第32話 食べられる日常の尊さ
――――マユとアリノが来た時は、ヒーローとしての活動のことは伏せていたいのでカジタやペコに対して慎重にならざるを得ないが、それでも基本的に店に来てくれた時はまったりと寛いでコーヒーを楽しみ、気分を入れ換えてそれぞれの仕事へと戻っていった。
さて、カジタに激励され、ペコには叱咤されながら修行のヨウヘイは、その努力を始めてからもう3週間あまりが経とうとしていた。
閉店時間後、カウンター席にはカジタとペコ。調理場にはヨウヘイが位置して、2人に対してそれぞれコーヒーとイタリアンを(夕方なのでそれぞれ少量だが)味見してもらった。ちょっとしたテストである。
「――――ほーう……やるじゃあねえか、ヨウヘイ。まだまだ俺が淹れるコーヒーには及ばねえが……ギリギリ店に出せる及第点には達している。この調子で努力を続けりゃあ、『2代目』も夢じゃあねえかもしれねえなあ。はは!」
「――――コーヒーの雑味が抑えられてるのにコクが深くなってマース。香りも良い…………悔しいケド、大きく差を縮められちゃいマシータネー……。」
まず、コーヒーに関してはまだ本家本元のカジタには劣るものの、少なくとも普通に飲んで美味しいと感じるレベルには達している。カジタは恵比須顔で、ペコは渋い顔だ。
「――そりゃあ良かったぜ。次、イタリアンも味見してくれよ。」
――ヨウヘイはペコからこの3週間あまり、最も手軽、かつ、そこそこ無難でもあるイタリアンの軽食を学んでいた。ペコは同性にはただでさえ厳しめだと思われるが、自分の本分であるイタリアンにまで追従されるとなると、なお一層厳しくヨウヘイには接した。
だが、ペコの当初の思惑とは違い、その厳しい叱咤にはイタリアンを作る上での妙所も含んで教えていたので、自ずとヨウヘイの料理の腕は急激に伸びていった。
「――――ほほう。ペコにゃ負けるが、こっちもなかなかじゃあねえか。少なくとも不味くぁねえな。」
「――――ムムムムム…………味は全体的に濃すぎるし、脂っぽさも強いデスケド…………確かに、見栄えは良くなってるし、悪くは無い……デスネ。」
――――真剣に充実した修行の日々の1週間は、惰弱な気持ちで漫然とした1年間の修練に勝つことがある。
まさに、それまで惰性で喫茶店のバイトをやっていたこれまでのヨウヘイとは違い、明確な目的意識を持ってほんの3週間あまりとはいえ、真剣に打ち込んだ今のヨウヘイは、まだ極意には遠いが目覚ましく腕を上げたようだ。
「――――いいだろう、ヨウヘイ。これからはおめえが淹れたコーヒーも客に出すことを許す。だが、イタリアンはまだまだみてえだ。その調子で精進しろや。俺ぁ安心したぜ。」
「――むぐぐぐぐ…………やっぱり給料上げて時間減らされるの、断ればヨカッタ…………うかうかしてられないデース。」
「……へへっ! やったぜ!!」
僅か3週間あまり。されど真剣に努力した3週間あまり。ヨウヘイは充実感の中にいた。
ヒーローとして悪との戦いの中での命の削り合いよりも、やはり人間的にはこういった日常的な修練に集中している方が充実感を得やすいものだ。次がいつマユに呼び出されて出撃するのか解らないが、この3週間あまりの時間に感謝し、そして妙所を会得するまでの今後の長い期間に希望を持つのであった。
「――さて! そろそろ晩飯だ。仕掛けるかねえ。」
「――ハイ!! マスター!! ボクだってもっとイタリア料理を上手くなりたいのデース! 今晩も振る舞わせてクダサーイッ!!」
――ヨウヘイが思わぬ成長を見せるので、焦ったペコは背筋が攣りそうな勢いで手を挙げ、晩飯当番を申し出る。
「……おめえの負けん気も認めてるよ。だが、ここ数日イタ飯ばっかだ。たまには俺みたいな庶民の家庭料理作らせてくれよ。イタリアンばっかで胃もたれしそうだぜ。」
「――ふぐっ…………むぅ~っ!!」
――露骨に不機嫌な顔をしてしまうペコだが、カジタも「わかったわかった。勘弁しろ」といった様子で手を仰いで宥める。
「庶民料理も悪かあないぜ? 今夜は味噌汁に漬物、そんで炒飯と刻みキャベツだぜ。」
カジタにしてみれば、まだヨウヘイ以上に若いペコが機嫌を損ねるのも心が少々痛むが、やはり切磋琢磨しながら成長していくヨウヘイとペコ両方を見て、嬉しい気持ちを抑えられなかった。
すぐに慣れた手つきで手際よく料理を行ない…………やがて3人前の賄いが出来た。
キャベツは新鮮で瑞々しく、炒飯は米ひと粒までパラパラと味が通り、薬味を引き立てている。漬物も塩味と歯応えが絶品だったし、味噌汁は豆腐に葱にワカメも入り、飲めば1日の緊張が解けてホットした気分になれた。
「――――何気ナーク食べさせてもらってた庶民料理デスガ……フゥーム…………奥が深いデース……炒飯もパエリアとは全然違いマース。極めつけはこのミソスープ。こんなに気持ちに安心感が湧いて来るなんて……」
「――おいおい。熱心なのは解るが、賄いメシ食う時ぐらいは気ぃ張るなよ。そんなにカリカリメモ書きしなくても。」
――日常的なことに従事出来ることは、ある意味悪の手から世の為人の為闘うことよりも尊いことかもしれない。
いつまたマユからの呼び出しがあるか解らないが、『この日常を守れたらいいな』と、ヨウヘイは密かに思い、微笑んだ――――