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黄昏の帝国 - 栄華の裏に潜む闇

第一章:宮廷の影


宮殿の回廊に、夕暮れの薄明かりが差し込んでいた。その柱の陰で、二人の男が小声で言葉を交わしていた。


「セプティムス、本当にそこまで深刻なのか?」


宰相マルクスの声には、普段の威厳は感じられなかった。その代わりに、かすかな震えが混じっていた。


財務長官セプティムスは、周囲を警戒するように目を走らせてから、小さく頷いた。


「ああ、もはや隠しようがない。帝国の金庫は、底が見え始めている」


マルクスは息を呑んだ。「だが、どうして?我々は未曾有の繁栄を…」


「表面上はな」セプティムスは苦々しく言葉を継いだ。「だが、実態は違う。贅沢な宮廷生活、際限のない軍事支出、そして…」


彼は言葉を濁したが、マルクスには何を言いたいのかわかっていた。帝国の至る所で蔓延する汚職と腐敗。それは、彼ら自身も無縁ではなかった。


「陛下には?」


セプティムスは首を横に振った。「まだだ。どう伝えれば…」


その時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。二人は慌てて会話を切り上げ、それぞれの持ち場に戻っていった。


宮殿の華やかな宴会場。そこでは、まるで先ほどの会話など存在しなかったかのように、貴族たちが歓談に興じていた。


マルクスは、豪奢な衣装に身を包んだ貴婦人たちの間を縫うように歩きながら、心の中で呟いた。


(この栄華がいつまで続くというのだ…)


その目に映る光景は、かつてないほど空虚に思えた。


第二章:辺境の警鐘


北方辺境、ガリア防衛線。


寒風が吹きすさぶ砦の上で、司令官ルキウスは遠くを見つめていた。その目は、地平線の彼方ではなく、帝都イスカンダルに向けられているようだった。


「司令官」


副官のカッシウスが声をかけた。その手には、一枚の羊皮紙が握られていた。


「また、か」


ルキウスは、その報告書を受け取ることなく言った。カッシウスは黙って頷いた。


「今度は何処だ」


「アクィロニア砦です。蛮族の襲撃を受け、守備隊の半数以上が…」


ルキウスは目を閉じ、深いため息をついた。


「増援は?」


カッシウスは首を横に振った。「帝都からの返答はありません。前回と同じく、『現状維持で対応せよ』との…」


「くそっ!」


ルキウスの拳が、石の手すりに叩きつけられた。その衝撃で、古びた石がいくつか剥がれ落ちた。


「彼らには分からんのだ。ここで何が起きているのか、帝国がどれほどの危機に瀕しているのか…」


カッシウスは、司令官の背中に同情の眼差しを向けた。かつて、ルキウスは帝都で最も有望な若手将軍と呼ばれていた。だが今、彼はこの寒村で、日に日に迫る脅威と戦っていた。


「我々にできることは…」


「ああ、分かっている」


ルキウスは振り返り、疲れた笑みを浮かべた。


「できる限りのことをするしかない。たとえ、帝国に見捨てられようとも」


その言葉には、悲壮感と共に、奇妙な解放感が混じっていた。


砦の上から見下ろせば、兵士たちが黙々と防壁を補強している姿が見える。彼らの多くは、もはや帝都からの援軍など期待していなかった。


(我々は、帝国最後の防波堤なのかもしれない)


ルキウスはそう思いながら、再び北方の地平線に目を向けた。そこには、まだ見えぬ敵の影が潜んでいた。


第三章:市場の声


帝都イスカンダル、中央市場。


かつてないほどの活気に満ちているはずの市場に、どこか暗い影が漂っていた。


「また上がったのか?」


青年商人のマルクスは、仕入れ先の老婆に尋ねた。彼女は申し訳なさそうに頷いた。


「すまないね、マルクス。こっちも困っているんだよ。畑の収穫が思わしくなくてね…」


マルクスは黙って頷いた。周りを見渡せば、似たようなやり取りが至る所で繰り広げられている。


(これでは、商売にならない…)


