(3)中間管理職と宴会
(3)
<浴衣、すごくいいです>
<近づきたい。でも我慢します>
<涙>
<写真ください>
宴席会場となったホールは、レクレーションの汗を温泉で流して浴衣姿となった面々でにぎわっていた。物理的な距離を置く代わりに、久世は離れたテーブルの片隅からストレートな気持ちをメッセージに託すことにしたようで、先ほどからスマホの着信が忙しい。
「──で? 健気な彼氏はなんだって?」
「写真くれって」
「なるほどな」
私の隣に陣取った喜田川は、可哀そうにとつぶやきながら私と自分が入るようにスマホを構え、切り取った一枚をその場で久世に送ったらしい。
「ははっ、キレてる。ちゃんとお礼言ってくるあたりが律儀だよな。風呂上がりのいい匂いするって言っとこ」
「遊ぶな」
涙のスタンプが流れ込んでくるスマホのディスプレイにそっと笑うと、私は乾杯の挨拶が始まる前に短いメッセージを送った。
<久世も素敵だよ>
<今度はふたりで温泉行こうね>
今度は悦びのスタンプがとめどなく届く中、マイクが入る気配があり簡単な挨拶の後、乾杯の声があがった。
「今日は俺があいつのカバーに行くから、おまえは普通に飯食っとけ」
「助かる」
ビールのグラスを軽くぶつけて告げられた喜田川の言葉は素直にありがたかった。
「健気だよなぁ、俺も」
「ほんといい男だよ」
「気づくのおせぇわ」
羽織をかけた肩を軽く小突かれ、「これは駄賃な」と喜田川は私の目の前に並んだ皿から鮪の刺身をさらっていった。
「しかし、あいあいが宣戦布告とは厄介なことで」
「まぁ」
鋼鉄のメンタルを持つ相田さんは久世と同じテーブルから動こうとしない。同じテーブルに田仲先生がいて、今日のバスでの様子を見る限り先生は久世を口説くだろうから喜田川が久世のフォローに行くまでに大事にはならないだろう。
ただ、レクレーションの時といい今といい、あからさまな相田さんのアプローチには私も正直なところ──めちゃくちゃモヤモヤしている!
久世は私の恋人だ! ひとの男に色目使ってんなよ、と叫び散らしたい気持ちで心はいっぱいだった。
しがらみの多い状況に知らずため息がこぼれた。喜田川はばくばくと目の前の豪華な膳を粗方平らげると、「んじゃ行ってくら」とビール瓶とグラスを掴んで席を立つ。
「頼んだ」
「お礼にデートでもすっか」
「ケーキ買って返す」
「くぅん」
喜田川の後ろ姿を横目で追って、進まない料理を見るともなく眺めた。
久世がまだ配属されていなかった頃、こういう席で私はどう過ごしてたのだったか。それなりに楽しくやっていたような気がするのに、不思議と思い出せない。目をやれば、同じテーブルでは端っこで貝のように押し黙り黙々と食事を進める水野くんがいた。一応、上司として彼の様子を見つつ、このテーブルの若い子たちを盛り上げたほうがいいか。
「疲れたのか?」
声をかけられ顔を上げると、先程まで喜田川がいた席に谷原さんが腰を下ろした。私と同じテーブルにいた若手の面子も、意外な人物の登場に驚いた様子だった。
「ここ、いいかな? と言ってももう座ってしまったけど」
「いえ、どうぞ。何か飲まれますか?」
「なら、ビールを」
テーブルの中央におかれていた新しいグラスに谷原さんは自ら手を伸ばし、私が差し出すビール瓶の口に添える。
「ありがとう」
「珍しいですね。谷原さんがお席を移動されるなんて、テーブルにいた皆さんはがっかりされたのでは?」
「ここだけの話──」言って谷原さんは声を潜めた。「昼間のゴルフで空気を読まずにいいスコアを出しすぎて、専務の前に居づらい」
吹き出した若い社員たちに谷原さんは目元を和ませながら「秘密にしてくれ」と言う。
谷原さんが進めるペースで同じテーブルに居合わせた私たちはグラスを合わせ、食事とお酒を進めた。
「今日は楽しめた?」
「ええ、明後日あたりに筋肉痛が来そうですが」
「取り乱す羽多野が面白かったと聞いたよ」
「……お恥ずかしい限りで」
ゴルフ組にまで私の無様が知れ渡っているらしい。
「さっきは元気がないようにみえたが、疲れた?」
「そう、ですね……騒ぎすぎたので反省を」
