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It’s my life  作者: やまと
24/61

交代

「好奇心が起こした気まぐれ」により、誰も来ない遠い宇宙ステーションで孤独に暮らすリヒト・テイラーの元へ、のちにその名を譲り受け、やがて辺境の星へと流れ着くハル・サーティが流れ着いてから、一日を二十四時間として、一年を三百六十五日として、実に五年の月日が流れていた。

「いいよ、点けて」

リヒトの合図で手元のスイッチを押せば、ダイニングとして使っている中央ルームの壁に宇宙空間に浮かぶ小さな星の映像が浮かび上がる。

中心に映る星は大画面にも関わらず握りこぶしほどの大きさで、近くの恒星から受ける光で青白く光っていた。

「これ、なに?」

「おそらく地球」

「地球?」

「そう。たぶんね。計算が正しければ」

弄り回していた機材から離れて、リヒトが隣に立つ。

五年の間に、研究に必要と偽って取り寄せた機材でリヒトは様々なものを作った。天体望遠鏡もその一つだ。

「人類が地球を飛び出して二百年。そういい続けて百年以上が経ってる、少なくともね」

スクールの教科書が最後に更新されたのは二百年以上前らしい。それ以前から、二百年という表記は変わっていない。

「人類は、新天地を求めて常に地球から離れる方向にばかり移動してきた。進み続けた。そのうち地球を知る者も、地球に戻ろうとする者もいなくなった。離れ続けることが、進化し続けることの象徴だと妄信してね。そして、重罪人の収容所に、地球に最も近い場所を選ぶくらいには、禁忌として扱った」

「そうまでして、遠ざける意味があるの?」

「かもしれない。し、そうじゃないかもしれない。悪意か、好意かはわからない。そもそも、そう仕向けた存在はもう残っていないかもしれない。人類を地球から遠ざける理由に興味はあるけれど、それよりも僕は、今の地球が知りたい」