そう思いながらも、マルクスは老婆から野菜を仕入れた。彼女の生活を支えるためにも、そうするしかなかった。


市場の片隅。そこには、日に日に大きくなる人だかりができていた。


「もう我慢できん!」


中年の男が声を荒げていた。


「税金は上がる、物価は上がる。これのどこが繁栄じゃ!」


周囲からも同調の声が上がる。


「そうだ!」

「我々の生活はどうなる!」


マルクスは、その光景を複雑な思いで見つめていた。彼自身も、日々の生活に追われる身。だが同時に、商人として、こうした不満が爆発することへの恐れもあった。


「おい、マルクス」


声をかけてきたのは、幼なじみのルシウスだった。彼は帝国軍の下級将校をしている。


「また集まっているな」


ルシウスの目は、不満を漏らす群衆に向けられていた。


「ああ」マルクスは小さく答えた。「最近は毎日のようだ」


「上からは、取り締まれという命令が来ているんだ」ルシウスは溜息をついた。「だが、俺にはあいつらの気持ちが分かる気がする」


マルクスは友人の横顔を見つめた。ルシウスの目には、かつて見たことのない疲労の色が宿っていた。


「お前は、どう思う?」ルシウスが尋ねた。「本当に、帝国は繁栄しているのか?」


マルクスは言葉に詰まった。彼の頭の中には、日々の苦労と、帝国への忠誠心が交錯していた。


「さあ…」彼はようやく口を開いた。「ただ、このままではいけないという気はする」


ルシウスは黙って頷いた。二人の視線の先で、群衆の怒号がさらに大きくなっていた。


第四章:蝕まれる礎


帝国官僚街、宵闇が迫る頃。


高級官僚アエリウスは、周囲を警戒しながら路地を進んでいた。彼の手には、小さな革袋が握られている。中には、きっと金貨が詰まっているのだろう。


「アエリウス様、お待ちしておりました」


薄暗い路地の奥から、陰のような男が姿を現した。商人ギルドの幹部、カッシウスだ。


「例の件は?」アエリウスは小声で尋ねた。


カッシウスは薄笑いを浮かべた。「ご安心を。港湾の管理権は、あなた様のおっしゃる通りに…」


アエリウスはほっとしたように溜息をついた。そして、手にしていた革袋をカッシウスに渡した。


「これで、帳消しだな」


「ええ、もちろん」


二人の間で、暗黙の了解が交わされた。これは決して、賄賂の授受などではない。単なる、友好の証。そう、お互いがそう思い込もうとしていた。


その時、近くで物音がした。二人は慌てて別れ、それぞれの道を急いだ。


路地の陰から、一人の少年が顔を覗かせた。ルーファスは、帝国官僚街で使い走りをしている。彼は、今しがた目撃した光景の意味を完全には理解していなかった。だが、それが何か後ろめたいものだということは、感じ取っていた。


(大人って、みんなこうなのかな…)


ルーファスは、胸に湧き上がる漠然とした不安を抑えきれずにいた。彼の目に映る帝都の夜景は、いつもより少し暗く感じられた。


官僚街を抜け、高級住宅街に差し掛かったところで、ルーファスは立ち止まった。そこには、彼が憧れる帝国最高学府の校舎がそびえ立っている。


(いつか僕も、あそこで学んで、立派な官僚になるんだ)


そう思いながらも、先ほどの光景が頭から離れなかった。


(でも、それってホントに…)


ルーファスの心に、小さな疑問の種が蒔かれた夜だった。


第五章:揺らぐ忠誠


帝都イスカンダル、近衛兵訓練所。


「もっと腰を低く!敵はお前たちの甘さを見逃さんぞ!」


訓練教官マルティヌスの怒号が、訓練場に響き渡る。新兵たちは、汗だくになりながら懸命に剣を振るっていた。


だが、マルティヌスの目には、彼らの動きが満足いくものには見えなかった。


(これでは、とても前線に送り出せない…)


マルティヌスは、ため息をついた。かつての帝国軍の精鋭たちと比べれば、今の新兵たちの質は明らかに落ちている。それもそのはず、最近では有望な若者たちの多くが、軍よりも商業や学問の道を選ぶようになっていた。