谷原さんはテーブルに肘をついて私を眺めながらくすりと笑った。
「見たかったな」
普段スーツに身を包んで隙のない谷原さんの浴衣姿には、匂い立つような色気がある。斜め前にいるシステム部門の女の子など、日頃目にしない分、先程から威力にやられて釘付けだ。
久世とはまた違った暴力的な魅力。色気で殴りつけてきたかと思えば、にこにこ微笑んで若手社員に話を振るのだから、この場のペースは完全に谷原さんのものだった。
「──へぇ、君らは二十四歳か。さすがにふた周り違うとなると自分のおじさん具合を痛感するな」
「そんな! 谷原さんはマジでかっこいいです! なぁ?」
「はい! 自分もそう思います!」
正面に座っていたのは営業二課に所属する若手の男性社員たちだった。課が違う若手となると名前と顔は知っていてもそこまで親交がない。
「羽多野はいくつになった? あ、こんなこと聞いてはまずいな。すまない」
「いえ、私ももう三十ですよ」
「そうか。こんなに小さかったのに、時が経つのは早いね」
胸の当たりを示す谷原さんに、「親戚のオジサンじゃないんですから……」と言えば笑いが起きた。
「入社の時からしっかりした人だとは思っていたけど、今ではリーダーも板に着いたし、君には男女問わず憧れてるやつらも多い。いつもよくやってくれているよ」
「謙遜したいところですが、谷原さんに評価して頂けるのなら光栄です」
「男前だよな、こういうところも」
谷原さんは軽快に笑うと「でも、色気が出た」と急にトーンを落として囁いた。
「え?」
「近頃ますます綺麗になったと思って」
「酔ってますか?」
「さすがにセクハラの失言だったか、申し訳ない」
いつに無い谷原さんの様子に、フォローのつもりなのか前の席の男の子たちが「実は俺たちも噂してますよ」と言う。
「羽多野さん、元々綺麗でかっこいい感じでしたけど、このところは雰囲気柔らかいっていうか」
「はい。谷原さん、俺、次期一課異動で羽多野さんのチームがいいです。頑張れる!」
「あ、僕も!」
「おいおい、図々しいな君たち」
「羽多野さんて、彼氏いますか?」
前のめりな質問が飛んだところで、谷原さんの背後からぬっと大男が現れた。
「谷原さぁん、こんなとこいたんすかァ」
「浴衣姿の谷原さんがどちゃくそえっちって向こうで話題ですぅ」
顔の赤い喜田川がビール瓶を片手に、もう片手に同じく陽気な久世を従えてやって来たのだ。
「出来上がってるな、ふたりとも」
「まぁ飲みますかァ谷原さん。オラ注げ、久世!」
「ウス!」
谷原さんのコップにビールを並々ついで、久世は「羽多野さんもー!」と瓶を差し出す。
「あ、ありがと」
「みなさんもー!」
テーブル全員に酌をして回る久世を横目に喜田川は谷原さんに凭れて執拗に絡んでいた。
「んで、みんなして、なんの話ししてんすかぁ。おせぇて水野ちん」
「あ、は、ぼ、ぼくは……」
目を向けられたのは端にいた水野くんだ。素直に言ったものかどうか、彼が判断に迷っていると谷原さんが口を開いた。
「羽多野に恋人がいるのかどうか」
視界の端でピタリと久世が動きを止める。
「はぁん、真咲に」
「みんな気になってるみたいでね。かくいう俺も気になるな。どうなの? 羽多野」
周囲の視線が興味も剥き出しに突き刺さるようだった。
「いますよ」
笑って見せると、何故だか目の前の彼らの視線が恐る恐ると言った様子で喜田川を見つめた。
「おまえらはなんで俺を見んだよ。俺じゃねえよ」
「あ……すいません、違うのはわかってましたけど」
「わかってたってなんだ! 俺に哀れんだ目を向けるな! 俺と真咲はダチなんだよ! 永遠のな!」
「喜田川、俺の胸を貸すよ」
「谷原サァン」
喜田川を聖母のように宥めながら、谷原さんは伏していた切れ長の目をするりと私に向けた。
「なるほど、君にはいい人がいたのか」
「はい。私もいい歳ですから」
「どんな人? 見てみたい。羽多野を射止めるんだから」
「素敵な人ですよ」
「まさか、社内じゃないよな?」
