ドワーフ少女、攫われる
アッシュは心地良い朝を迎えていた。
ベッドから跳ね起きると、部屋の隅の鏡で身だしなみを確認。それから壁に立てかけている斧を担いで、今日も護衛の任務にあたる。
「今日も異常なし! リテ姫様を守るため、頑張るぞー!」
元気よく叫ぶアッシュに、悩みなどない。美しくて優しくて素敵なオプスキュリテのことで頭がいっぱいだ。
早く彼女に会いたいと廊下へ飛び出した時……まるでアッシュを待ち伏せていたかのように、声がかけられた。
「やあ、君が噂のアッシュちゃんか」
「……ん?」
ぐるりと振り返ればそこには、全身鱗だらけの人物がいた。
背はアッシュより少し高いくらい。ダークエルフたちと比べればかなり小さい部類だ。
アッシュは眉を顰め、首を傾げる。こんな人物がこの城にいただろうかと記憶を探ってみたがわからなかった。
「誰ですか、あなた」
「僕はしがない蜥蜴人だ。君についてきてほしい場所があるんだけど」
怪しい。どう見ても怪しい。
もしかするとオプスキュリテを襲おうとして城に忍び込んだ輩かも知れない。でも、アッシュが少しついて行くくらいなら――。
「あたし、忙しいんです。だからほんとにちょっとだけですよ!」
そんな風に考えて、了承してしまった。
アッシュは自分の斧の腕にかなり自信があったし、もし襲われたとしても蜥蜴人とやら程度に負ける気はしなかったのである。
蜥蜴人はにやりと嫌な笑顔で頷き、アッシュを連れて、城の窓から外へと出た。おそらく入ってきた時も窓を使ったのだろう。
そうしながら、彼はぺちゃくちゃと話し始める。
「僕たち蜥蜴人は亜人の一種で、最古の亜人族とも言われているんだ。しかし最古の亜人とはいえ他種に勝れるわけではない。特に力の強いオーガやドワーフ、そしてダークエルフ族なんかにはね」
「ふーん。それで?」
「しかし蜥蜴人にも誇りがある。もちろん、蜥蜴人以外の種族にもね。
特にダークエルフなんていうものは疎まれて当然だとは思わないかい? こんな砂漠の地に住み、まるで自分たちだけがここを支配しているかのような傲慢な顔をしている。この砂漠に住んでいるのはダークエルフだけじゃないのに。だから――」
その瞬間、ぶわりと殺気が膨れ上がった。
たった今までどうやって押し殺していたのかと驚くほどの鋭い敵意。アッシュは咄嗟に斧を構えようとしたが、一瞬遅かった。
蜥蜴人の鞭のような尻尾に殴打され、アッシュの小さな体が吹き飛び、ズザザザと砂の音を立てながら砂漠へ転がる。
すぐに立ち上がろうとするアッシュだったが、しかし彼女の四肢は、飛びかかってきた蜥蜴人の吸盤のついた手足で強く押さえつけられた。
とはいえアッシュの方が力は強いので抵抗することもできなくはないが、しかも斧は吹き飛ばされた時にうっかり手放し、蜥蜴人の手に渡ってしまったのでどうしようもなかった。
「君を攫わせてもらうよ、アッシュちゃん。僕らの住処へとお連れしよう。その間にダークエルフは交渉を持ちかけるように見せかけて全滅させる。そして、僕ら蜥蜴人の時代が来るんだ!」
「わけわかんない、何言ってんの……!? リテ姫様に危害を加えるつもりなら、あたしが許さない!」
「言っても無駄だ。君は今から気を失うんだからね」
直後、斧が周囲の空気を切り裂きながら乱暴に振り下ろされる。
幸いなことに蜥蜴人が持っているのは切れ味鋭い両刃の方であり、アッシュの頭部へ直撃することになったのは柄だった。しかしそれでも凄まじい衝撃ではあったが。
「うぁ……あ」
視界がチカチカし、かと思えば深い闇へと全てが沈んでいく。
その中でアッシュが思ったのは、蜥蜴人なんて無視してリテ姫様に朝の挨拶をしに行けば良かったという後悔だった。