生きるための戦い
リヒトはものすごい勢いで地面を滑り降りていた。いや、落ちていた。
爆風に煽られた体は地面を転がり、草の陰になっていた穴にすっぽりと吸い込まれてしまっていた。
濡れてボロボロになった地面を滑り落ちながらなんとか落下を止めようと壁を掴むが、やわらかい土は崩れるばかりで心持ち速度を緩めてくれる程度だった。
泳ぐように何度も土をかいて、必死に捕まろうとするリヒトの体は、唐突に放り出される。
「ぐっ…、」
宙に浮いて数メートル落下した後、肩をしこたま叩きつけて着地した。
「いっ…かっ…」
余りの痛みに息が止まる。なんとか呼吸しようと必死に口を開けた。
「相棒、どこだ!」
ノイズを混じらせながら耳元で声がする。
とにかく息をしようと地面を転がって、うつ伏せになってしばらく、漸く呼吸が正常に戻る。
目の前の画面には故障個所がいくつも赤く表示され、体中が痛かった。
「し、た…に、いる」
下に居る。雑音の多い無線で何とかそれだけ伝えて、収まらない痛みにうめきながらも上を確認した。
落ちてきた穴の入り口はほとんど見えなかった。狭い洞窟の直径はリヒトの身長ギリギリほどで、壁は脆く登れそうにない。
紐を下ろしてもらうにも、この長さを用意するのはしばらくかかるだろう。
うるさいアラームを鳴らすボットの電源を落として、保護ヘルメットを外した。
「う…っ」
酷い匂いだった。泥と、湿気と、植物が腐った匂い。
湿気が酷いのに、粒子の細かい土が水蒸気に混じって口に入る。
それでも酸素濃度は、問題なかった。
「は、…ぅ、いぃ、た…い、」
痛い、痛い。声に出した方がストレスが減って痛みが緩和される気がした。
右手で胸のあたりのレバーを引けば、背中にめり込んでいたキットが緩む。
動かない左腕の代わりに口を活用して、なんとか背負っていた荷物を解き、腕と一体化しかけていたチェーンソーブレイドを取り外せた。
フレームは変形してチェーンがハズレかかっていたが、内部はほとんど無事だ。
チェーンソーからいくつか部品を移して、変換機に電源を入れ直す。火花を散らしたいくつかの部品を取り除いて、アーム部分からチェーンソーを外し、部品を組み替えて、歪んだ枠組みを外して変圧器の枠に絡めると、元通り背負いなおした。
ジョイントを繋げ直してレバーを戻せば、ボットにエネルギーが戻る。
ヘルメットをかぶり直せば、画面に映ったエラーは半分に減っていた。
「リヒトです」
途切れ、途切れの無線に応えれば、向こう側から安堵したような声が返る。
「ボットの生命反応が消えたっていうからてっきり死んだかと」
「再起動してた」
電力が安定して、運動補助装置が正常に動いてやっと、まともに立ち上がることが出来た。
改めて見上げても出口は遠く、チェーンソーを外して、その下のボット本来の装備であるフックショットが使えるようになったが、壁が脆いせいで使えそうになかった。
このまま待っていてもそのうちボットのエネルギーが無くなって体温調節機構が動かなくなり、蒸し風呂のような洞窟内でおいしく茹で上がるだけだ。
「本部」
無線での呼びかけに、やや間を置いて対応したのは、バートレットだった。
「探索の許可を」
「…いいだろう。死んでもしらんぞ」
どちらにしろ死んでしまうなら、生き残る可能性が高い方を選ぶのは、生命として当然の反応だろう。
水の噴出で出来た洞窟内は脆く、蒸気に満ちていた。
噴出孔が一つとは限らない。もし、別の出口を見つけることが出来たら、そこから出られるかもしれない。
見つからなかったら、少し熱めのシャワーを浴びることになる。
ぬかるんで、やや下りになった穴をゆっくり進んでいく。
幸いなことに洞窟内には、削り出されたアニエスの欠片がいくつも落ちていて、落ちた当初よりもエネルギー残量は増えていた。
真っ赤だった充電メーターが黄色から緑になるのを見て、これだけでもちょっとした収穫だったと喜んだのも束の間、次の瞬間には強い揺れでリヒトはぬかるみに突っ伏した。
轟々と地響きが広がり、濡れて脆くなった土が頭上から塊となって降り注ぐ。