「休憩!水を取れ!」


マルティヌスの号令で、新兵たちはほっとした表情で武器を置いた。


「教官」


声をかけてきたのは、副官のクイントゥスだ。


「何だ」


「司令部からの通達です。来月の近衛兵の交代ですが、予定より1ヶ月早めるよう、との…」


マルティヌスは眉をひそめた。「何故だ。これらの若造どもが、まともに剣も振れんというのに」


クイントゥスは、周囲を気にしながら小声で答えた。


「辺境からの報告で、事態が逼迫しているとか。現地の守備隊を強化するため、ベテランの近衛兵を送るそうです」


「くそっ」


マルティヌスは思わず舌打ちした。状況は、彼が想像していた以上に悪化しているようだった。


「そうか…分かった。できる限りの準備はする」


クイントゥスが立ち去った後、マルティヌスは遠くを見つめた。そこには、帝都の中心に聳える皇帝宮殿が見える。


(陛下は、この状況をご存知なのだろうか…)


マルティヌスの胸に、これまで感じたことのない不安が広がっていた。彼は常に、帝国と皇帝への忠誠を誇りにしてきた。だが今、その忠誠心が、微かに揺らいでいるのを感じていた。


「教官、まだ続けるんですか?」


新兵の一人が、おずおずと尋ねてきた。マルティヌスは我に返り、厳しい表情を取り戻した。


「当たり前だ!お前たちが一人前になるまで、この訓練は終わらん!」


彼の声には、いつも以上の力が込められていた。それは、自身の揺らぐ心を必死に押さえつけようとする声でもあった。


第六章:静かなる反乱


帝都イスカンダル、下町の古い倉庫。


夜の帳が降りた頃、人々が一人、また一人と倉庫に集まってきた。彼らの多くは、昼間は市場で働く商人や職人たち。だが今、彼らの目には、日中とは異なる光が宿っていた。


「皆、揃ったな」


声を上げたのは、若き哲学者を自称するカシウスだった。彼は、この秘密集会の中心人物の一人だ。


「今日も、帝国の様々な所で不満の声が上がっているという報告が入った」


カシウスの言葉に、集まった人々がざわめいた。


「もう、我慢の限界だ!」

「このままでは、生活していけない!」


怒号が飛び交う中、カシウスは手を挙げて静粛を求めた。


「分かる、皆の気持ちは痛いほど分かる。だが、今は冷静になるべきときだ」


彼の隣に立っていた青年商人のマルクスが、おずおずと口を開いた。


「でも、カシウス。このまま黙っていては…」


「ああ、そうだとも」カシウスは頷いた。「だからこそ、我々は行動を起こさねばならない。だが、それは暴力ではない」


彼は、倉庫の隅に積まれた木箱を指さした。


「あれを見てくれ」


人々が目を向けると、そこには大量の羊皮紙が詰まっていた。


「これは何だ?」誰かが尋ねた。


「我々の武器だ」カシウスは答えた。「帝国の実態を暴く文書。民衆の声を集めた請願書。そして、新しい社会の在り方を提案する論文だ」


マルクスは目を見開いた。「まさか、これを…」


「そうだ」カシウスは厳しい表情で頷いた。「我々は、これを帝都中に、いや帝国中に撒き散らす。人々の目を覚まさせるのだ」


集まった人々の間から、興奮と恐れの入り混じった声が上がった。


「でも、それは…反逆罪に問われるのでは?」


カシウスは深く息を吐いた。「そうかもしれない。だが、このまま沈黙を守れば、我々の帝国は内側から腐っていく。そんな未来を、お前たちは望むのか?」


静寂が倉庫を包んだ。それぞれが、自分の心と向き合っていた。


マルクスは、胸の鼓動が早くなるのを感じていた。彼は商人として、日々の生活に追われる身。だが同時に、この社会の歪みを誰よりも身近に感じてきた一人でもある。


(このまま、見て見ぬふりを続けていいのだろうか…)


