第一話 「変わるということ」
私は運動も、勉強もできなければ、性格も悪い子供でした。
身体を動かすことが嫌いでどんどん太っていき、私の見た目を評して「あんパンをつぶしたような」と言われていました。
勉強をすることも嫌いで、テストでは零点を取り、養護学校に入れた方が良いと先生に言われたことがあります。
嫌なことがあるとすぐに泣いていたので、学校でも私というと「あの泣き虫」という印象が強かったそうです。
そんな私が初めて変わることができた経験をしたのは、小学校二年生の時でした。
どんどん太っていく私を心配した親が、私をスケート教室に通わせました。それは、水泳も野球もサッカーもすでに定員一杯で入れなかった、あるいは断られて残っていたのがスケート教室だけだった、という何とも言えない理由で、私はスケート教室に通うこととなりました。
スケート教室はそれほど大変なものでもなく、数か月もしたら終わりを迎えました。何とか続けることができた私は、そのまま流れでアイスホッケーのクラブに入ることになりました。これが今までと打って変わって、地獄のように厳しいクラブだったのです。
今でも忘れられない「トップスケーティング」という練習がありました。30分間ただ全力で滑り続けるという信じられない練習です。それが嫌で嫌で仕方がなくて、毎回「やりたくない」「やめたい」と泣いて親に訴えていました。
当たり前ですよね。
今の私でも同じことを言ったと思うほど、それはきつい練習でした。
でも親はこの時だけは、辞めさせてくれませんでした。
どれだけ成績が下がっても「勉強しなさい」と言わなかった親ですが、なぜかこのアイスホッケーだけは私に続けさせました。
練習の後に好きなゲームセンターに連れて行ったり、美味しいものを食べさせたりして泣く私をなだめ、私も子供心に「ああ、これは逃げられないのだな」と理解しました。
勉強もしたくなくて、友達もいなくて、あるのはスケート場のフリーパスだけ。
普通ならあきらめて走り込みをしたりしますよね。
でも、私はそんなきついことはしたくなかった。
ただ毎日スケート場に行っては、ゆっくり滑って帰っていました。
頭の中を占めるのは、「練習、嫌だな」「どうしたら楽になるのかな」とただそれだけ。
毎日、毎日。
ただひたすら、そんなことを考えて、ゆっくり滑っていました。
こうやって走れば、少しは楽になるかな。
こうしたら、ちょっとは疲れないですむのかな。
そんなあさましいことを2年間ずっと考えながら、ゆっくり滑っていました。
小学校4年生になったある日、私は一人の先輩を抜きました。
自分でも何が起きたのか、解りませんでした。
何も特訓していません。
みんなと同じ練習だけして、他はただ毎日だらだらと悩みながら滑っていただけです。
何故?
どうして?
解らないまま、また一人先輩を抜きました。
私に能力があったわけでもありません。
人一倍努力したわけでもありません。
何故。
でもある時、気づきました。
誰もがみんな「どうしたら」と悩んでいるわけではないということに。
辛いとき、大変なとき、人は感情を殺して、考えることをやめて、ただ嵐を過ぎることを待ちます。
悪いことではないのです。
それが、身体と心が傷つかない方法の一つなのですから。
駄目ではないのです。
でも私は「どうしたら」と悩んでいました。
感情を殺さず、泣きながらですが、悩むことを止めていませんでした。
だいぶ先になって、「どうしたら」と悩めることも、何度も繰り返し続けられることも、才能の一つだと気づきました。
誰もができることではないと。
でもね、思うのです。
誰でも、できない、ということでもない。
もし今、あなたが苦しみの中にいるとしたら。
学校に行けなくて、仕事に行けなくて、部屋に閉じこもっているとしたら。
勉強ができなくて、運動ができなくて、容姿が優れなくて、苦しんでいるとしたら。
誰かを責めず、もしそれで自分を責めているとしたら。
それはきっと、無駄なことではない、と思うのです。
小さな、小さな。
「どうしたら」
を心の中で繰り返していると思うのです。
「できない」
「怖い」
「頑張れない」
「つらい」
「不安」
「自分が嫌い」
数々の心を刺す言葉や思いの裏に、小さな「どうしたら」が潜んでいる。
でも、だからこそ辛いのだけれど。
いっそ、そんな希望みたいなもの、無ければもっと楽なのに。
でも、でも。
私は無理に変わろうとしなくていいと思います。
努力も必要ないと思っています。
小さな「どうしたら」を繰り返している間に、ものすごく小さな一歩があります。
気づかないほどの、他の人から見たら笑ってしまうほどの小さな一歩。
その一歩を大事にしてあげてください。
また元に戻ることもよくありますが、小さな一歩が積み重なって、いつか二歩につながります。
そして、
小さな一歩を笑う人、馬鹿にする人を遠ざけてください。
大事にしてくれる人、褒めてくれる人を近くにおいてください。
いつか、そんな一歩を応援できる人になってください。
それが私の思う、「変わるということ」なのです。