崩壊
宇宙
地上
水中
空から最も遠い水の底。
作業を進めていたラスカの眼前に現れたのは巨大な眼球だった。
遠隔操作ボットの正確な体高はわからないが、二メートルは確実。
そのボットの体高をわずかに超えるほどの直径に、光を感知する動物たちとは違う、数式で言うとマイナスに近い瞳孔が、薄暗く濁った水にあいまって不気味さを増長させていた。
突如眼前に現れた巨大生物の眼球に、ラスカの思考は白く塗りつぶされる。
恐怖も疑問もなく、ただ立ち尽くす。
数分か、あるいは数秒か、動きを止めたラスカに気づいたルーカスもまた、その存在に気が付いて動きを止めた。
海底の砂と共に、立方体へとなだれかかる姿は、生物には見えない。
完全に砂に擬態した軟体生物を前に、硬直していたラスカを追い立てるように、背後から黒い影が近づいてくる。
「チッ」
ルーカスは素早くフックショットを足元と、ラスカの背中めがけて放った。
影が通り過ぎるのに合わせて、激しい水流が二人を巻き込む。
軟体動物の体表すれすれで身を翻したラスカは、何とかルーカスの方へ向かってフックショットを打ち込んだ。
舞い上がった砂で濁る視界に消えていったフックショットのワイヤーがピンと張る。
ルーカスとラスカ、二人分の巻き取る力によって、何とかラスカはルーカスの側へと戻った。
「揺れるぞ」
「今か?!」
「今がベストだ!」
ラスカの驚愕を無視して、ルーカスは装置のスイッチを起動した。
てっきり、均等に配置されていると思っていたバルーンはしかし、実際には立方体の一辺に偏って設置されており、一斉に膨らんだそれは水流に巻き取られながら上を目指す。
起動と同時にわずかに漏れたガスが、ガラス片のごとく白くわずかな光を攪乱させながら一足先に水面に登っていった。
水中に突如現われた光に、頭上を悠々と泳いでいた黒い影達が反応する。
反応を見せたのは影達だけではなかった。
わずかとはいえ、突如膨らんだバルーンと、それに引っ張られて震動した立方体に驚いた軟体生物が、弛緩させていた触手を大きく広げる。
動き出した軟体生物と、頭上を旋回していた捕食者が出会う。
先ほどまで穏やかだった海底は、一瞬にして戦場になった。
身を波立たせて逃亡を図った軟体生物を、捕食者の牙が襲う。
逃げ遅れた触手の一本を捕えられた逃亡者は、痛みからか、または自切による脱出を狙ったのか、体内から煙幕状に真っ黒な液体を吐き出した。
辺りが黒く塗りつぶされる。
自身のフックショットを足元に突き刺しなおし、何とか縋りつくようにして身を守っていたラスカだったが、乱れ渦巻く水流と、真っ黒に染まる視界に混乱して、とにかく現状を把握しようと、センサーを起動した。
特殊波長によるスキャンにより浮き出されたのは、必死に立方体にしがみつく軟体生物と、触手を食いちぎる捕食者、軟体生物の頭部、と呼ぶべきかはわからないが、触手の接合部に噛みつく別の捕食者の姿だった。
浮き上がったのも一瞬で、やはり視界は黒いまま。
視界を解析するプログラムが異常を察して、何とか視覚を取り戻そうとあらゆるカメラ機能を試し始める。
熱探知、光増幅、色彩調整。目まぐるしく移り変わる視界に耐え切れず、目を閉じた。
ひと際強い水流が通り過ぎ、穏やかに揺れるだけとなる。
かき回され、揺れる錯覚をおっこす脳を感じながら、恐る恐る目を開けた。
点滅を繰り返し、適切なカメラセンサーを探していた眼前が、白く浮かび上がっている。
追加の光源ではない。
幾分か薄くなった煙幕の間を、スポットライトのように照らす青白い、いや、うっすら緑色を孕んだ灯りが伸びている。
己がしがみついている立方体の隙間が、淡く発光しているのだと気づいて理解するまでに数秒を要した。
亀裂、とは違う。
自ら開かれた、隙間。
柔らかな緑色が突如、目を突き刺すような赤へと変わる。
規則的に並んだ隙間から吐き出される黒い球体がほどけて、触手となった。
蛇行、あるいは回転により素早さを得たそれらは、立方体にまとわりつく軟体生物の触手へと向かう。
「ワームが、なぜ…っ」
「いい質問だ」
突如現れた天敵ともいえる存在に混乱するラスカに、ルーカスの冷静な声が届く。
縋りつくのに必死だったラスカは、この事態を予想していたかのような態度に、疑惑の視線を寄越した。
していたかのような、否、彼は予想していたのだ。
この立方体が、浮浪者たちの狙うこの兵器が、ワームに深くかかわる存在であることを、すでに知っていた。
