手を伸ばさなければつかめない
空を見上げる横顔に、冷静な声がかかる。
「あなたは、あれに乗るはずだったのでは?」
「ん、まぁ、どうだかな」
ラスカは曖昧に答える。
確かに、旧拠点のシャトルによる脱出作戦は、それとなくディルクから聞かされていた。
けれどそれは、逃げ遅れた作業員たちを誘導するためであり、敵の捕虜を連行するためではない。
「行ったとして、乗れたとは限らない」
空席を残した状態で、彼らが飛び立つとは思えない。
それに、とラスカは瓦礫の中から使えそうな部品を引っ張り出しては一所に集めている少年少女を見回す。
ボットを脱ぎ去り、幼さを晒した彼らに背を向けることは、すでにできなかった。
「今はお前らと居る方が、空への近道だと思う」
彼らは、ラスカが思っているよりもずっと優秀なようだ。
わずかな期間とはいえ、ディルクやジャックといった軍人たちと一緒に過ごしたラスカから見て、手際の良さは軍人のそれと遜色ない。
強がりや励まし、あるいは媚びのたぐいではなさそうな、事実を述べるときの平坦な口調で言ってのけたラスカの言葉に、リーダーのクエンスは、そうか、と思わずと言ったようにこぼして、居心地悪そうに作業を再開した。
結局、使えそうなものはほとんどなく、どちらにせよエネルギー源を確保しなければ、修理した機材も動かせないという結論に至った一同の元へ、突然の来訪者が訪れる。
森の木々をなぎ倒して派手に登場したのは、改造されたキャンプカー。
強烈な破壊音に顔を上げて固まるラスカたちの元へ、舗装されてない原っぱを跳ねまわりながら近づいてきた車は、滑るように停車した。
「お前は…?」
運転席から出てきた小柄な人物に、ラスカは首を傾げる。
着ているのは、ラスカと同じ作業服。どうやら社会人側の人間だと予想はついたが、むしろならばどうしてこんなものに乗ってこんなところに居るのか。
「知る必要はない。あなたたちはあれに乗ってここから去る。場所はナビに入れてある」
「お前は?」
「いかない」
「いや、ちょっと、待ってくれ!」
混乱するラスカにキーを投げてよこして、降りてきた人物、ユエンはてくてくと迷いなく歩いていく。
なんだ、なんだと行く末を目で追っていた少年たちは、困惑した様子でリーダーの指示を求めた。
「あれ…いや、彼女…いや、彼?は、何者だ?どういった立場を…?」
「さ、さぁ、知らねぇが…」
この状況で、わざわざ他人を罠にはめようなんて余裕のある人間は居ない。
ユエンが何者であれ、ラスカたちはひとまず、放置されたキャンプカーに向かった。
「すごい設備だ」
「これは…通信の中継点か?」
「地上にある衛星だな。これだけの設備を、ステルスで?意味が分からん」
「なるほど、地上部隊が苦戦した理由が分かった」
クエンスたちが口々に漏らす賞賛と悪態の中身はほとんど理解できなかったが、フロントガラスに映されるナビの示す地点については、ラスカにもわかった。
「鉱山地帯?なるほど、荷物よろしく打ち上げられろってか」
「どういうことだ?」
「あそこには地熱を利用して宇宙へ物資を打ち上げる施設がある。シャトルほど快適ではないが、なんとかできれば空への一番の近道だろうな」
どうする、隊長さん?
