第十二話 「私はあなたの専門家」
ちらちらと書いていますが、私は医師をしております。
今日はちょっと変わった「私の専門」について話をしたいと思います。
私が医学生の頃、自分は何の専門家になるかと悩んだ時期がありました。
肺炎や肺癌を見る呼吸器内科に尊敬する教授がいらしたので、呼吸器内科もいいな、と考えていました。
整形外科も手術がとても楽しそうでした。
自分に書痙という病気もあったため、精神科にも興味がありました。
ただある日、「大学病院以外での医療はどうなっているのか」という疑問が浮かびました。
もちろん、そうした専門家が大学病院外で診療をしているのですが、「大学病院以外での医療の専門家」がいないように感じたのです。
例えばですが、咳がなかなか治らないときに、呼吸器内科にかかります。
胸のレントゲンやCTを撮って異常がないとき、問題がないと診断し、咳止めを出して終わります。
そうすると、咳止めでいくらか症状は改善しますが、根本的には治りません。
次に耳鼻科に行きますが、副鼻腔も喉頭も問題がなく、今回はアレルギーの薬を出されますが改善しません。
長い時間だれも原因が解らずに咳だけが続きますが、ひょんなことで原因が解ります。
ある日、消化器内科で胃酸を抑えてもらったら、咳が改善しました。胃酸が逆流してその刺激で咳が出ていたのです。
稀な病気というよりは、臓器で見る医師ばかりで「症候」から診ることのできる医師が少ないことの弊害のように感じました。
例えばですが、ある人は高血圧と変形性膝関節症つまり膝が悪かったりしたとき、内科と整形外科にかかるか、どちらかの科でもう一方の科の薬を継続して処方してもらう、ということがあります。
思われている以上に、専門家以外の知識というのは無かったり、あるいは新しい知識に更新されていなかったりします。
よくある病気を一通り見ることのできる、あるいはすべての病気の窓口となれる医師は少ないように感じました。
海外ではその頃、家庭医や総合医という存在がありましたが、日本にはようやく紹介され始めていたぐらいの時期で、ほぼいない状態でした。
その時には出会った言葉、
「私は『あなた』という人間の専門家」
という言葉に感銘を受けて、その道に進むことを決めました。
そう決めてからは、本当に節操なく勉強しました。
ほぼ全ての科をローテーションで研修を受け、
大学病院、地域の中核病院、クリニックとすべての規模で診療をし、
診断の有名な先生のところに押しかけ、
高度救命センターにもしばらくお世話になり、
お産の手伝いをし、
整形外科や外科の手術のサブとして入り、
麻酔も担当しました。
往診ではオムツも交換し、吸痰などの看護師の仕事もやりました。
伸びた爪を切り、詰まった耳垢を取ることは今でもしています。
今はひとつの地域の1-2次医療を担当していますが、いろんな方がいらっしゃいますし、出来る限り対応するようにしています。
今は幸いにして、たくさんの患者様に来ていただいていますが、
最初は自分の専門を理解されないことに苦しみました。
「先生は何の専門家なのですか」
と聞かれても、
「あなたの専門家です」
と言っても、
「?」
となりますし、
「家庭医です」
と答えてもやっぱり、
「?」
です。
今でも「内科と整形外科をやっています」と答えて、ようやく、
「変わってますね」
と言われて、何とか受け入れてもらえる状態です。
当初はそれ故どんな人がかかればよいのかと思われていたようで、なかなか患者さんは増えずに苦労しました。
一時は患者さんの多い整形外科勉強して、整形外科の専門家になろうか、と悩んだ時期もありましたが、やっぱり自分の「好き」は変えられなくて、なんでも診て、なんでも勉強する日々を続けていました。
十年ぐらいたつと、そんな私でも理解されて受け入れられていくものですね。
本当にありがたいことです。
何とか借金も返しつつ、安定してきています。
以前、患者さんを増やすためにはどうしたら良いか、と悩んだことがありました。
私自身というよりは、他の医師を雇って増やそうとしたのですが。
大学の高名な教授に外来を担当してもらいましたが、駄目でした。
とある医療がとても上手な医師に来てもらったこともありますが、それも駄目でした。
比較的、整形外科の患者さんが多かったので、整形外科医を置いたりしたのですが、これも医師によって患者さんの数にだいぶ差があります。
何の違いがあってその差になるのかな、と思って見てみたのですが、私なりの答えとしては、
「病気に興味を持っているのか、人に興味を持っているのか」
の違いのように感じました。
つまり、膝が痛い人がいたとして、
レントゲンを撮って異常がないから大丈夫、と終わらせてしまうか、
痛みが改善するまで関わろうとしてくれるか、の差と言えばよいのでしょうか。
その人の困りごとの「痛み」に寄り添ってくれるのか、「膝の病気」にしか意識がいかないか、その差のように感じました。
このあたり、勉強の得意な医師が陥りがちなところかと思います。
むしろ、人が好きな医師の方が、このあたり上手な気がします。
医師になるにあたり、勉強はとっても大事なのですが、
この「人が好き」というということも、とっても大事なのだな、と当たり前のことながら感じる毎日です。
私も基本は「人が好き」です。
それぞれに人が持っている物語が好きなのです。
そして今日も今日とて、「私はあなたという人間の専門家です」と心に秘めて診療を続けています。