ルーカスは閉じようとする隙間に工具の破片を突き立てる。
赤く光る開口部は、異形生物の口を思い起こさせるような不気味さと同時に、無機質な、非生命体、物質感を与えた。
躊躇わず、その口の中へと頭から突入するルーカスを追って、仕方なく頭を突っ込む。
脳裏には、遠隔操縦という安心感と、外で暴れまわる巨大生物とワームたちから身を隠したいという矛盾した恐怖によるパニックで、とにかくルーカスから離れてはいけないという本能のようなものがあったと思う。
けれど、結果、それは間違いだったのかもしれない。
いや、きっと、正しい行動などすでに存在していなかった。
この立方体に関わった瞬間から、ラスカの、いや、ルーカスの結末はすでに決まっていて、それに付随して、ラスカの結果も決まったのだ。
運命というものが、あるのならばという話だが。
「ここ、は…」
口腔内はダクトに似ていた。
通路ではなく、何かを排出するように設計されたような構造。
赤いライトに照らされた壁は、継ぎ目もなくなめらかで、ひたすらにまっすぐ伸びていて、筒の様な印象だった。
先ほど打ち出されていたワームからして、ここは銃身の様なものだろうか。
ただ真っ直ぐに進む先に、ルーカスの足底が見えるだけ。
数メートルも進まないうちに、彼らは目的の場所にたどり着いた。
突き当りは複雑な機構になっていたが、ルーカスにとってそれらは問題ではない。
それらが「造られた存在」であることが、重要だった。
「悪いな、ラスカ」
「ん?」
急な謝罪に、後方を警戒していたラスカは反応に遅れる。
「もし、あいつらに会うことがあったら、そん時は…」
「あいつらって、誰…」
その声がいつになく覇気のない細さで、胸がざわついた。
ラスカが詳しく聞こうとするのを、いや、と遮って、ルーカスは、やっぱいいわ、と言葉を取り消す。
「後は頼んだ」
「何をっ…」
機構部に、ルーカスが指を突き入れ、乱暴に引っ張り出す。
負荷をかけられた接続部は、ボットの怪力によりひびが入った。
と、同時に、頭が割れそうなほどの大音量で警告音が鳴り響いた。
音波となって水中を電波した警告は、側で争っていた巨大生物たちを蹴散らす。
立方体に影響するものを排除していたワームたちは、音波に当てられて解けるように水中へ散らばった。
銃身の中、すれ違えないほどの細い筒の中でそれを聞いたラスカの目の前が、黒く染まる。
ルーカスが引き抜こうと力を加えた機構部は、自ら口を開き、中から大量のワームを吐き出したのだ。
なだれ込むようなワーム群に飲み込まれ、抵抗する間もなく手足をからめとられる。
「ルー…」
何とかもがき、手を伸ばすラスカだったが、首の後ろに強い衝撃と痛みを感じた瞬間、脳幹に鋭い電流の様なもの感じ、全身が吸い出されるような錯覚に陥った。
猛スピードで後ろに流れていった景色の中で、水中から飛び出し、星から撃ちだされたラスカは電波を中継する衛星にぶつかる。
白く流れていった景色があたりを真っ白に染め、白い空間の中に投げ出されたラスカの眼のまえに、ポツリと佇む一体のボット。
見慣れた白い外装、本来なら透明なはずのバイザーが黒くスモークされ、かろうじて見える頭部からこちらを覗き返してくるカメラアイ。
思考を示す灯りランプが、今は穏やかに点滅している。
「ノア」
その名を呼ぶと同時に、左手が勝手に動いた。
安全装置を引いたのだと理解するより前に、ラスカは宇宙へと投げ出されたのと同じように、地上へと落下した。
「が、はっ…っ」
吊り下げられた身体が解放され、装置の扉が開くと同時に床へと倒れこむ。
地面がどちらかもわからないほど、感覚がめちゃくちゃにくるっていた。
脳みそをスプーンでぐちゃぐちゃにかき回されたようなひどい気分。
「息をして!」
何度目かの同じセリフに、いい加減苛ついて、しているよ、と怒鳴り返したつもりだったが、声は全く出ていなかった。
アラーム音が、とにかくうるさい。
酷い頭痛に追い打ちをかけるそれは、ラスカの装置ではなく、その隣のルーカスの装置から発せられたものだった。
酷い耳鳴りが少しずつ収まり、ぜぇぜぇと息をする自分の音が重なる。
こわばったからだが、側で治療に当たったクルーによって勝手に裏返された。
視界の端に映る装置の中で、ルーカスが人間とは思えないほどの痙攣を繰り返し、エンジニアたちがこぞって装置を止めようと躍起になっている。
