乗り掛かった舟
ありがとう、助かったぜ、ザック。
そういって笑顔で別れた同僚が、次の日死んだなんてのが日常茶飯事の生活だった。
危険度で言えば、軍人に次いで高い数値の仕事だったと理解はしている。
希望していた操縦士の仕事に就けなかったことも、己の思慮不足。
だとして、友人の死を日常と受け入れるには、ザックはあまりにも有能すぎたのである。
絡みつく太い触手を振り切って、漂う破片を投げつけて距離を取る。
壁を隔てたところで彼らのセンサーは有効で、しつこすぎる追跡を逃れる手立てはないように見えた。
片腕のフックショットで船外を旋回しながら外壁となった部分にザイルを突き刺し安定を謀る。
並行して、無線通信で周囲のセンサーロボを動かし、今にも崩れ落ちそうな医療施設の一つを呼び寄せた。
到着まで数分か。
待っていられない、とさらに近くの推進力になりそうなボットを全て導入した。
到着予定の場所と時刻を、リヒトに送信する。
電波を探ったか、あるいは通信のため稼働したエネルギーを辿ったか、離れた場所に居たはずのもう一匹までもこちらを狙っているのに気づいた。
壁を破壊しながらまっすぐこちらへやってくるのに、ノアは外壁を疾走してやつらを振り切る。
その場しのぎの強引な作戦だ。
しかしノアの作戦はそれで終了しない。
振り切ると同時にもう一体のワームめがけて疾駆する。
運動エネルギーを察して、簡単に釣られて外へ飛び出してきた。
残りは一体。
カメラアイの機能を切り替えて、熱エネルギーを感知する。
一方はザックとリヒトで間違いない。
ならばもう一方の孤立した方がリヒトの兄、デイビッドであろう。
今にも襲い掛からんばかりのワームを、手に持った高エネルギー武器で容易く切り刻むのが見えて、ノアの選択肢は瞬時に限定された。
デイビッドの腕が跳ね、手首のうねりに合わせて軌道を描いた鞭は、幾重にも折り重なり一つの生体として活動するワームを一瞬で切り刻み、行動不能へ導く。
壁に当たった鞭は、跳ね返ることなく壁をもえぐり、周囲をごっそりとえぐり取った。
自軍の艦の中では使えない兵器のはずだったが、すでに航行不能に陥ったここでは、最も威力を発揮する武器となる。
細切れになったワームの一部は機能を失くし、無機物としてあたりをさまよった。
手足となる部分の大半を失って学習したワームが距離を取ろうとするのに、デイビッドは腕を振るうという動作だけでそれを阻止した。
手元で出力を操作すれば、鞭に流れていた高周波が立ち消え、ただの鞭としての機能を取り戻す。
波打つワームのひと房に絡みついた鞭は、無重力空間で特に力を籠めることなく、逃げるワームを捕えて引き寄せた。
一直線に己へと向かってくるワームの塊に怯む様子なくデイビッドは、最小限の動きで鞭の絡まった先端を解く。
両手で鞭の持ち手を掴んだデイビッドが、力を込めて深く握ると、かちりと何かが重なり合い、くたりと身を投げ出していた鞭の縄部分が突然、芯をもって棒となる。
一刀両断。
振り下ろされたそれが、複雑に絡み合ったワームの中心部を真っ二つに切り離した。
無重力化で、体液は大粒の球となってあたりをふわふわと漂うばかり。
引き裂かれた中心部は壁にぶつかりほどけていく。
一つの生命として維持できなくなり、ばらばらになるそれへ、再び鞭へと戻した武器で細切れに切り刻んだ。
全てを行動不能にするためには、さすがに手数が必要で、始末を終えたデイビッドはそのまま立ち尽くし、乱れた息を整えた。
冷静になった頭に、先ほどの、弟から向けられた銃口の記憶が鮮明に沸き上がる。
ノイズのような絶叫、いや、咆哮。見開かれた目に宿る拒絶と憤怒。
そして殺意。
あれほどまでに感情を乱すリヒトを見たことがない。
そう思ってから、当然だ、と思い直す。
共に過ごした時間より、離れていた時間の方が長いのだから。
年の離れたデイビッドは、父について狩りに出ることが多かった。
側に居られたのは幼少期だけ。
共に過ごしたわずかな時間に、弟と向き合っていた時間がどれだけあっただろうか。
会えなかった時間にできた、彼の繋がりに、少しでも向き合っていたら。
吠える弟を、身を挺してかばう男の姿を思い起こす。
己のあるべき姿を、そこに見た。
狂気に飲まれて、感情のままに武器を取る弟に、身を挺してやめろと諭す役。
最初に銃を手に取った日を思い出す。
あの日、差し出された銃を受け取ったのは、人を殺すためじゃあなかった。
引き金を引くのは、相手が憎いからじゃあなかった。
殺さなければ自分が死ぬから?
