生態系
五年から十年。人類が「補充」されるタイミングだ。
医療機関の拡充、および生活習慣の社会的矯正により、病気で死ぬ人間は格段に減った。
では、人類が減るタイミングとはいつなのか。
地球周期で85年。85歳となる新年で人々は等しく社会から離脱し、ヴァルハラと呼ばれる専用のコロニーへと収容されることが決まっている。
生まれる年が同じならば、卒業する年も同じ。
大規模な事故で大量の人口消費が起きた周期には、臨時で補充されることもあるが、それ以外はほとんど、社会人卒業に合わせて新たな「社会人」が補充されるよう調整されている。
もちろん、小さな事故や、治療できない病気、治療費を払えない病人などは少しずつ消費されていくが、全体的な人口は常に維持されているのだ。
新たに補充される子供たちは、30人から40人のユニットに分けられ、ユニットごとに隔離されたコロニーで初期教育が行われ、やがて適正ごとにアカデミーに進学していく。
一つのユニットで使われる遺伝子は精子二種、卵子二種と決められており、いずれも容姿体型が似ていることが条件に含まれているため、生まれてくる子供たちは外見的特徴が似通っているのが当然とされていた。
体格が似ている方が管理しやすいと思ったのか、たまたまそうなって、都合がいいから今まで変わらず続いていたのかは、もう誰も知らない。
アカデミーを卒業するころにはそれぞれの道を歩み始め、広い宇宙の中、同郷、つまり同じユニットの仲間と再会するのは珍しいことだ。
外見的特徴が似ていても、別のユニット生まれということも充分ある。
見覚えのあるやつが、同郷か知るのに決め手となるのは、生まれた時に登録されるユニット名。
かつてはファミリーネームと呼ばれていたそれに代わって生まれたユニット名は、生まれると同時にIDとして登録される。
適性試験を受けた後は、結果に応じたアカデミーへと進学し、そこまでは同郷と一緒になることもままあるが、その後社会の一員として就職する段階になると、ほとんどはバラバラになり、時折、仕事先で邂逅することがあるぐらいだ。
唯一、その枠から外れたシステムをとられているのが軍事教育ユニット。
彼らは幼少期から共に過ごし、さらにその中でも相性がいいグループがそのまま同じ部隊に入ることがよくある。
ヘリの操縦士であるジャックとディルク、それからカルロ。彼らもユニット名は同じだろう。
まだメイン拠点で共同生活していた時期に、同じ容姿の軍の制服を来た人物を何人か見ていたので、名前も知らない彼らもまた、同じユニットの出身であろうことを、想像するまでもなく理解していた。
髪の色や目の色、そして背の高さも似ている彼らだが、識別できる程度には見た目が違った。
ディルクは鍛えすぎてやや体が大きだとか、カルロは少し猫背気味だとか、そういう癖とは違う、決定的な差が確かにあったのだ。
だからリヒト達は余計に混乱した。
新たに上司として出会った目の前の男は、体癖も表情も全く違うのに、まるで鏡に合わせたかのようにアレックスにそっくりだった。
「俺に話しかける時はボスと呼べ。話していいのは俺が許可した時だけだ。質問に答える時は簡潔に。特に俺が、できるかどうか聞いた時にはイエスかノーだ。もしそれ以外で答えた場合は全てイエスとみなす。理解したか?」
首を傾げ、見上げてくるその目は、特段睨みつけられたわけでもないのに意味もなく威圧的だった。
二人が揃ってイエスと答えると、アレックスによく似た男は愉快そうに笑った。
「今回は期待できそうだ。ボット乗りってのはこうでなくちゃ。なぁ、ノア」
ノアは森の中から悠然と姿を現した。詳しく言えば少し前から近づいてくる足音は聞こえていたが、それどころではなかった。
「てめぇらの仕事はノアから聞け。以上」
言って男は、先ほど運転手が消えていった方向とも、ノアが現れた方向とも違う方の森へと消えていった。
何かの任務途中なのか、とのんびりその背を見送るリヒトと違い、ザックは矢継ぎ早にノアへと質問を投げつける。