一時的とはいえ、相棒となったルーカスの惨状を目の当たりにしながら、けれどラスカは、それどころではないと焦っていた。
ルーカスは、もちろん心配なはずだが、かき回された脳みそが、この後に起こる惨状の予感に、追い立てられていた。
「あなたは大丈夫。もう大丈夫だから」
幼い少女の声が、必死にラスカをなだめる。
自分に言い聞かせているような声だった。
真っ黒なバイザーの向こうに透ける表情は、泣きそうで。
誰かが守ってやらなければ、簡単に死んでしまうのだと思わせた。
「…げろ」
「え…」
「逃げろ、やつらが…」
自分を支えようとするボットの腕を掴み返し、必死に息を吸う。
「見つかった、やつらがくるっ!」
息を吸ったことで、漸く声に力が戻る。
少しずつ回復した体を無理矢理に起こした。
ラスカの声に反応したエンジニアの一人と、指揮を執っていたクエンスが振り返る。
「早く、逃げろ!」
ラスカの必死の表情に何かを察したクエンスが、部下に命令を下すより先に、地面が揺れる。
奴らは、どこだろうと現れる。
ラスカとルーカスの思考を通して、場所を特定したやつらは、地面を通って簡単に目的地へとたどり着いた。
轟音と共に、地面から無数の黒い群れが湧き出す。
下から突き上げられた施設は、なすすべもなく簡単に、ひっくり返された。
悪夢が、形を成して襲ってきた。
横倒しにされた施設のなか、もみくちゃになりながらもそれぞれ身を守る。
倒れる衝撃で片側に亀裂が入ると、外壁はまるで張りぼてのように簡単に分解した。
固定されていないもの、軽い者から順に外へと放り出される。
ゴミ箱をひっくり返したような惨状に、けれどそれで終わりではない。
「ボットを脱げ!はやく!」
破壊音と、悲鳴の中でラスカの声が辛うじて響く。
一番側に居た、介抱を担当してくれた少女が、震えながらボットを操作する。
悲鳴と同時に、ワームに巻き付かれた誰かが高く宙に舞い、そのまま息絶えた。
声に反応できた何人かは、急いでボットを脱ぎ捨てていく。
怯えから戸惑っていた傍らの少女が何とか脱ぎ捨てたボットが、ワームに攫われて森の奥へと消えた。
「電子機器を捨てろ、やつらに狙われるっ」
「待って!」
よろめく体を何とか立て直そうとするラスカを、少女の腕が引く。
再び地面に伏せたラスカの頭上をワームがよぎった。
少女の腕がラスカの後頭部に伸ばされる。
正確にはうなじのあたりに接続されたままになっていたデバイスに伸びた手が、手探りでスイッチを掴み、乱暴に引き抜く。
チップに接続するために打ち込まれた無数の細い神経ワイヤーが同時に引き抜かれる不快さに、ラスカはとうとう嘔吐した。
「おぇえ…」
とはいえ、胃液しか吐き出せない。
装置にぶち込まれる前に、食事を止めたルーカスに感謝した。
少女は取り外したデバイスを力任せに投げ捨てる。
少女の腕では数メートルも届かなかったが、地面に落ちるより前に、猛スピードのワームに絡めとられて破壊された。
「クエンス!なにしてる、逃げろ!」
少年の声がする。
ラスカは必死に身を起こした。
瓦礫となった施設の隅で、未だにボットを着たままのクエンスが、転がった円柱の装置の前で、必死に、ルーカスを助けようともがいていた。
よろめく体を何とか立たせ、走る。
ワームたちは、よりエネルギー反応の高い電源システムの破壊に夢中だった。
何とか装置の扉を開けようと力むクエンスの背後にたどり着いたラスカは、脇の下、影になるところに着いたカバーを何とか外す。
「そいつはもういい!自分を守れ!」
「だがっ…」
緊急用のレバーを引いて、強制的に脱出させる。
吐き出された操縦者の少女は、ラスカの腕に簡単に収まるほどの幼さだった。
脱出とほぼ同時に、ボットがワームに攫われ、空中でばらばらに分解される。
「地中に高エネルギー反応!」
最後までモニターをのぞき込んでいたオペレーターが叫ぶ。
生身となった少年はけれど、直後、ワームがモニターを破壊する衝撃に巻き込まれて、数メートル吹き飛ぶ。
「あれ!」
誰かが指差し、視線がその先に集中した。
晴れ渡った青い空に、地上から伸びる真っ白な光線。
宇宙へと伸びる白い帯は、化学兵器特有の冷たい光を、空へと真っすぐ伸ばしている。
「父さんっ…」
腕の中の少女が絞り出すように叫ぶのを、ラスカはなすすべもなく立ち尽くして聞くことしかできなかった。