彼は、ゆっくりと手を挙げた。


「私は…協力します」


その言葉を皮切りに、次々と賛同の声が上がった。


カシウスは満足げに頷いた。「よし、では計画の詳細を説明しよう」


倉庫の中で、静かなる革命の火が灯された夜だった。


第七章:揺れる心


帝国宮殿、皇帝の私室。


ヴァレリアン三世は、窓辺に立ち、夜の帝都を見下ろしていた。かつては輝かしく見えた街の灯りが、今では何か虚ろに感じられる。


「陛下」


声をかけたのは、長年の側近である宰相マルクスだった。


「ああ、マルクス」皇帝は振り返ることなく答えた。「遅くまで御苦労だ」


マルクスは、皇帝の背中に複雑な思いを抱きながら近づいた。


「陛下、申し上げにくいことですが…」


「言ってみろ」


皇帝の声は、普段よりも疲れているように聞こえた。


マルクスは深く息を吸い、覚悟を決めた。


「帝国の状況が、思わしくありません。財政は逼迫し、辺境では反乱の兆しが…」


「分かっておる」


皇帝の言葉に、マルクスは驚いて言葉を失った。


ヴァレリアンはゆっくりと振り返り、マルクスと向き合った。その目には、深い疲労と悲しみが宿っていた。


「私にも分かっているのだ、マルクス。この帝国が、少しずつ崩れていっていることが」


マルクスは、皇帝の言葉に戸惑いを隠せなかった。


「では、なぜ…」


「なぜ何も手を打たないのか、と言いたいのだろう?」皇帝は苦笑した。「簡単ではないのだ。何百年も続いてきたこの帝国の仕組みを、一朝一夕に変えることは…」


マルクスは、皇帝の苦悩を初めて目の当たりにした気がした。


「しかし、このまま手をこまねいていては…」


「分かっている」皇帝は力なく頷いた。「だが、どこから手を付ければいいのか。誰を信じればいいのか…」


その時、廊下から物音が聞こえた。二人は会話を中断し、扉の方を見た。


そこには、皇帝の長女セレーネが立っていた。


「父上、マルクス様」セレーネは二人に会釈した。「お邪魔してしまって申し訳ありません」


「いや、セレーネ」皇帝は微笑んだ。「お前がここにいてくれて良かった。実は、お前の意見も聞きたいと思っていたところだ」


セレーネは驚いた様子で父親を見た。


「私の…意見ですか?」


「そうだ」皇帝は頷いた。「お前は若い世代の代表として、この帝国の未来をどう見ている?何を変えるべきだと思う?」


セレーネは一瞬たじろいだが、すぐに真剣な表情で答えた。


「父上、私は…この帝国が大きな岐路に立っていると感じています。今こそ、大胆な改革が必要なのではないでしょうか」


マルクスは、セレーネの言葉に驚きを隠せなかった。だが皇帝は、静かに頷いていた。


「そうか…」皇帝はつぶやいた。「お前もそう思うか」


部屋は、重い沈黙に包まれた。その沈黙の中で、帝国の未来を左右する何かが、静かに動き始めていた。


第八章:疾風怒濤


帝都イスカンダル、中央広場。


朝日が昇り始めた頃、広場は異様な騒ぎに包まれていた。


「これは一体…」


早朝の巡回に出ていた衛兵長ルキウスは、目の前の光景に言葉を失った。


広場中に、無数の羊皮紙が撒き散らされている。人々は我先にとそれを拾い上げ、熱心に読んでいた。


ルキウスは一枚を手に取り、目を通した。その内容に、彼の顔が青ざめた。


「これは…反逆だ」


そう呟きながらも、ルキウスの心の中には複雑な思いが渦巻いていた。確かに、この文書の内容は帝国への批判に満ちている。だが同時に、そこには彼自身も感じていた不満や疑問が、明確に言語化されていた。


「衛兵長!どうしましょう!」


部下の声に、ルキウスは我に返った。


「と、とりあえず、これらを回収しろ!それから…」


彼の言葉は、広場に響き渡る怒号にかき消された。


「もう、黙ってはいられない!」

「帝国は我々を裏切った!」

「変革の時だ!」


群衆の中から、次々と叫び声が上がる。ルキウスは、事態が制御不能になりつつあるのを感じた。


その時、広場の一角で、見覚えのある顔を見つけた。幼なじみで、商人のマルクスだ。彼は、興奮した様子で周囲の人々と話し込んでいる。


(マルクス、まさかお前まで…)