ちがう。
殺さなければ仲間が死ぬから?
ちがう。
奪わなければ、生きていけないから。
それが、デイビッド達が生きていく世界のルールだった。
もし、社会が受け入れてくれていたら。
自分たちに戦わずとも生きていける世界があったなら。
銃をとらずにいられたはずなのに。
恒星の反射光が、崩壊した壁の隙間から差し込んだ。
ふり返ればそこには、青く浮かび上がる星。
「クエンス…」
お前がただ、無条件に愛される世界を作るために戦っていたはずなのに、なぜ、お前に武器を持たせてしまったのか。
己を突き動かしていた衝動が抜け落ちるのを感じて立ち尽くすデイビッドの背後で、崩落の気配がした。
ふり返れば、複数のワームと敵のボットが一人。
兵士としての本能が、戦いに身構えた。
遅れて、思考が追い付いてくる。
まだ死ねない。
愛しい我が子と再会して、済まなかったと謝るまでは。
愛しい弟に贖罪を乞うまでは。
出力を上げた鞭を振り上げ、振り下ろす。
天井と床を切り裂いた鞭はデイビッドの意思に沿って複雑に跳ねまわった。
先頭を走るボットは素早く反応して飛び退った。
背後から迫ったワームの塊も直前のところでとどまるが、すでにそこは射程範囲内。
中心部に巻き付いた鞭を強く引けば、塊が引きちぎれてあちこちに破片が飛び散った。
ひとまずの動きを止めたのち、ボットの追撃に身構えたデイビッドだが、その目にうつるのは、デイビッド同様、ワームに追い回される敵の姿だった。
フックショットを駆使して壁から壁へと縦横無尽に飛び回る姿はとても人間とは思えないと思った直後、腰の関節部が横ねじりに一回転したところで、正体に気づく。
「AIかっ」
思った直後、別の方向からもう一体に襲われて、飛びのいた。
捕まえ損ねた理由に気づくと同時に、一つ疑問が生じる。
仲間だと思っていたワームと彼らが敵対していた。
そこから自分の思い違いに直面するまで、そう時間はいらなかった。
鞭をふるって周囲を漂う細かなワームを薙ぎ払う。
「おい、貴様!」
オープン回線で呼びかける。
「どういうつもりだ!」
艦隊の崩壊を皮切りに、計画は混沌へと沈んでいる。
ワームの存在も、先行部隊の壊滅も、報告は受けていた。
攻略するには好機だととらえた。
実際に、地上部隊の進行は順調だった。
それが、このAIボットの侵入によってすべて崩壊した。
いや、違う。彼の存在ではない。
地上からの砲撃は、一体だれが。
いいや、それよりも、なによりも。
デイビッドは視界の端に揺らめくワームの死体を忌々しげに叩き落とした。
こんなものが、こんな機械染みた生命体が、自然に発生した生物であるはずがない。
「何が目的だ!」
叫ぶデイビッドの視線の先で、AIボットのカメラアイの脇、思考を表す独特のランプが明滅した。
「生きること」
存外落ち着いた、青年のような機械音声に、口を閉じる。
「人間が平穏に、生きること。それが私の生まれた理由」
「そんな、事が…」
あってたまるか。ありえない。
理解することを脳が拒否する。
だって、ありえないだろう。
彼らと自分たちは違う生き物なのだ。
彼らは何でも持っていて、安定していて、余らせていて。
だから奪っても、いいはずなのに。
なのにどうして。
どうして彼らと自分たちの望みが同じなんて、ありえないのに。
今度こそ思考を失って手を停めたデイビッドの背後に、再構築したワームの影が迫る。
