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15◆ 亡くなった兄上のこと

シヴォレーの王女が淹れたお茶は、緊張した気持ちが思わずそちらへ向くほどには美味しかった。


「これは…驚いたな、ファレルにこんな特技があったとは」


目を見張るアイザックに、今はファレルであるセイラはにっこりと微笑みを返す。


「はい、本当はいつも私が淹れて差し上げたいのですが」


そう言ってセイラは傍らに立っているファレルに目線を向けるが、ファレルはそれに応えることはない。セイラの「早く交代してくれ」という訴えは無視である。


「アイザック…僕がこのお茶を好きだって良く知っていたな」

「よく選んでいるだろう。とっておきの菓子の時なんかの時には必ず」


アイザックはイシュマのことをよく見ている。イシュマのことだけではなく、周囲の人たちのことをよく観察しているのだ。趣味嗜好、不快に思うこと、人間の情報を集めて立ち回る。それが城で生き残る方法だった。アイザックはそれを意図的にやっているわけではないが、無意識に必要を感じて身に着けていったのだ。


「このお茶は…兄上が教えてくれたんだ。王室に収めている定番品ではなくて、紅茶屋の店主が奥さんのためにブレンドしたのが始まりっていうお茶なんだ」


そんな話を優しかった兄がしてくれたのは随分昔のことだ。誰もが次の王として異論はないほど賢く明るいオーラの王太子だった兄。訳アリで嫁いできた部族の娘が産んだ子と、王室と長く懇意にしている公爵家の、おそらく自分の政敵になるであろう家の娘が産んだ子にも分け隔てなく兄として接していた所から器の大きさも垣間見える。


「…僕は、兄上のことが好きだった。よく遊んでくれたよね」

「ああ。俺たちが何者であるとか関係なくな」


兄は王家は一丸となるべきだと考えていた。不要な争いで弱体化するのを避け、三人の王子で国造りをしたらいいと。そしてそれを実行しビジョンを実現化する力もあった。だからこそランドラー公爵が芽を摘んだのだろう。


シヴォレーとの戦いでは指揮を執り自らも剣を振るった王太子は、王領から城へ帰還する途中に馬車が谷に落ちて亡くなった。悪天候の中移動をしなくてはいけなかった不幸な事故だ。王太子に代わって指揮官となった男は一見ランドラー公爵とは何の関係も無かったが、徐々に懇意になっていった。最初から何か密約があったとも考えられるが、大きな権力を持つランドラー公爵に追求する者はいない。それをすれば王太子と同じ道を辿るのだ。


兄が亡くなったのはアイザックとイシュマが十三の歳の時で、十年も前の話だ。あの時は兄を失ってただ悲しんでいたが、色んなものが見えるようになった今は情報を元に自分で選ぶことができる。


「…もう、あんな思いをするのは嫌だ」

「イシュマ」


兄は王太子で、未来のビジョンを持っていた。それがランドラー公爵の意に沿わないと排除をするのであれば、それはイシュマが望む未来ではない。


「僕は兄上が王になったアリドネアを見てみたかった…それは叶わぬ夢だ。だけど、この手で描くことはできるだろう」


カップから目線を上げて、イシュマは侍女の振りをしているファレルを見やる。


「この際だ、アリドネア王家に巣食う者を全て片付けたい。シヴォレーが味方に付くと言っても、そちらも一枚岩ではないのだろう?王太子の妹君が来ているということは、ライオネル王太子が協力してくれるということだな」

「お察しの通りですわ。ここで自由に動くのもライオネル王太子の意向の範疇まで。そして現場の方針はファレル王女に従えとのこと。血を流さずにサザクードの件と、王位継承の件を対処する方針だと王太子殿下にはお伝えしますわ」


イシュマは言葉は告げなかったが、視線でファレルへ同意を伝えた。そして深い溜息を吐いてソファに沈み込んだ。


「お前は僕に恐れていると言ったが…今とても怖いよ。おじい様に逆らった事なんて今まで無かったんだ」


言葉を聞いて、セイラはちらりとファレルを見る。いない間に一体何を喋っていたのだか。


「随分遅い反抗期でいらっしゃいますわね」

「セイラ!」


こんなことを言い出すので、ファレルには自分の名を名乗って欲しくないのである。だけどファレルの言葉にイシュマは怒りだす素振りは無い。


「すみません、うちの侍女が失礼なことを…っ」

「ずっと傍に置いてるんだろう、信頼しているんだな」

「あの…口調や正確には少々尖った所がある子ではありますが、決して悪意から言ってるのではございませんの…」

「いや、羨ましいよ」


今まで心の内が読めなかったアイザックと、兄を亡き者にしたであろう祖父とそれに従う母。家族としての親愛の情はあれど信頼と呼ぶには遠い。誰の息が掛かっているか解らないので心許せる臣下もいない。

信じられる者が傍にいるのを羨ましいと思うのはイシュマの本心だ。


「ジーン、こちらへ」


侍女の振りをしたファレルが呼ぶと、いつの間にか傍らに音もなく現れた。相変わらずの黒い帽子とマフラーで、鋭い視線で王子たちを射る。


「聞いていたわね。急ぎお兄様へご報告をしなくては」

「御意に。ファレル王女のご意向はアリドネア王家の正常化と自立であり、シヴォレーと対等な立場で両国の発展に互いが寄与する、ということですね」

「左様です」


ジーンの言葉を受けてセイラが答える。


「ファレル…ありがとう。俺は貴女の気持ちに報いたい。アリドネアとシヴォレーが手を繋ぐ未来に貢献すると約束する」


アイザックはセイラを見つめ、迷わずに言い切った。今までのアイザックとは違い、目に光が宿っている。


「そして…初めに愛するつもりはないなどと言った非礼を謝りたい。すまなかった。俺にはそんなことができる未来が来ないと思っていた…だが」

「あ、あの、アイザック様、今はそれは…」

「俺はファレル、あなたを愛している。俺が王太子でなくなったとしてもこの気持ちは変わらない。それをどうか知っていてくれ」


アイザックの想いに気付いていなかったのはセイラくらいのものなので、イシュマもファレルも驚きはしない。今後婚約者であり続けるかは状況次第で変わってくるが、この場で愛を誓ったのは立場や役割は関係なく、アイザック自身の想いを伝えておきたかったからである。


「あの…はい」


セイラはこんな言葉を面と向かって言われたことはなく、ろくな返しができないでいる。わかるのは自分の頬が随分熱いことだけ。これからランドラー公爵の筋書きを変えていく大仕事が始まるというのに、ドキドキなんかしている場合じゃない。しかも自分は身代わりで、こんな言葉を受け取っていい人間じゃないのだ。


だけどセイラは自分に向けられたアイザックの真摯な眼差しに、胸が切なくなるような、なのに甘くしびれるような、不思議な感じがするのだった。

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