背後で崩落の音がした。このままでは生き埋めだ。スーツについたGPSで居場所は特定してもらえるが、土の圧力にスーツが耐えられる保証はない。耐えられたとして酸素が持つのか。
なんとか立ち上がってやみくもに走り始めたリヒトの視界の端で、気圧メーターが異常に跳ねあがるのが見えた。
噴火だ。
「くっそぉぉおおお!」
ぬかるんだ地面に足を取られて再び転がる。
いつの間にかずいぶん傾斜が付いていた地面を、リヒトは滑走していく。
気圧と気温、湿度が跳ね上がり、ヘッドライトが照らす地面の奥から、煮えたぎった水がマグマのように襲い掛かってきた。
「いったん退け!」
無線の奥から、地上で再び間欠泉に襲われているらしいザック達が焦る声が聞こえる。
水流に飲み込まれた体は勝手にあちこちへと振り回され、視界には濁った水が泡立ち、流れていく。
声を発しようにも、強化スーツの上から水圧に肺を潰されて息すらできない。
壁にぶつかれば四肢があらぬ方向に曲がって、すりつぶされるようにひき肉になってしまう。土砂に埋まる未来か、それとも噴出と共に中空へ投げ出され、先ほどのように地面に叩きつけられるか。
スーツの衝撃耐性が持つだろうか。必死で思考を巡らせるリヒトの意識が、酸欠で遠のく。
全身を押さえつけられる激しい圧力に、星の力を感じた。
リヒトは宇宙ステーションで生まれ、宇宙ステーションで育った。エンジニアとしてステーションを渡り歩き、施設の補修やシステムのアップデートを生業として生きてきた。
宇宙船の大きさはさまざまだが、四メートルを超える高所で作業するときは、いつも重力抑制装置が働いて、怪我などの心配はない。
星に、大地に降りたのは人生で初めてだった。
侮っていたわけではないけれど、やはり備えが足りなかったのだろうか。
死にたくない。死なないためにはどうしたらいい。
遠のく意識で必死に思考だけは途切れさせまいともがくリヒトの体は唐突に、圧力から解放された。
ふわりと浮き上がるような感覚と、次の瞬間には地面。
強い衝撃はあったものの、高い場所から落ちたという印象はなかった。
突然の事にしばらく動くこともできず、叩きつけられたうつ伏せの状態でぼんやりと寝転ぶ。
ぬかるんだ泥の感触がちょうどいい。
「…ひと、…リヒト!」
無線の声にたたき起こされた。水流のせいであちこち接触が悪い。
練習がてらの探索で、二度目の落下。もうこれ以上はたくさんだ。呻きながらなんとか泥から起き上がる。
点滅するライトを何度か叩いて安定させると、周囲を見回した。
レーダーと肉眼によれば、ここはドーム状の広い空間のようだ。硬い岩に覆われているようだが、間欠泉の出口になったということはどこかしら空気が抜ける隙間があるような空間のはずだ。
計器は酸素濃度を正常だと表示していたが、散々洗濯された後では信用できない。
入口、と呼ぶべきか、出口と呼ぶべきか。ともかくリヒトが通ってきた穴は地面についており、かなりの深さだった。
噴出した水が崩落により出口を見失い、また新たな道を作ってリヒトを押し上げたということだろうか。
覗き込んだが下は見えなかった。
せめて現在の高度が知りたいと、なんとか無線がつながらないかと試みるリヒトの前に、軽快な音を立てて転がったこぶし大の岩が止まった。
「な、に…」
ヘッドライトが映し出したそれを、後々リヒトは何度か夢に見た。
途切れがちに届いていたリヒトからの位置情報が異常な速さで移動を始めて、司令室が一時騒然となる。
「流されたか」
「どっちだ」
「キャリー班、今は自分の身を優先しろ」
揺れは基地にまで伝わった。司令室に窓があれば、水が噴き出し、湯気が立ちこめる北の森が見えただろう。
練習がてらの散歩だったはずの任務は、命がけの脱出へ変わっている。
異変に伴って森を南に進んでいたレッカー班にも帰還命令が下されていた。
目的地周辺でワームに遭遇するのは想定内だった。しかし、間欠泉の噴出は予想外である。
地質調査では確かにわずかな地熱の上昇がみられていたが、火山の大元は二百キロメートル東南の、大きな湖、あるいは海を挟んだ向こう側のはずだった。