ラスカの問いに、クエンスは迷う余地もなく、行こう、と答えた。
後部トランクに乗り込む少年少女を見送って、ラスカはユエンを振り返る。
「本当に連れて行かなくて大丈夫か?」
ラスカの疑問とクエンスの質問が重なった。
声をかけようとしていたラスカだったが、ユエンが向かった先がルーカスを内包する黒い繭だと気づいて、納得する。
「あそこがあいつの帰るところらしい」
「…そういう、ものか」
「そういうのも、ある」
よじ登るように車に乗り込んで、現れた時と同じように、でこぼこの原っぱを跳ねまわりながら森へと走り抜けていく。
去っていく愛車のエンジン音を聞きながら、けれどユエンの関心は黒い繭に奪われていた。
あらゆる通信を傍受していたユエンには、そこにルーカスが眠っていることもわかっていた。
よじ登って、頂上に腰かけると、絡まっているワームをこじ開けるようにして穴をあける。
隙間から身をよじって中に侵入すると、そこには目当ての人物、ルーカスが、まるでワームに抱擁されるようにからめとられながら、横たわっていた。
ユエンの開けた隙間から差す光が、まるでスポットライトのように美しい彫像のような姿を照らしている。
美しいな、とユエンは素直に思った。
初めてルーカスが生態調査班にやって来た時、ユエンはすでに調査班の一人として現場に駆り出されていた。
小柄で体力もないユエンのことを、班員たちは何とかして切り捨てようとしていたが、無駄な努力。
生まれた時から劣勢が当然として生きてきたユエンにとって、その程度の妨害はまさしく日常だったのだから。
平穏を崩したのが、ルーカスの任務だった。
情報処理という分野において、ユエンには確かな才能があって、ルーカスは唯一それに気づいた。
劣等感にまみれていたユエンにとって、ルーカスは憧れの星であり、希望だった。
そう長くない時間で、ユエンはルーカスの右腕として選ばれた。
やがてノアがあらわれるころには、ユエンなしにルーカスの、延いてはバートレット司令官代理の作戦は遂行不可能と思われるようになっていた。
広大なフィールドを徹底的に調べて、やってくる浮浪者どもを返り討ちにするなんて、とんでもない作戦を思いつく方もどうかしているが。
ルーカスという男はああ見えて、律儀な男だった。
一般人であるユエンを軍の作戦の駒にすることに、懸念を示していた。
正当な報酬を与えるために、なにか要求はないかと聞かれ、ユエンは肉欲を求めた。
ああ、そうだ。肉体的なつながりを彼に求めた。
常に人を食ったような表情を崩さないルーカスの、驚きに動揺する表情は、後にも先にもあの時だけだった。
あの劣悪な環境でもルーカスは要求を飲み、そして見事果たしていた。
周囲の者からあらぬ誤解を受けていたようだったが、それすらもユエンにとっては優越感の一つだった。
「これでもう、邪魔者はいないよ」
開かれたままのルーカスの瞼をゆっくり閉じてやり、上からそっと口づける。
目や、口の端から漏れ出る黒い粘液、ナノマシンの死骸に構うことなく、小さな顔をそっと両手で包み引き寄せた。
額と額を合わせて、まるで溶けるような満足感に、続々と背を震わせる。
触れ合う肌。あの一瞬だけは、ルーカスは自分のものだった。
けれど、普段のルーカスはいつも自由で、誰にも、隊長であるバートレットにさえとらわれない自由な風のような奴だった。
誰にも、本当に誰にもとらわれない、縛られない男であれば、ユエンは納得していただろう。
けれど彼には唯一、その胸中に場所を許す者がいた。
ユエンは絡みつくワームを解いてルーカスのシャツをはだけると、そこにぶら下がる鉄片を引きずり出す。
二人分の名前が刻まれた小さなプレート。
その人物こそが彼を永遠に捕えて離さない。
死が、二人を分かつまで。
今が、その時なのだ。
興奮に息を荒げながら、ユエンは強く鉄片を引っ張った。
案外と簡単に外れたそれを、無造作に後方へ投げ捨てる。
「やっと、やっと君は、僕のものだ」
満足げにそうつぶやいて、ユエンはルーカスの横にその身を横たえた。
眠るように寄り添う二人。
少なくともユエンの表情は、限りなく幸福を見せていた。
一方、宇宙では、新たな脅威に直面して、混乱は最高潮だった。
「なんでこいつらがここに…っ」
悪態をついた口を、咄嗟に閉じる。
破壊音が頭上を通過し、物陰に隠れていたザックとリヒトは同時に安堵の息を吐いた。
ワームの強襲により、宇宙船は再びパニックを取り戻した。
あらゆる場所で鳴り響く銃声や悲鳴が、オープン回線で聞こえてくる。
地上から荷物同然に打ち上げられたワームは、正確に船に命中するものと、通り過ぎてしまう軌道のものとあったが、その細長い体を利用して、着実に近くの船へと絡みついてきた。
着弾したワームは、地上同様、エネルギー源となるべくものを全て破壊しつくす。
