兄弟げんか
「お前は俺を追うな。俺たちの夢は、ここで終わりだ。ゼル」
「にい、さん……なんで……」
胃の奥底からこみあげてくる吐き気を片手で抑えながら、兄を見上げた。
空は晴れているのに、雷鳴が轟いて兄さんに酷く力強い後光を差した。目が僕とそっくり。桃色の少し癖のついた髪をかき上げ、吐き捨てた。
右手に握られた銀色の剣だけが、僕の目の前には妙にさみしく飛び込んできた。
……†……
「しょうがない奴だな、ゼル。そんなんじゃ、俺と同じ帝国騎士、その上の五聖騎士になんてなれねえぞ」
手を差し伸べられた。太陽の光を背に、兄さんは笑っていた。
剣術の稽古でも、弟の僕に対して兄さんは遠慮も容赦もなかった。
「兄さん……手加減ってものはないの?」
「ねえよ。お前と俺で、最高のデュエリストになって、その後は史上初の兄弟騎士だ。この程度で、音を上げるなよ。魔竜が封印されたって言っても、魔族はまだ生きてるんだ」
魔族。小さい頃死ぬほど読み聞かされた英雄譚に出てくる悪者。英雄、五人の聖騎士たちがその命を以って封印し、王を封じられた魔族は戦いを諦め闇の中へ退いだ。
小さい頃は、悪いことをしていると魔族に攫われるって兄弟揃って脅されてたっけ。
「いやいや、兄さんはともかく、僕じゃ無理でしょ」
話に聞く限り、魔族と聖騎士は五分の力。僕じゃ、無理だ。
手を握り、立ち上がる。
兄さんは、天才だった。
幼少期から、一緒に帝国の騎士を目指していた。騎士は強くてかっこいい、皆の味方。
帝国に住む男なら、誰でも目指したくなる夢の職業。僕や兄さんも、それに漏れなかった。
だけど、子ども心に僕はよく理解していた。兄さんは、なれる。僕には、才能がない。
「おにいちゃんず、稽古も良いけど早く帰んないと、ママに怒られるよ」
目が僕たちにそっくりな、黒髪に桃色のメッシュが入った女の子。妹の、ユアだ。
僕たち三兄妹は村でも有名だった。
天才、デュエリストとしての才能があり、若くしてレベル2の兄、ニア・ゼハード。
魔力適性が魔族並みに高く、百年に一度の逸材、ユア・ゼハード。
そして、天才と天才に挟まれて期待値だけ大きくなった一般人こと僕、ゼル・ゼハード。
僕たち三人は、揃えば五人の帝国最強騎士、五聖騎士に敵うんじゃないかと言われていた。
「兄さん! おめでとう、帝国騎士になるんだって?」
兄さんは、17で騎士になった。僕と、三つしか変わらないのに。
僕とユアは喜んで、母さんと父さんは舞い上がってよく分からない料理を作って、兄さんを見送った。
残された僕ら兄妹はそれぞれ、アカデミーへの推薦を貰った。アカデミーへ入学し、運が良ければ兄さんと同じかそれ以降に騎士になれる。
ユアは魔術を研究して、みんなが幸せになる魔法を作って自分の名前を付けると息巻いていた。僕は妹を誇りに思った。
村から二人も傑物が出るなんて、本当に良い星の下で生まれたと思って、いたんだ。
「ゼル。今日からアカデミーね。あんたは、無理してニアを追わなくていいのよ?」
兄さんが騎士になって1年、アカデミーへ入学が決まった僕が出発する日、母さんにそんなことを言われた。
僕は、天才に挟まれたおまけ。母さんも、僕自身も、それをよく知っている。
だから笑顔で言った。
「大丈夫。兄さんを追って、史上初の兄弟騎士になるのが僕の、いや、僕らの夢だから」
母さんも同じように、スッキリとした笑顔を見せてくれた。いざ、村を出ようとした僕の前に……兄さんがいた。
「ニア……兄さん」
「ゼル」
兄さんの目は、暗かった。たった一年しか経っていないのに、暗黒を宿したように、雰囲気も風格も、何もかも、違った。
「え、何、が? 兄さん、いつ、帰ってきたの?」
「ユアはまだ、生きてるか、見てくれ、母さん」
「ユアなら、まだ寝てると思うけど――」
「早く!」
兄さんの怒声に、母さんは弾かれる様に家に戻った。固まっている僕の両腕を、兄さんは強い力で掴んだ。
痛い程に、強い力。この一年で、まさかレベルをさらに一段階上げた?
