保護者
休憩をはさんで再度動き出した三人の歩みは、心なしか軽かった。
相変わらずリヒトの体調は完全とは言えなかったが、ボットの運動補助があれば歩みに問題ない。
今日の直線ルートにたまたま障害が少なかったのもあって、歩みは順調。途中、薬草になりそうな植物や、食用の果物を採集する余裕もあり、いつもより短い時間で折り返しであるチェックポイントまで来た。
「楽勝だな、おい」
トラブルが少なかった分、歩みを止めることも少なかった。
緊張した時間が続いたのが、ジョナスにとってはトラブルが多い状況よりも堪えているようだった。
「少し休憩しよう」
「言われなくても…」
いつもなら自分が言うつもりだったと言い返してくる罵声が今日は聞こえない。
思えば、昨日リヒトが倒れた時、ザックを呼びに行ってくれたのは彼だった。
サルーク班の無線周波は教えてもらっていないので、お互いのアイコンを頼りに近距離の解放チャンネルで探し当てたのかもしれない。
それにしたって結構な距離を走ったはずだ。疲れていてもしょうがないかとリヒトは一人納得する。
そういえば、と思い立ち、先ほどまで開いていたマップを再度開く。
表示位置を縮小して、互いの位置情報をオンにすれば、ザックたちとルーカスたちの位置が表示された。
ルーカス班の位置を見て驚く。ノアとユエンの位置はほぼ重なり、そのすぐ後ろをルーカスが追いかけている。移動速度から考えても、ノアがユエンを抱えてそこそこの速度で走っているのが分かった。
しかも一行は、すでに一つ目のチェックポイントまでの探索を終え、キャンプの近くまで戻っている。
AIボットであるノアの移動速度についていくルーカスの化物っぷりに気づく。
ルーカス班の足取りは、ジョナス班のそれと同じ、ほぼ直線だった。
ノアの性能とそれに追いつくルーカスの身体能力からすれば、最適解だと思う。
ジョナスがそれを見習ったのかと思うと、身の程を知れという言葉と、AIボットと比べられるこちらの身にもなれという二つの不満が生まれた。
地図を見て改めて浮かぶ疑問。それはもはや好奇心に似ていた。
「この先に何があるんだろう」
あからさまに、何かを避けているような軌道。
ちょっとだけ、見に行きたいという思いが芽吹く。
「やめとけ」
「…っ」
耳元で響いた声に、みっともなく肩が跳ねた。
悲鳴を上げなかったことをほめてやりたいぐらいだった。
反射的に振り向いたが、とぼけた顔のジョナスとレラがこちらに視線をやるだけ。
「お前にはまだ早い」
「どうしたの?」
「この先ったって、海に出るくらいで、なにかあるわけないだろ」
ジョナス達の声に重なるように届く、無線の声は間違いなくルーカスだった。
聞かれていた。いつから。いや、きっと今までもずっと聞かれていた。
部下を監視するのも上司の役目だ。無線のログは意図しない限り自動的にメインサーバーにログとして残る。一月ほどで上書きされていくが、それらは問題があった時に確認するためのものだ。
許可が出るまで口を開くなとまで言う男が、盗聴まがいの真似をしてまでこちらの雑談に耳を傾けていると、誰が思うだろう。
画面の端に、動画ファイルの受信を知らせる通知が光る。
リヒトは少し疲れたふりをして近くに座ると、慎重にファイルを開いた。
動画の始まりは水面だった。
酷く濁った水はゆるゆると揺らめきながら一方へと流れている。
画面が揺れて周囲の全体像が現れると、その水が広大な川だとわかった。
「いいぞ、出せ」
ルーカスの声と共に、水面を無人の探査機が横断する。
不安定なカメラは、どうやらルーカスの視界らしい。油断なく周囲が見回され、彼が木の上にいること、木の根元は水中へ埋まっていること、下では部下が半分体を水に浸けながら探査ボートを操作しているところが見えた。
