毒牙
試されていると感じるのにそう時間はかからなかった。
お互いに協力することを禁じられ、事あるごとに比較されていれば、自然とそんな気もしてくるものだ。
ザックも何か感じているのだろう。私語を禁じられたキャンプで顔を合わせるたびに困ったような、意味ありげな視線を送ってくるのに、リヒトは同意を示すように小さく頷きで返すのだった。
「それ、やめろよ」
山間を進む中、不意に咎められて我に返る。すぐに、あの癖が出てしまったのだと気づいて謝った。
「すみません」
「ったく、気持ち悪ぃな」
愛も変わらず馬鹿正直に直進するジョナスの背中を追いかけるリヒトだったが、連日の探索とサバイバルの中で、体力が限界だった。
生態調査班には食料の配給がない。そもそも部署としては食料を提供する側なのだ。
調査班とは別に狩猟班が組まれ、個体数の多い、あるいは繁殖率の高い生体と危険度が高い種族から狩猟が始まっている。
調査の中には植物も含まれている。捕食可能な植物を見つけてはマーキングするのはもちろん、実食するのも仕事の内だった。
しかし、リヒト達のチームはとにかく狩猟が下手で、来る日も来る日も草を食べている。
辛うじて、レラに調理の才能があったため最悪の結果は免れているが、たんぱく質を昆虫から補給するのにも限界がある。
果物のおかげでビタミンやアミノ酸に事欠かなかったが、酸味を多分に含むそれらに、身体が悲鳴を上げていた。
もっと何かいい方法があるはずだ。
まずは、この無意味な直線移動をやめさせるにはどうすればいいか、と疲れた脳みそを必死に動かすリヒトの前で、うっそうと茂った木々をかき分けたジョナスが悲鳴を上げた。
すでに聞きなれてしまった汚い悲鳴に、思考の沼につかりかけていたリヒトの意識が浮上する。
悲鳴の種類から緊急性はないと判断して、ゆっくりとそのあとを追う。
リヒトの後ろからついてきていたレラも、同じものを見て息を呑む気配がした。
目の前に広がるのは乳白色の白繭。木々の間をびっしりと埋め尽くす繭は、ずっしりと質量を主張している。
一つ一つが連なってひしめき合う光景は確かに不気味だったが、それ以上に三人の背筋を凍らせたのは、繭の巨大さだった。
人間の子供ぐらいなすっぽりと覆えそうな繭から、最低でも握りこぶしぐらいの繭まで、横幅数十メートル、高さも、木々の上の方まで覆いつくしていた。
「きもちわりぃ…おえっ」
ジョナスの主張はもっともだが、重要なのはそこではない。
これがどんな虫の蛹だろうと、この大きさと数は間違いなく脅威である。
「蛹のうちに処分しなきゃ」
「違うわ…」
聞こえた声の方を振り向くと、レラが体を震わせながら上の方へひっきりなしに視線を巡らしている。
視線を追って、リヒトもそちらを見るが、特に変わった様子はなかった。
しいて言うなら、頭上一杯に糸が張り巡らされているせいで、木の枝が寄り集まり日の光を完全に遮っているせいで、辺りが周囲より一段と暗く不気味な雰囲気に拍車をかけていることぐらいか。
「蛹じゃない。蛹だったら、こんな、不揃いで密集するのは、おかしいわ。これは違う。これは、やつらの、やつらの…餌だわ」
「えさ…」
リヒトがその言葉を完全に理解する前に、頭上を羽ばたいた鳥が、張り巡らされた糸に飛び込み、絡まった。
粘着性の糸が、暴れるほどに絡みつき、あっという間に自由を奪う。
揺らされた枝から、葉と共に黒い小さな何かが降り注ぐ。
「下がって」
ばらばらと降り注ぐ黒い影から二人をかばって、突き飛ばすように後退する。
落下物の半数は、空中で静止し、風と慣性にふわふわと揺れた。
地面に落ちた半数は、その場に止まるものと、驚いて四方に散るものに分かれる。
胴体は握りこめるほどの大きさしかないのに、広がった八本の脚は両の掌を開いたよりも大きい。
「スパイダー…」
レラがつぶやいた種名に、リヒトが脳裏に浮かべたのは、宇宙船内の壁を無邪気に駆け回る小型のロボットだった。
ばさばさと暴れていた音が小さくなる。