ルキウスは、親友の姿に複雑な思いを抱きながら、どう行動すべきか逡巡していた。


その頃、宮殿では緊急の会議が開かれていた。


「陛下、このままでは暴動に発展しかねません!」


宰相マルクスが、焦りを隠せない様子で進言した。


皇帝ヴァレリアンは、深いため息をついた。


「分かっている。だが、単純に力で抑え込めば、さらなる反発を招くだけだ」


「では、どうすれば…」


その時、セレーネが口を開いた。


「父上、この機会を利用してはいかがでしょうか」


「どういうことだ?」


「民衆の声に耳を傾ける姿勢を見せ、改革の意志を表明するのです。それによって、この危機を好機に変えられるかもしれません」


皇帝は、娘の提案に深く考え込んだ。


「リスクが高すぎるのではないか?」宰相が懸念を示した。


「しかし」皇帝はゆっくりと言葉を紡いだ。「このまま沈黙を守れば、帝国の崩壊は避けられまい。セレーネの案には、一縷の望みがある」


皇帝は立ち上がり、窓際に歩み寄った。広場の騒ぎが、ここからも感じ取れる。


「準備せよ。私から民衆に直接語りかける」


その言葉に、部屋中が騒然となった。


帝国は今、未曾有の危機に直面していた。しかし同時に、それは新たな時代の幕開けとなる可能性も秘めていた。


皇帝の決断が、この先の歴史をどう変えていくのか。誰にも予測することはできなかった。


第九章:迫り来る嵐


北方辺境、ガリア防衛線。


司令官ルキウスは、砦の最上階から荒涼とした大地を見つめていた。そこには、これまでにない規模の異民族の軍勢が、黒い影となって広がっていた。


「なんという数だ…」


副官カッシウスが、震える声で呟いた。


ルキウスは黙って頷いた。彼らは、この日が来ることを予期していた。だが、実際に目の当たりにすると、その圧倒的な現実感に言葉を失った。


「帝都からの援軍は?」


ルキウスは、答えを知っていながら尋ねた。


カッシウスは首を横に振った。「まだです。むしろ、帝都自体が混乱に陥っているという噂が…」


「そうか」


ルキウスは、静かに目を閉じた。彼の心の中で、長年の忠誠心と、現実への諦念が激しくぶつかり合っていた。


「皆を集めろ」


「はい?」


「守備隊全員だ。今すぐに」


カッシウスは驚いた様子だったが、すぐに命令を実行に移した。


数分後、砦の中庭に全ての兵士が集められた。彼らの表情には、不安と緊張が浮かんでいた。


ルキウスは、高台に立ち、部下たちを見下ろした。


「諸君」彼は力強い声で語り始めた。「我々は、帝国最後の防波堤として、この地に配属された」


兵士たちの間から、小さなざわめきが起こった。


「帝国は、我々を見捨てたかもしれない。だが、我々には守るべきものがある。我々の背後には、家族や友人、そして…我々の故郷がある」


ルキウスは一瞬言葉を切り、深く息を吸った。


「私は諸君に、帝国のために戦えとは言わない。だが、我々の大切なものを守るために、最後の一兵になるまで戦おうではないか!」


その言葉に、兵士たちから歓声が上がった。それは、絶望的な状況の中で生まれた、最後の希望の叫び声だった。


ルキウスは、部下たちの決意に満ちた顔を見渡した。彼らの目には、もはや迷いはなかった。


「準備せよ!我々は、この地で歴史を作るのだ!」


砦内が、戦いの準備に沸き立つ中、ルキウスは再び最上階に戻った。遠くに見える敵の大軍を見つめながら、彼は心の中で祈った。


(どうか、我々の戦いが無駄にならないように…)


第十章:揺れる都


帝都イスカンダルの中央広場。


群衆の怒号が、かつてないほどの大きさで響き渡っていた。


「変革を!」

「帝国に正義を!」


その中心で、青年商人マルクスは複雑な思いに駆られていた。彼は、この運動の一端を担っている。だが同時に、事態がここまで大きくなることは予想していなかった。


(これで、本当に良かったのだろうか…)


