第十話 「生きる意味」
人はなぜ生きているのでしょうか。
何のために生きているのでしょうか。
そんなことを考えたことはありませんか。
私は高校生の頃、そんな悩みを漠然と抱えていました。
自分一人ぐらいいなくなっても、世の中何も困らないよね。
何もなしていなくて、ただ迷惑をかけているだけかも。
勉強をしないといけないのに、何もやる気が起きない。
そんな時に出会った話を、今でも時折思い出すことがあります。
とても古く、有名でもない話ですが、紹介させていただきます。
以前は伸たまきさんと名前でしたが、今は獣木野生に改名されて「パーム」という長編を長い年月かけて書かれている漫画家です。
その獣木さんの短編を集めた「ホワイトガーデン」の中に収録されている「フランケンシュタインは僕に云った」という話です。
おそらく西洋の一昔前の、とある田舎が舞台となります。
魔女を名乗る高齢の女性が亡くなる瞬間を、町の人たちで看取るシーンから始まります。
その女性が勝手に魔女を名乗っているだけと、町の人は本気では信じていな様子でしたが、彼女は死ぬ間際にこう言います。
「地下に罪人の死体をパッチワークしてつくったフランケンシュタインが地下室に寝ている。大人しくて従順な男だから、誰かの家の働きとして使ってもらえると有り難い」
と、とんでもない話をして息を引き取ります。
はたして地下に行ってみると、棺の中に眠るパッチワークの大きな男性が寝ています。
その不気味な様子に誰も引き取ろうとしませんが、とあるおじいさんが、
「うちは爺さんと婆さんと孫の三人家族だ。男手はいくらあっても有り難い」と彼を連れて帰ります。
孫の男の子は新しい友達ができたと大喜びし、お婆さんも「まあまあ大変でしたね。ここを自分の家だと思ってね」とまったく気味悪がる様子がありません。
それから、爺、婆、フランケンシュタイン、少年という奇妙な四人の生活が始まります。
魔女のお婆さんが話していた通り、フランケンシュタインの見かけはパッチワークがあって気味が悪いものの心優しい青年で、従順で力持ち。よく話を聞いて、よく働いてくれました。
爺さんとふたりで畑仕事を毎日行い、お婆さんの料理の手伝をして、少年と遊んだり語り合ったりした日々が続きます。
それは、罪人の死体をつなぎ合わせたフランケンシュタインには経験したこのない、穏やかで幸せな毎日でした。
ある日、フランケンシュタインは食事の前に家族がつぶやく感謝の言葉が気になりました。
「あの、いつも食べる前にお祈りしますが、これはいったい何のためのものなんですか?」
「なんじゃ、知らんでやっていたのか」
とお爺さんが答えた後に、お婆さんがこう説明してくれました。
「わたしたちお日様とか、食べられる野菜とか、実のなる木とか、素敵なものに恵まれて暮らしているでしょ?
だから、毎日神様にお礼を言うの。
神様というのはすべてを滅ぼし、すべてを作る、とても残忍で、とても寛大な、大きな人で、この自然そのもののことなんですよ」
フランケンシュタインは、なるほどなあ、とその時は漠然と話を受け入れました。
それからも変わらぬ毎日を過ごしていましたが、1年ほどたったある日、フランケンシュタインのパッチワークがほころび始め、腕が取れて初めて、自分の命が実は長くないことに気づきます。
最後の夜、フランケンシュタインがベッドに横たわり、爺さん、婆さんと少年が囲み、最後の別れの時間となります。
お爺さんは、
「私が急に陽に当たるところで働かせすぎたからだ」
と悔やみ、
お婆さんは傍らで涙を流します。
少年が、
「……フランケン、死んじゃうの?」
と聞きます。
フランケンシュタインは答えます。
「違うんだよ。僕はもともと死んでいた。
冷たいところだが冷たいとも思わない。
寂しいところだが寂しいとも思わない。
それが死んでいるということなんだよ。
でも今は違うんだ。わかるだろう?」
「でも死んじゃうんだ。死なないでフランケン」
と少年は泣いてフランケンシュタインにすがりつきます。
フランケンシュタインはその少年の頭を優しくなでて、こう言いました。
「神様……私のような者は、
ほんの少しの光と、
一握り糧と、
たった一言の命令があれば生きていけます。
なのにあなたは
これほどたくさんの贈り物をくださった。
何とお礼を言っていいか解りません。
どうかこの人々に、末永い幸せのあらんことを」
と涙を流して息を引き取ります。
話はその後の残された悲しむ家族、そして新たな季節が来て鳥が羽ばたくシーンで終わります。
私は決してキリスト教徒ではありませんが、フランケンシュタインが話した最後の言葉が心に深く響きました。
「ほんの少しの光と、一握り糧と、たった一言の命令があれば生きていけます。」
ああ、そうだな、とその時感じ、今でも時折その言葉を思い出します。
生きる意味というのは実は本当に些細なもので、わずかな希望と生きるための食事、今日すべきことがあれば生きていける。
それだけでも、平穏な毎日は多くの祝福に包まれている。
なるべくそれを忘れずに、日々の感謝を心がけています。
もちろん、ほんの少しの光や一言の命令がない状況のこともあります。
ヴィクトール・E・フランクルの書いた「夜と霧」などはまさにそんな状況でしょう。
アウシュビッツ収容所の中で死を待つ以外のことができない中、しかしそれでも彼は光と生きる意味を持ち続けた話です。
この本も、生きる意味に悩んだ時には、示唆を与える良い本です。
詳しく書きたいところですが、有名な本ですし、今でも容易に手に入る本ですので、皆さんにお勧めするだけにさせていただきます。
最後に、ニューヨーク市三十四番街にある物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁にある南部連合の無名兵士の詩をのせて終わりにしたいと思います。
大きなことを成し遂げるたために
力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられていた。
私はあらゆる人の中で、
もっとも豊かに祝福されていたのだ。