11◆その侍女はただの侍女じゃない
「ジーン、いる?」
城の敷地内にある、忘れ去られた埃っぽい倉庫部屋でファレルは呼びかける。ここは建て替えられた倉庫の前に使われていた所だが、取り壊しの予算はシヴォレーとの戦争に使われずっとそのままになっているのだ。
「こちらに」
部屋の片隅の暗がりから声がするが、そこから月明かりが届く場所へ姿を現すことはない。彼は一度セイラの前にも姿を現した鋭い瞳をしたライオネルの従者である。
「報告を」
調査結果は全て口頭で伝えられる。これならば誰かに聞かれていない限り調査結果が漏れることはない。ファレルは派遣された従者をフル活用し、王妃の現状、ランドラー公爵家、サザクード侯爵家、アイザックの母と母の実家の調査をさせた。いくら何でも激務である。それでも平然とジーンはファレルに報告を上げる。
「そう…王太子を交代、そんな密約が…」
「ファレル様の言う通り、シヴォレー王家は全面的にアイザック王太子に協力することを伝えたら、ようやくアイザック殿下の御母堂様がお話くださいました」
「お家騒動は花嫁を迎える前に終わらせておいて欲しいものだわ」
「誠に」
ライオネルの従者であるジーンは報告全てを自分の主人であるライオネルにも上げる。ファレルの行動も筒抜けになるので状況によってはやり辛くなるのだが、逆に言えば「ファレル第二王女は王太子であるライオネルに隠し立てすることは一切ない」という証明にもなる。
元々意見は合うし仲もいいので今のところは証明してみせる必要もないが、シヴォレー王家もややこしいので、手の内を晒しておけばライオネルも安心だとファレルは考える。
ジーンによると、サザクード侯爵の悪事は結婚式前に審らかにされるであろうということだ。ランドラー公爵家が大掛かりな捕り物の準備を整えており、家の手柄にするつもりだろう。
アイザックはサザクード侯爵にそそのかされた間抜けとされるのか、またはサザクード侯爵と手を組み悪事を働いたとされるのか、どちらに転ぶかは解らないが筋書きはそんな所だ。
「お兄様は私が間違いなくアリドネアの王太子と結婚するのなら、何をしても構わないと仰っているのよね」
「左様です。どちらになろうとも、片方消えようとも、アリドネアの王太子と結婚されるのであればよいと。なのでセイラ様と交代しているのも目を瞑っておられます」
「わかったわ。サザクードが捕えられる前に動くことにしましょう。ただ、筋書きはどちらが王太子として残るのか、はたまた生き残っているのか…まだ『王太子と結婚する』しか私にも見えないわ」
いくら頭の中で計算をしたところで想定外は起きるものだ。それに、頭で完璧に計画を仕上げた所で、場に出してみると冴えないということもしばしば起きる。
綿密に計画を立てた上でその場の臨機応変で全ては判断をするしかない。しかしファレルはあらゆる計画を考えておくことは無駄とは思わない。いざその時に起きる変化は台無しになった頭の中の計画があるからこそ光るのだ。
「それがよろしいでしょう。早く動かなくては、セイラ様もいつまでもファレル殿下の身代わりでは大変でございましょうから」
「あら、あなたもセイラの大人しそうな雰囲気に騙されてるの?あの子はぜーんぜん大丈夫よ」
ジーンとてセイラのことはこの王女にずっと付き従っているのだからタフなのは解っている。それを差し引いたって今の状況は下手をしたら国家間の関係をも揺るがしかねない。自分がそれを担うとなればストレスで胃が死んでしまいそうだ。
ジーンは鋭い目で少しだけ天を見上げ、セイラに同情するのであった。
***
アイザックとセイラのお茶の時間は示し合わせたわけではないが、毎日行われるようになっていた。いつもお茶の時間の終わりにアイザックが「明日はどうだ」と聞き、セイラが「もちろん喜んで」と答え、時間を調整するという具合だ。
今日の茶会はアイザックのスケジュールに合わせて夕餉も終わった夜になった。アイザックはセイラがアメジストのペンダントを見てみたいと言ったのを覚えており、宝物庫の手続きをし婚約者同士のお茶の席にそれを持参していた。
「これがサザクード家から献上されたアメジストだ」
「まあ、なんて粒が大きくて綺麗な石。こちらを付けることはございませんの?」
「考えたこともないな」
そう言うアイザックの手首に光るのはセイラが贈ったカフスだ。「全体的に黒っぽい」ので明るい輝きは目を引く。シヴォレーの王女が贈った品をちゃんと身に着けてくれる所を誠実だとセイラは思う。愛することはできなくとも、婚約者として蔑ろにする意図はないのが伝わってくる。
そんなことを思って、セイラは思わず笑顔になる。
「…ん、なんだ」
