勝ち目のない戦い
呑気な様子のリヒト達だったが、現場の緊張は最高潮だった。
緊急搬送されてくる患者は、全身やけどの重傷だ。
現場に着いて降ろされたリヒトはすぐに施設の入り口に走った。
ザックたちは周囲を警護するために持ち場へと散っていく。
ボットに乗っていな者までわざわざ施設へ向かったのは、治療を補助するためだ。
配置について間もなく、遠くからヘリの音が聞こえてきた。
間もなく、ポートに着陸したヘリから、ケリーと隊員が患者の担架を抱えて飛び出してくる。
磁力を利用して浮いた担架は、足場の悪さをものともせず、患者をまっすぐに運んできた。
入り口を開けたリヒトは、患者を受け取って、入り口に配備されている担架に誘導した。
「容体は?」
「一刻を争うわ」
本来ならば、ここでドクターたちを下がらせ、リヒトが患者を専用のポットに入れ、指示通りに端末を操作して治療が終わる。
だが、他の隊員に肩を叩かれても、ケリーはかたくなに退避を拒んだ。
「複雑な準備が必要なの。私も残るわ」
「先生を下がらせろ!」
無線から怒鳴り声が聞こえた。
副官のリードだ。どうやら今、指揮を執っているのは彼らしい。
「拘束してでも退避させるんだ」
と、副官はおっしゃっていますが。
リヒトは静かな目で、補助の隊員たちを見据える。
彼らも医療班の端くれなのか、治療にはケリーが必要なのをよく理解しているようだった。
「受け入れ完了。治療に移ります」
リヒトがドアの開閉ボタンに手を伸ばすと、隊員たちは慌てて退避した。
ケリーを残して。
「ありがとう」
「僕に先生を追い出す義務はない」
あくまでリヒトは補助が仕事だ。
ケリーを残してしまったのはあの隊員たちの責任。
充分な言い訳を確保して、除菌を終えた第二ロックが開くと同時に、二人は中へと飛び込んだ。
「指示を」
「治療コマンドからやけどを選んで。細部設定を…」
ケリーに言われるままにパネルを操作し、数値を入力していく。
リヒトに指示を出しながらもケリーは手早く治療を進めていた。
運び込まれる段階で、患者は全身を銀色のアルミホイルの様なもので巻かれていた。
ザックであれば「中から七面鳥が飛び出してくるのか?」などと笑えない冗句をかましていたかもしれない。
もし、そんなことをしていたら、ザックは後悔していただろう。
ケリーが保護シートをはがして出てきたのは、全身をやけどし、顔の判別さえできなくなった誰か、だった。
口から飛び出した管の先が、勝手に収縮して自動で肺に空気を送り込んでいる。
ピクリとも動かない彼が、本当にまだ生きているのかは疑わしかった。
「手伝って!」
ケリーの声に肩が跳ねて、リヒトは我に返る。
少なくともケリーにとって、彼はまだ救うべき命なのだ。
「アンダーウェアが解けて皮膚に癒着しているの。まずはそれをはがすわ」
「ぁ…ぅ…っ」
それがどういうことか、リヒトは正確に理解して、これから起こる治療を想像し、さすがに動揺する。
「安心して、始点となる部分を指定したら、残りは中でやるわ」
ケリーがメスを取り出す。
ぐったりと横たわる患者のアンダーウェアと皮膚が一体化した部分を迷いなく撫でつけた。
「ケースを!」
リヒトが画面を操作すると、治療ポッドの蓋が開いた。
中はいつの間にか液体が満たされ、冷却されていたのか、周囲に白い靄が溢れる。
「移すわよ」
言われるがままに、足を支える。
合図に合わせて持ち上げると、意外と簡単に身体が持ち上がり、シーツごと治療ポットの中に沈めた。
「始めて」
「…あ、治療段階一、開始」
リヒトは慌てて無線をつなぐ。
事前の説明で、治療が二段階に分けて行われることは外の連中も知っている。
無線の向こうでリードの声がした気がするが、気のせいだろう。
手順通りに端末を操作すると、ポッドの蓋が締まっていく。
全身を液体に浸けられた患者の口から生えた管が、いつの間に装置の中の一部に繋がっていた。
リヒトが慌てているうちにケリーが繋いだのだろう。
蓋が閉まって治療が始まると、途端に室内が静かになる。
「皮膚ごと癒着したウェアを切り離しているわ。異物を除去したら全身の皮膚形成治療に切り替えるわ。その時は、ほぼ確実に規定値を超える」
