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一章 中間管理職と”しごでき”の部下


(1)


 遡ること二週間前。五月の半ばを過ぎて、久世は私の所属する営業部に異動してきた。

 定期の人事とは異なる珍しい時期で、統括マネージャーの谷原さんから「少々理由があっての配置換え」と聞かされたものの、話によれば仕事の姿勢は堅実で能力も高く、営業への異動も本人の希望に沿った形であるとのことだった。


 うちの会社は都心にオフィスを構えるどでかい外資系コンサルティングファームのグループ会社で、法人向けの人材開発関連のツールや研修などを扱っている。

 久世航汰は、新卒採用で入社して四年目の二十六歳。入社直後の配属は企業向けの研修などを請け負う部門だったそうだが、半年少しで総務に異動し、三年目にはマーケティング企画部へ配置換えと、ほぼ毎年のように別部門への異動を繰り返してこの度私のチームに配属された。

 異様な配置換えの頻度からして問題社員の気配しかないのだが、


「久世です。どうぞよろしくお願いします」


 と私に向かって深々頭を下げた本人は、至って普通の至って真面目な好青年だった。チャラそうなわけでも生意気そうなわけでもなく、言葉遣いも振る舞いも社会人として折り目正しく、なにひとつ問題がない。

 しいて言えば、そう、顔が整い過ぎていた。

 男性的な骨格ながらはっきりした目鼻立ち、色素は薄く肌が白い。俳優かモデルなのかなぁというほどの圧倒的顔面高偏差値と高身長、くそほど長い脚に引き締まった体でスーツをさらりと着こなしている。


「本日よりこちらでお世話になります。久世航汰です。皆さんのように、できるだけ早くチームの目標達成に貢献できるよう勉強してまいりますので、何卒ご指導のほど、よろしくお願いいたします」


 営業部のフロアに響き渡る歯切れの良い低い声で挨拶をすれば、一斉に勝どきの声を上げ沸き立つ女性陣、煌めきに目がつぶれ倒れ伏す男性陣……というのは少々誇張した言いようだが、内心それと似たようなもので、久世の登場にほぼ全員が色めき立ったことは事実だ。

 このバッチバチのイケメンに温厚さと真面目さをプラスし、しっかりした立ち振る舞いと頭の良さをトッピングした超人のような存在は、超人であるがゆえに、これまでの部門の中で様々な軋轢を引き起こしてしまったのだという。


 研修補助の新入社員として客前に立てば個人的にお近づきになりたいみなさんから声をかけまくられ、隠し撮りされた研修時の写真がSNSに流出。そこに出回ってはならない情報が移り込んでしまって厄介な状態になった事件を皮切りに、総務に異動すれば御局様方を頂点とし久世を殿とする大奥が自然と誕生。でもって、昨年マーケティング企画に異動して彼なりの実力を発揮して楽しくやっていたところ、中年上司の野郎から陰湿なやっかみを受け、女性社員の間で彼を巡るトラブルが多発し、明らかなパワハラに何人か人が飛んで、本人はいたたまれなくなって異動を願い出たという。


 ついたあだ名は、傾国の君。

 入社当時から今に至るまで、望んでいなくとも耳に届く噂話から彼のことは知ってはいたものの、実際ここまでくるといっそ哀れな話であった。



「──それじゃ、こちらが野本さん、その隣が水野くん」


 私の紹介にあわせて、デスク前に立つ久世は彼らに向かって律儀に頭を下げる。

 営業部は規模の異なる四課構成となっており、二課ずつ預かる統括マネージャーの下に五名前後からなる小規模チームがいくつかぶら下がっている。私は統括として谷原さんが率いる営業一課において、チームをひとつ任された主任という立ち位置だ。


「あと、相田さんは営業事務として我々のサポートをしてくれていて、席はここなんだけど喜田川のチームと併せての業務なので、何か依頼するときには余裕もって相談してね」

「はい。わかりました。よろしくお願いします」

「相田愛莉でぇす。派遣なんで寿退社も身軽な二十五歳。あいあいって呼んでくださぁい。久世さんのお願いなら最優先で対応しますぅ」

「不慣れで申し訳ありませんが、なるべくご迷惑をおかけしないよう努めますので」


 相田さんのあからさまな媚を前にしても、久世はただ生真面目に告げ、すぐに振り返って、色の薄いまっすぐな瞳で私を見据えた。


「羽多野チームは以上のメンバーです。この通りの小人数で、久世くんには私の担当するクライアントを引き継いでもらうことが多くなるから、OJTも基本私が担当しますね」

「羽多野さんが!」


 うわッ眩し──! 

 途端輝けるオーラに目が焼かれたような錯覚に陥る。


「な、何かあればメンバーでも誰でも気兼ねなく聞いてもらっていいから」

「俺でもいいぞォ!」


 そう言って背後からどかんと豪快に私の肩を掴んできたのは、同じくチームを持つ主任の喜田川だった。

 

「俺と真咲は同期だし、チームはともにラブリーあいあいの世話になりっぱなし。ってなわけで、久世が困ったときはうちも力になる。困ってなくても頼ってくれていいからな」


 唐突な喜田川の登場に久世は、戸惑いながらも爽やかに笑った。


「ありがとうございます。前の部署でも喜田川さんの評判は聞いていましたから、ぜひ頼りにさせてください」

「おうおう。真咲のやり方と合わなかったらうちが歓迎すっから」

「初日から引き抜こうとするのやめてくれる?」

「あ、バレた?」

 

 未だのしかかる喜田川の腕を雑に払って、私は久世に目を向けた。


「とにかく、みんなでサポートするからあまり気負わず、それから気兼ねもなくやって。久世くんの経験に期待してるから」

「はい!」


 引き継ぎと細かい説明のために彼をミーティングルームに誘うと、すれ違いざま喜田川が腰をつついて小声で囁いた。

 

「いくら顔がいいからってマジで惚れんなよ。ここでまた面倒起きると、あいついよいよ行き場がねぇぞ」

「余計なお世話。こちとら仕事しに来てんだよ」

「ふぅん。ま、憧れの谷原サン直々に言われてんだもんなぁ」

「あのね、こっちはその谷原さんから久世の加入分でチームの目標予算どかんと上乗せされてんの。トラブル起こされたら終わるだろ。割を食うのはだァれだァれ?」

「お、ま、え」

「胃が痛い」


 確かに余計なお世話だったな、と鼻で笑った喜田川の腹立たしい胸を軽くどついて、少し離れた場所からこちらの様子を窺う久世に、私は何でもないよと言う代わりにほほ笑みかけた。


「ごめんね、行こうか」

「はい! よろしくお願いします!」


 やる気があって十分よろしい。ただ輝く笑顔に私はまた目を焼かれた。



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