「準備完了、出発の許可を」
「目的地変更だ。少し待ってろ。リード、ヘリの準備をしておけ」
戻ってきたレッカー班のうち、すでにこの星での活動経験も豊富な部下のディルクと、基礎戦闘技能免許を持つラスカが、救助道具を揃えて待っている。
間欠泉で移動したリヒトは山を昇り頂上付近の空洞内に居るらしい。
山の中に居たとして、直接山頂を目指してたどり着けるような場所だろうか。一度山を下りて、危険な間欠泉の中を探させるべきか。
「映像戻ります」
「ひっ」
途切れていたリヒトのボットからの映像が回復する。
画面に映し出された映像に、オペレーターから悲鳴が漏れた。
ワーム同士が寄り集まって一本のワイヤーとなり、ワイヤー同士がまた寄り集まり、大きな集合体となる個体がある。
やつらの習性は未だ謎だが、画面に映し出されたものはこれまで見たどのワーム生物よりも、醜悪で不気味だった。
体高、いや、厚みは三メートルほどだろうか、中心になる楕円に集まった部分から、何本も寄り集まって出来た太い脚部が何本も伸び、ぽっかりとドーム状に広がった空間の天井部分に張り付いている。
内部壁面作業補助ロボ、スパイダーに似ているな、とリヒトはなんとか正気を保とうと目の前の状況を分析する。
伸びた脚部の先端から、反対の脚部の先端まで、優に二十メートルはあるだろうか。
ドーム内がほんのり明るいのは、きっとどこかに隙間があるおかげで、つまり外が近いわけで。
「落ち着け」
バートレットの声で、我に返る。視界の隅のバイタルゲージがめちゃくちゃな動きをしていて、自分がパニックを起こしかけているのに気付いた。
落ち着け、落ち着け、と言って聞かせてどうにかなるものでもない。
巨大な謎の生物を前に、無力な自分が居る。その事実をゆっくり飲み込んで、導き出されたのは、死だ。
「まだバレちゃあいない。ゆっくりと移動しろ。左だ」
言われるままに、足を動かす。
死にたくない、それだけが、今のリヒトを突き動かしていた。
スパイダーワームは眠っているのか、天井に張り付いたまま動かない。
壁からわずかに漏れる光に浮かび上がる体表は無数のワームの集まりで、血管のように脈打っていた。
できるだけ注意を引かないよう慎重に、岩壁に沿って移動する。
ヘッドライトだけでは上手く周囲が見渡せない。
もっと情報が欲しいと、センサーを起動させるため胸のアタッチメントへ手を伸ばした。
「だめだっ」
無線から制止の声が聞こえた時には、すでにセンサーを起動させた後だった。
ボットに備わっているセンサーにはカメラと連動した自動のものと、手動で発動する空間把握型の物がある。
手動で発動するのは赤外線や音波を使って空間を測るものなので、今の環境には適切なはずだが。
「…あ」
ヘルメットのディスプレイに空間内の地形がグリッド表示されていく。天井に張り付いたワームも、きっちりと。
もぞり、レーダーの照射を受けたワームが、動いた。
「走れ!」
無線の音に弾かれたように走り出した。
測定によって判明した、出口が画面に表示される。ずいぶんと高い位置にあった。
ワームが少し動くたびに、岩とぶつかり生じた音がドーム内を反響してわんわんと響く。
岩壁を登ろうと伸ばした手はしかし、届くことなく、揺れに足を救われて地面に転がる。
「止まるな、動けっ」
痛む腕を庇ってなんとか立ち上がって走った。
ワームが天井に突き刺していた脚部を離し、奇妙な方向にねじ曲がる。
本体を反転させることなく身を翻し、綺麗に地面に着地した。
センサーがワームの全長を計測し、赤のグリッドで表示する。基地からの指令により、ワームはスパイダーと名付けられ、タグがつけられる。
奴が天井から落ちた衝撃で、あちこちで起こる落石を必死に避けた。
「ヘリが向かっている。なんとか持ちこたえろ」
落ち着くって、どうやるんでしたっけ。見上げた先に広がったのは、一面の緑だった。
正しくは、一面のアニエス鉱石だ。アニエスは画面に緑で表示される。
天井の岩が剥がれ落ちて現れたのは、広いドームの天井を覆うほどのアニエス、しかも岩に混ざった少量の物ではなく、天井全体が結晶化しているようだった。