あいつはなんだ。どうしてアレックスにそっくりなのか。ここでの仕事は何なのか。
ノアの思考を表す赤いランプが激しく明滅する。回答を許さないザックの怒涛の問い責めに困惑しているようだった。
「ザック」
リヒトが静かに名前を呼べば、漸く我に返って静かになる。
ザックが落ち着きを取り戻したのをきっかけにして、ノアはザックの問いかけ一つ、一つに丁寧に返答した。
ノアは最初の段階、リヒト達が医療班の配属になったのと同じ段階で、すでに生態調査班に配属されていた。
その後、調査の一環で爆心地に向かう必要があり、あの時リヒト達と合流したのだ。
ここでの主な作業は主にフィールドワークで、地形の調査や動植物のデータを集めて、メイン拠点にある研究所へと転送する。
簡易スーツを着て歩き回る彼らを護衛しながら、この大陸を東西へ横断する中央道を敷くことがリヒト達の仕事だとノアから伝えられた。
おおよそ予想通り過ぎる作業内容に、リヒトは些か違和感を覚える。
キーラやディルクの態度からして、もっと重労働を予想していたからだが、ふと、先ほど見た光景を思い出して、妙に納得した気分になった。
思い当たりを胸の内に収めたリヒトと違って、ザックは苛立ち収まらぬ様子でノアに詰め寄った。
体罰、と呼ぶにはかなり行き過ぎていた暴力だが、どちらにせよ、法に触れるのではないか。
一通りノアに文句をぶつけていたザックだったが、ふと思いついたように思考の舵を切った。
「てめぇに文句言ったところで埒が明かねぇ。隊長に直接報告するぞ」
「あ…」
それはまずいんじゃないかとリヒトが止める間もなく、ザックは本部に無線を繋いだ。
心配するリヒトに気づいたザックが無線周波を送ってくれたおかげで、リヒトも内容を聞くことができたが、結局は全て無駄だった。
本部はザックの無線を待っていたかのように直接バートレットへとつなげ、バートレットからは、気に入らないなら異動届を出せ、とだけ言われ、無情にも通信は切れた。
つまりこの現状は、黙認されていると言うことだ。
「ま、そうだよな」
先ほどまでの憤りは何だったのか、ザックは全て予測済みだったかのように、簡単に怒りの矛を収めた。
「わかってたならなんでわざわざ…」
「やってみる価値はあった」
「……リスクの方が大きいよ」
余計ないざこざに発展したらどうするつもりだったのか。けれどザックは、あっけらかんとした表情で、そうか?と笑っただけだった。
「報告があったっていう事実が大事なんだよ。不満があるぞってな」
「逆に利用されたらどうするの」
「例えば」
「…無茶な作業をさせて怪我を負わせた挙句、命令違反として自己責任として処理する」
「こっわ。お前だけは敵に回したくねぇわ」
「ありがとう」
誉め言葉として受け取っておくことにした。
そうして始まった生態調査班の仕事は、噂通りの過酷さだった。
生態の調査、と一口で言ってもその実態は様々だ。生き物の調査、地形の調査、直物の調査。リヒトの所属したルーカス班は、文字通り手あたり次第に何でもやる、先鋒部隊だった。
隊長であるルーカスが決めたポイントに向かって、地形の調査を行いながら、生えている木々、目につく生命体すべてを記録しながら突き進んでいく。
自転軸に対してほぼ垂直、いわゆる赤道と呼ばれるラインを横断しているリヒト達の周辺は湿地帯だった。
不定期に襲うスコールと、ほぼ頭上を通る長い昼間の日射により、常にじめじめした空気とぬかるんだ足元。
細く長く伸びた木々も、足元を覆う草花も、どれもこれも葉が大きく、視界を狭める。
そこに靄まで発生しては、まともに歩くだけで精いっぱいな中、簡易スーツで進んでいく研究員たちの足場を確保するのがリヒト達の役目だった。
ルーカスの定めたポイントまで進むのがノルマらしく、研究員たちは誰もかれもが彼を恐れてリヒト達を急かし、いつも何かに追いつめられている様子で、わずかなミスに対してもヒステリックに、あるいは陰湿に、文句を言うのを忘れなかった。