天窓を開くと、兄さんのレベルは、7にまで到達していた。最高レベル10なところの7だ。
「お前、去年のレベルは2だったな。俺に次ぐ、村でも少ない、レベル2到達者、今は」
自分の天窓開いた。レベルはもちろん上がっちゃいない。兄さんと鍛錬しかしてないんだ。
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ゼル・ゼハード
レベル:1
パワー:1
アジリティ:1
ディフェンス:1
マジック:1
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愕然とした。状況が、全く呑み込めなかった。
有り得ない。昨日寝る前まで、僕のステータスは優にこの百倍はあった。
兄さんが僕の天窓を覗き込み、もう一度、肩を強く掴んだ。
次の瞬間――母さんの悲鳴が響いた。
「ユア! どうし、起きて、ユア!」
「かあさ――」
「よく聞け、ゼル。お前はもう、俺と一緒に聖騎士を目指すな」
音が、遠い場所で響いているように聞こえた。何を言っているのか、全く分からなかった。
兄さんは今、僕に何を言った? 僕に、僕の、夢を叶えるなって、言ったのか?
「何言ってんだよ、兄さん……何を、僕は、兄さんと一緒に最強になるって!」
「黙れ、黙って俺の言う事を聞け。お前のステータスと、ユアに起きたこと――」
「黙らない!」
兄さんの手を弾いた。ニアが纏っていた威圧感が、さらに深いものに増し、苛立ちが、なみなみならない怒りが、漏れ出した。
「……分かった」
「にいさ――」
「俺を倒せ。そうすれば、お前を認めてやる。来い、出来損ないの弟」
白銀の剣。僕とユアが、兄さんが出て行く時に贈った、剣。今でも手入れをしっかりしているのがよく分かる。忘れちゃいないんだな、兄さん。
僕は、同じようにユアからもらった、少し桃色がかった刀身の剣を出した。逆に僕はユアに杖を贈っている。
兄妹の絆を、取り戻す――
「なあ、お前、この一年、何をしてきたんだ」
背後。音もなければ殺気すら感じない、濃密な殺人の色が輝いた。
すぐに振り返るが、振ろうとした剣の起こりを片手で抑えられ、気付いた時には兄さんの膝が僕の腹を抉った。
痛い……いつもより、明らかに、体が弱くなっている。
「見てみろ。お前の今のステータスじゃ、そこら辺のモンスターにも勝てやしない。ましてや、俺には勝てない」
「がっは、えが……うるさい、どうしちゃったんだ、兄さん!」
起き上がり様の僕の足をかけ、剣を握っていた腕を取ると同時に引き、眼前に顔が迫――
おでこがおでこにぶつけられる。
意識が消えかける。
痛みと衝撃が、現実へ戻ることを拒否した。
それでも、僕は、兄さんの弟だ。
地面に落ちるより前に手を付いて、足を振り上げる。
確実に、首を取ったはずの一撃は、いとも簡単に掌で防がれた。
「遅い。反応も、狙いも、悪くはないが、致命的に、お前の現在位置が、低すぎる」
雑に地面に叩きつけられ、銀の剣が僕の目を……切り裂いた。
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「うるせえ……るせ、ゼル」
兄さんが剣を納めて、去っていく。黒と、赤に染まった瞳が、ニアの踵を捉えていた。
「待て、待てええ、兄さん!」
止まらない。聞かない。まるで殻に籠ったように、兄さんは何もかもを拒絶した。
こんなことになってもまだ、兄妹の絆が、チラついてきやがる。
「なんで、こんな、こんなことをする! 僕と、ユアを……家族を!」
答えない。止まらない。振り返りなんか、しない。もう十分理解した。
兄さんは、進む決意を、したんだって、痛い程に、わかった。
三人の笑顔が、崩れた。
僕らの思い出が、割れた。
「あんたを! 必ず騎士になって、あんたを……」
「待って! ニア、ユアが……起きないの、心臓は、動いて……揺すってるのに、起きないの……」
僕らが誓った、約束は、破れた。
家族の時間は、無かった。
「必ず、あんたを、殺す!」
「お前じゃ無理だ、ゼル」