そんな彼の傍らで、哲学者カシウスが熱弁を振るっていた。


「同胞たちよ!我々の声が、ついに届いたのだ。皇帝陛下が、直々に民衆に語りかけると言う。これこそが、我々の勝利の証だ!」


歓声が上がる。だが、マルクスの胸中には不安が渦巻いていた。


その時、広場の一角で騒ぎが起こった。


「衛兵だ!」

「逃げろ!」


パニックが起こる中、マルクスは混乱に巻き込まれまいと立ち位置を変えた。そこで、彼は見覚えのある顔を見つけた。


「ルシウス…」


幼なじみで、帝国軍の下級将校であるルシウスが、困惑した表情で立っていた。二人の目が合う。


マルクスは、友人の目に映る自分の姿を想像して胸が痛んだ。かつての親友が、今や反逆者として映っているのだろうか。


そのとき、広場に設置された大きな映像装置から、皇帝の姿が映し出された。


群衆が一瞬で静まり返る。


「愛する民よ」


皇帝ヴァレリアンの声が、広場中に響き渡った。


「長きに渡り、この帝国を支えてくれた皆の声を、私は確かに聞いた」


マルクスは、息を呑んで画面を見つめた。


「帝国は、大きな変革の時を迎えている。だが、それは我々全員で乗り越えねばならない試練だ」


皇帝の表情は、マルクスが想像していたものとは全く違っていた。そこには、威厳と共に、深い悲しみと決意が滲んでいた。


「私は、ここに宣言する。帝国の大改革を、直ちに実行することを」


広場が、どよめきに包まれた。


「具体的には、以下の政策を…」


皇帝が改革案を語り始める中、マルクスは複雑な感情に襲われた。彼らの行動が、確かに変化をもたらしたのだ。だが、これからの帝国はどうなるのか。そして、自分たちの立場は…


ふと、ルシウスの方を見ると、彼もまた困惑した表情で画面を見つめていた。二人の視線が再び合う。そこには、互いの立場を超えた、幼なじみとしての絆が垣間見えた。


第十一章:辺境の決断


北方辺境、ガリア防衛線。


激しい戦闘の合間、司令官ルキウスは事態の把握に努めていた。


「敵の大軍、まだ増え続けているようです」


副官カッシウスが、額の汗を拭いながら報告した。


ルキウスは無言で頷いた。彼らの奮戦も、ここまでか。そう思った瞬間、通信機が鳴り響いた。


「こちらガリア防衛線司令部。どちら様でしょうか」


「ルキウス、聞こえるか」


その声に、ルキウスは驚きのあまり言葉を失った。


「陛下…でしょうか」


「うむ。時間がない。よく聞いてくれ」


皇帝の声には、これまでにない切迫感が込められていた。


「帝都の状況は一変した。我々は大きな改革を決意した。だが、それを実行に移す時間が必要だ」


ルキウスは息を呑んだ。


「そのためには、お前たちの力が必要なのだ。何としても、その防衛線を守ってくれ」


「しかし、陛下。我々はもう…」


「わかっている」皇帝の声が、ルキウスの言葉を遮った。「無理な要求だということは。だが、帝国の未来がかかっているのだ」


一瞬の沈黙の後、皇帝は静かに付け加えた。


「頼む。最後の願いだと思ってくれ」


通信が途切れた。


ルキウスは、激しい葛藤に襲われた。彼の目の前には、疲労困憊した部下たちの姿がある。そして砦の向こうには、押し寄せる敵の大軍。


(これは、狂気の沙汰だ)