「なるほど、奴はこれを守っていたってわけか。天井から剥がれ落ちた岩の中にも純度の高いアニエスが含まれているはずだ。採集してエネルギーを溜めろ」
落石の中から拾いやすい物を選んで適当に変換機に押し込む。純度が高いおかげもあって、メモリがぐっと伸びた。
頭上から、影が落ちる。
見上げれば、眼前にスパイダーの足が伸びていた。
走って逃げては間に合わない。
咄嗟に、フックショットを飛ばす。地面と平行に伸びたフックショットは運よく岩の一部を捕まえた。
「いっ…っ」
すぐさま巻きとれば、体ごと吹き飛ぶような勢いで壁に吸い寄せられる。
痛めた腕にちぎれそうな激痛が走ったが、かまっていられない。
すぐに次の脚部が持ちあがり、リヒトめがけて降りてくる。
走った。脚部の直径はそれほど大きくない。降りてくる場所が分かれば避けるのはそう難しくはない。けれど、避けるばかりでいつまで保つか。
地面を転がりながら岩を拾っては変換機に押し込む。
フックショットは飛ばすことにはエネルギーを使わないが、人を一人分移動させるにはメモリ一つ分ほどエネルギーを消費していた。
このままではらちが明かない。
そう判断してリヒトは左腕の高周波ブレードを構えた。
眼前に迫ってくる黒い塊。潰されるギリギリで避けて、起動したブレードを突き立てる。
ちぎれたワームがあたりに散らばった。
しかし切断面はすぐに修復され、振り上げられた足にリヒトはあっけなく吹き飛ばされる。
着地点に容赦なく振り下ろされる脚部から逃れるため、すぐさまフックショットを飛ばした。
腕が痛い、限界だ。泣き叫びたいような気持ちを飲み込んで、再びブレイドを構える。
「提案がある。実行するかは君の自由だ」
リヒトの反撃を見たバートレットから無線が入る。逃げ回りながら提案を聞いたリヒトは、すぐには返事できなかった。
本当にできるのか、その疑問をぶつける間もなく、壁の向こうから轟音が響く。岩壁に穴が開いて、ヘリのローター音が聞こえた。
ヘリからエネルギー銃が掃射されて、スパイダーの体にいくつか穴が開く。
ワームは一定の長さまで短くなれば生命活動が出来なくなる。傷口から散ったワームは確かに動かなくなっていったが、傷口の小さい銃では斬撃よりも明らかに撃退数が少なかった。
ぐぐ、と体を傾けたスパイダーが、ヘリ側にある脚部を一つ、持ち上げた。
「まずい、回避しろ」
ヘリのパイロットへ向けたバートレットの声がリヒトにも届いた。
スパイダーは持ち上げた脚部を何の予備動作もなく伸ばした。無数のワームが細く連なり束となり、突然体が伸びたのだ。
バートレットの声に反応して回避したヘリだが、スパイダーの脚部は関節など無視して柔軟に曲がり、上昇したヘリを執拗に追いかける。
今なら。
リヒトは工具を取り出し、ボットの左腕に突き立てた。手早く分解して、そこからチェーンソーの刃の部分を抜き出す。
右腕のチェーンソーは落下のダメージで外れかかったのを無理やりフレームと一緒に背中に吊るしていたので外すのは簡単だった。刃の端と端を合わせて約十メートル。
端の金具を合わせようとするリヒトに、容赦なくスパイダーの脚部が襲い掛かる。
まとめたチェーンを胸に抱くように走ってなんとか避けた。
腕が痛い。足も痛い。土にまみれたヘルメットのバイザーではろくに周りが見えやしない。
辛い、怖い。いろいろな感情から逃げるように駆け出した。
銃声がして、スパイダーが身を捩る。旋回して戻ってきたヘリが再び攻撃を仕掛けていた。
リプレイのようにスパイダーが脚部を伸ばす。その幾分か細くなった脚部に向けてフックショットを放った。爪の部分は足を通り過ぎて岩壁に突き刺さるが、それはリヒトの狙い通りだった。
打ち込んだ左腕のフックショットには先ほど取り外したチェーンが付いている。
続けてリヒトは、脚部の下をくぐらせるように右腕のフックショットを放っていた。
スイッチを握れば、高周波ブレードが起動する。
右腕のフックショットを引き寄せながら左腕のフックの爪を外せば、スパイダーの脚部に巻き付いた高周波ブレードが、触れるものすべてを切り裂いた。
