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(2)しごでき部下の初契約

(2)


 久世は物覚えもよく、質問の仕方も適切で、とても仕事に熱心だった。

 営業への異動が本人の希望だったというのは本当のようで、客先への同行にも意欲的で、苦手とする人も多い新規開拓の電話営業にも毎日必ず果敢に挑んでいた。無論、超人だからといって教えもしないことができるというわけではなく、日々の業務の中でささやかなミスはあるし、上手くいかないこともある。ただ、それでもできるだけ努力しようという彼の真摯な姿勢は素直に好感が持てたし、雑用や面倒ごとも自分から進んでやろうとし、ちょっとした挨拶やお礼も欠かすことがなかったから、チームだけでなく営業課全体に溶け込むのも早かった。


 しっかりしている。

 歓迎会と称した各種の飲み会でも、久世は羽目を外しすぎることもなくよく笑い、よく食べて、メンバーにも誰彼となく気遣ってくれた。おかげで女性社員の何人か、特に相田さんは久世への想いをよりいっそう強めたようだが、久世のほうがうまくそれを交わしている。

 傾国の君などという不名誉なあだ名は彼が求めて得たものではない。久世本人が望むと望まざるとに関わらず、彼の見目や持ちえる優しさが仇となって周囲が勝手に狂い始めてしまうのだろう。


 正直なところ、私のチームは他のチームでうまくいかない厄介者の集まりだった。


 二児のパパである野本さんは仕事より家庭を重視するタイプであって、三ヶ月前に半年間取得した育休から復帰したばかりだ。のほほんとした雰囲気通り、小口の取引先と安定的な関係を維持する仕事の仕方を好む。もうひとりのメンバーである水野くんは、とても賢いけれど極端に無口で場当たり的な振る舞いはいっそできないタイプだ。本人はうちで扱う商材と内容に関心があって、本来であれば開発に異動させたいところだが、人員構成上の都合と和気あいあいした開発メンバーとの相性の問題でここにとどまっている。現状、営業としてある程度動くことが出来ているのは、私と共に苦労して作り上げた、雑談から商談までを網羅した客との想定問答集を完全丸暗記しているおかげだ。


 私がマネジメントの傍らプレイヤーとしてがつがつ、がつがつ、死に物狂いで動くことでチームがチームとして機能し、毎期数字目標をかろうじてクリアしているのだ。

 私とて、女性の管理職比率を上げるため、無理やりチームリーダーのポジションに据えられているだけで、素質や意気込みがあるわけでもない。

 女性リーダーの起用が会社として社会的に期待されている中、数字責任の大きな営業部隊で周囲との交渉や議論に耐え、チームを取りまわせる手ごろな存在が私をおいて他にいないというだけ。そりゃあ任されている限り、私だって認められたいと思うし、努力はしている。


 だだ、自分の立場が厄介の押し付けであるということもまた、はっきりとわかってしまっていた。

 それゆえこの状況下において、たとえ社内異動の遍歴はやばくとも、しっかり行動してくれて、しかも仕事のできそうな久世の存在は、私にとってありがたいものだった。


 とはいえ、野本さんが加わる前に私のチームにいた、とても明るく元気だけれども凡ミスがあまりに多過ぎて目も当てられなかった女性社員は、行動スタイルを細かに見直してやっと仕事が順調に進みだしたと思ったところで他課に引き抜かれたから、久世のことも安心はできない。

 あれはマジで悔しかった。悔しかったのに彼女はいまとても楽しそうに仕事をしているので、この悔しさをぶつける先がなかった。

 久世のことも、本人に問題がなさそうとわかれば、他にいいとこどりをされる可能性はある。引き続き何事にも気を引き締めて取り掛からねばならんのだ──と私は思っていた。


 そんな中、久世が自身で初契約を獲得してきたのは、彼がチームに入って二週目も終わりの出来事だった。

 額はそれほど大きくなかったが、新規開拓した取引先で単発の研修契約をとりつけてきたのだ。


「この後の進め方としてなんですが、講師候補の先生と先方とで研修プログラムの詳細を詰めてから本契約であってますか? 打ち合わせの時には、社内も社外も羽多野さんに同席をお願いしたくて──」


 デスクの横に椅子を寄せ、どこか嬉しそうにディスプレイを覗き込んで話をする久世に私自身も顔がほころぶ。


「嬉しそうですね、羽多野さん」

「そりゃ部下がこうも優秀なら嬉しいもんだよ」


 本当にありがたい、と両手を合わせて久世大明神を拝めば久世は照れたように笑った。ああ、なんと顔がいいのだろう。今なんてかわいいくらいだ。

 かわいいうえに、久世は! 仕事が! できるー! 胃が痛くないー! ありがてぇえ!


「拝んでもご利益ないですよ。今回うまくいったのは、羽多野さんがサポートしてくださったおかげです。アポイントとれて訪問するとき、こういう切り口でいってみたらどうかってアドバイスしてくれたじゃないですか。僕はその通りにやってみただけだから、結局は羽多野さんの成果なんです」

「あまりにもできた子だ……財布出しそうになる」

「なんで?」

「お布施」


 ふいに久世は噴き出した。


「前から思ってましたけど、羽多野さんておもしろいですよね」

「私がおもしろおかしくて久世くんがやる気出るのであれば、いくらでもしゃべるよ」

「僕のほうこそ、僕の成果で羽多野さんが喜んでくれるなら、いくらでもがんばります。いま、毎日会社行くの楽しいんです」

「久世くん、アレかな? 社畜なのかな?」

「もちろん休む時は休みたいですけど、羽多野さんに仕事教わると毎日発見があるので」


 神か──。

 日ごろの苦労が報われていく。上機嫌で今後の進め方や、講師予定の当てについて話をしていると終わりかけたころになって、久世は躊躇いがちに口を開いた。


「あの……図々しいんですけど、羽多野さん、僕の初契約、一緒にお祝いしてもらえませんか? なんか単純に、契約取れたぁって、いまテンションあがってて」

「もちろん! いつにしようか、野本さんのときも水野くんのときも初契約はみんなでお祝いしたんだよ。ランチでも飲みでもいいし、お金気にしなくていいから久世くんの好きなお店で」

「いや、その、そういうのも嬉しいんですが、できれば羽多野さんとこれから……とか」

「これから?」


 時計を見れば夜の七時を過ぎたところだった。すでに帰宅した社員も多く、毎日折れずに久世を食事に誘う相田さんはもちろん、定時ダッシュを心掛ける野本さんも、こだわりが出ると遅くまで残っている水野くんも今日はもういない。


「あ、で、でも今日、金曜ですし、羽多野さんだって予定ありますよねきっと。店も開いてないだろうし」

「いいよ。確かにこの時間だとお店探すのは大変かもだけど、ふたりならどうにかなりそうだし。他に予定もないから」

「本当ですか……?」

「うん。お祝いしよう、奢る」


 ぱぁあと久世の笑顔が輝きを放つ直前、私はすっと目を逸らす。この対応も徐々に慣れてきていた。



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