さよならだけが
生きることについて時々考える。
飯を食って、働いて、寝る。
友人や同僚や恋人とくだらないことを話す。
飯を食って、働いて、寝る。
生活補助AIに与えられた娯楽を楽しむ。
飯を食って、働いて、寝る。
生きることについて時々、考える。
思うに、生きててよかったと思うために生きてるのではないか、とある日ザックは唐突に閃いた。
飯を食うこと。働くこと。友人や同僚や恋人とくだらないことを話すこと。
どれも生きていなければできないことで、感じられない喜びなのだ。
生きるために食って、生きるために働いて、生きるために寝る。
だからみんなに生きていて欲しかったし、生きるのを手伝いたかった。
家族だったから。
あの日、家に帰ったら恋人と友人が裸で抱き合っていた時、心の底から喜んだのだ。
ザックが居ないと生きていけないと言っていた恋人が、もう自分が居なくても生きていけるようになったのかと、喜んでしまった。
そして気づいたのだ。
同じユニットで育った彼女を伴侶として選んだのも、彼女がユニットの中で一番弱く、頼りなく、一人では生きていけない非力な存在だったからだと言うことに。
必要とされる人間でありたかった。
けれど同時に、他者に永遠の弱者であることを願えない優しさを持ってしまった。
必要とされることを望みながら、いつか自分が必要なくなる日が来ることを願い、溺れるように生きてきた。
あの日、リヒトに声をかけたのも、リヒトが弱く、頼りなく、他者の手が必要な存在に見えていたからだ。
リヒトは、ザックが思っているような弱い存在じゃあなかったが。
共に過ごすうちに、ザックの中で何かが変わった。
ただ必要とされるだけじゃない。お互いに頼れる、相互関係に。
リヒトとなら、慣れる気がした。
でも、彼は、彼には、もっと別の世界があると、ここにきて気づいてしまった。
医務室で、彼らと雑談しているのを見て、漸くザックは自覚した。
欲しかったのは家族だ。
無条件に与えられる強固なつながり。
己の能力を誇示しなければ成り立たない脆さと危うさにぐらつく関係に、疲れていた。
「ザック!」
相棒が名前を呼んでいる。
「起きろ!死ぬな!絶対死ぬな!」
体が揺れる。指先一つ動かす力はない。
口から垂れる粘液が、血なのか唾液なのかもわからない。
遠くで鳴り響く警告音が、己の生命の終焉を知らせているのだとは、何となく理解していた。
リヒトのためなら全てを捨ててもいいと思った。
彼が、あの輪の中で笑っていられるなら、本当の自分でいられるなら、己の存在などちっぽけでどうでもいいような気がしていた。
大切に思えたやつのために、この命が使えるのなら、そのために生きていたのだと思えるならそれがいい。
けれど、なぁ、相棒。
お前が俺を選んでくれるなら、死ぬなと泣いてくれるなら。
もう少し、生きてみてもいいんじゃないかと思うんだ。
到着の文字が画面に流れて、接合部となった二重扉が開かれる。
ボットの重みを引きずって、やっとのことでたどり着いた治療ポッドの側。
足がもつれて、リヒトは抱えたザックごと倒れこんだ。
ぱたぱたと、バイザーに散る黒い液がナノマシンの死骸であることは何となく理解している。
己の血液で勝手に生きながらえているそれらが、どの程度のコミュニティを形成しているかは知らない。
あと、どれだけ無茶ができるかもわからない。
その全てを使っても、ザックを救えればそれでいい。
真っ暗な部屋で、ポッドだけが光を帯びて輝いている。
画面を操作して、蓋を開けたところで、部屋全体が揺れた。
「離脱します」
耳元で、ノアの声がした。
壁に、二人分の着地音。
正体は、想像がつく。奴らが来たのだ。
半壊した護衛艦の付属品だったであろう医療施設。
それを移動するのにノアは近くにあった作業用のボットをいくつか使った。
中の電源を最小限にしたとしても、やつらのセンサーにかからないわけがない。
リヒトは最後の力を振り絞って、ザックを担ぎ上げた。
薬液の溜まった浴槽にボットの背中部分を向ける。
ボタンを押せば、吐き出されたザックは治療用の薬液の中に入れられる。
しかし、同時に、ボットによる延命措置からは外れる。
後は時間との勝負だ。
「ザック。ザック、お願いだ」