ぶちぶちと、音を立てて脚部が切り離される。慌てて跳ねまわる脚部だったが、長く伸ばした部分が支えを失い、重力に従い落ちていき、やがて地面へとたどり着いた。
引き戻した左腕のフックは、ワイヤーだけを収納し、チェーンはむき出しのままぶら下がっていた。高周波の影響で、まだ少し熱が残っている。
スパイダーの足は全部で八本。一本失ったぐらいでは何ともないとでも言いたげに、残った脚部がリヒトに向けられた。
できるだけ、やるべきことに集中するように努めた。
キットの部品を組み立てるように。傷ついた内壁を付け替えるように。手順通りに組み立てれば、上手くいくのだと自分に言い聞かせる。
目が眩む。バイザーに泥がこびりついて物理的に視界が悪い。指先に当たった石ころを反射的に変換機に押し込めば、メモリが一つ増えた。
音が聞こえづらい。耳鳴りなのか、鼓膜に異常があるのか、あるいは三半規管か、もはや脳に異常があるのかもしれない。
それでも走れたのはボットの優れた運動補助能力のおかげだった。
関節の可動がおかしい。エネルギーの供給経路に異常があるのか左腕だけ妙に動きが鈍い。
右腕のフックを戻すとき、嫌な感触がした。
ヘリの助力を得て、もう一本、脚部を切り落とした。その時、リヒトの目に移った光景を、きっとカメラ越しにバートレットも見ていた。
「なるほどな」
呟いた言葉に、きっと自分と同じことを考えているんだろうなと思った。
視線の先では、スパイダーが体の中心部分を地面に寄せて、落ちていたアニエス鉱石を体内に取り込んでいるところだった。
よく見れば、取り込む部分だけ、ワームが寄り集まって出来た部品ではない、別の何かだった。
誰がどう見ても、弱点ですよと教えているようじゃないか。
「失敗しても、死体は拾ってやる」
バートレットの餞別を聞きながらリヒトは、背中の変換機を取り外していた。
手近な岩を放り込んで、配線を入れ替えて暴走状態を起こす。これでスイッチ一つで変換機は小型爆弾へと姿を変えるだろう。
左足のサスペンションの動きがおかしい。もうそれほど長くは持たないだろう。
麓まで来ているらしいザック達に、バートレットが待機命令を出した。ここで失敗しても、リヒトが死んだ後は彼らが始末してくれるだろう。
これだけのアニエス鉱石があれば、基地の再建をした後、企業に送り込んだとしてもおつりがくる。
伸ばされた脚部の間を縫って、簡易爆弾を抱えて足元に潜り込む。中心部の下を潜り抜けたが、予想通り、取り込み口は無数のワームにとりまかれて見えない。
「撃て」
命令と同時にヘリから掃射が行われ、脚部が伸ばされる。リヒトは再び高周波ブレードを使ってその脚部を切り落とした。
三本目の足を失くして、スパイダーは怒ったように身を震わせる。
「来たぞ」
本体が地面に近づく。
口が現れると察して、フックショットを放った。走っていては間に合わない。
露出した捕食口に、スイッチを入れた変換機を押し込み、再びフックショットを使って素早く離脱する。
引きずられまくった身体はもう限界だった。
がぽん、と開かなくなったドアを爆薬で吹き飛ばした時のような、籠った爆発音が響いた。
小型爆弾が、内側からスパイダーの本体を破壊した音だった。
大きく仰け反った身体は、振り回す脚部に引っ張られるようにして、大きく開いた壁の穴から外へ向かって倒れていく。
ずるりと、崖の淵から足が滑り落ちて、中心部が地面に叩きつけられる。
運悪く、天井に伸ばせるはずの位置にある脚部はリヒトが全て引きちぎっていた。
伸ばした一本が掴んだ岩壁も、あっさりと崩れ去り、スパイダーの巨体は外へ転がり落ちていく。
と、千切れた脚部から細いワームの束がリヒトめがけて伸びた。
咄嗟の行動だろうか、本能的に伸びた先端は、まるで助けを求めるように、リヒトの足首に巻き付いた。
「また…っ」
抗えない力に、引きずり込まれていく。
必死に地面に捕まってもまるで意味がない。フックショットを使った時のように、自分の意思で操れるものでもない。