ボートには最低限の機器が乗せられ、操縦者の傍らに深く埋め込まれた柱に繋がるワイヤーが伸びている。
向こう岸までのガイドを貼っているのだなと、リヒトはすぐ思い当たった。
橋を作るにしても、筏を作るにしても、向こう岸までを繋ぐワイヤーはとても重要だ。
予告なく、画面が熱探知に切り替わる。と、すぐに戻った。
一瞬の変化ではあったが、周囲に熱源が無いのはわかる。
ボートは順調に川を横断していた。
再び、画面は瞬くような速さで熱探知に切り替わっては戻る。
泥で濁った川の水の透明度はほとんどゼロに近い。しかし、熱探知カメラは、水を青く表示するだけで、ほとんど効果が無かった。
と、せわしなく動いていたルーカスの視線がボートに止まる。
リヒトは見逃していたが、穏やかに揺れるだけの泥水の流れに、一瞬だけ白い波しぶきがたったのだ。
画面が熱探知に切り替わり、陸が緑、水が青く表示された。
ボートだけが、エンジンの熱か何かで、わずかに暖色を示している。
濃い青で表示された水の部分が、わずかに揺らめく。
熱探知から通常画面に切り替わるのとほぼ同時、水中から黒く巨大な何かが沸き上がり、小型の探査ボートを人の身にした。
「は…?!」
「なんだあれ!」
「下がれっ!」
ざわめく部下たちに、ルーカスが吠える。
ボートを水中に引きずり込んだ水生生物が立てた波が、うねりとなって押し寄せた。
「切り離せっ」
「ほっとけ!撤退だ!」
せっかく打ち込んだ柱を無駄にすまいと、ボートに繋がったワイヤーの巻き取り機を切り離そうと手を伸ばした部下の一人が、うねりに飲まれて転倒する。
木の枝から枝へと飛び移るように移動していたルーカスが足を止めた。
「上だ、こっちに…っ」
どぅ、と轟音を立てて、黒いそれは襲来した。
でっぷりと太った円柱状のそれは口を広げて、転倒した隊員に覆いかぶさった。
無線に、悲痛な悲鳴がこだまする。
一瞬だけとらえた水生生物の口内は、内側を覆いつくすように棘の様な無数の歯が見えた。
めちゃくちゃに渦巻く水流の中からもがく腕が空を掴む。
抵抗空しく、餌を捕えた水生生物は悠々と身をひるがえして戻っていく。
その体は蛇のように長く、体表は鱗ではなくなめらかで、黒く光っている。
優雅にうねった長体の終わり、尾ひれが水を跳ね上げたところで動画は終わった。
「そろそろ行くぞ」
呆然としていたリヒトは、ジョナスの声に慌てて応える。
頭の中は、たった今見た映像でいっぱいだった。
少なくとも、今の映像を見てリヒトがチェックポイントの先を目指す可能性はなくなった。
正直、こっそり見に行ってみようかぐらいには思っていたのだが、あんな巨大生物がほいほい出てくるような星で単独行動をするほど馬鹿じゃない。
ザックあたりに見せれば逆に興味を持ってしまい、あえて川を探しに行きそうなものだが。
リヒトにだから、送ってきたのだ。そしてリヒトが、他の者に見せないという確信を持っている。
見透かされているような居心地の悪さを感じた。
あれはなんだ。どうして今、こんなものを。
与えられた膨大な情報に、思考を奪われる。それこそがルーカスの狙いなのだと、リヒトには気づけるはずもないのだった。
メイン拠点、食堂。
ほとんどの職員がヴィレッジと呼ばれる集落拠点に移動したため、大容量の食堂は不気味なほど静かだった。
ほとんどのテーブルと椅子が撤去された中、隅に残された最後の席に座っているのが、カルロ。
神妙な面持ちで俯く彼の前には、すっかり冷めてしまった食事のトレー。
「辛気臭い顔をするな。飯がまずくなる」
