少女の葛藤
思わず、机に肘をついて考え込んでしまった。僕のこれまでは、たった一本の道をゴールに向けて進むだけだ。
その後のことなんて、考えてもなかった。
兄貴は、史上最年少で聖騎士になった天才だ。僕が勝てるとはそもそも思ってない。
そうだ……僕が逃げてたのは、兄貴からでも、ステータス異常からでもない。
「……そうだね、それはこれから探していくよ。とにかく、僕らは助けを求めないといい加減まずい。このまま行けば、強敵に殺されるのが速いか、どこかのパーティーと組むのが速いか分かった物じゃない」
「そうやんねえ……って言っても、私もゼルも田舎から出てきたけえ、知り合いも居らんし」
「せめて、師匠の伝手でもあればよかったけど、こんなことで連絡するのも――」
ふとカウンターに目を向けると、名家の少女にして天才的デュエリスト、フィオンの姿があった。
久しぶりに見た彼女は、どこか……焦っているように見えた。いつも自信ありげで苛烈で合理的な彼女の表情が曇るのは、初対面の時以来だな。
「フィオンちゃん? どうしたん? こんなところで」
「まったくだ。ギルドよりも、アカデミーの方がサポートは良いはずだよ」
「あんたたち……探究者になったの?」
「まあね。座ってよ、今ちょうど、ネミュのレベル3お祝いをしていたところなんだ」
照れるネミュと変わって、フィオンは眉を吊り上げ、不機嫌さに磨きをかけた。
らしくない。いつも不機嫌ではあったが、成功は一緒になって喜ぶくらいの愛想はあった。
「……んでよ」
「え?」
「何であんたがレベル3で、私がまだ2なのよ」
「ど、どしたん? フィオンちゃ――」
「あんたみたいな田舎者が、私よりも上にいるのはなんでなの! あんたが私より、何が勝ってるって言うの!」
フィオンの腕を引き寄せ、テーブル傍で唇の前に人差し指を置いた。
「それ以上は僕が許さない」
「あんたも、あんたよ! レベル1のまま、馬鹿みたいなステータスで! アカデミーにも落ちて! 何であんたの方が評価されてんのよ! 私は……私なんか……なんで……」
悲痛に顔を歪め、テーブルを叩く。喧騒の中、鈍い音は掻き消されたが、騒ぎ立てるフィオンにどうしたって視線が集中する。
アカデミーでの数か月、一体、彼女に何が起きたっていうんだ。
「どいつもこいつも……私を、馬鹿にして……」
「してないよ。何があったか話してくれないか?」
「うるさい! 表に出なさい! あんたより、私が上だって照明してやる!」
暖簾に腕押しとはこのことだ。
それに、どこか見覚えがある。いや……見覚えがあって当たり前だ。フィオンはまるで、兄貴を殺すためにうろついていた頃の僕に、そっくりだ。
あの時僕は師匠に出会った。師匠に出会わなければ、僕は彼女のと同じだった。
師匠のようになれるとは言わないけど、師匠言われたことがある。誰かに教える時に言葉にできるよう、今、伝えているんだって。
ごめんなさい、師匠。僕にそれは無理だ。だからせめて――
「全力を以って、お相手するよ」
ギルドを出て、近いところにある広場へ向かった。良くここで野良試合や賭け試合をやってる。全く探究者は血の気の多い人が多い。僕も人の子とは言えないけど。
「ルールは」
「死んだら負けよ」
「乱暴だな。冷静になって――」
目の前。大剣を斜め下から振り上げる。アジリティとパワーが相まって、片手直剣程度の剣速はある。
物理的な威圧感を避けても風圧が目の端を掠めて視界が鈍る。
「全力だって、言った!」
「それは、申し訳ない!」
大ぶりの隙を狙う。真っすぐ突っ込んで懐に飛び込む。
剣の剣先は僕の想像をはるかに超える速度で地面に向き、突き刺さった。カウンター。
フィオンの戦術は二パターン。
大ぶりで一撃必殺の攻撃を確実に叩きこむ必勝パターン。
大ぶりの隙を狙う相手に多彩なカウンターを仕掛け、逆に崩して反抗にでるパターン。
