正体
寝苦しさと、わずかな肌寒さを感じて意識が浮上した。
特に夢を見ていたわけでもないが、身体が重くて、まだ寝足りない。
それでも、脳裏には昨夜ザックに見張りを手伝うと言い出した自分の記憶があって、こういう時に起きることができなければ、全てが戯言になってしまう気がして、無理矢理に瞼をこじ開けた。
ぼやけた視界に移るのは、焚火に照らされ浮かび上がる二つの人影。
次第にはっきりしてきたそれを見て、リヒトは真に混乱する。
自分に馬乗りになったルーカスと、それを後ろから羽交い絞めにするザック。
ルーカスの首元に当てられたサバイバルナイフと、ザックの怒りに燃える表情。対照的に、ひどく楽しそうに、酷薄な笑みを浮かべたルーカス。
「起きちまったじゃねぇか」
リヒトを見下ろすルーカスの、やや小さめな瞳が移す自分の首元に当てられたナイフ。動かない両腕はルーカスが器用に両足で押さえつけているのだと気づいた。
「なんで…」
「動くな」
ザックの厳しい声に、息を詰める。どちらに言ったのか。
腹のあたりで、不穏な動きを感じる。
「動くなって言ってるだろっ」
「…つっ」
ザックがルーカスを更に締め上げると同時に、首筋にちりりと痛みを感じた。
明らかにザックが動揺して動きを止めた間も、腰のあたりでうごめくものが、アンダーウェアをめくり上げていく。
その腕の目的に気づいて、リヒトは納得したように、一つ深く息をついた。
「ザック、大丈夫」
「リヒト」
「大丈夫だから…」
寝る前は確かにシーツに包まっていたはずだ。
ザックと見張りを交代したルーカスが、わざわざシーツをはぎ取って馬乗りになったところで、異変に気付いたザックが後ろから拘束したというところか。
リヒトもザックも、ルーカスがユエンに何をしているか察していた。夜な夜な行われているその行為に関与しなかったのは、ユエン自身がそれを対価に優遇を得ていると認めたから。
キーラが、ルーカスのことをケダモノだと言っていたのを思い出した。
全てを踏まえて、けれどルーカスの目的は別にあるという確信が、リヒトにあった。
ザックも同じ考えであるか、あるいは、目的の行為中に、リヒトの秘密がルーカスに知られることを憂慮している。
あの日、拠点の屋根の上、星空を見上げて二人で話したあの夜。
ザックにだけ明かした、リヒトの秘密。
たくし上げられたウェアの下に、それを見つけたルーカスの目が、宝物を見つけたかのように、あるいは、大好物を前にした獣のように、うっとりととろける。
試験管で育つ養成体にはないもの。母体との絆の証。
腹の中心にある小さなくぼみが指し示すもの。
「お前、やっぱりナチュラルか」
今はもう禁じられた、自然分娩で生まれた赤子を、そう呼称する。
どんな社会になったところで、はぐれ者という存在は必ず出てくるもので、完全にコントロールされた宇宙社会の中でも、ルールに従えずはぐれていった者たちのことを、浮浪者と呼んだ。
彼らは時に、同じ浮浪者同士のコミュニティを作り、共生する。
とある銀河を漂う彗星に作られたコミュニティで、一つの命が生まれた。
ユニットで生まれた女性体から卵巣が摘出されるのは、月経がはじまっておよそ一年前後と決まっている。それが最適とどういう経緯で決められたのかは誰も気にしない。
個人差はあれど、卵巣摘出で月経のなくなった女性体の中には男性化が始まる者もいるという。
避妊の手段として、精通を迎えた男子もパイプカットと呼ばれる避妊処置が行われるが、こちらは希望すれば繋ぎなおすことができ、多くの男性は希望するという。
古くは男女差別と非難されていた時代もあったが、男性器を切除することでホルモンに異常をきたし、筋肉量や情熱が失われ無気力化する兆候は、労働力としては致命的だった。
同じ理由で、月経を失くし筋肉量を増加させる傾向は望ましいと捉えられた。
こうして、全ての女性は二十歳までには避妊手術を完了させる。
故に、略奪者たちは幼い子供を狙った。
社会になじめない者たち。自由を望む者たちにとっても、宇宙で生きるためには労働力が必要だ。
それを補うためには、略奪するしかない。
略奪者となった浮浪者たちは襲撃したユニットから子供を奪い、自分たちの労働力として教育する。
