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二章 ”しごでき”部下のアプローチ開始


(1)


「本当に、申し訳ありません!」


 翌朝。なんとお詫びすればいいか、と青ざめた久世はフローリングに深々額づいて見事な土下座を披露した。

 私は先程久世の悲鳴で目が覚めたところだ。

 寝起きすっぴんの眼鏡だったが、泥酔ゲロ帰宅のうえフルチン転倒を晒すよりマシである。


「もう結構。──それより、どこまで覚えてる?」


 ふたりがけの小さなダイニングテーブルで欠伸を噛み殺しながら尋ねれば、久世は視線を右に左に泳がせた。


「もしや全然?」

「えっと……たぶん……ほぼ、ぜんぶ」

「覚えてない」

「覚えてます……」


 最悪だな。


「俺、醜態さらした挙句何もかも世話になって、最終的にプロポーズしました、よね」

「……私、酔っ払いの戯言を真に受けるほど馬鹿ではないので」

「言い方がよくなかったのは認めますけど、結婚したいって言ったのは俺の本心です! 真咲さんが好きです!」

「いやいやいやいや」

「わかってもらえないかもしれませんけど、気持ちは本気です! 時間かけてガチガチに外堀固めてから言おうと思ってたんです! なのに昨夜は真咲さんと一緒にいるって思ったら、舞い上がって、すげえ甘えたくなって、真咲さんはどこまでも優しいし、気がついたら……全部言ってた」


 項垂れた久世は膝の上できつく拳を握りしめていた。


「好きなんです」

「あのさ……気持ちはありがたいけど、正直この状況でそんなこと言われて、わァ嬉しーじゃ結婚しましょーとはならないことくらいわかるよね?」

「……はい。無理やりでもヤっときゃよかった……」

「おい。今なんて言った?」

「何も言ってないです」

「とにかく、昨日のことは酒の席の話ってことで深く考えず流すから、久世も一旦そうしてくれるとありがたいです。月曜からはこれまで通り。いい?」


 ほのかに頭痛を覚える額を抑えつつ告げると、彼はおずおずと顔を上げた。


「わかりました……じゃあ、月曜から改めてアプローチすることにします」

「そういう意味の一旦じゃないが?」


 何もわかってねーな、こいつ。

 叱られた犬のような顔で、久世は私を見つめると「真咲さん」と噛み締めるみたいに名を呼んでくる。


「何ですか」

「お家だと、眼鏡なんですね」

「近眼だからね」

「かわいいです」

「そういうのはいい」

「真咲さん」

「何だ」

「……お腹すきました」

「……あ、はい」


 遠慮するのも取り繕うのもやめたらしい。呆れる反面、いっそ清々しい。

 軽いものを準備するからと私は立ち上がり、とりあえず洗濯して乾燥機で乾かして畳んでおいた彼のシャツや下着を渡すと、顔だけ洗って髪を括りキッチンに立った。冷凍ごはんと鍋の素に溶き卵を突っ込んで簡単な雑炊を作る。

 身支度を整えるとダイニングの椅子に腰掛けてそわそわしながら待っていた久世は、出来上がった雑な飯を曇りなき眼で歓迎した。


「すごい! 料亭の味だ!」

「食品メーカーの技術力に感謝するといいよ」


 優しい出汁が二日酔いの体に染みる。

 しばらくふたりとも無言でもそもそ雑炊を口にして、食後にほうじ茶を出すと、久世はマグカップを手にしながら改めて頭を下げた。


「真咲さん。本当に、何もかもありがとうございました。情けないダメなところ見せまくって、助けてもらって、この恩にどう報いたらいいのかわかりませんが、とりあえずお礼として俺の人生を捧げますので」

「返礼が重いんだわ。なんのお礼もいらんから、はよ帰れ」

「辛辣だぁ」


 なぜこいつはこれほど嬉しそうなのか。調子が狂う。


「……具合は大丈夫なの?」

「はい。おかげさまで」

「ならもういいよ。昨日は異動の緊張が緩んだせいだと思うけど、あんまり飲みすぎないように気を付けてね。仕事はカバーできても、プライベートまでは面倒見れないことも多いから」