「あー、隊長。第二段階はコードレッドです」
「…了解」
すでにリードの声は収まっていた。やはり先ほど聞こえたのは気のせいだったらしい。
操作パネルが治療完了までのカウントダウンを刻む。
次の段階に進めばやつらが来る。
その時に備えるべきなのはわかっているのだが、それよりも、ケリーの様子が気になった。
取り乱した様子。明らかに冷静ではない。
「大切な、人?」
顔もわからない彼。先ほど聞いた名前に覚えはあれど、元の顔は思い出せない。
ケリーとは、わずかな時間しか一緒に居なかったが、特別な相手がいるような様子はなかった。
そもそも、医療施設は替えが効かない重要な施設だ。
やつらに襲われるわけにはいかない。
そのため今まで一度も、コードレッドに至る治療は行われなかった。
つまり、コードレッドに至る治療が必要な者は、見捨てられてきたのだ。表向きには「手遅れ」の判断で。
この施設を、延いては、これから救えるはずの命すらも危険に晒して治療する価値がこの男にはあるのか。
私情で運び込んだとしても咎める気はなかった。
リードやほかの隊員たちの反応からしても、治療するに十分な価値がある人物なのは確かだった。
よほど位が上なのだろうか。しかし、総司令であるバートレットの周囲に居る人間ならば聞き覚えがあるはずだったし、自分にとって有用な人間の危機であれば、バートレット自身が指示を出しそうなものだが。
何より、ケリーがここまで必死になるのが不思議だった。
「悪いけど、重要なのはこの人じゃないの」
ケリーが口元をゆがめる。笑っているのだと気づいた。
自虐的な笑みだった。
「この人に死んでもらったら困るだけ」
彼女の表情は憔悴しきっていた。
よほど悲惨な現場だったのだろうか。
メイン拠点で共に過ごしていた頃より少しやつれている気もする。
いったい何が、と聞く前に、カウントがゼロを告げた。
治療ポッドの蓋がスライドして中が見えた瞬間、リヒトは息を呑む。
透明だった液体は、真っ赤に染まっていた。
血の池に浮かぶ、切り取られたアンダーウェアが浮いている。
わずかに水面から見える内側の部分には、人間の肉とわかるものがしっかりと焼き付いていて。
ちょうど半そでのシャツの前側部分、首元から腹側の腰あたりまでのそれを、血だまりから掬い上げたケリーは、無造作に廃棄ボックスの中へと放り込んだ。
「第二段階、皮膚形成…始めるわよ!」
「あ…、第二段階、開始」
ケリーの声に我に返り、慌てて通信を繋げる。
衝撃的な光景を前に、リヒトはすっかり身がすくんで動けなくなってしまった。
代わりにケリーがすべての端末操作を行い、必要な情報を伝える。
開いていたスライド式の蓋が、再び閉じられていくのを、ただ眺めていることしかできない。
「いい?最低でも五分は耐えて」
「無茶言うな」
「彼の身体が薬液から出てしまえば、治療は無駄、あなたたちの努力も水の泡よ」
ワームを完全に撃退する方法は未だ考えついていない。
やつらに襲われた時、人間にできるのは逃げることだけだった。
わずかな時間であれば、工業用カッターやエネルギー銃で耐えることはできても、最後には医療施設ごとヘリで吊って退避するしかできない。
ただし、稼働中の治療ポッドを安易に動かせない。
治療中に動かせば、予期せぬ事故が起きかねないからだ。
切らなくていい臓器を切り、縫わなくていい穴を閉じてしまう可能性がある。
今回の治療は皮膚の形成。折れた骨を繋いだり、傷を縫ったり、臓器を切除するよりも時間がかかる。
今まで治療中にワームに襲われたことはない。初めてのコードレッド。
護衛のディルクたちがどれだけワームの襲撃に耐えられるかはわからない。
少なくとも、爆心地でやつらに追われたザックとキーラは、彼女の要請が無謀であることを確信していた。
それはリヒトも同じ。
「対処しよう」
「まって、なにをする気?」
蓋が閉じて、治療開始のアナウンスが流れる。
ポッドの出力が徐々に上がり始めた。
外の様子が慌ただしくなる前に、リヒトは入り口に向かう。
「ポッドを水平に保つ」
