17◆サザクード家
かつてはランドラー公爵家を後ろ盾とするイシュマが王太子として立つであろうというのが貴族の大方の予想だった。アイザックが立太子した時に貴族中が揺れた。
サザクード侯爵家は魚人を支配し働かせる元締めで表も裏も牛耳っていたのが、ランドラー公爵を始めとする貴族院達が国王を丸め込みサザクードから権利を奪っていった。
そんなランドラー公爵家の血を引くイシュマにサザクードが付くわけにはいかない。魚人と対等に取引を始めたことにより海の恵みは軒並み値上がりをしたので、そこを狙って民意を焚きつけた。人は知らぬ民族の行く末などより、自分の台所事情が大事だ。王の新しい政策は国民の生活を圧迫するものであると新聞屋に金を握らせ記事を書かせた。中には事実無根な記事もあったが、民はそれが事実かどうかなど確かめる術もない。ランドラー派の貴族から記事の訂正を求められても、次の号の欄外に小さく詫び文の一つでも載せておけばいい。そんなもの読む奴などいやしないのだ。もしそんな奴が居たとして声を上げるのなら潰してしまえばいい。海の権利を奪われたが、そんなことをするだけの力はまだサザクードにはある。
アイザックが王太子となったのは恐らく裏があるだろうが、世論と魚人との取引によって生まれる富で再び返り咲き、その力でアイザックを王とした政権を維持することができるはずだと考える。計画は順調に進んでいるのだ。
娘のマリーにもゆくゆくはアイザックの妻に、などと話したら本人も満更でもないようで、自らアイザックとの距離を縮めていった。
「お父様、最近アイザック殿下が少しつれないのですわ」
「どういうことだ?マリー」
一部の貴族の間ではアイザックとマリーの仲が噂されている。公然の秘密としてしまえばその後にマリーを第二王妃とするのも簡単になるだろうとその噂にはあえて手を入れていない。それがつれない、というのはどういうことか。
「逢引の場所に来てくださらないの」
マリーの言葉にサザクードは思わず口を笑った形に歪ませる。例の魚人との裏取引…表向きには交流パーティーとしているが、それが目前に迫っている。今回、アイザックの役割はサザクードがこのパーティーを開催するのを良しとしないランドラー公爵一派との対応だ。開催予定の日程は遠い日付で伝えているが、嘘だ。うるさい貴族たちが騒いでいる間に話は終わっているという寸法だ。
きっと今アイザックは貴族たちの質問やクレームに明け暮れているのだろう。マリーを構う暇などないはずだ。
「ああ、今は忙しい時期だからな。もう少しの辛抱だ」
「お父様、そういうのではないんです!それに、あのシヴォレーから来た王女と城内で親密にしているらしいのです!」
酷い剣幕で訴えるマリーに、サザクードは肩をすくませる。シヴォレーの姫が城にやって来た時にひと目見たが、淑やかそうな美しい姫だった。あんな女が自分の妻になるのなら悪くない。れっきとした婚約者同士なのだから城でいちゃつこうと何の問題もない。サザクードはマリーがそれに嫉妬していると思い、なだめようとやれやれと言ったように猫なで声を出す。
「おお、マリーや。シヴォレーの姫を迎えるのは国交の正常化のためだ。邪険にできるわけなかろう?なぁに結婚式さえ済んでしまえばお前の元に戻ってくる」
「そうじゃないんですの!」
マリーは父親に食って掛かるが、サザクードは軽くいなす。アイザックと距離を縮めたとは言っても深い仲になったわけではない。魚人との取引を成功させた暁にはアイザックへの支援を餌にマリーを王宮へ送り込む手はずだ。そうなればマリーにも寵愛が向くだろう、そう焦る必要はない。
「お茶会とかもなんだか上手く行きませんし、…なんだかおかしいんですの!」
貴族の暇な夫人や娘たちが集まる茶会で何かへそを曲げることがあったようだ。サザクードは小さくため息を吐き「わかった、わかった」と言いながら席を立つ。いつまでも我儘娘に構っている暇はないのだ。
「茶会のことはわからん、エレノアに言いなさい」
「お母様にはどうにも…!」
「じゃあお父様はもう一仕事してくるぞ」
そう言って家族の団欒をする部屋からサザクード侯爵が出て行くと、マリーは一人取り残された。
「…なによ」
茶会の風向きが突然変わり、王の妹がシヴォレーの姫の機嫌を取りだした。今まで上手くいっていたことが全部ひっくり返ったあの日。その後、城でアイザックがシヴォレーの姫を抱きしめていたなんて噂を聞いた。そんなことをマリーにはしたことがない。夜の呼び出しに応じてくれて、二人だけの名前で呼び合って、話をする。ただそれだけだ。だけどいつも向けられる笑顔は優しくて、自分は大事にされているのだろうと思っていた。
「…あの女が来てから全部おかしいのよ」
茶会でいつもニコニコと菓子を食うだけの姫。顔は整っているがどこか地味で、マリーの方がずっと華やかだと自負をする。王族のくせに政治の話にも疎く、何かといえば質問しかしてこない。そんなつまらない女が、王家に生まれただけでアイザックの寵愛を受けるのがマリーには納得がいかなかった。
アイザックを愛しているのか、と問われれば真っ直ぐにそうだと言えるかはわからないが、マリーはすっかりアイザックを自分のものだと思っている。とある民族の血を引いているので肌は浅黒いが、それも王位に就いてしまえば問題ない。そんなこともマリーは自分だけは理解者だと思っている。線の細いイシュマよりも、逞しいアイザックの方が見栄えとしてもマリーの好みだ。そんな気に入りの男を、たかが人質の姫に奪われてなるものか。
マリーは苛立ちついでにテーブルの上に並んだ美しい茶器をひっくり返し、メイドが急いで片付けに来るのに目を向けることもなく部屋を出た。
マリーの今の心は、床に散らばった茶器の破片のように尖りきっていた。
次回更新は5/13です。
5月下旬からちょっと多忙になるため、次回更新でちょっと書き溜め期間に入ります。
なかなか終わらないな??