地上では脱ぎ棄てて逃げられたボットも、宇宙となれば話は別だ。
圧縮して宇宙服となったボットの空気残量を示すタイマーをちらりと見てから、ザックは改めてリヒトを見た。
「とにかく、今はノアが心配だ」
ノアこそ、やつらが好むエネルギーの塊である。
ワームとデイビッド、二つの追手から逃げ惑うノアを救出すべく、二人は格納庫を探す。
とにかく、船から脱出するための宇宙船を探さなくては。
「すごく、バカみたいな提案があるのだけど」
周囲の様子を探っていたザックにリヒトが気乗りしなさげに声をかける。
「言ってみろ」
「とても危険だから、無理そうだと思ったら断ってね」
そう前置きするリヒトに、内心でザックは、そんな聴き方をされて断るやつは居ないぞ、と苦笑した。
結論から言って、リヒトの提案は本当にバカげていた。
出力を最大にしたサーチで船全体をスキャンして、反応したワームとノアとその他、これにはデイビッドのほかにも想定されるアウトサイダーズが該当する、をマーキングし、構造上から脱出できそうな船の在処を探し、逃げ惑いながらそこへたどり着く。
危険、というより自殺行為。
スキャンによって確実にワームは標的をリヒト達に向けるし、スキャンを探知するのはデイビッドやその他も一緒だ。
「いいね、楽しそうだ」
けれど、ザックは笑って見せた。
実際のところ、もうそれくらいしかザックたちにできることはないし、そうでもしないといまの混乱しきった状態で身動きが取れない現状を打ち破る方法が見つからない。
「もちろん、俺がスキャン係だよな」
「そう、なるね。できる?」
「断るバカがいるかよ」
リヒトはボットを着ていない。医療区画で手に入れた簡易スーツのままだ。
冗談みたいな作戦を実行するのはザックしかいない。
「最高だね」
きっとこんな日を待っていた。
そうでも思わないと、やってられない。
センサーを全体にいきわたらせるためにとりあえず船の外壁を目指す。
いざとなれば、外壁沿いにでも逃げられるように、亀裂の大きな場所を選んだ。
途中、リヒトは投げ出された道具の中から、非常用の斧を見つけた。
ないよりはましだとそれを構える。
ザックの方は、アウトサイダーズに仲間だと思われ、渡された銃がある。
最低限、身を守る装備はあるが、作戦が一か八かなのは変わらない。
「行くぞ」
センサーの威力を最大にまで上げる。
それだけで、一番近くに居たワームは反応した。
センサーが船内を舐めあげ、ザックの視界に半透明の地図として記録されていく。
「あったぞ、走れ!」
地図の詳細はすぐにリヒトにも伝えられる。
幸いにも、そう遠くない場所に格納庫があり、そこに船が残されているようだった。
船内に居るワームは全部で六体。
船の中央部分で、逃げ回るノアと追い回すデイビッドの姿が見えた。
最短ルートには、ワームが一体。
船の壁を突き破ってまっすぐこちらへ向かってくるのを避けて、遠回りしながら駆け抜けえる。
「ダメだ、追い付かれる」
「やっちまえ」
「了解」
大周りをしたところで、ワームは簡単には見逃してくれなかった。
ボットの出力を最小にまで落としたものの、一番近くにいたワームの眼は欺けなかったらしい。
壁を突き破って、黒い影が迫る。
同時に、ザックのエネルギー銃が乱射され、寄り集まっていたワームたちは威力に負けて少し押される。
ちぎれたワームはわずかに跳ねて、けれどすぐに力を失って宙に漂った。
引きちぎられたかけらが床を、壁を跳ねて迫りくるのを、リヒトの斧が叩き切る。
一定の長さを保てなくなったワームから、行動不能になっていく。
二人は見事な連携でワームを一体、処分した。
「ちょうどよく道もできた」
ワームが一直線に突き破って来た壁は、船の在処近くまで続いている。
「急ごう」
どちらからともなく駆けだす。
無重力を走るために足底についたスパイクが、床に突き刺さる音がやけに大きく響く気がした。
突き当たった壁、わずかに亀裂の入った部分をこじ開けるように部屋に侵入すると、目当ての脱出艇があった。
球状のコックピットに五、六人は楽に乗り込めそうな貨物部。
広く開け放たれた搬入口からは、星の煌めく宇宙空間が広がっている。
すぐにでも、脱出できそうだったが、そう、上手くはいかないのが人生だ。
「くっそ…っ」
レーダーに映る赤い影。敵を表すその信号が、頭上から降り注ぐ。
ザックが銃を構える。リヒトは斧を。
けれど、トリガーを引くより早く、黒い影の間を赤い閃光が煌めき、次の瞬間にはワームが細切れになって宙に漂った。
しゅうしゅうと、焼け焦げる煙をわずかに漂わせながら、ワームの背後から、彼は姿を現した。
「兄さん…」
「ここで、何をしている」
デイビッドの、怒りとも、嫌悪ともとれる厳しい目が、ひたすらにリヒトを貫いていた。