見れば、糸に絡まっていた鳥の側に、数匹の蜘蛛が集まっていた。
ちょこまかと動き回るうちに、鳥だったものはあっという間に糸に巻かれ、周囲にある繭と同じ姿に変わる。
つまり、ここにある繭、一つ一つに、何らかの動物が封じられているのだ。
「迂回しよう」
「当たり前だろっ!!」
「で、でもどっちにしたって、これは駆除しなくちゃ…」
「俺たちだけじゃ無理だ。報告して、前みたいにノアの火炎放射で焼き払ってもらうんだよ」
「ノアの…?」
「前回は蜂だったの」
「あれはやばかったぜ。燃え移らないよう、俺たちで周囲の木を伐ってたんだが、ボットの一人に巣が命中してよ」
無数につり下がった巣の一つが砕けて、中に居た蜂が一斉に飛び出した。
「パニクったそいつが馬鹿なことに炎の中に飛び込んだのさ。あれは傑作だったぜ」
「笑い事じゃない」
こんなところであの日の真相を知らされることになるとは。
人が一人、死にかけたというのに、ジョナスは引きつったような笑いをこらえきれていなかった。
「自分で飛び込んだくせに熱い、熱いって地面転がってよ。どっちが虫だかわかりゃしねぇ」
「やめなよ」
「あのバカのせいで二日も停滞食らって、どれだけボスの機嫌損ねたか…」
「やめなって!」
三度目のレラの制止を引き裂くように頭上から大型の影が舞い降りた。
風を切り、木々を舞い上げて突如飛来した大型の鳥は、白乳の雲の中へその身を沈めると、粘着質の糸など意に介さず、鋭い鉤爪の足に溶けかけた哺乳類の残骸を掴んで再び空へと舞い上がった。
「あ…」
「ぎゃぁあああああああ」
「ひぃいいいい」
聞きなれたジョナスの悲鳴に、珍しくレラの声が重なる。
巨大な繭の集合体は食料貯蔵庫と巣を兼ねていたらしい。
巻き上げられ、引きちぎられる白い糸から振り落とされたのは、先ほどの散らされた蜘蛛の子と同個体とは思えないほど、グロテスクで巨大だった。
一目散に踵を返したジョナスを追いかける形で、レラとリヒトも走り出す。
来た道は、まっすぐ折り返すには険しすぎて、なにより、先を行くジョナスが恐るべき速さでとにかく走りやすい傾斜へと一目散に走っていくのに、ただついていくしかない。
ボットに乗ったリヒトであればついていける速度であったが、体力の少ないレラはすぐに引き離されていった。
レラの後ろをカバーするように追いかけたリヒトも当然、ジョナスの姿を見失う。
周囲には、振り落とされた蜘蛛の成体が枝をへし折って落下する音がそこかしこから聞こえる。
柔らかいものがつぶれる音や、地面を這いまわる音も聞こえるのが最悪だった。
「危ないっ」
レラのすぐわきへ、木にぶつかって落下してくる蜘蛛の姿が見え、咄嗟に腕を引く。
落下の衝撃で興奮した蜘蛛は、目の前に躍り出たリヒトに、本能的にとびかかってきた。
胴体部分がリヒトとほぼ同じ大きさのその巨大蜘蛛が、身体の何倍もある手足を振り上げて覆いかぶさってくる。
レラをかばったリヒトは態勢を崩していたのもあり、あっさり押し倒された。
「いやぁっ!」
「走れっ」
地面に倒された勢いのまま転がったリヒトは、足を振り上げてあっさりと蜘蛛を蹴り飛ばす。
手足の長さで錯覚するが、ボットの運動補助があればどうってことない大きさである。
問題は、でかい成体より体の小さな子供だ。
厄介なことに、蹴り飛ばした成体は腹に子供を抱えていた。
「くぅ…っ」
飛び散った子体が足を、腹を伝って体を這い上ってくる。
本能的な嫌悪感にゾッとしながらも、地面を転がることで何とか振り落とした。
まだ数匹張り付いているのに気づきながらも、リヒトはすぐにその場を走り去る。
身を起こした成体が追ってくる気配はなかった。
ボットの駆動音に驚いて、動物たちが逃げ惑う音を集音機能が拾う。
とにかく二人に合流しようとマップを拡大した。
ジョナス達の位置を知らせるアイコンは、そう遠くない位置を示している。
走る速度を緩めて周囲を伺った。やはり蜘蛛が追いかけてくる気配はない。
「ジョナス」