すごい速さで、崖へと迫っていく。
「外すなよ」
「了解」
短いやり取りが無線を通して聞こえてきた。次の瞬間、リヒトを引きずり込む強い力が消え去る。
上空のヘリから、リードが足に絡まるワームを狙撃したのだった。
引きちぎれたワームは成す術もなく落下していく。
それはリヒトも同じだった。
引きずり込む力は消えても、それまでの勢いは消え去るわけではない。余韻に押されてリヒトは崖から空中へと放り出された。
地上までの距離を測る余裕などない。
咄嗟にフックショットを放ったが、右腕のフックは不具合を起こして飛ばなかった。先ほどまでの無茶が祟った。ならばと左腕を伸ばす。
全てがスローモーションだった。何度握ってもフックは飛ばない。
やがて体は回転し、光源を背負ってヘリの影が横切る。
そして地上が眼前に広がった。
先に落ちたスパイダーが、木々をなぎ倒し、散らばるのが見えた。
リヒトの体に、間欠泉を転がり落ちた時の、水流に巻き込まれ放り出されたときの、激しい痛みが蘇る。
今度はきっとそれぐらいでは収まらない。ボロボロのボットでどこまで衝撃を吸収してくれるだろう。死ぬほどの痛みとはどれくらいだろう。
(死にたくないなぁ)
全ての思考を放棄して、リヒトは意識を失った。
ヘリのローター音で目を覚ました。
ゆっくり瞼を押し上げて、眼前に広がる地上までの高さに手足が暴れる。
「落ちたいなら、一人でいけ」
腕が悲鳴を上げている。リヒトは左腕のワイヤーでヘリからぶら下がっていた。
あの時、フックショットは飛んでいたのだ。
フックショットの先端には、橋を架けたり距離を補填するために、先端同士を引き合わせ繋ぐ機構が備わっている。
リヒトが飛ばしたフックをリードが飛ばしたフックが掴み、リヒトはかろうじて落下を免れたのだった。
その時点でリヒトが気を失ってしまっていたので、自分のフックを巻き取った後、リードはリヒトのワイヤーを手動で引き上げる羽目になっていた。
目を覚ましたリヒトが跳ねまわると、ワイヤーに付属したチェーンソーの刃がグローブに食い込む。
「手を離そうか?」
そこに滲む本気を感じて、リヒトは本能的に動きを止めた。
リードは、いい子だ、とまったくそう思ってない声音で吐き捨てて、チェーンソーごとワイヤーを引き上げた。
ミシミシと骨が軋んでいるのか、フレームが軋んでいるのかわからない音がする。
大人しく荷物としてぶら下がっていれば、あっという間に引き上げられた。
ヘリのカーゴに乗り上げたリヒトはしかし、そのままリードの方へと倒れ込む。
丁度、ヘリの揺れも手伝って、リードはバランスを崩し、あっけなく下敷きになった。
「副隊長?」
「大丈夫だ、行け」
手さぐりでリヒトに安全ベルトをひっかける。
ヘリは大きく傾いて、基地へ進路を取った。基地まで数分で着く距離だ。
上から見ただけだが、ワームも付着していない。
「いつまで乗っているつもりだ」
どけ、と押しのけようとしたが、逆にしがみつかれて妙な声が漏れる。
泥まみれ、ボロボロの体でまとわりつかれて、不快感に額に青筋が浮かぶ。
「貴様っ…」
「はじ、めて…落ちた」
「……」
「こわ…い」
リードを掴む右手が震えている。言動から察しはついた。彼はきっと、地上作業が初めてなのだ。
宇宙育ちというのは案外多い。けれど、大体の者は地上に居住を構える。
故郷とも呼べる星があって、家族とそこですごし、やがて旅立ち空へと移る。
あるいは、ステーションで生まれ、ステーションで育ち、地上の仕事に就く。
大地を求めるのは、人間の遺伝子に刻まれた本能のようなものだ。それがこの歳になるまで、星での活動が無かったということか。
彼が残った理由がそこにあるのだろうかと、考えかけてやめた。個人的なことを詮索するのは馬鹿らしい。
言うだけ言って、また気を失ったリヒトを乗せて、ヘリは仲間の待つ基地へと無事帰還した。
救助に向かうために待機していたレッカー班はそのまま採掘班へと編成され、スパイダーが戻ってくる前に、周辺の安全確保を始めている。
これで、基地のエネルギー不足が解消され、本来の任務に戻れるだろう。