「それなら…」

「これは一万年前くらいの地球だよ。上層部が指示する進行方向や、忌避する方角にある太陽に該当する恒星の周りを公転する惑星のうちの一つってだけだけど」

「それをカメラで…」

「新星探索技術は常に進化し続けてきたからね。それこそが僕たちの生き残る唯一の道だったから」

地球から離れながら、あるいは逃げながら、人類は氷の星から水を、酸素を、砂の惑星から微生物を繁殖させられる大地を採掘しながら進み続けてきた。

リヒトはそれを後ろに、過去に向けただけだ。

「地球が、今も青いままあるとは限らない。それでも僕は、あそこへ行く」

「どうやって?」

「君と同じ方法で」

リヒトは倉庫の奥にしまい込んだそれのシーツをはぎとる。

かつてハルを運搬したゆりかご。脱出用のポットだった。

囚人を押し込めるための牢獄に、脱出の手段はない。

科学者であるリヒトだからこそ、その研究を目当てに優遇されているだけで、本来ならばもっと過酷な状況に追い込まれるために設計されたのがこの監獄だ。

次の食料支給がいつかわからない。完全に孤独な空間は、収容者の正気を失わせるような設計が練りこまれていた。

それらすべてが、リヒトにとっては快適さを増長するだけだったが。

「この監獄全てをハッキングする方法も考えていたけれど、亜空間転移なしに移動するにはやはり時間が足りなくてね。叶わぬ夢だとあきらめていたところに君が来た」

細い指先が、表面をなぞる。

「時間を止める魔法。どうして思いつかなかったのだろう。これさえあれば、僕はたどり着ける。あの母なる星に」

「…本気?」

尋ねる声は、曇っている。

「ここから、そのガラクタでまっすぐ飛んでいくの?」

「カメラでとらえられたんだ。たどり着くまでに障害物はないよ」

「地球は惑星だろ。公転してる」

「計算の上さ」

「公転する他の惑星に…」

「それも計算で…」

「計算通りいくわけないのが宇宙だろ!!」

「ハル…」

「うまくいくわけないっ」

「ハル」

「アンタの実験だって、何度もテストして、繰り返し失敗して、成功するのだって…」

「ハル」

「…っ、いかないで」

絞り出すような声だった。

「ひとりにしないで…っ」

切実だった。

もう、涙を流して懇願するような子供でもない。

この五年の間、発音すら怪しかったハルは、リヒトの行う研究の内容すら理解し、サポートできるほどに成長していた。

ゆっくりと歩み寄って、ゆっくりと抱擁する。

「大きくなったね」

ハルの背丈は、すでにリヒトと変わらぬまでに成長していた。

「それに人間らしくなった」

「あなたのせいです」

「おかげ、と言ってくれないか」

どちらからともなく、ふは、と息をつくように笑う。

「もう、充分なんだよ」

零すように、諭すようにリヒトは語る。

「どちらにせよ、僕は地球に向かう予定だった。それは変わらない。今と決めたのは、君のおかげさ」

僕のせいだろ、と思ったが、ハルは黙って聞いていた。

「僕が地球に焦がれたのは、身の内に空く穴を埋めるためだった。どこかに置き忘れた何かを、地球に求めていた。けど今は違う」

君が居る。

抱き合っていた体を放し、向き合ってはっきりと断言する。

「君に僕の全てを託した。そして君は未来へと向かう。過去へ向かう僕と、未来へ向かう僕が同時に存在するんだ。なんてすばらしいことだろう」

「…僕、が…?」

「そうとも。たとえ肉体が離れていても、僕が君を思い続ける限り、僕は君の側にある。同時に、君が僕を思う時、君は確かに僕の側にあるのさ」

「無茶苦茶だ」

「ああ、無茶苦茶さ。これは精神論に過ぎない。しかも、なんの科学的根拠もないね。ただ、僕は君を思い続ける。それだけが真実さ」

例え冷凍されていたとしてもね。

悪戯っぽくそう言い足して、リヒトは片目を閉じる。

屈託のないその仕草は、笑う合図だと彼は言う。

教えられた通り、合図に合わせて笑おうと口元をゆがめたが、うまくいかなかった。

終わりの時が近い。唯一絶対の未来が、ハルにずっしりと重くのしかかっていた。



画面中央に映っていた地球が、完全に画面外に消えるころ、旅立ちの準備は整った。

「刑期満了と共に、持っていた資格は全て剥奪される。再取得は可能だから、ボットの資格とエンジニアの資格を取りなおせばいい。職場と衣食住に関しては、僕の友人が何とかしてくれる手はずになっているから」

