第11話 新たなる日々
――――それからヨウヘイはHIBIKI先進工学研究所を後にし、元々のバイト先兼居候先であるカジタの店……純喫茶『RICH&POOR』へと帰ることにした。
研究所も少し見て廻ったが、働いている職員はほとんどの人たちが充実した表情で仕事に従事し、会話を交わしては明るい笑顔でいることが多かった。
所謂、ホワイト企業というものだろうが、ただただ易しいばかりではない。
福利厚生も給与も社会保障もとても手厚いが、その分職員たちには高い能力や才能が必要のようだ。中には仕事でいっぱいいっぱいなのか、仮眠室なども多く設けられていたが、よほど仕事の出来る人以外は残業なども多くやるのか、ベッドが満室のところも多かった。
夜勤明けと思われる職員が他の、同じく残業続きで疲労したと思われる職員が長々と仮眠室で寝て休んでおり、『時間だから早く代わってくれえ!!』と懇願しながら叩き起こそうとする場面も見た。
繰り返して言うが、この研究所は仕事のレベルが高い点においては厳しいが、それ以外のあらゆる保障や給与は非常に恵まれており、有料休暇なども簡単に取ることが出来るので……本当に休みたいと思ったのなら申請して自宅で休むなど出来る。それでも敢えて仕事場から離れようとしない職員もいるのは、よほど仕事に充実感を覚えて楽しんでいるからだろう。悪い言い方をすればワーカーホリック気味といったところか。ふた昔ほど前のビデオゲーム制作会社などでよく見られた会社の気風だ。
何人か職員に声を掛けられ、ヨウヘイは所長であるマユのことなどを聞いてみた。
マユはきわめて所内からの人望が厚く、誰1人として陰口や不満を募らせる者はいなかった。強いて言うなら、もう少し仕事量を減らしてほしいとか休暇が欲しいといったところか。
受付嬢が『女性職員の憧れの的』と言った通り、男女問わず人気があり、慕われていた。中には玉の輿狙いか、単なる恋慕の情か、積極的に公然とマユにアプローチする職員もいるほどだ。
――だが、マユに近付いた職員ほど、少し悲しげな顔をした。
何故なら、マユ自身が全職員の中で群を抜いてワーカーホリックであり、誰よりも無理をして研究と仕事を推し進め、時には無茶をして己の心身を顧みない行動も辞さなかったからだ。
「――――マジか…………あいつ…………。」
それを聞いてヨウヘイは複雑な気持ちになった。会社を経営し、研究を進めるほどの財力も能力も恵まれながら、どこか己の幸福な人生をかなぐり捨てて『悪』を滅することに執着しているのだろうか。単なる表面的な社会的カーストを見て『勝ち組と負け組』などと口にした自分を恥ずかしく思うヨウヘイだった。
組織の長として事業の先陣を切って進み、誰よりも活躍して付き従う職員たちを助ける。それ自体は立派な所長と言えなくも無いが、働きすぎで己の身を顧みないヒビキ=マユという女を職員たちは憐れに思っているようだった。出来ればもっと自分を大事にして欲しい、と。
帰り道に、ほんの僅かの職員と話をしただけで、この有り様だ。
かといって、アルバイト社員になったばかりのヨウヘイには今すぐどうすることも出来ようはずもない…………モヤモヤした思いを抱えながらも、帰路につくことにした。
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――やはりと言うか、帰り道はマユは車で送ってはくれなかった。今日のヨウヘイ、そしてリッチマンについて得たデータを解析しているのだろう。
車で20分ほどの距離なら、電車やバスを使えばすぐだが……貴重な治験代による60000円をケチって、電車なら2、3駅ほどの距離を歩いて帰ることにした。充分なウォーキングによる有酸素運動。健康的と言えば健康的だった。
店に着く頃には、もう辺りの陽が落ちて暗くなってきていた。
「――――おっちゃん、ただいま~…………って、何だ、その人……!?」
玄関の扉を開け、例によって扉にくっつけてある鈴が鳴る音。しかし、カジタが厨房からカウンター席を挟んで座る人物は、ヨウヘイの見覚えの無い者だった。
――何やらビビッドトーンの黄色や紫の派手な色合いのシャツを着てホットパンツを穿き、丈の短いヒールを履き、肌は赤みがかっているが白く、髪はオレンジ色でくせっ毛だらけなものをヘアゴムで二つ結びにして留めている。手指の爪はイエローのネイル。瞳の色はエメラルドグリーン。外国人だろうか……。
「――おう、帰ったかヨウヘイ。新しいバイトはどうなんだ? 上手くやれそうか?」
奇抜な見た目の若者を睥睨しつつも、動揺気味にカジタに返事をする。
「いや、それは……これから次第っつーか……まあ、上手くいくと思うんだけどよ――――その子は? 客?」
「――おめえに、前に話さなかったか? つーか、『シフト制にする』って連絡したばっかだったよな……実はアルバイト店員を新規に雇うことにした。前からアテがあったんでな――」
――目の前の若者が新たなアルバイト店員。つまりはヨウヘイの後輩。
だが、ややアーティスティックな外見の若者は、見た目は女性にしか見えない。
「――――ま、まさか…………前からアテがあったって――――おっちゃんの、子供…………!?」
――ヨウヘイはあからさまに、マユが身体検査で確認した、ビビると身体を捩らせてナヨる癖を見せながら狼狽する。
「……俺ぁ昔も今も独身だよ……」
「――じゃあまさか――――恋人――――ッッッ!? こんな若い子を誑かしてェッ!?」
「こう見えても男だよ!! まあ、ファッションセンスが女性的なのは認めるが、な――ほれ、先輩に挨拶してやってくれ。」
――一瞬喜劇舞台のような遣り取りをしたが、カジタに促され、女性的な装いの後輩は席を立って挨拶を始めた。どうやら日ノ本言葉は少しは解るらしい。
「――ハジーメマシーテ!! イターリアから来まシタ、ペスコ=コーシャって言いマース! 気軽に『ペコ』って呼んでもらえると嬉しいデース!!」
――奇抜な見た目の後輩店員は、郷に従ってオレンジ色の頭を下げてヨウヘイに一礼した――――