言って、隣に座ったのが、ディルク。もう一方には、彼らと同じユニット育ちで、主に情報管理を担当していたナイルが座る。
そして正面にはジャックと、これもまた同ユニットのリックが座った。
この五人は、同じユニットで育ち、同じチームとして軍に所属した仲間だ。
そして、揃ってバートレットの部隊に入った仲間でもある。
「リヒトか」
「……」
「まぁだくよくよしてんのかよ」
「ハゲるぞ」
「ハゲてねぇよ!!」
ジャックの言葉に過剰に反応してしまったのは、別にナイル達に比べて額が広いからではない。決して。
「実際、考えたところでどうもできないだろう」
ディルクの言葉に、カルロはもごもごと「そうだけど」とごちる。
「確かにルーカスとリヒトの相性は最悪だろうが…」
「そんなにか?」
「まぁ、たぶん」
リヒトとは直接面識のないリックが、隣に座るジャックに尋ねる。
ジャック自身も直接会話したことこそないが、何度か危機的状況に居合わせたことがあった。
無謀、無茶、鈍足。ネガティブな言葉ばかりが思い浮かぶ。
特に判断力の遅さという点が気にかかったが、よくよく思い返してみれば、それほど鈍いわけでもない。
比べる相手が悪すぎる。
自分を含め、軍に所属する人間というのは、軍属のユニットで特殊な訓練を受けたエリート部隊だ。
時折、一般ユニットから優秀な成績を認められた者が編入してくるが、基本的にはユニットごとの持ち上がり。
軍事ユニットで最初に教えられるのは、一般人というのは、守るべき弱い人間だと言うこと。自分たちがいかに特別かということ。一般人と軍人とを比べる際によく「遺伝子から違う」と言われるが、言葉通り、選りすぐりの遺伝子なのだ。
ルーカスが編入してきた時、ジャックはその言葉を思い知らされた。
所属部隊の壊滅を経て流れ着いた彼は、同期とは思えないほど小柄で、力も弱い。いくら食べても鍛えても筋肉はつかないし、背も伸びない。
同じ食事をしているはずなのに、と首を傾げるジャックに、ナイルが言う。
「遺伝子から違うから」
そんな彼がどうして軍に編入してきたのか。それを示したのは現場だった。
バートレット隊の当時の所属は、有害指定宇宙生物の駆除。宇宙由来の生物はごくわずかで、そのほとんどは地球由来の生物が、遺伝子操作、または現地の環境による変化などで狂暴化、巨大化などの要因で人間の管理から外れた物だ。
隊には一人、必ずブレインと称される戦術特化のメンバーが居る。バートレット隊ではジャック達の一つ上の世代であるリードがそれを担っていたが、ルーカスは彼を上回る速度で敵の形状から性質を判断、弱点の踏破までをやり遂げた。
バートレット隊長に独断先行こそ咎められたが、その天才性は誰もが認めるところだった。
だがそれも「一般人にしてはよくやる」程度だ。
そして悪いことに、バートレット隊はルーカスのことをあくまで一般人出身として扱ったし、ルーカスの方は「軍人のくせに」という態度をとった。
結果的にはその区別が上手くいった。
いつまで経ってもルーカスは守るべき弱い対象だったし、ルーカスの方はそれに甘んじて守られる対象になることはなく、むしろ己こそが隊を守ってやっているつもりだったと思う。
それが今、カルロが頭を悩ませている根本的な問題だ。
生まれながらの天才性と軍に入ってから培われた価値観。ルーカスは、自分より弱い人間を、大事な道具としてしか見ていない節がある。
「ま、大丈夫でしょ。ルーカスなら」
軽い口調でリックは言う。
「あいつ、使えないやつを使う才能あるし」
言いえて妙だと、一同は納得した。
道具を大切に扱え、とも軍では叩きこまれるのだから。




