死にかけた修行と誰かの家族
「私はアジリティしかなかった。私がアカデミーに入り、卒業して騎士になる頃、パワーとディフェンスとはお前と大差なかった。マジックに関してはお前より低い。呪った。私は速いだけで戦場に出れば一撃食らうだけで戦線を離脱するゴミクズのお荷物だ」
アジリティ1300という、恐らく人類最速の才能を得ていながら、他のステータスに恵まれなかった。
たったそれだけで、本来彼女が見るはずだった景色は、あまりに高い壁に、閉ざされていた。
エレアさんの表情はいつものように不機嫌で、いつもと何も変わらない。自分の運命を受け入れ、悲嘆を感じさせない表情だった。
「何度、仲間を見捨てたか。速さしかない私がそれでも前線にいれた理由はただひとつ。仲間を全滅させるほどの敵が現れた時、最速で離脱して報告、そして増援を呼ぶこと。私は走りながら神に祈った。どうか、間に合ってくれと。だが、助けられた命より、失った命の方が多くなった」
煙草を口から外して、空に煙を吐いた。
「私はアカデミーで教官職に就くことになった。前線から、外されたんだ」
「どうして……」
「天才が現れた。全てのステータスが900を前後の天才。卓越した式力と恵まれたステータスで、奴は帝国ナンバー2の騎士になった。聖騎士を固辞し、前線で仲間を守り、鼓舞する……私がなりたかった姿を体現した」
「……悔しくなかったんですか?」
「悔しかったが、どうでもよくなった」
「それは、何故ですか」
「旦那に出会った。教官職に就いて、私はマジックがゼロだ。身体強化について教えることが出来ず、当時から呪具やマジックの教授をしていたアーランドと組むことになった。ただ、穏やかで優しい奴が私は嫌いだった」
「いや、どうしてですか」
「私の中の闇を、照らすには十分、眩しかった。私は奴を避けた。だが、奴は朝の挨拶、昼飯、終わって飯に誘って来た」
「ぞっこんですね」
「一目惚れだったらしい。告白されて、8回断ったが9回目に私は折れた。そこまで気合を入れて断り続ける程根性がなかった。しばらくして、私はアカデミーを去った」
「去った?」
「息子が生まれた。息子が生まれた時、私は恐れていた」
「恐れ、ですか?」
「私のステータスを引き継いでしまえば、私と同じ人生を、苦労を掛けると。そんなとき、アーランドは私に言ったよ。ステータスという個性ごと僕は君を愛した。息子のステータスが偏った物であっても、僕らが育み、教えればいい。それは素敵な個性なんだって。初めて許された気がして、私はようやく、愛情というものに気付けた」
煙草を捨てて踏みつけ火を消す。
エレアさんは選んだんだ。壁から逃げる方ではなく、誰かと一緒に、壁を超える新しい自分を。弱さを認めて自分を許すなんてこと、ふつう怖くてできない。
アーランドさんと出会って、エレアさんはようやく、自分を許して誰かを愛した。
話を聞き終わった僕の目の前に、兄貴の影が見えた。まるで、下らない戯言だと、言うかのように、あざ笑うかのように。
「お前は私に似ている。同じ理由で、そうだな、お前の兄弟子に当たる弟子を取った。お前は奴にも似ている。私はな、アーランドに救われた。だから誰か一人を救うのが道理だ」
「兄弟子の方を、救ったのでは?」
エレアさんは大きな溜息を吐いて、空を見上げた。
「奴は私の奥義を取得する前に消えてしまったよ。私はあいつの本当を、結局最後まで見つけ出すことが出来なかった」
「……僕は兄を殺せますか?」
「安心しろ。お前はいずれ別の目標を見つける。そうなった時に目標を叶える力を着けてやる。だが、死ぬぞ。大前のステータス値は恐らく全人類最弱だ。見たことがない。その上、レベルも上がらないとなると、正直通常の特訓も地獄だ」
「構いません。兄貴に目玉を突き刺された時から、僕はもう、死にました」
「……お前を本当に殺そう。来い」
特訓の日々が、始まった。
まずは基礎ステータスを限界まで上げる。さすがに元アカデミーの教官。そして自分自身がステータスを上げるための努力を怠らなかったエレアさんの教えは的確だった。