「いいえ?なんでもございませんわ」
笑顔を向けられたアイザックの心は花が咲いたように沸き立つ。和やかに見つめ合う二人は傍から見れば心を寄せ合う婚約者同士にしか見えない。
そうして過ごす時間を、ノックもせずに扉を開き中断させる者がいた。イシュマである。
「アイザック、何の用だ?」
「何のことだ?お前はまたノックもせずに」
「はぁ?人を呼びつけておいて何だよその言い草は」
怪訝そうな顔をするイシュマは演技ではない。確かにイシュマはアイザックが呼んでいると知らせを受けてやってきたのだ。伝えた者は城の召使に扮したジーンであるのだが。
二人が言い合う間、後ろに控えていたファレルはセイラにこっそり耳打ちする。
「…アイザック様、イシュマ様。大事なお話がございます」
セイラの言葉に二人は顔を見合わせる。いつも微笑みを絶やさないシヴォレーの王女が見せる真剣な顔に、只事ではないものを感じた。
二人の王子は従者を下げて王女の言葉を待つ。しかし話し出したのは王女ではなく、その後ろに居る侍女であった。
「ファレル殿下がやってくる前にお家騒動は終わらせておいて欲しかったですわね」
お家騒動、という言葉に二人の王子は厳しい目で侍女を見る。が、そんなものに怯むファレルではない。
(あ、入れ替わってたことをばらすんじゃないのね)
一方セイラは思っていたのと話が違い、なんだという気持ちで少し息を吐く。てっきりその件かと思っていたのに、王女のふりは続行である。
「サザクード侯爵の件はシヴォレーでも掴んでおります。そして、ランドラー公爵家がどうしたいかも」
「貴様、ただの侍女ではないな」
イシュマが警戒を隠さずにファレルへ言う。アイザックは驚いた目をセイラへ向けた。
「ええ。しかしながらアリドネアを陥れようと策略をしているわけではございません。こちらも人質としてこの地にやって来た身、ご理解いただければと思いますわ。しかしシヴォレーはアリドネアとの和平を望んでおります。後の火種になるようなアリドネア王家の亀裂は修復しておきたいと考えておりますわ。アイザック王太子殿下、貴方はランドラー公爵の計画が実行された後、ご自身が生きていられるとお思いですか?」
侍女から発せられる言葉にハッとしてイシュマはアイザックを見やる。ランドラー公爵は事が終わったらアイザックは悪いようにはしないと言っていた。どこかの領地を任せるために婿入りでもさせると言った言葉をイシュマは信じ切っているわけではない。だが自分が王太子となればどうにか庇うことができると考えていた。
今、アイザックは自分がどう思っているか回答を求められている。相手が何者か解らないが、王女であるファレルの後ろで自由に発言することを許されている者だ。取り繕ったことを言ってうやむやにすれば国同士の関係にどんな影響があるか解らない。なのでアイザックは自分の考える見通しを正直に答えるしかないのだ。
「いや、無事ではないだろう。俺が王太子から退けば解決だとは思わない。ランドラー公爵は無理強いをした自覚もあるだろう。恨みという火種になる前に消すのがこの国のためと考えるだろうな」
「なるほど。ではシヴォレーが貴方の後ろ盾になると言ったら?ランドラー公爵家から貴方を守るなら、王になりますの?」
ファレルは表情も変えずに問う。逃げることは許さない、そういう圧力がある。
「次はシヴォレーの傀儡か…」
アイザックは深い深い溜息を吐く。今まで隠していた疲れが一気に出て来たような、そんな。
イシュマは怒りを露わにファレルを睨みつけた。
「そんなことをさせるつもりはない!計画が終わればアイザックは自由だ!」
「イシュマ殿下、貴方はおじい様がどんな人か存じ上げないようね。抜かりのない方よ、亡くなったお兄様のこともとても上手にやったではないですか。貴方のお願いなら通ると思いまして?きっとアイザック殿下は遠くへ逃がしたと言って、どこかで始末するでしょうね。それとも、この場ではアイザック殿下を信用させるために生かしておきたい振りをされているのかしら」
ホホホ、と愉快そうに侍女は笑う。今、この場を支配しているのはファレルだ。二人の王子の心は明け透けである。今なら二人からファレルの望む言葉を引き出して事を運ぶことができる。姿は無いがジーンもこの様子は伺っている。すぐに動き出せばアリドネアで揺るぎない基盤を作ることも可能だろう。
ファレルがそんな風によく回る頭を回転させた時だった。
「助けてあげることはできませんか?」
その声に、二人と王子と笑っていた侍女が目を見張る。
やり取りに口を挟まずにいたセイラが、ファレルの方を向いてそう言ったのだ。
次回更新は4/1です。この時は数話更新できればと思います。