僕の攻撃は大剣の表面を擦って、軌道が地面に向かう。
本来なら抜いて斬るところを、フィオンは抜きながら地面を抉って斬りつけてくる。
バカみたいな戦術も、彼女の恵まれたステータスなら可能になる。
首を逸らして躱しつつ、体を捻って逆に顔を蹴り上げる。
首に当たると同時に、フィオンは僕の足を掴んでそのまま地面に叩きつけた。
「軽いのよ……あんたの攻撃も、あんたの体も!」
「頭、冷めたよ」
鼻血を親指で止めて、今一度、敵の姿を見つめた。
相手は格上。かと言って僕を舐めて隙を見せるなんて穴はない。
さすがは名門、グレンローゼス家のお嬢様。全方位、全体面補える戦闘スタイル。
だったら、選択肢をひとつにしてやろう。
フィオンが動くよりも先に動いて攻撃に仕掛ける。
先手を取らせず、フィオンに反撃の一択だけを押し付けるんだ。
「私相手にパワー勝負? そんなヘボステータスで!」
「そうさ、僕は弱いから、技術を学んだ」
防具と大剣の間に掌底を差し込み、体術に移行される前にすぐに距離を取る。
呼吸を一方的に整えて、良き次の瞬間、前に飛び出す。
「ちっ、小賢しいわね」
「賢しく行かせてもらうよ。グレンローゼス家のご令嬢の前だ、敬意を表するよ」
「……私を、その名前で呼ぶな!」
大ぶり。強烈な一撃は風圧だけで僕を吹き飛ばさせた。
ああ、嫌になる。才能って言うのは、人の技術を一瞬で凌駕してくる。
空中に富んだ僕の腹に、痛烈な拳が叩きこまれた。
手で受けてなければ、腹に風穴があいていたかもしれない。
「どうして、呼んでほしくない。立派な家じゃないか」
「家はね」
追撃。膝が飛んでくる。片手で軽く押さえて、吹き飛ばされる瞬間に跳んで威力を殺す。
「君もその一員だろう」
「違う! 私は……みんなとは違う、出来損ない……出来損ないなのよ!」
剣を放り投げてくる。
馬鹿みたいな初速。躱した先の地面が簡単に抉れた。
「出来損ないだって? そんなに恵まれてて――」
「グレンローゼス家は代々、聖騎士を輩出してきた家系。なのに本家はもう何代も聖騎士になれず、分家がなった。私は本家の生まれなのに、生まれた時のステータス時点で、見限られた」
悲痛な叫びに、思うところはあった。
そう。聖騎士を僕が夢見なかった理由はただひとつ。兄貴と、圧倒的にステータスの差があったんだ。英雄は、生まれた時から、特別だった。
その絶望を、僕は知っているよ、フィオン。
「親も私を見放した。お前は好きなことをやれって!」
「それはちが――」
「それに! あの女……アヴィリア・フロージス。私はあの女に、10年前に戦って、負けた!」
「10って……まだ幼い頃だし、アヴィと知り合いだったの?」
「私は剣の師範に稽古をつけてもらっていて、あいつはただの一般人。負けるはずないと思ってた。あいつは私に勝った後、たった一言だけ言った。こんなんじゃ、なれないって!」
アヴィと会ってたっていうなら、一つおかしなことがある。アヴィはまるで、フィオンと初対面みたいな態度だった。
ああそう言えば、最初に会った時、フィオンだけ一方的に知っているようだったけど……確かに、僕も10年前の記憶なんてほとんどない。忘れて当然だ。
「私より才能に恵まれたあいつも、親と同じで、私が聖騎士に成れないって、そう思ってる! だから、私のことなんてすっかり忘れてた!」
「いやまあ、どうだろ。そう言うの覚えてない感じじゃないの?」
「黙りなさい! どいつもこいつも、才能才能って!」
ああそうか……僕がどうしても彼女に怒りを覚えることができない理由は、これか。
フィオンもこっち側なんだ。才能に振り回されて、苦しんで。
「私はあんたにも、あの女にも、全員に勝って、私の強さを証明する!」
「だったら君は、まず自覚しないといけないことがある。見えてない物を、見ないと」
「……あんたも、アインと同じことを……言って!」