彼らの存在が、軍人を特別な存在として維持していた。
奪われた子供たちの中には、当然、避妊手術を受けていない子供もいる。
彼女らを、普通と同じに扱えば、自然と妊娠する。
そうして生まれた子供たちを、ナチュラルと呼ぶのだ。
のちに、リヒト・テイラーとして辺境の開拓へ向かうハル・サーティもそうして生まれたナチュラルの一人だった。
彗星のコミュニティには、さらに細かく家族という枠組みに分かれた集団が五つほど存在していた。
母親を中心として、同じ母親から生まれた子供を兄弟と呼び、家族と呼んだ。
父親に関しては、少し複雑なのもあって、一定の年齢を超えた男性たちはみな、父親という地位を与えられていた。
男たちはみな、定期的にコミュニティを離れて「狩り」に行く。男たちが持ち帰ったものを家族ごとに分け、生活していた。
とはいっても、お互いにいがみ合うわけではない。
むしろ協力しあわねば生きていけない。
母親たちはまだ労働力になりえない子供たちをひとところに集め、子供同士で面倒を見ることで手間を減らした。
より多くの労働力を得て、コミュニティの維持に努めていた。
そんな中、ハルは同じナチュラルたちの中でも少し違う性質があった。
発話が遅く、コミュニケーションも下手。奇妙な行動も多く、他の子どもたちから怖がられていた。
辛うじて、言われたことは守るため、廃棄されなかっただけだ。
コミュニティの誰もから、負担扱いされていたハルに唯一優しく接してくれたのは、同じ母親から生まれた兄弟のデイビットである。
デイビットはハルに文字を教え、エンジニアリングを教え、生活を教えた。
自分の世話を自分ですることで、他者との関りを最小限にできることを教えた。
聡明だったデイビットは、いつか弟がこのコミュニティから独り立ちする日を想定していたのだろう。
そして、その日は来た。
襲撃者が、軍人だったのか同じ浮浪者の略奪だったのかはもうわからない。
ただ覚えているのは、自分より二年早く生まれた女の子のヨナに手を引かれ、他の家の子供たちと必死に走ったこと。
たどり着いた脱出口で、緊急脱出ポットの使い方を皆で一緒に唱和したこと。
一度に三つずつしか使えないポットの一つに押し込められ、射出される直前に入り口が開いて眩しいほどのライトに照らされたこと。
ポットの窓がヨナで真っ赤に染まってすぐに暗くなったこと。
機械の音声案内を聞きながら、ハルはすぐに凍結され、次に目覚めた時には知らない男がこちらをのぞき込んでいた。
「初めまして、僕はリヒト。君の名前は?」
リヒト、と名乗った青年は、黒い髪に黒い瞳、ひょろりと長い手足と、掘りの薄い顔、薄く黄色がかった肌。どれもハルやハルの家族と同じ特徴なのに、はっきりと別人とわかるほど違っていた。
「外壁に引っかかっていたんだ。君がどれくらい漂っていたかはわからないが、ポット自体の内臓電池が切れるほど、長く旅をしたみたいだね」
ハルに暖かい乳性飲料を飲ませながら、リヒトは現状を説明した。
「ここは牢獄だよ。そして僕は囚人」
ロウゴクもシュウジンも、どちらもハルは知らない単語で、何の反応も示せない。
ぼんやりと音として受け止めるハルに気づいているのかいないのか、リヒトは歌うように言葉を続けた。
「禁固十年さ。けれど上層は僕の成果だけは受け取りたいらしい。研究という名目でなら、多少のわがままは聞いてくれるんだ」
上機嫌でしゃべる彼は、きっと会話に餓えていた。
誰かに語り掛けたくてしょうがなかった欲求を満たすためにひたすらしゃべり続け、しばらくしてようやく、ハルが言葉のほとんどを理解していないことに気づいた。
「そっか、そうだった。君はナチュラルだったね」
自分がナチュラルであることも、ハルはそこで初めて知った。
「なに、刑期はまだ半分以上残っている。のんびり分かり合おうじゃないか」
この時彼が連ねた言葉の帯をぼんやりとでも理解できたのは、ずっとずっと後のことだった。
小さな恒星の回りを周回する一人居住用のコロニー。それがハルの新しいコミュニティだった。
リヒトとの生活はハルにとって驚愕の連続で、同時に学びの日々だった。