打ち込み千回。筋トレ。走り込み。殴られ蹴られ、叩かれる。総合的にボコボコにされながら、僕のステータスはみるみる上がっていった。
数週間で、ステータスはオール7になって、この時点で上がらなくなった以上、限界値。
次に行われたのは、死地でパニックにならないようになる訓練。
「ゴブリンの野営地だ。探究者にはD~S級のランクがあるが、Bフルパ―ティーでもク近寄らない。お前をここに放り込む」
「死にます」
「安心しろ。両腕を失えば助けてやる」
ぶん殴られてゴブリンの群れに落とされた。生きて帰れたら、僕は師匠を殺す。
「この沼には沼の主がいる。見た奴はいない。見た奴は全員死んだらしい」
「いや、この前のゴブリンよりきついですって」
「助けただろ」
「腕二本と右足と右目が無くなりました。しかもあなたヒール使えないから家まで何度殺してくれと言ったか」
「お陰で感覚は鋭敏なはずだ。行け。池の主は一噛みで肉を磨り潰す」
ぶん殴られて沼に落とされた。粘性が高く、動けない間に僕は下半身を失った。
「モンスター解体は弱点を覚える上で効果的だ。そこは気をつけろ、うんこ塗れになる」
「……塗れて言うの、やめてくれませんか?」
地獄みたいな日々が数週間、数か月と続いて行った。どれもこれも、一人じゃまずクリアできない。出来たとしても、助けがいなければ僕は基本的に死んでいる。即死の遅延しか出来やしない。
「いい加減にしてください!」
「ゼル君。ジッとして。ヒールも万能じゃない。死んでしまうと蘇生なんてできない。今、君の内臓はぐちゃぐちゃで、暴れてヒールが滞ると死ぬよ」
「アーランドさん! なんでこの人と結婚したんですか! 今日なんて回避先に回ってボクを殴ってリザードマンに刻ませたんですよ!?」
「一目惚れだよ。ほら、動くから胃の形が正八面体になった。治すからジッとして」
「リザードマンは割と殺気が読みやすい。濃密な殺気の中に私のような殺気のない状態で近づけば不意打ちどころか打たれたことも気づかなかったろ?」
「口頭説明で充分でしょう!」
「お前は馬鹿な感覚派だ。私のように弟子を取った時、説明できなければ教える意味もない」
「エレア。やりすぎな部分もある。前の子のように――」
「あれは奴が未熟だっただけだ。現に奴は途中で逃げ出した。ゼルは……普通だ」
「この……1on1しましょう! 日頃の恨みを晴らしてやりますよ!」
「暴れないで。肺が左右で形が変わった」
「さっきからアーランドさんは何してるんですか!」
「治療だ。まさかスライムロードとタイマンするとは……二人とも、死にたがりの治療をするほど、私は優しくはないよ。まったく、君たちはそっくりだ。全力をはき違えている」
「私に惚れたお前の負けだ。さっさと治せ。次の治療が――」
「マーマ、パーパ」
奥で遊んでいたジゼットが騒ぎを聞いてやってきた。もう2歳。子供の成長は速い。僕の成長はそこそこ遅いのだからやってられない。
「ママ、おしごといそがしー?」
「ああ。出来の悪い弟子のせいで大忙しだ」
「いそがしーね。ママ、ゼル、いそがしーね」
「無茶ばかり言うんだから仕方ないでしょうが」
「落ち着きな。ジゼットの前で喧嘩はしないでくれ。教育上よくない」
「指導だ」
「その違いが分からないから子供なんだ。君も子供かい?」
「おぎゃあと生まれた時から大して伸びてない成長のことか?」
「精神的な話だ。君が後継者を育てたいって言うのは分かる。私と結婚したからアカデミーでそれが出来なかったのも分かる。だが、君のエゴでゼル君を殺してしまっては仕方がないだろう?」
「……そうか。アーランド、お前と違って私やこいつは死地に喜んで赴く異常者だ。特にゼルは短期間でアカデミーの馬鹿みたいなテストに受かる必要がある。例年あのテストでは受かる奴なんてほぼいない。今のアカデミーは推薦組が占めている。それを倒そうっていうんならこれはもう死ぬしかない」
「……分かってるよ。昔は私も憧れたからね。そして、君の強さにも憧れた。だが、もう君ひとりの命じゃないんだ」
「そうだな。そうかもしれない。だから、私に何かあれば、お前がジゼットを守れ。私たちの宝を」
「ああ、そうだね」