文明開化
リヒトが見つけた鉱脈によって基地のエネルギー不足は完全に解消された。
懸念されていたスパイダーの襲来も無く、フルスピードで行われた採掘は、間欠泉の噴火とそれに付随する地震を除けば、特に問題なく進行している。
基地の運用に必要なエネルギーを確保した後は、輸送船に乗せて宇宙へ運ばれ、宇宙の周回軌道を遊泳していたステーションからは、襲撃に備えて非難させていた資材や食料が運ばれ、それに伴って、人材も補給された。
リヒトの担当になったドクター・ケリーもその一人である。
「調子はどう?医療ポッドがもう少し治れば、その腕も簡単に治療できるのだけれど」
「はぁ…」
診断から治療までを自動でこなす医療用ポッドは、最初の襲撃で半壊していた。
残骸を回収してしばらく放置していたのを起動させるまでが、リヒトの最初の仕事だった。
まさか自分が直したポッドを自分で試運転することになろうとは、その時は思いもしていなかったが。
「スペアもやられてしまったから、一から作るか、直すか、どちらにせよまだしばらくかかりそうね。あなたの腕が自己治癒するのと、どちらが速いか見ものだわ」
ニッコリ笑う姿はとても美しかったが、どことなく不安な気持ちにさせる。
「打撲と内出血、それと擦り傷は治ったし、検査では異常がなかったから、歩き回っても大丈夫のはずよ。でも決して無理はしないで。少しでも気分が悪くなったらすぐに周囲に助けを求めてね」
全身打撲や脳震盪、軽い皮下出血を負いながら、奇跡的にリヒトは命に別状がなかった。最も重症だったのが左腕で、腱や筋肉をしこたま傷め、骨にひびも入っているからと、分厚いギプスでガチガチに固められていた。
医療用ポッドが万全であればすぐに直せた傷だが、しばらくは安静に、というお達しだった。
本来の仕事である発掘作業に参加できないことを憂うリヒトだったが、指揮官であるバートレットをはじめ、基地の職員からは、未曽有のエネルギー危機を救った英雄だからと、治療に専念することを勧められた。
鉱脈発見が全くの偶然だったことは誰もが承知している。未知の生物に対する健闘をたたえた休暇だった。
「動けるようなら、今日の午後、第二格納庫に来いって指令が言ってたわよ」
ケリーに言われ首を傾げながらも、なんとか基地内を歩き回れるまでに回復したリヒトは、言われたままに、第二格納庫に顔を出した。
「来たか」
そこにバートレットの姿は無く、居たのは副官のリードと、ケリーと共にステーションから地上に降りてきた機械工学者のゼインだった。
「ちょうど今、起動しようとしていたところなんだよ」
そう言って笑うゼインの前には、ボットが置かれている。
態々呼び出されるぐらいなのだから、普通のボットではない。
リヒトにはその正体がわかっていた。
標準的な作業用ボットの中に詰め込まれたスーパーコンピューター。本来なら透明なバイザーが黒く塗りつぶされている。その奥に光るのは光化学レンズ。両側頭部に備えられた翼のような高出力アンテナ。
「紹介しよう、ノアだ」
ゼインがバックパックに積み込んだバッテリーのスイッチを入れ、彼が起動する。
真っ黒いバイザーの奥で、センサーライトが赤く光った。
「初めまして皆さん。私はノアです」
高性能自動演算型自立思考ロボット、通常AIボット。胸に光る型番の数字から最新型なのが分かる。
「どこでこれを」
「元々、連れてきてはいたんだ。襲撃前までは問題なく稼働していたのだけれど」
襲撃にいち早く気づいたのはノアだった。警報を出し、戦闘配備の提案をしたのも彼。
バートレットの命令でケリーやゼインを資材と共に宇宙へ逃がしたのもノアで、その後バートレット達を輸送機に乗せて逃がしたのも。
「君は、一人でも多くの命を救うために最後まで残り、そして自爆した」
「これはスペアのボディにコア部分を移植したものだ。彼は自分が助からないことを知っていたんだろう。メインコア部分を取り外して資材と共に宇宙へ打ち上げていたんだ」
「メインコアなしで自立できるんですか?」
「可能です。メモリ部分に戦闘プログラムを移植することで起動します。その場合、自立思考はできないので、タレットと同じ状態になりますが。登録された生命反応がなくなり次第、自己破壊というプロセスを組み込んでいるなら思考は必要ありません」
「私は君に命を救われたんだ」
ゼインは今にも泣き出しそうな様子でノアに縋りついた。
ノアには精神ケアのプログラムも搭載されているのだろう。優しく抱き返して背中を撫でていた。
「メモリを上書きしたならその時の記録はないのか?」
リードが事務的な口調で質問する。