震える指を、ボタンへと伸ばした。
「死なないで」
押し込めば、開いた背中からずるりと抜け落ちたザックがぼちゃっと激しい水飛沫を上げて浴槽へと沈んだ。
同時に、薬液は赤く染まっていく。
内側から破裂した腹部は、引きちぎられたようにずたずたに破れていた。
ザックの様子に気を取られている暇もなく、リヒトはパネルを操作する。
全身を薬液に浸けたザックは、すでに呼吸も止まっていた。
スキャンして診断を終えたポッドが治療に移る中、そちらには目も向けずリヒトは、血まみれの抜け殻となったボットに向き直る。
おびただしい血の量が、最悪を伝えてくる。
それでもリヒトは意を決して、簡易スーツに包まれたその腕を、抜け殻となったボットに押し込んだ。
起動画面。
認証が上手くいくのは、外に張り付いているノアが何とかしてくれたからだろう。
画面に滲む赤い液体も、映し出す情報の邪魔にはならなかった。
ワームたちの向かう先がリヒト達の元だと気づいたノアは、咄嗟に近くのエンジンを起動させてワームをそちらへ誘導した。
わずかに稼げた時間を利用して、何とか医療施設を切り離す。
しかし、遠くへ逃げるために起動した作業用ボットの熱量に反応して、ワームたちが再び医療施設へと狙いを定める。
「戦力だと思っても?」
「構わん。俺は、俺は…弟を、守る」
隣に立つ、先ほどまで敵対していた相手には、精神的に不安定な部分が見られる。
けれど、わざわざケアしてあげられる余裕はなさそうだった。
「来るぞ」
まるでそれが合図だったかのように、ワームたちは一斉に医療施設めがけて飛び込んできた。
銃撃は、突進を緩めるのには有効だったが、撃破するには不十分だった。
ワームたちはあっという間に施設に追い付き、襲い掛かってくる。
壁に突き立てられる触手を、デイビッドの鞭が薙ぎ払い、変形しロッドとなったそれが一刀両断に切り裂いたワームは、別個体としてそれぞれに動き出す。
「切りがないっ」
拳サイズになったワームを宇宙の彼方へ蹴り出すデイビッドの方向に、ノアは否定を返す。
「地上の制圧が完了しました。これ以上、彼らが打ち上げられることはありません」
「残念な話だなっ」
ノアの宣言は、つまりデイビッド達の敗北を意味している。
それでも自分が戦う意味とは。
足元の箱の中に居る、かつて弟だった者を、守る理由は。
家族だから。今はそれで充分なのに。
ふるった鞭がからめとられる。
変形して、高周波ブレードとして握り直すも空しく、からめとられた腕がぎしぎしと鈍い音を立てる。
銃撃を浴びせかけていたノアは、早々に作戦を変え、短いナイフで対抗する戦法に切り替えていた。
成果は、定かではない。
圧倒的な制圧力に、二人は数分も持たずに押し負ける。
「っ、くそ!」
一つの区画として、船にもなる医療施設だが、戦闘するとなると話は別。
薄い装甲は、しなるワームの移動ですら、わかりやすく悲鳴を上げる。
外壁に叩きつけられたデイビッドのすぐ脇で、一部の壁が限界を迎えた。
裂け目から噴き出した空気の勢いで、小さな塊が吹き飛んでいく。
わずかだった亀裂は吹き飛ぶように大口を開け、勢いがついた施設は緩やかに回転を始めた。
「まずいぞ…っ」
振り落とされまいと何とか外壁に捕まったデイビッドを、ノアは鷲掴んで亀裂から中へと放り込む。
そして、緩やかな回転がかかった施設にフックショットを突き刺すと、回転を助長するように勢いよく体を振った。
二度、三度、回転の勢いを増した施設の外壁に、ワームは必死でしがみつく。
一方内部では、慣性に負けてリヒトが転がる。
何とかザックに手を伸ばすが、あっという間に遠ざかる。
ふらりと揺らぐ体が、デイビッドによって抱き留められた。
「放せっ」
「おちつけ」
施設内は、さすがというか、キレイに整頓されていて、壁や床を離れて飛び回ることはなかった。
抱き留めたリヒトを支えるように、デイビッドは二歩、三歩と歩き出す。
五歩、歩くかどうかのところで、二人はザックの入る治療ポッドの元へとたどり着いた。
しがみつくと、勢いを増して回転し始める施設の重力に、抗うので精いっぱいだ。
「いったい、どうなってる…」
画面を見れば、勝手に操作が行われ、浴槽の中に薬液が満たされていく。