ルーカス班は出発と同時に三方に分かれる。
真っすぐに進むルーカスをリーダーとしたチームと、北へ進むチーム、そして南に進むチームの三つだ。
定められたノルマは過酷。
距離を進むだけでも大変だが、それ以上にリヒトを緊張させたのは、初めて行う「誰かを保護する」という作業だった。
チームはボットの数で分けられた。つまり、ザックとは別々。リヒトのいるチームでボットに乗っているのはリヒトのみ。簡易スーツで、周囲を調査しながら進む調査員の命は、リヒトにかかっている。
これまでの人生で、リヒトは周囲からどこか弱者として扱われてきた。小柄な体と、どこかぼんやりとした思考の無さ。危なっかしい雰囲気に、危険から遠ざけ、比較的安全なところに配備されてきたのに、リヒトは無意識に甘んじてきた。それが処世術だった。
しかし今は、誰かの後ろについて歩き、自分の身だけを心配しているわけにはいかない。
常にあたりに気を配り、足場を確保し、障害を排除する。
一人であれば、ボットの助けを駆使して簡単に超えられる段差でも、彼らの足場となって押し上げてやり、害獣の襲撃に対応しなければならない。
少しでも遅れようものなら、いや、遅れていなくても、聞こえてくるのは罵声と怒声だった。
「早くしろ、ウスノロが!」
班のリーダーであるジョナスの怒鳴り声に返事をする気力もなく、リヒトは黙々と目の前の藪を切り拓く。
少し回り道をすればもっと簡単に進めそうなルートはあるが、ジョナスは地図上をまっすぐ進むのが早いと思っているようだった。
背の高い草を踏みしめ、飛び出した枝葉を折り、茨を引きちぎる。
簡易スーツとはいえ、全身を覆っていれば、毒虫や毒性植物に害されることはないが、鋭利な枝や棘は、運が悪いとスーツやヘルメットのレンズに傷をつけてしまう。
リヒト的には最速で切り拓いた藪の先は、少し開けた場所にぽっかりと池が広がっていた。
片側が少し高くなっているその池は、泥がたまってひどく濁っていて、もし自分たちが反対側から来ていたら、足を滑らせて落ちていただろうなと想像して、ため息が漏れた。
底の深さがわからな上に、周囲は落ち葉に埋もれていて水辺の境が曖昧だ。
どれだけ濁った水でも、キャンプに戻って浄水器にかかれば飲み水になる。
しかし、ここで汲むのはリスクがありすぎるなと判断したリヒトの脇から、ジョナスが「水だ!」と興奮した声をあげて飛び出した。
「待っ…」
止める間もなく、ジョナスはあっけなく、落ち葉で隠れていたぬかるみに片足をとられてよろめいた。
傾ぐ体の向こうに、揺らめく影。
水面をわずかに波立たせたそれが勢いよく牙を向くのと、リヒトがジョナスの腕を掴んで引き上げるのは、ほぼ同時だった。
「ぎゃああ」
ジョナスの汚い悲鳴が無線越しとヘルメット越しの二重に聞こえて、リヒトはうんざりと息を吐いた。
「爬虫類、ね。たぶん、ワニ、だと思う」
自信のない、控えめな声が無線に届く。最後尾を歩いていたレラだ。
「迂回しよう」
「それを決めるのは俺だって言ってるだろ!迂回するぞ、さっさと行けよ!!」
腕の中で震えていたジョナスが金切り声で叫ぶのに驚いたのか、草むらから飛び出した小動物が足を滑らせて濁った池に落ちた。
ぼちゃん、と派手な音を立てて落ちた小動物は、水中で動くのに適していないのか、バタバタと暴れまわる。
レラがその形状的特徴に目を凝らして、ウサギ、いやネズミか、と正体を探る。
「あ…」
何とか陸地へ向かおうとする小動物はしかし、次の瞬間には池から這い出した捕食者の餌食となった。
上下に大きく開く口で小動物を捕えた捕食者は、水飛沫を上げながら咀嚼を繰り返し、そして食事を終えるとまた静かに動きを止め、泥水の一部に擬態した。
一部始終を目撃した一同はしばらく呆然としていたが、最初に我に返ったリヒトが迂回のルートを拓くのに従ってその場を後にした。