「すみませんが、それも含めてまだ秘密にさせてください。私にとって、とても大事なことなので。でも、みなさんが言うように私の雰囲気が変わったんだとすれば、きっとその人のおかげなんだと思います」
久世が背を向けたのがわかった。少しだけ見える彼の耳はやけに赤くて、久世は思い切り息を吸い込むと、振り返って、
「喜田川さぁん、つぎいきますよー!」
と大声で腕を突き上げた。
「おっしゃー! 久世ついてこい!」
張り切って出発していったなんちゃって酔っ払いのふたりは、次々に目に止まった役職者をターゲットに据えて突撃していった。
*
<少しだけ電話してもいいですか? 声が聞きたいです。>
宴会がお開きとなってしばし。大浴場に向かってメイクも落とし、部屋に戻ろうとしたところで手にしていた端末がメッセージを受信した。
OKのスタンプを返すと即座に既読がついて、久世から着信がある。
「こんばんは」
『こんばんは。いま、部屋ですか?』
「ううん、自販機あるところ」
『だから静かな声なんだ。俺はロビーです』
「周り、誰かいる?」
『いますよ。うちって社内恋愛の人ちらほらいるんですね。ロビーのラウンジでも、バーでも堂々ふたりで飲み直してる人たちいました』
「そっか。……ごめんね、誰聞いてるかわかんないから名前呼べない」
『大丈夫です』
「具合平気なの?」
『はい。喜田川さんが代わりに呑んでくれてたから。すでに爆睡してましたけど、さっき肝臓に効くやつ差し入れました。すっごいいい人ですね、喜田川さん』
「面倒見いいからねぇ。あんたのことも気に入ってるみたいだし。私からもお礼しておく。ケーキ買わないと」
『あの人、甘いもの好きなんです?』
「いや、さして。厚意は倍にして返せって、いつだったか言ってたからケーキ倍にして返そう」
久世は低く笑った。
『これだけ言いたくて。あの時、大事なことだからって言ってくれて、嬉しかったです』
「うん。大事だよ。すごく」
『俺も。あなたのことは、本当に大事だから心から大切にします。……というか、俺ってあなたのこと変えたんですか?』
「らしいですね。おかげさまで柔らかい雰囲気になったそうで」
『そうなんだ』
「ニヤけてんでしょ」
『はい。へにゃへにゃしてます。抱きしめてキスしたい』
「家帰ったらね」
『ならもう帰ろ』
くすくす笑っていると聞き覚えのある声が廊下に響いて、すぐそばを相田さんともうひとりの同室となっている中堅の女性社員が通り過ぎて行った。目が合って黙礼を返せば、彼女は「あれぇきっと彼氏さんとですよぉ、いいなぁ」なんてわざとらしい声音で言いながら部屋に消えていった。
『大丈夫ですか?』
「うん。人が通っただけだから。ともかくも、いくら隠そうとしても隠しきれないものがあるってことはわかった。案外見られてるもんだって勉強になったわ」
『いい加減、モテるの自覚したほうがいいですよ』
「私の彼も一目惚れだったそうだから、それ聞くと自惚れちゃうよねえ」
『事実だから何も言えませんね』
「うそうそ。いまさらモテたところで、気持ちがほしい相手はもう決まっていますから」
『お、もしかして間に合ってます?』
「ええ、間に合ってますよ。自慢の彼がいるもので、大好きなの」
『俺も、好きです』
ニヤけてるでしょ、と窺う声には笑うしかなかった。
「正直さ、勘づかれたら一番まずい人を相手にしたような気がするけど、まぁあれで一応の牽制になったでしょ」
『……だといいんですが、あの人って』
「何?」
『いえ、気にしないでください』
言い淀む言葉に不安の気配があった。それは私も同じだ。また廊下を行き交う人の気配がして、私は周囲に目を向けた。
「そろそろおやすみでも大丈夫? 結構人通りがあるわ」
『うん、はい。おやすみなさい。また明日』
「朝食から会うよ。そんな寂しそうな声しないで」
『そう……そうか、そうですよね! テンション上がってきました! あと何時間後です? 朝風呂入って、バチバチに仕上げていきますね!』
「お手柔らかに……」
宣言通りに久世は朝からうざいほど眩いハンサムオーラを放ち、覚悟していたはずの私は目を焼かれ、二日酔いの喜田川は消し炭となった。