「ありません。私は今、初期状態です。基地の状態はダウンロードされています。命令をくださればいつでも実行できます」
穏やかな男性の電子ボイスで、ノアはよどみなく返答した。
情報を整理して、リヒトはゆっくりと頷く。
「つまり、弟みたいなものですか」
「…だな」
「よろしくお願いします。あなたたちのお名前は?」
人に警戒を持たせないよう、万人受けする柔らかな態度。
自然であればあるほど奇妙な気持ちになる声に、リードは苦いものを噛んだ。
「職員リストをダウンロードしろ。命令は雑務だ。タスクを確認して実行してくれ」
リードの声を横で聞きながら、リヒトは初めて見るAIボットに見惚れていた。アンドロイドはよく見るが、あれは人に近づけるために能力が制限されている。
けれど、AIボットはむしろボット寄りに作られているため、装備が充実している。厳しい環境や、戦闘地域で使用されるため、頑丈だし見た目も人ではない。
「彼がリヒト、君の相棒だ」
肩を叩かれ、リヒトはきょとりと目を丸くする。
目の前の最新ボットの機能に想像を膨らませていてまったく話を聞いていなかった。
「よろしくお願いします、リヒトさん」
見上げるほどの高さにあるノアのカメラが、自分をしっかりとらえているのを感じて、リヒトはただ、ノアとリードの顔を交互に見ることしかできなかった。
ノアの起動に立ち会い、リヒトへの指示を終えたリードは司令室に戻った。
ドッグを見守るための窓には今、外の景色が映し出されている。
電力の戻った部屋は明るく、電子機器の戻った職場は以前に比べてはるかに忙しそうだった。
ボタンを押すだけで文字が入力できることの何とありがたい事か。指を動かすだけで画面が送れることのなんと。
「コーヒー、お待たせしました」
「ん」
司令官用のリクライニングチェアに体を伸ばして座るバートレットに、途中立ち寄った食堂で調達したコーヒーを渡す。
床にまで散らばった書類を拾い上げ、ゴミと選別して重ねる。
周囲を簡単に片づけた後、改めてバートレットを窺えば、彼が音を消して動画を見ているのに気付いた。
「また見ているんですか」
「……」
返答はない。
必要としたわけでもないので改めて後ろに回り、共に画面を眺める。
映されているのは、あの日、未知の敵と遭遇しながらも必死に生きようともがくリヒトの姿だった。
驚くべきは、そのアクロバティックな動きではない。
敵に襲われているという追いつめられた状況で、彼はあまりにも冷静に、クラフトを行った。
いったいどれだけの戦闘員が、技術者が、戦場の真っただ中で、壊れた工具を分解し、組みなおし、新たな武器として創作することができるだろう。
目を奪うのは、その速さもだ。
まるで早送りではないかという速度で、リヒトは廃材を分解し、再構築して見せた。
映像がまさにそのシーンに差し掛かろうというタイミングで、バートレットはおもむろに音声をオンにした。
流れてくるのは、接触の悪いノイズと、リヒトの声。
ぼそぼそとよどみなく発せられるその言葉は、まるで祈りのように抑揚なく、切実であったが、よくよく耳を澄ませて聞いてみれば、なんと、なにかの工具の説明書だった。
淡々と説明書を読み上げる声は、その手さばきと同様に早口で、不気味だ。
怪我を治療する際、一応血中の薬物反応や脳の障害は可能な限り調べたが、特に異常は見つからなかった。
最も恐ろしいのは、彼のこの奇行が、今回の戦闘で受けた傷による脳への障害であること。
次に恐ろしいのは、日常的に彼の行動が異常であること。
しかし、さすがに本人に映像を見せて、これが通常かと尋ねるのは失礼ではないだろうか。
「本人に確認したが」
「確認したんですかっ?」
「どうやらこれは日ごろからの癖らしい」
「癖、ですか…」
思わず声を荒げたリードの反応を意に介さず、バートレットは、ふむ、と小さく唸る。
「どうやらこいつは、見逃された子供、らしい」
「……」
見逃された子供。それは宇宙開発の中で、徹底的に管理されている人口調整を潜り抜けた、未登録の孤児の中でも、本来なら“間引かれて”いたはずの子供たちのことである。
正規の医療機関であれば、欠陥が現れる可能性があると判断されれば、それは命ではなくなり、破棄される。
だが、どこにでも例外はいる。リヒトもその一人なのだ。
「どうされますか?」
「……」
彼には間違いなくどこか欠陥がある。今回はそれがたまたまいい方向に働いただけで、今後はどうなるかわからない。
彼の欠陥がどのようなものかもわからない以上、対処もままならないだろう。
バートレットは上司ではあるが警察ではないので、リヒトを「処罰」することはできないが、このキャンプをまとめるリーダーとして、彼を不適切として「処理」することはできる。