「気を付けます。俺、あんなふうにベロベロになったの人生で初めてでした。いつもは介抱する側というか、飲み会も必要なもの以外はなるべく出ないようにしてたので」

「そういや、昨日も同期会のことでそんなこと言ってたね」

「当たり障りないようにずっと気を遣うのも面倒ですし、女の人絡むと余計に厄介で。何より酒に酔ったよく知らない相手にべたべた触られるのっていやじゃないですか?」


 私が昨日さんざんやられたことである。

 おまえが言うなと顔に書いてあったのか、久世は気まずそうに唇を結んで視線を逸らした。


「すみません……真咲さん、いいにおいだし、好きだから自然とくっつきたくなって……」

「久世って、惚れっぽいたちなの?」

「そういうわけではないです。真咲さんのことは、入社する前から好きだったから」

「は……?」

「言うと引かれるかもと思ってたので黙ってましたけど、入社前の俺と面談の機会持ってもらったの覚えてます?」

「ああ、うん」


 確かに、記憶を辿れば、まだ学生の久世と一度だけ話をする機会があった。

 久世はうちの親会社であるコンサルティングファームの採用選考にも残っており、うちから内定をもらったはいいものの承諾するにはどうにも迷いがあるようだった。社員から話を聞く時間を設けることを採用担当から勧められ、私は急に外出しなくてはならなくなった喜田川の代打として、素知らぬ顔で久世と会ったのを覚えている。


「もっと言うと、会社説明会でも真咲さんのこと見かけてました。いまだに会社の採用ページにインタビュー記事と写真残ってますよね。営業で活躍するHさん。俺、スクショ撮って保存してあります」

「消していただけます?」

「嫌です。きれいな人だなと思ってずっと印象に残ってて、面談で真咲さんと話して、この人と一緒に仕事したいと思ったから、面談終わったその足で内定承諾の連絡したんですよ」

「そう、だったんだ……」


 知らなかった。

 あの時の採用担当は久世を入社させるのに命を燃やしていたから、もし私がしくじっていたら刺されていたかもしれない。


「別に入社勧めてくるわけでもなく、ただ俺の話よーく聞いてくれて、質問にも全部真面目にちゃんと答えてくれた。そこにいるだけでなんかかっこよくて、笑った顔かわいくて憧れました。もっと話したいと思った。俺、入社するまで真咲さんのことずっと考えてたのに、入社したらいなかったのマジでショックでしたよ」

「え、ああ! 出向してた時か」


 ちょうど久世たちの代が入社する年になって、私は親会社のほうで大きなプロジェクトがあり、一年近くそちらに出向していた。出張も多く、自社になかなか戻る機会もない環境の中、極力減らしていたとはいえ自身の重要クライアントを抱えたままでの兼務出向とあって、白目を剥くような多忙な日々を送っていたのを思い出す。


「真咲さんが戻ってきたころには、俺は見事な厄介続きになってて。接点ほとんどなかったから話しかけることも滅多にできなかったんです。あと、ぶっちゃけ周りにヤバい人何人かいたので、俺が積極的にいくと真咲さんに迷惑かかりそうだと思って、確実なチャンスが来るまでは遠くから見守ろうって決めて。どうか彼氏できませんようにって思いながらね」

「あは……それはどうも」

「一目惚れして、それからずっと片想いだったんです。だから、惚れっぽいわけじゃありませんよ。あなたのことだけ見てたから、他に興味なんてなかった」


 久世は目を細めて笑う。


「狙い通りに真咲さんのチームに配属になって、そばにいてますます好きになって、これでやっと誰の目も気にせず近くにいられるって有頂天になってた。──俺の気持ち、少しはわかってもらえました?」


 なんと答えたものか。

 ああとかううとか、曖昧に頷く私に久世は微笑んだ。


「少しでも意識してもらえたなら今日のところは成功ですね。真咲さんに好きになってもらえるように、まずは仕事頑張って、男を磨きます。俺と、結婚を前提として付き合ってください。返事はいつでもいいので、俺のこと見極めて、よくよく考えてくださいね」

「見極めるって」

「だって一生のことですよ? 見極めてもらってる間に、絶対に好きにさせます。真咲さんの気持ちがちゃんと俺に向いて、身も心も離れられなくなったところで、俺たち結婚しましょう」


 背筋になんとなく薄ら寒いものを感じる。

 久世は後片付けをきっちり手伝ってから帰っていった。部屋にひとりになった途端どっとやってきた疲労感に襲われながら、ソファに倒れ込むと久世から言われた言葉の数々が頭の中で飛び交い、氾濫していた。


「あぁあもう……どうしよう……」


 ──真咲さんが、好きです!


 好き? あの久世が? 私を?

 年下だし、あの見た目で、厄介事の気配しかない。ここでまたトラブルが起きたら、もう会社に久世の居場所はなくなる。そのきっかけに他でもなく自分がなるだなんてシンプルに嫌だ。

 どうしたらいい。

 

 この数年、特にチームを持ってからは、仕事にかまけすぎて恋愛ごとから遠くなっていた。恋人がいたのなんて何年前だ? 合コンきっかけの商社の人が最後だったはずだが、正直ろくな思い出がない。


「うわぁあぁ……」

 頭を抱えても名案など浮かばず、ため息しか出てこない。

 そもそも自分から言っておいて月曜日から私は普通にできるのか。それすらもよくわからなかった。



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