プロローグ⑦ 完
あの後はそのまま寄り道すること無く家に帰り、何をする予定もなかったので気を紛らわすために教科書を開いて机に向かったりした。
コンコン
ノックの音がして目を覚ます。
ほんの少し休憩するつもりが深く眠ってしまったようだ。
まだ体が重く、重いまぶたを開けながらなんとかドアの方へと顔だけはと向ける。
「お疲れだったかな。」
「いいえ、…それより今何時です?」
「7時よ。ご飯作ったから呼びに来た。」
椅子から立ち上がり、ダイニングへと向かう。
今日の夕食はハンバーグとレタスとプチトマトのサラダだった。
ハンバーグは拳大くらいの大きさで冷凍のものではなく、卯ノ花さんの手でこねられたものだ。相変わらず、というかもしかしたらこだわりの結果なのかもしれないけど、裏を返すと、パリっという音がなりそうな焦げ目が底の中心にあった。
特に構わずナイフを入れる。
卯ノ花さんは自分で手料理を作った時は決まって俺に感想を求めてくるのでさっさと口に入れて素直に言う。
「うん、美味しい。これって今日買ってきた肉ですか?」
「えぇ。奮発していいお肉買ってきたんだから、美味しくなかったら大問題よ。明日はきっと君にとって1つの転機になるだろうからさ。」
今日の肉は俺の転校祝いらしい。なんというか申し訳ない。
「そうお祝いしていただけるのは、嬉しいですけど、転機ってなんか大袈裟というか…」
卯ノ花さんは首を横に振る。
「大袈裟じゃないよ。学校っていうのは人生の中でも大切な節目だし、…自分探しには持ってこいでしょ」
うん、と意を決したように卯ノ花さんは立ち上がる。何か温かい飲み物入れてくるねって台所に向かっていった。
その間、1人で飯を進める。
自分探しか、…俺に探すモノなんてあるのか
俺が求めている自分なんて要するに……
もう何処にもないんじゃないか。
「お待たせ」
はっ、とぼやけていた視界が、またボヤける。
目の前に差し出されたのは茶色と黒の中間色といったホットドリンク。出来立てなのでまだ湯気が濃密でコーヒーかココアか判別つけにくい。
取っ手は思わず手を離してしまうほど熱かったが、なんとか我慢できる。
恐る恐る口につける。
夏の夜、少し凍えた体にそれは劇薬だった。
体が温められる。
口には甘くて心地のいい味わい。
「どう?」
味というよりは、俺の状態を確かめるように言う。
「芯まで温まりましたよ。まだ夏だと思ってましたけど、夜は冷えるんですね。」
「……ねぇ、話いいかな?」
意を決する瞳。
ポジティブではなくネガティブ。
されどその闇を直視する。
隠し事を話す子供のような
責めたくない目を見せられる。
「……いいですよ。なんでも。」
彼女が見る闇とはすなわち俺自身。
家族も友人も誰もかも向き合えない闇。
未だカタチを得ないなんて酷いモノだ。
ずっと遠ざけていたのだ、いずれこの機会は訪れる。
もし。
もしも、彼女が俺に死ねと言ったら、俺を拒絶したら、俺は多分……
この仮初の自我さえ消えるだろう。
彼女は話す。
幸いなのだろうか。彼女に俺を傷つける意思はなかった。
「話っていっても1つ私からのお願いがあるだけ、…なんだけどさ。」
唾を飲み込む。
「江島君、私はね、あの災害から君だけを助けた者としてね。君が当たり前に生きていけるように、これからも君にお節介を焼くと思う。……いいかな」
それが責務だというかのように告げた。
一方的なようで弱々しい。
だけど、それが強さなんだと哀しく訴えてくる。
そうか、やっぱり俺だけなのか
「………」
黙り込む。
返答に困る。
今すぐに声を出したいけど、俺はこの人に何も言えない。
「私はさ、君の家族ってわけじゃない。それは絶対ね。何があっても。だけど君の頼りにはなる。これも絶対。…だからさ、君に辛いことがあったら必ず誰かに言うんだよ。」
それが彼女からのお願いだった。
悩みがあるなら話せと
そんなの、俺自身の問題だ。いくらあなたが
「わかった?」
ずっと卯ノ花さんは俺を見ている。
俺はその顔を見ないようにと顔を俯けている。
きっと、彼女は真っ直ぐ見ているから。
「…はい。わかりました。」
はぐらかすように言う。
何がわかったのか、結局俺は1ヶ月前から何も変わってない。
あぁ、何となく彼女が俺を転校させた理由がわかった気がする。
俺はこんなにも弱いから、
弱いのが嫌だから、
自分を保てるように強くないと、
誰かに迷惑はかけたくないから。
「…すみません。先に寝ます。」
卯ノ花さんは何も言わない。
どんな顔をしたのかもわからない。
俺は卑怯にも涙が出そうだったから、こんな顔を見せる訳にはいかなかった。
寝具の上で目を閉じる。
嫌悪するのは先の俺。
喧嘩別れみたいになったのが嫌だ。
卯ノ花さんはずっと俺に真剣に親身だったのに、
話の中、ずっとあの人の顔を見ることさえしなかった。
もしかしたら話だってろくに聞いてなかったかもしれない。
明日の朝に謝ろう。
それで済むのか、はたまた済むのは俺の勝手な罪悪感だけか。
それはわからない。だけどこのままはいけないから。
きちんと謝らないと。
無感動にハンバーグを食べる。
自分の分ではなく、彼が初めて残したものだ。
見た目ではわからなかったが底に焦げ目があり、少し苦い。
深く踏み込みすぎたかな。
いや、荒療治かもしれないが江島君にはあそこまで言った方がいいだろう。
こちらが気づかせまいと隠したところで彼自身がわかっている問題なのだ。
であれば多少強引でも彼一人にさせないことだ。
「ただ、できれば一緒に食べたかったなぁ」
今朝買った肉のその隣、鯛を模した餡の焼き菓子が入れられた箱。
あまり日持ちはしないから早く食べたいな。
プロローグ 完
長いプロローグが終わりようやく物語がはじまります。
……はじまる予定だったのですが、すみません誠に勝手ながら一ヶ月ほど休載させてもらいます。
失踪ではないので、生存確認のため毎日活動報告を書こうと思います。
一ヶ月したら必ず戻ってきますのでお待ちいただけると幸いです。
いつも読んでいただきありがとうございます。