無線で呼びかける。何度か呼びかけて、もう安全だと言うことを訴えると、息も切れ切れの返信が来る。
「わ、わかった…どこに、いる、んだ…っ」
「すぐ後ろ。レラも近くだ。キャンプも目の前だからそこで合流しよう」
蜘蛛の巣は目標ポイントの手前にあった。
規模はわからないが、もしかすると巣の中にあるかもしれない。
拠点になりそうな場所の確保もまだノルマを達成していないし、何より食料の確保が全くできていない。
少なくとももう一度、森に入る必要がある。
リヒトの中で、これは好機なのではという思いが持ち上がった。
とにかく目標に向かって直進するというジョナスの方針は、最短でポイントまで進行し、その後の作業時間を確保するのが目的らしい。
ならば、次の進行は歩きやすい道を選ぶように促して、その方が早く進めることを納得させられれば、己の愚行に気づいてくれるのではなかろうか。
実際の数字を見れば、かたくなな思い込みも少しは和らぐかもしれない。
と、首元で嫌な気配を感じた。
何かが這うような違和感。
ぞっとして反射的に手で払うより早く、ちくりと針で指されるような痛みが走った。
「あ…」
まずい。と反射的に悟る。
ばたばたと首の回りや肩、手の届く場所を振り払いながら、キャンプへ向かう足を速めた。
「レラ…レ、ラ」
痛みを感じた場所が、じくじくと熱に侵され始める。
火傷したような痛みなのに、身体は寒気を感じて震えた。
じんわりと滲んだ汗で視界が滲む。
漸く見えてきたキャンプで、座り込む人影と立ち上がる人影が見えた。
「毒が…ちりょ、う…」
無線から聞こえる声が、まるで水の中みたいに揺れる。
身体に衝撃を感じて、自分が地面に倒れたのだと気づいた。
身体が意思とは関係なく痙攣する。
最後の気力を振り絞って、リヒトはボットの着脱スイッチを押した。
視界の端で、誰かが走り去るのが見えた。
「リヒト?リヒトっ!!」
様子のおかしいリヒトに声をかけるレラの目の前で、ボットが盛大に倒れこむ。
「ちくしょうが…」
立ち上がったジョナスは、一目散に森の中に走り出した。
呼びかけることしかできないレラの前で、ボットの背中部分が開き、転げ落ちるようにリヒトが出てきた。
「大変…、噛まれたのね?」
アンダーウェアから見える首元が、真っ赤にはれ上がっている。
二つの噛み傷の部分は紫に変色してじわじわと黒くなっていた。
「し、しっかりして!リヒトっ!」
意識が朦朧としているリヒトを揺さぶって何とか起こそうとする。泥の中に寝かせていられないと、テントの中からタオルを持ち出して頭の下に敷く。毒を絞り出さねば、とはれ上がった傷口わずかに触れただけでリヒトが飛び跳ねんばかりの勢いで呻いたので、レラは悲鳴を上げて尻もちをついた。
「ひ、冷やして…それから…」
おろおろと目を回しながらも、それでも何とか必死に治療法を模索していたレラだったが、背後から表れた人物の、まるで暗殺者たらん勢いの蹴りに吹き飛ばされた。
「がっ…」
激痛に呼吸を奪われ這いつくばるレラを無視して、邪魔者を蹴り飛ばしたルーカスは無感動にユエンの名を呼ぶ。
「キット」
「はい」
背負っていた荷物から素早く取り出した筒を手渡す。
蓋を開けると中から布に包まれた医療器具が出てきた。
何本かある注射器の中からルーカスは、迷わず一本を取り出すと、リヒトの心臓めがけて突き刺す。
中の液体が自動空気圧で的確な速度で注入されるのを確認して、空になった器を放り出すと、リヒトを横向きに寝かせた。
上向きになった傷口に、薬液をしみ込ませたガーゼを適当に投げつけた。
たっぷりと薬液を含んだガーゼは、びちゃりと音を立てて傷口に張り付く。
続けて腰から取り出したナイフに、別の薬液をぶちまけて、取り出した着火装置で火をつけた。
ぶちまけたのは、アルコールだった。
特有の炎を纏ったナイフを片手で弄びながら、リヒトの傷口をじっくりと見聞する。
「運がいいのか悪いのか…」
ぽつり、と呟く口元には、酷薄な笑みが浮かんでいた。