社会について、ユニットについて、人類が歩んできた歴史を、文字を、計算を、リヒトは丁寧にハルに教えてくれた。
リヒト・テイラーは天才を自称し、それは事実だった。
軍事ユニットの中にある、天才を生み出すためのユニットで創られた天才。
そんな彼が犯罪者として宇宙で一人、囚人として暮らしている理由を、彼は「好奇心が起こした気まぐれ」と説明した。
直属の上司に、自身が開発した微生物を感染させ、洗脳するなんてことを気まぐれで引き起こされた方は、きっとたまったもんじゃなかっただろう。
「僕や君みたいな子を社会不適合者というんだ」
共存社会についての講義を受けている最中だった。
「浮浪者たちのこともね。ルールは僕たちを守ってくれるけれど、救ってはくれない。従順な者だけを選別するための篩なのさ」
熱弁するリヒトはどこか酩酊していて、奇妙な居心地の悪さを感じた。
生来の性格からか、ハルは言われたことを諾々とこなし、聞き分けの良いハルのことをリヒトは時折、面白くないという顔でからかう。
「測りかねるね」
怒気すら滲むその声の中でも、ハルは常と変わらぬ少し眠たげな眼を向けるだけだった。
「僕の機嫌を取り繕おうとするくせに、自分が傷つくのを厭わないくせに、どうして従うんだ。言われるままに生きることになんの価値がある。君の優先順位が理解できない」
小さな事故だった。リヒトの不注意で、ハルは凍える温度の部屋に丸一日放置されてしまった。鍵のかかってない部屋で、しかしハルはリヒトの言いつけ通り待ち続けた。
研究に夢中になってしまったのは自分である。本来なら暖かいはずの部屋の空調が壊れていたことに気づかなかったのも、リヒトの責任だ。
けれど、と思う。
いや、だからこそ、と言うべきか。自分のせいでハルの命が危険に晒されてしまったことに耐え切れずリヒトは、つい、責任をハルにも求めた。
馬鹿正直にいいなりになっていないで、寒いなら部屋から出てくればよかったのだと。
最初は素直だと受け取っていた従順さも、度が過ぎれば疑ってしまう。行き着いた答えは、リヒトの機嫌を損なえば居場所を失うと思えばこそ。
そんなことしないといくら言葉で言い聞かせたところで、信頼を勝ち得るためには、結局は行動だからと、リヒトは意識して紳士的にふるまった。
とはいえ、社会不適合者の自覚があるリヒトが、急に他者を気遣えるようになるわけがない。
天才にも、限界があった。
激情をあらわに、泣きそうな声でハルに訴えるのは何度目だろうか。
いつもなら、リヒトの方が先に謝って、頭を冷やすために研究室にこもる頃合いに、けれど今回ばかりはそれが原因で彼を危険に晒してしまったので、もうどうしていいかわからずにぐったりと椅子に深く腰掛けているリヒトに、掠れた細い声が届く。
「わらって、…れたら」
「……え?」
「うれ、うれしい。と、おもう。す、すごい、とか、たのしい、とか…」
ハルの視線は真っ白な床を睨みつけていた。
「えらい、とか…いうから…、っ」
「僕に、笑ってほしくて我慢したの?」
「…、…っ」
がくがくと頭が動いた拍子に、床に水滴が散った。
「ごえ…なさ、…っ」
きつく握りしめたズボンがしわくちゃになっている。
泣き方も知らない子供は、目から溢れる水が、喉に引っかかるものが何かもわからずに、必死で息をしようと何度もしゃくりあげた。
リヒトの胸に、何かが芽生えた。
それは人が愛と呼ぶものに似ていて、けれど決して理解できないもの。
目の前の幼い生き物を、守らなければという使命感。
「大きな声をあげてごらん」
「…っ、?」
「我慢しなくていいから、気が済むまで」
椅子から立ち上がったリヒトは、ハルに歩み寄ると膝をついて、衝動のままに両腕に強くハルを抱きしめた。
「あ、あ…あああぁぁぁあああ」
「ごめん、ごめんね」
「ああああぁぁあああああ」
声をあげるたび、目に溢れる涙は増えたけれど、喉に、胸につかえていたものが溶けて流れ落ちていくのを感じた。
鼓膜を突き破らんばかりの鳴き声も、ここに咎めるものは居ない。
「二度目の産声、かな」
そういって、ハルの背中を優しくあやすリヒトの目じりにも、光るものが滲んでいた。