「どうやって」
「これを…」
言ってリヒトが引き寄せたのは、担架だった。
今はただの板だが、スイッチを入れればどんな時でも水平を保つ板になる。
「磁力が強すぎる。ポッドには近づけないようにするものよ」
精密機器に担架を近づけるなとは、医者になる前から誰しもが最初に習うことだ。
しかしリヒトは構うことなく担架を引きずりよせると、上に先ほどまで患者を包んでいた銀色の保護シートをかぶせる。
「気休めくらいにはなる」
それから、治療ポッドと床のわずかな隙間に担架を押し込んだ。
「来るぞっ!!」
無線から聞こえたディルクの声に、エネルギー使用量が危険値を超えたことを知らせる警報が重なる。
途端に外の様子は騒がしくなった。
激しい銃撃音と、地面が揺れる感覚。
地面から湧き出たワームたちが寄り集まって、一斉に襲い掛かってくる。
銃で、工業用カッターで、ザックたちが懸命にそれを追い払う。
第一拠点の探索で追い掛けられた時とは比べ物にならなかった。
遠方で湧いたワームに追いかけられたあの時とは違い、やつらはすぐそばで湧き出してくる。
湧き出す前はどうやら単体でしか移動できないらしく、地面から飛び出すと近くの仲間と寄り集まって、巨大な個体へと進化する。
「黒いモップだ!」
「バカ言ってないで撃て、撃て!」
エネルギー弾をまき散らし、カッターで粉砕しても、次から次へと湧き出してきて切りがなかった。
「無理だ、撤退しろっ」
ディルク隊長の判断は早かった。
撤退の命に応じて、ザックたちはそれぞれ目の前の敵に対処しながら、医療施設の壁に取り付く。
全員の準備完了を待たずに、ヘリは垂直方向へと上昇した。
「上げろ、早く!」
医療施設に加え、ボット四人の重さを、ヘリは何とか持ち上げて見せた。
四方の壁に取り付いたザックたちはエネルギー銃の斉射を行いながら上昇していく。
浮遊感と同時に、リヒトは担架のスイッチを入れた。
成人男性を腰の高さまで持ち上げる担架も、相手が精密機械であれば床から数センチ浮かせるだけで精いっぱいだったが、用途としては充分だった。
「回避しろっ」
医療施設が持ち上がるのに合わせて、やつらも寄り集まって長くなり追いかけてくる。
その先端を切り刻みながら、ヘリは何とか距離をとろうと前進した。
すると吊るされた医療施設はブランコのように傾く。
「だめよ、安定させて!!」
「無茶言うな!!」
「だい、じょうぶっ」
突然傾いた足場に対応できず、ケリーとリヒトは転倒し、固定されていない廃棄ボックスや移動式のカートが音を立てて壁にぶつかるが、担架によって浮かされた治療ポッドはぎりぎりのところで水平を保っていた。
「そのまま崖へ向かえ!」
リードの指示に従ってヘリのパイロットが舵を切る。
咄嗟に医療ポッドに捕まった。ストレッチャーで浮いているポッドは急な動きに追い付けず滑るように壁にぶつかってエラー音を立てる。
「もっと静かに…っ」
「無茶言うなっての!!」
ケリーとザックの叫び声に耳を塞いで、リヒトは這うようにして何とかパネルを操作し、治療を再開させた。
再びカウントが始まる。
壁に触れたままのポッドに揺れが伝わり、中の治療液がばちゃばちゃと音を立てて波打っているのに気づき、壁に両足をつけて何とか引きはがす。
治療は何とか安定したが、医療施設の危機は去ったわけではなかった。
「おい、あいつら飛ぶつもりだ」
ラスカの声に、外壁に取り付いていたザック達が視線を向けた先では、寄り集まって個体となったワームが、同じサイズの個体ワームを掴んで横回転し、振り回している。
まるで砲丸投げの要領で、今まさに、仲間を投擲しようとしているところだった。
「構えろ、打ち落とせっ」
ディルクに言われるまでもなく、全員が銃を構えるが、吊るされた不安定な状態に加え、振り落とされないよう捕まっている。片腕で支えた銃口は、ゆらゆらと狙いが定まらない。
「撃て!」
仲間に投擲された個体が綺麗な放物線を描いて飛んでくる。
最初の一体を皮切りに、次から次へと飛ばされてきた。
狙いを定めている余裕もなく、ザックたちはがむしゃらに引き金を引いた。