そう思いながらも、ルキウスの心の中で何かが変わった。それは、単なる命令への服従ではない。帝国の、そして故郷の未来を守るという、強い使命感だった。


「全軍に告ぐ!」


ルキウスの声が、砦内に響き渡った。


「我々に与えられた使命は、帝国の未来を守ることだ。たとえ、最後の一兵になろうとも、この地を死守する!」


兵士たちの間から、驚きと共に決意の声が上がった。


カッシウスが、ルキウスに近づいた。


「司令官、本当にこれで…」


ルキウスは、僅かに笑みを浮かべた。


「ああ、これが我々の選んだ道だ。歴史が、我々をどう評価するかは分からない。だが、我々にできることをやり遂げよう」


砦の外では、敵の攻撃が再開された。だが今、守備隊の士気は、かつてないほど高まっていた。


第十二章:新たな夜明け


帝都イスカンダル、皇帝宮殿。


ヴァレリアン三世は、疲れた様子で執務室の椅子に深く腰を下ろした。


「父上」


セレーネが、静かに部屋に入ってきた。


「ああ、セレーネ」皇帝は微笑んだ。「来てくれて嬉しい」


「改革の発表、素晴らしかったです」セレーネは父の傍らに寄り添った。「民衆の反応も上々でした」


皇帝は深いため息をついた。


「これで全てが解決するわけではない。むしろ、本当の戦いはこれからだ」


「分かっています」セレーネは頷いた。「でも、大切な一歩を踏み出せたはずです」


二人は黙って窓の外を眺めた。帝都の街並みは、まだ騒然としていた。だが、そこには以前とは違う、何か希望に満ちた空気が漂っているように見えた。


「セレーネ」皇帝が静かに呼びかけた。「お前は、この先の帝国をどう思う?」


セレーネは、少し考えてから答えた。


「困難は多いでしょう。でも、きっと乗り越えられると信じています。私たちが、民衆と共に歩んでいけば…」


皇帝は、娘の言葉に深く頷いた。


「そうだな。我々は、もう独りよがりな統治はできない。民と共に、新たな帝国を作り上げていかねばならないのだ」


その時、宰相マルクスが慌ただしく部屋に入ってきた。


「陛下、緊急報告です!」


「どうした?」


「北方辺境から…ガリア防衛線が持ちこたえたそうです!」


皇帝とセレーネは、驚きの表情を浮かべた。


「本当か?あの状況で…」


「はい。司令官ルキウスの指揮の下、守備隊が奮戦したとのことです。敵は大打撃を受け、撤退を始めたようです」


皇帝は、深い感慨に浸った様子で目を閉じた。


「ルキウス…よくやってくれた」


セレーネは、父の手を優しく握った。


「これで、改革を進める時間が得られます」


皇帝は頷いた。


「そうだな。彼らの犠牲を無駄にしてはならない。我々も、全力で新たな帝国の礎を築かねばならない」


部屋の中に、新たな決意と希望が満ちていた。


外では、朝日が昇り始めていた。その光は、まるで帝国の新たな夜明けを告げるかのようだった。


エピローグ


それから5年後―


帝都イスカンダルの中央広場。かつて激しい抗議集会が行われたこの場所は、今や市民たちの憩いの場となっていた。


マルクスは、友人のルシウスと共にベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。


「信じられないよ、ルシウス。あれから、こんなに変わるなんて」


ルシウスは頷いた。「ああ。まだ問題は山積みだが、確実に良い方向に向かっている」


二人は、過ぎ去った日々を思い返していた。あの動乱の日々、互いに敵対するかに見えた立場。そして今、共に新しい帝国の未来を築こうとしている。


遠くから、歓声が聞こえてきた。


「あれは…」マルクスが身を乗り出す。


「ああ、皇帝陛下のパレードだ」ルシウスが答えた。


通りを進んでくる馬車の上に、ヴァレリアン三世の姿があった。その隣には、セレーネが座っている。二人の表情には、かつての威厳さは影を潜め、代わりに民衆と共に歩む指導者としての誇りが滲んでいた。


「本当に変わったんだな、俺たちの帝国は」マルクスが呟いた。


ルシウスは静かに頷いた。「ああ。そして、これからもきっと変わり続けていく」


二人は、馬車に向かって手を振る市民たちに混ざった。その瞬間、ヴァレリアン三世の目が、彼らに向けられた。皇帝は、かすかに微笑んで頷いた。


マルクスとルシウスは、その仕草に深い感動を覚えた。それは、彼らの闘争と忠誠が、新たな帝国の礎となったことへの感謝の印のように思えた。


遠く北方では、ルキウスが指揮を執る新たな防衛線が、帝国の安全を守っていた。彼の功績は広く称えられ、多くの若者たちが彼に憧れて軍に志願していた。


帝国学院では、カシウスが教鞭を執っていた。彼の「新しい哲学」の講義は、つねに満員の聴講者で賑わっていた。


そして宮殿では、セレーネが父の右腕として、日々の政務に奔走していた。彼女の柔軟な思考と決断力は、新生帝国にとって欠かせないものとなっていた。


帝国は、まだ多くの課題を抱えていた。だが、かつての栄華を偽りの繁栄だと認識し、真の強さを模索する道を歩み始めていた。


それは、苦難の道のりかもしれない。しかし、この日中央広場に集まった人々の表情を見れば、その先に希望があることは明らかだった。


マルクスとルシウスは、再び視線を交わした。その目には、友情と、共に築き上げた新たな世界への誇りが輝いていた。


帝国の歴史は、新たな章を刻み始めたのだ。

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