まつ毛スゲェ……
長屋ハルトは、気が付くと真っ白な空間にいた。
「……えと、どこだ、ここ?」
呟いて周囲を見渡すが、どっちを向いても地平線すら見えないひたすら真っ白な世界だった。
「……なんでこんなところに?」
彼は色々考えるが、こんな場所に来た理由が分からない。
ただ、直前の状況だけは思い出せた。
高校の帰りに青信号の横断歩道を渡っていた。迫る暴走トラック。目の前を歩いていた子供が轢かれかけて……。夕焼けがやけに赤くて……。
<そうです、あなたは死亡しました>
直前の状況を思い出した途端、声が響いた。
頭の中に直接響く女性の声に、ハルトは驚いて跳び上がりそうになる。
そう、彼はトラックに轢かれたのだ。
しかも暴走トラックから子供を助けるという、ベタベタな状況だった。
頭に響いた声の通りなら、そのまま轢かれて死んでしまったという事なのだろう。
トラックに轢かれて死んだ?
そんでもって、白い世界?
これって……。
<そうですね、あなたの概念で言うところの『異世界転移』になります>
「マジで!?」
ハルトは声を荒げる。
あこがれの異世界転移である。
興奮するなと言う方が難しい。
彼は高校2年になった現在も中二病を発症していた。
ライトノベルを読み漁り、異世界で活躍する自分を空想していたのだ。
剣に魔法にスキルにチート!
ドラゴンなどの怪物たちと戦い、亜人の美女たちとイチャイチャ!!!
ハルトの頭の中に空想の世界が押し寄せる。
<死亡したと聞かされて喜ぶとは、珍しい方ですね。しかし、話が早く済みそうでありがたいです>
少し呆れたような声も、興奮しているハルトには心地良い。
「それで、女神様はどこに?声だけの存在ですか?」
白い世界にいるなら女神だろうと決めつけて、ハルトは訊ねた。
姿かたちは無く概念だけの存在で声だけ直接頭に響かせているパターンなら、少し寂しい。姿があるなら見てみたい。
<後ろです>
声に促されるようにハルトが後ろを振り向くと、美女がいた。
「まつ毛スゲェ……」
女神を見てこの感想はどうかと思うが、思わず彼は声に出してしまった。
それほどのインパクトがあった。
大きな目に、輪郭からはみ出しそうなくらい長く艶やかなまつ毛が生えている。
白人系の整った顔立ちも、やたらツヤツヤと輝く水飴みたいな質感の不思議なロングドレスも、それに包まれたファッションモデルのような身体も、床まで届く長く美しい金髪も、まつ毛に比べたらインパクトが薄い。
「えと、はじめまして」
ハルトは自分を真っ直ぐに見つめている瞳に気が付いて、彼は思わず挨拶をした。
その瞳も星のきらめきの様に、やたらと光を含んでいた。
<はじめまして>
女神は律義に挨拶を返す。
声を直接頭に響かせてるからなのか、その口元は柔らかな笑みを浮かべたまま動かない。
「それでオレは何をしたらいいんですか?魔王を倒すんですか?」
<魔王?……そのような概念はこの世界にはいません。あなたにはこの世界のエントロピーの増大に協力していただきたいのです>
えんとろぴー?
ハルトの頭の中が疑問符に満ちる。
聞いたことがある単語だったが、正確な意味は知らなかった。
<概念を理解していませんね。しかし問題ありません。あなたが自由に生きることが、エントロピーの増大につながります>
ハルトが答える前に女神が続けた。
女神はどうもハルトの心を読んでいるようだったが、ハルトは気にもしない。
神に心を読まれているのはラノベではありがちな展開だからだ。
「なるほど、『自由に生きよ』系なのか……。それで、何か特典はありますか?」
<あります。あなたは本当に理解が早いですね。あなたにはこの世界で生きやすいように、いくつかの能力を与えられます>
「キタ!」
ハルトはガッツポーズをとる。
完全に彼があこがれた展開だった。
「能力は選べますか?いや、それより先に何かサービスがあったりは?」
ハルトは翻訳スキルなどの、異世界で生きるための基礎的な能力を無条件で与えられるのを期待していた。
<いえ、そのようなものはありません。能力は全てあなたの為に準備されたリソースを使って選んでいただきます。考える時間はあなたの世界の時間で3日ほど準備しています。その間は疲れも空腹も感じません>
「まずは翻訳スキルだな。転移する世界の全ての言語を理解できるようにして欲しい」
ハルトは間髪入れずに答えた。
長年『もし自分が異世界転移するならどうするか?』を考えてきた結果だ。
<概念を確認。受理されました。リソースの74.2%が使用されます。確定しますか?>
「意外と必要なんだなぁ……でも、言葉が分からないと何もできないしな。確定で」
<確定されました。残りの能力を選んでください。使用可能リソースは25.8%です>
「じゃあ、病気にならない強い身体を」
異世界に行っていきなり免疫のない道の病原菌に侵されたら洒落にならない。
これも必要だろう。
<概念を確認。受理されました。リソースの0.5%が使用されます。確定しますか?>
「あれ?こんどはえらく少ない……?」
<既存の能力であればリソースは節約されます。また、個人の肉体内の現象であればリソースは節約されます>
「じゃあ、世界で一番強くなりたいなら?もちろん、外見は今のままで」
<概念を確認。受理されませんでした。リソース不足です>
「世界で一番強い人類なら?」
<概念を確認。受理されました。リソースの5.2%が使用されます。確定しますか?>
「病気にならない身体と、世界で一番強い人類の両方を確定で」
<確定されました。残りの能力を選んでください。使用可能リソースは20.1%です>
「アイテムボックスはどうだろう?」
<概念を確認。受理されました。リソースの10.4%が使用されます。確定しますか?>
「成長チートは?」
<概念を確認。受理されませんでした。リソース不足です>
「しまったなぁ。翻訳スキルが意外なほどリソースを食ってる。確定する前に色々聞けばよかった。今からキャンセルはできないかな?」
<すでに確定された能力は変更できません>
「ですよねー。ちょっと考えさせて」
<あなたの世界の時間で3日あります。ゆっくり考えてください>
微笑む女神を見ながら、ハルトは真っ白な床に座り込むと考えに没頭し始めた。