとも拙者がその道を辿ることはないでござる」
気持ちいいくらいに言い放つ暁に、商人は商品を弾かれた手をヒラヒラと揺らしながら苦笑した。
「おやおや、それは失礼いたしました。あなたには合わなかったようですね。何度も申し訳ありませんが、白髪のあなたは?」
「悪ぃが右に同じくだ。俺も自分の努力しか信じられねェ」
「ふむふむ、それは大変な失礼を。では、これ以上は無用な時間、不必要な接触であります故、僕ぁこの辺で」
商人は帽子を深く被り直し、ひらりとローブを翻した。
「僕の商品にご興味が湧かれましたらいつでもお呼びください。どのようなご要望も叶えてみせましょう。ですがその時は、対価をお忘れなきよう」
視界をローブで隠され、思わず目を閉じた暁。そして次に目を開けた時、そこに商人の姿はなかった。
「……人が」
「あァ、やっぱり人間はいやがる。妖術か、魔術か……何かしら、少なくとも物理じゃねぇ類の術だったみてェだ」
いつもと変わらぬ夕暮れ、いつもと変わらぬ人々の笑顔と他愛のない会話。静謐なる騒々しさが、いつものようにそこにあった。
「なんだったんでござるか」
「さぁな。だがまァ、これでわーったろ」
白狼は暁の頭に手を置いた。
「幼女一人で帰すわけにゃいかねぇってなァ」
「むぅ。しかし今のは拙者は全くもって、道具を手にする気はなかったでござる!」
「手にするしないじゃなく、あァいう類の連中がいる時点で問題なんだよ。黙って俺に守られやがれ、斬咲のお嬢様?」
「んぁーー!!その呼び方は腹が立つでござる!!」
年相応に可愛らしく反抗する暁の頭を抑え、白狼はケラケラと笑っている。その微笑ましい様子を、周りの人々が穏やかに見守ってくれている。
穏やかな日々に割り込んだ、不可思議な異常。今は何ももたらさなかったが、これからどうなるかは分からない。
「──師匠に、要相談だな」
そう危惧した白狼は暁から隠した物を懐に入れる。それは、暁が弾いた時に即座に取り上げた『さんぷる』だ。
触っても今のところ問題なし。しかしあの怪しげな商人が、ただの精神安定剤として数珠を売りつける気がしない。
その危機感が吉と出るか凶と出るかは分からないが、とにかくこの日、白狼は暁を無事家まで送り届けたのだった。