これで容器が傾いたからといって、治療が中断することはなくなった。
「ノアだ」
リヒトは静かに答える。
ノアは外でワームと戦いながら、ザックの治療を続けているポッドの操作を補助していた。
細切れになって、群がるワームを、遠心力で宇宙空間へ放り出していく。
絡みついたワームは、身体をきつく縛り上げて、骨を潰そうと画策するが、合金の骨を持つノアには無駄なことだった。
ボット用の作業サバイバルナイフをふるって、ワームを更に細切れにしていく。
敵を認識して、最適な攻撃を仕掛けるノアの視覚画面には、常に治療ポッドの情報が映し出されていた。
ザックの肉体は、ほとんどが修復されていた。
しかし、脈拍は戻っていない。
残酷なまでの真実が、画面に映し出されているだけ。
ノアの攻撃をかいくぐって、ワームの一匹が施設内に侵入した。
最もエネルギー値の高い、治療用ポッドに狙いを定める。
回転する施設の中を、跳ねるようにして飛び掛かったそれを、リヒトの銃撃が迎え撃つ。
デイビッドのブレードが切り裂いたワームはしかし、分裂して再び狙いを定めた。
治療用ポッドが電子音を上げた。
「蘇生作業に入ります」
器械的なアナウンスが流れ、エネルギーがさらに充電される。
拳大になったワームが、わずかなスキを突いて操作パネルに飛びついた。
「このっ…」
咄嗟にデイビッドがワームを掴んで引きはがす。
掴まれたワームはデイビッドの手に絡みつき、締め上げた。
「ぐっ…っ」
みしり、と嫌な音がして、すぐに激痛が走る。
骨を砕かれたと認識するより先に、地面についた手を己の足で踏みつける。
二重の痛みに呻きながらも、足を上げればワームはつぶれて自我を失っていた。
装甲に守られていたとはいえ、手の方も無事ではない。
指先の感覚がないことを認識しながらも、治療できる状況ではない。
先ほどよりも大きな個体が足に絡みつくのを、ブレードで弾き飛ばす。
何匹か、ガードを潜り抜けた個体が治療ポッドに襲い掛かっていた。
リヒトの銃が、デイビッドのブレードがワームを薙ぎ払ったところで、先に限界が来たのは治療ボッドを施設に固定していた土台の方だった。
正確には、壁、だろうか。
地面ごと剥がれ落ちたボッドが、施設内を暴れまわる。
「ザックっ!」
操作画面が強く明滅する。蘇生が繰り返されていた。
最後のワームを切り刻み、船外へ放りだして振り返ったデイビッドの視界に飛び込んできたのは、船外へ飛び出していくボッドとそれを追いかける弟の姿。
リヒトはしっかりと治療ポッドを掴んでいた。
それ以外に掴む場所などないというように。
まずい、と判断したデイビッドにできることはほとんどなかった。
しなった鞭がリヒトの足を捕まえる。
しっかりと握りしめた愛用武器と、今にも千切れそうな猛烈な痛みを宿すもう一方の手が握る崩れそうな施設の壁。
「ぐぅ…ぁ…っ」
ぴんと張り詰めた両腕が、限界を訴える。
「は、る…」
呼びかける声に、応えるものは居ない。
回転を続ける施設は、伸びた一本の線を振り回して、勢いを増していく。
けれどデイビッドは、死んでも離すつもりはなかった。
もちろんリヒトとて、やっとつかみ取った大事なものを、そうやすやすと離すつもりはない。
いっそ、共にこの何もない宇宙へ飛び出してしまったっていいのに。
そう思うリヒトの心情を踏みにじって、掴んだはずの部品が緩んでいく。
治療ポッドを移動するときの取っ手として役割を持つそれに、耐久力は必要なかったようだ。
あっけなく持ち手は外れ、リヒトの目の前でゆっくりと、ボッドは宇宙空間へと飛び出していく。
縋りつくように伸ばした指先が、引っかかる場所はない。
「ザァァアアアアアック」
悲痛な叫びが無線にこだまする。
何もない宇宙空間へ、一人孤独に飛び出していくそれは、あの日リヒトを乗せた脱出ポッドによく似ていて。
リヒトだった人を送り出したあの日は、忘れようもない記憶として焼き付いているのに。
あの日、自分があのボタンを押さなければ、リヒトはリヒトのまま生きていたのに。
伸ばした腕の先で、ポッドは暗闇に消えていく。
回転する施設はその姿を最後まで捕えることはなかったが、遠のいていく姿の中、施設の影に隠れる直前に、彼の側へと飛びついた影を見た気がした。




