16◆作戦会議とうわの空
サザクードが魚人の商人と会食の席を持つという。それは表向きは友好を示す会であるが、その裏は奴隷の売買だ。アイザックはあくまで奴隷売買など承認しないという態度でいたが、アイザックのことはすっかり下に見ているサザクードは「承知しております」などとのらりくらりとした返事をしながら、秘密裡に話を進めていたのだ。
アイザックにはジーンのような自分の手駒はおらず、調査は全て自分の足で行う。婚約者と一緒に食事をする時間も取れなかったのはこういう理由だ。
奴隷売買の取引現場と、捕らえられている奴隷をランドラー公爵家の手の者たちで押さえるのが予定されていた筋書きだ。だがこれに少し手を加えようというのがファレルの案だ。
「サザクードを捕らえるのはアイザック殿下とイシュマ殿下のお二人でございます。情報収集はアイザック殿下がずっとされていたのですから、その手柄をランドラー公爵に渡す必要はございませんわ。王城の兵士を伴って行きましょう」
ファレルの提案を静かに聞いているアイザックは眉間に皺を寄せ考え込む。
「ここまでの計画を立ててお膳立てをしていたのはランドラー公爵だ。それを出し抜いたとなると、その後が厄介になる」
「アイザック殿下お一人ならばそうでしょう。だからイシュマ殿下とお二人でやるのです」
「いくら僕がいるからっておじい様がお許しになるとは」
イシュマの発言にファレルは遠慮なく顔をしかめて呆れたように言い放つ。
「はぁ?許してもらう必要はないでしょう?ランドラー公爵が怒ろうが何だろうが関係ないんです。イシュマ殿下が取る態度は『僕のためにお膳立てをしてくれてありがとう』です。それに逆らおうものなら王族に反逆の意図を持つとして罰することができますわ」
「…なるほど…」
「あくまでアリドネアのことを考えての行動であれば、捕り物の主役がランドラー公爵でもイシュマ殿下でも構わないはず。いえ、今後王太子にすることを考えればイシュマ殿下を立たせた方が良いとも言えますわ。そこに考える隙ができるので、その後もすぐには手出しはして来ないでしょう」
ファレルは次にアイザックが持ってきた会食会場の図面へ目を落とす。
「店の警護はサザクードの私兵、奴隷が居るであろう倉庫は魚人の荒くれが見張っているのね」
「そうだ。まずは倉庫を押さえ証拠を握る」
二人の王子とファレルは図面を見ながらああだこうだと作戦を練っている。その傍らでセイラはそろそろ眠くなっているのを耐えていた。
セイラは王女のお世話のプロである。悪党を捕まえるなんてことは然るべき役割の人たちにお任せだ。だけど今セイラは王女の振りをしているわけで、それじゃあよろしくねと一人だけ退席して眠るわけにはいかない。当の本人であるファレルが参加しているのだからセイラはどんな内容でも異論はない。好きにやって欲しい。
そんな感じでセイラは一歩下がって三人を見ていた。同じようにジーンも引いた視線で作戦を聞いているようだ。問題点や注意点は頭の中でリストアップされているのかもしれない。
アイザックとイシュマは今まで見せていた顔とは違っていた。ファレルのくるくる回る思考にアイザックは後れを取ることはない。ファレルの言葉が全部終わっていなくとも内容を理解しているようにも見える。瞳は知的に輝き、フル回転する頭から下される判断は早い。
アイザックの前ではわざわざ憎まれ口を叩いていたイシュマだったが、今はそんな素振りは微塵も見えない。アイザックやファレルの案に質問や提案をすることはあるが、それがファレルにより無下に却下されても苛立ちはないようだ。とても素直な気質をしている。イシュマから出る案を聞いているととても慎重深いのも伺える。
作戦内容には付いていけないセイラではあるが、人物についての観察は怠らない。そして各人の持ち味を隠すことなく活気あふれる作戦会議を悪くはないのではとも思っている。
こんな熱はファレルと、兄であるライオネルが話している時も感じていた。
もしかしてこの結婚は、とても良かったのじゃないだろうか。
セイラはふとそんな風に思った。
確かに厄介事もあるが、そんなことはシヴォレーとてお互い様なことだ。だけどそれを一旦置いといて、ファレルがこのようにいつもの様子で話すことに、二人の王子はシヴォレーの女如きという態度を二人を取らない。先にファレルがアリドネア側の策を握りその力を示したのも大きいとは思うが、いくらファレルに力があっても「女だから」と政治の輪に入ることを良しとしない風潮がシヴォレーにはあったのだ。
ファレルのそばにいるのがこんな人たちなら、それは良いことに思える。
(アイザック様は、実は私がファレル様ではないと知ったら、お怒りになるかしら。それとも騙されたことを悲しまれるかしら)
セイラはファレルに仕える侍女で、ファレルの言うことは絶対だ。だからファレルの策で入れ替わったのなら滞りなく業務を遂行し、そして終わらせるのが任務だ。
だけど、もしアイザックが悲しんだりするのであれば、それは少し胸が痛いような気がするのだ。
(いつの間にかこんなに情が移っていたのかしら)
公爵令嬢のセイラは恋にうつつを抜かしたことはない。家や国王が決めた伴侶と共に生きることを運命づけられているのを重々承知している。それでも、伴侶となった相手とは仲良くやっていきたいとは思うが、愛する相手と結ばれたいなどと思ったことはない。
(…自分の欲望には目を瞑らなければ)
まだ『欲望』などとは呼べないものだけど、ほんの少し胸の奥で感じるさざめきをセイラはやり過ごさなくてはと心を落ち着ける。
きっと抱きしめられてしまったから。
愛してるなんて言われてしまったから。
全部嘘の上にあるもので、自分が受け取っていいものではない。
ファレルが入れ替わりなど言い出さなかったらこんな気持ちになることは無かったかと思うと、少し恨みがましい気持ちにもなるが、王子とファレルの様子を見るにこれで良かったようにも思う。身分を明らかにする時のことはファレルに任せていればいい。
今まで生きていてこんな風に心が揺れたことはなかった。いつも目的は明確で、自分はそこに向かってひたすら歩いていけば良かったのだ。
そんなことを思っている間も、セイラの目はふと気づけばアイザックを追っていた。そんな自分に呆れて思わずため息が零れる。
「ファレル、疲れたか」
「!いいえ!ごめんなさいそんな風に見えてしまいましたわね」
アイザックは黙り込んでいるセイラに向かって声を掛ける。一気に現実に引き戻されてセイラは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
自分の思考にはまりこんで上の空になっているのを悟られてしまった。セイラには珍しい不覚である。
次回更新は4/29です。