リードはしばらくバートレットの反応を待ったが、彼は答えることはなかった。
医務室。治療ポッドを弄り回すゼインを横からのぞき込む影が二つ。
リヒトとノアだ。
「うーん、ダメだなこれは」
「……」
「ダメではありません。部品を交換し、適切な対処をすれば修理は可能です。具体的に説明いたしましょうか?」
はつらつとしたノアの電子声に、二人は言葉を失くして彼を見つめる。
ノアは返答を待って二人を交互に、その無機質なカメラのフレームに収めた。
「んじゃ、あと頼むわ」
「かしこまりました」
工具を投げ出したゼインの言葉に従って、ノアが部品を取りにいくため部屋を出ていく。
「素直でいい子なんだけどね」
まるで近所の騒がしい子供に苦言を呈するように、ゼインがこぼす。
「せっかく色々教えたんだけど、全部忘れてしまったようで」
その声色には、寂しさが滲んでいた。
大勢のスタッフを救った例の襲撃時、ノアが残したのはシステムコアだけだった。
文字通り、初期化されてしまったAIは、それまで記憶していたあらゆるデータを喪失していた。
「あの子は機械。わかっていたつもりだったが、いざ直面すると、受け止めきれないね」
肩を落とすゼインの話を片耳で聞いて、リヒトはおもむろに立ち上がる。
「様子を見てきます」
「ああ、頼む。職員名簿はインストールしているけれど、以前集めた詳細なデータはすべて失ってしまっているようだから」
AIは学習する。会話から、相手の好みや性格の傾向を分析し、より良い会話に努める。
個人との対話で分析し、相手によって話し方を変えたりもするのだ。
だが、相手を知るためにはデータが必要だ。自爆以前に集めたデータを全て失ったノアは、初期のAIがそうするように、積極的に他者へ話しかけてデータを集めることから始めた。
特にゼインは、エンジニアの一人ということもあって、頻繁にノアとも会話しているようだった。
だからこそ、余計に感じ取ってしまうのだろう。
ノアの反応が、あくまでもAIによって計算して繰り出されていることを。
ふとした瞬間に、以前の彼と全く同じ声で、まったく同じ質問をされる虚しさに、何故か打ちのめされてしまうのだ。
ゼインの葛藤をよそに、リヒトは足早にノアを追いかけていた。
センチメンタルに黄昏るゼインと違い、リヒトはノアとは初対面だ。
さらに言えば最新型のAI搭載型の自立ボットに出会うのは初めてで、工学エンジニアでもあるリヒトは興味津々だった。
「てめぇにくれてやる資材はねぇよ」
あまりの速さに見失ってしまったノアを探してきょろきょろとしていたリヒトの耳に、聞き覚えのある声が届いた。
音のする方へ駆け足に近寄ってみれば、廃材置き場の一角で、ノアが整備士と対話しているところだった。
廃材置き場という名のごみ箱の前に立つノアを、整備士統率のキルカ・オースティンが睨みつけていた。
「こちとらじり貧なんだ。ケーブル一本ですら惜しいんだよ」
彼女の言うことはもっともである。
襲撃事件の時、大規模な爆発によって敵を吹き飛ばすのと同時に施設をも吹き飛ばしてしまった。
辛うじて避難させた資材はわずか。リヒト達が持ち込んだ物資はリヒト達が使う量でしかなく、失ったものを埋め合わせるには不十分だった。
そんな中、フル稼働でボットを扱い、広い地表の中でアムニスを探し回れるのはひとえに、整備士たちの努力ありきだった。
「全てが必要なわけではありません。それに、私が直すのは医療器具です。ボットより優先順位が高いはずです」
「なんだって?」
キルカの眉間にぐっと不機嫌な皺が寄る。
少し後方の台で作業していた部下の一人が、まずい、という顔をした。
ぎゅっと、キルカの右拳が固く握りこまれたところで、リヒトがひょっこりと顔を見せる。
「なんだい、あんたか」
眉間の皺はそのままに、けれど少しだけ声音を緩めたキルカの視線が、ギプスに固められた腕を撫でる。
「まったく、間抜けな子だね。それで、何が必要なんだい」
「ノア」
リヒトが呼びかけると、ノアは淀みなく必要な部品の名称を告げる。
唇を尖らせてそれを聞いていたキルカは、廃品ボックスを顎で指して、
「そこの中なら好きにしていい」
と言い捨てて背を向けた。
「ありがとう、助かる」
礼を告げるリヒトの言葉を聞いて、ノアもすぐさま学習する。
「あなたのおかげでたくさんの命が救えます」
具体的な事実を織り込んだ最大級の賛辞と礼の言葉は模範通りではあるが、この場ではどこか皮肉めいて聞こえて、当然、周囲からは呆れのため息が漏れるだけで。
対して、キルカの返答は、立てられた中指だった。