「もうそれ百回目だよ」

「そんなにかい?せいぜい五十回だろう」

大真面目でそんなことを言う。

リヒトは、自分のIDをハルが使えるようにデータを書き換えた。

実行したのは、こんな場所でも連絡が取れる彼の「友人」だが。

刑期が終わるまでの数年間、段階的に分けて研究データを送るよう、リヒトは準備を進めた。

リヒトを見送った後、ハルはリヒトとして生きていくことになる。

「一般人になることを条件にやつらの望むものを作ってやった。無事逃げられたらすべてのデータを渡すって条件だから…」

「わかってるって」

何度も、入念に打ち合わせをした。

軌道の計算もして、別れの日も決めた。

けれど、その日が近づくにつれ、やはり別れたくないという気持ちは募っていった。

「社会に出てからのことだけど…」

「いっそ一緒に連れけば?」

「そ、れは…無理だよ。一人乗りだし」

離れがたいと思っているのはリヒトの方に見えた。

ハルの方は、離れたくないと確かに思っていたけれど、リヒトが決めたことならばと、自分の感情を誤魔化すことに成功していた。

きっと、本当はずっと一緒に居たいという気持ちは一緒だった。

どうにかすれば、それも叶うと思う。

リヒトとハルが共に居る未来。それをかなえるためにはしかし、リヒトが地球をあきらめなければいけないのは明白だった。

千載一遇。リヒトの言葉通り、今がその時だった。

「別に、二度と会えないわけじゃないよね」

出立を明日に控えた日、おもむろにリヒトはそんなことを言いだした。

「万単位の時かかかるんだ。亜高速を使えば一年半、いや、二年ほどで行ける距離だけれどね」

脱出ポットの出せる速度は、光には遠く及ばない。生命維持機能である冷凍保存を使って、永遠に近い命で旅をするのだ。計算上、真空を利用すれば、それが叶う。

「出発点と到着点がわかっているのだから、直線上に追いかけてくれば…」

「約束はできないけど、気が向いたらね」

「…君ならそう言うと思った。僕ならそういう」

「お気に召さなかったなら申し訳ない」

「君ってばほんと…」

その先は言葉にならなかったが、言わんとしていることは正しく伝わった。



別れの儀式は簡潔だった。

もともと、共に過ごした時間の全てが別れのための準備だったから。

「君の未来に祝福を」

言いながら、リヒトはハルの額に唇を押し付けた。

射出口に設置された脱出ポットにリヒトが乗り込む。

薬液を補充し、再充電されたそれはしかし、やはり一度使われた雰囲気があって頼りなかった。

ふと、ガラス部分に拭い残された赤黒い付着物を見つけて、ハルの脳裏にあの日の記憶がよみがえる。

古い記憶の中に蘇る、古い歌の様な文章。


見つからないように隠れましょう。身を低くしてとにかく走ろう。

誰も入ってはいけない秘密の場所は、怖い人たちも入ってきません。


襲撃に備えて、幼い子供たちに取るべき行動を教える歌だった。

食事の前や寝る前に、時折、確認するように唱和する。

脱出ポットのある場所までたどり着くと、次は使い方の節だ。


一つにつき、一人まで。小さい子から順番に。

右手の取っ手を時計回りに回したら、強く手前に引きましょう。


説明書じみた言葉の通りに行えば、ポットが開いて逃亡者を迎え入れる。

「食事の前にやるからだ」

「ハル?」

「いつも、いつも最後の節は省略されてた」

蓋を締めたポットは、内側からも操作しないと加圧されない。正常な状態にならないと、射出されないのだ。

あの時、半分だけ赤く覆われた窓の隙間から見えた真っ黒な宇宙で、無事飛びたてたポットは一つだけだった。

「きっと大丈夫」

根拠などない。けれどハルにとって、リヒトの言葉は心を落ち着かせるのに十分だった。

見つめあって、うなずきあって、言葉もなく、蓋を締めた。

内側からの操作で、内部が完全に密閉される。

外側から電子パネルを操作すれば、薬液が調合され、反応によって急激な温度低下が起き、ポッドの中の時間が停まる。

このまま、ハルが何もしなければ、リヒトはこのまま、どこにも行かずに側に居る。

頭の片隅でそれを理解しながらも、選択肢にはなりえなかった。

射出口から出て、ハッチを締める。

その場から離れていく動作ひとつ、ひとつを、噛みしめるように行った。

共に過ごした部屋のそこかしこに、彼との思い出がある。

二人で過ごした世界の密度は、コミュニティで子供たちの一人として数えられていたころよりずっと濃かった。

お互いしかいない世界で、お互いだけを支えに生きてきた。

たった一人の存在を、今から己の手で、宇宙空間へ送り出す。

必要な準備は全てリヒトが終わらせていた。あとは手順通りに操作するだけ。

射出路の空気が排出され、カウントダウンが開始される。

一つボタンを押すたびに、工程が一つ進んでいく。

蓄積された五年分の電力が、全て砲台に集まる。

「さよなら」

タイマーがゼロになると同時に、牢獄全体が大きく揺れた。

射出の反動で牢獄と砲台の継ぎ目が崩壊し、電磁砲台は宇宙の塵となって遠く離れていく。

衝撃と、急激な電力消費に伴い、全てのシステムがシャットダウンされ、辺りが一瞬闇に包まれた。

すぐに非常用ライトが赤く点灯し、メインシステムの再起動が始まる。

危険を知らせるアラートが鳴り響き、自動制御システムが回復すると同時にステーションは態勢を持ち直した。

再起動されたシステムは初期化され、電子音が状況をつぶさに報告する。

異常はすぐさま管理施設へ発信されたが、彼らが物理的に接触するまでに最低でも一週間かかる。

電子音声が、しきりに異常事態を知らせた。

システムに促されるまま、揺れが収まり、安定した船内をゆっくりと歩み、壁に設置されたパネルに手を乗せる。

「リヒト・テイラー」

「承認されました。システム再起動を進めます」

認識が、上書きされていく。

異常の知らせに慌てた監視施設も、リヒト・テイラーが牢獄内に確認されたことで落ち着く。とはいっても、監視施設の様子など、わかるはずもないのだが。

システムが、施設内に残った生命体を完全にリヒト・テイラーと認識し、全ての施設が単独で使用可能になった。今まで彼にしか操作できなかったものばかりの施設の利用権が譲渡される。


こうして、ハル・サーティは完全に、リヒト・テイラーになった。


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