動けずにいるデイビッドに、AIロボット、ノアは迷うことなくフックショットを飛ばし、引き寄せる。
デイビッドのいた場所でしばらくわだかまったワームは、ピタリと動きを止めると、吸い寄せられるようにどこかへ消えた。
行く先に気づいて、ノアはそのあとを追う。
デイビッドは、その場に放り出されたままだった。
ノアの画面に、さらに飛来するワームの存在と、少し遅れて、地上からの通信が入った。
全ての終わりを告げるその通知は、地上からバートレットが送った、作戦終了の合図だった。
時は少しだけ遡る。
求めた助けに了解の文字と共に送られた地図。
その印が着いた場所まで向かうため、ザックの片腕を肩に担いだ。
ボットを着たザックを、防護服を着ただけのリヒトが持ち上げられるわけがない。
本来なら。
「もう、いいんだ…あいぼ、う…おまえ、だけでも…」
「うるさいっ」
ザックの訴えも無視して、リヒトはひたすらに歯を食いしばる。
じわじわと、身の内を焼く熱に、集中する。
かつて、リヒトだった人は言った。
曰く、感情を食べるのだと。
正しくは、感情に関連する、アミノ酸であったり、栄養素であったり、成分であるものを好む。
すでに存在するそれらを食らいつくした後、多くのものは休眠状態に入り、残ったものは餌を求めて脳を犯す。
最も手に入りやすい餌はドーパミン、あるいはアドレナリン。そしてセロトニン。
注入した実験体がまず、三日三晩激痛にうなされるのは、それらが餌を欲しているからだと、仮定した。
そして学習する。狩りを学ぶように。餌の取り方を学ぶのだ。
苦痛にうなされ続けるか、あるいは、苦痛を和らげるための快楽に身をゆだねるか。
あるいはまったく別の方法を持って彼らを飼いならすか。
満腹になったものから休眠をはじめ、安定した定着後は、穏やかなものだ。
平時に生み出されるわずかな成分を細々と捕食して生きていく、はずだった。
たった一人の成功例を覗いて。
彼はいつでもハッピーだったと、誰かが言った。
感情のコントロールが上手いのだとあの人は言った。
実際に会って感じたのは、起伏の激しさ。
彼にはスイッチがあって、いつだって怒れるし、いつだって笑えたんだと思う。
ボタンを押せば飲み物が出るあの機械みたいに、感情を溢れさせるスイッチ。
きっとそれは思い出とか、トラウマとか、そういう名前がつく記憶。
リヒトにとって、たった今、目の前で起きたことがそれになると、確信があった。
「う、ぐ、ぅううううううう」
「ま、じか…おまえ」
血が逆流してるんじゃないかというほど脈拍が暴れまわる。
血管の中を何かが這いずり回っている気配がする。
目の奥がじくじくと痛い。耳の裏に心臓があるみたいだ。
目から溢れる何かが頬を伝った。
ナノマシンの死骸だろうな、とどこか冷静に事態を俯瞰する自分がつぶやく。
ぐ、ぐ、と少しずつ、ザックを持ち上げるリヒトに、朦朧とする意識の中でザックは、知らず口元に笑みを浮かべた。
火事場のバカ力とかつて言われたそれらと、仕組みが同じか比べる術はもうない。
けれど形容としてはそれがぴったりはまるような勢いで、とうとうリヒトはザックを抱え上げた。
いっそドアを壊してこちらも無重力にしてしまえばいいのだが、だとしても非力なリヒト一人では時間がかかっただろう。
それに、感情を沸き立たせるためには、この腕の重みを、身体の、命の重みを直に感じるのが何よりも重要なのだ。




