51.シルフィナの危機
(苦しい・・誰か助けて・・。お父様・・)
首を掴まれたままのシルフィナは薄らと瞳を開いた。
誰かが自分を助けに来てくれる様な状況には無い。
このまま死ぬのかと思うと、後悔ばかりが浮かんでくる。
好きな人に、好きだって言っておけばよかった。
これが一番大きな後悔となる。
(・・・・に、側にいたいって・・素直に・・言っておけば・・良かった)
薄れゆく意識の中、その言葉が心の中で何度も反響し、何かと共鳴する。
そして、心の奥底に隠し置かれた箱が開いた様な感覚を覚えた。
それと同時に、遠い昔に自分を守ってくれた人を思い出していく。
幼き頃、誰かに意地悪をされていたりすると、走って来て守ってくれた彼。
差し出してくれた手をギュッと強く握り、流れた涙を拭き取りながら一緒に帰り道を歩いた。
そんな大好きな彼から離れたく無いと大泣きした別れの日。
今でも彼を強く思う。
「・・すけ・・て。・・・か・・ちゃ・・」
意識を失ったシルフィナの頬を一筋の涙が流れ落ちた。
◇◆◇◆◇
「おい、グルドブ。その手に掴んでいる女はどうするのだ?」
「・・目の前にいたから持っただけだ。欲しいのか?」
「ああ!なかなか美しい顔をしているからな。我が家に連れ帰り、四肢を切り刻んで壁に飾る事にする」
ネートガムは舌舐めずりをした。
彼は人間のように二足歩行ではあるが、爬虫類の様な外見を持った男だ。
ワニのように大きな口からは無数の鋭利な牙が見えている。
彼は美食家である。
美味しい物が大好きで、特に柔らかくて美味しい女の子の肉は大好物だ。
しかし、美しい物を鑑賞する趣味がある為、シルフィナの顔は飾る事にしたのだ。
ウキウキ顔のネートガムがシルフィナを受け取ろうとした、その時だった。
ズゥーンと言う低い地を這う音と共に、空間分離してある異空間が大きく揺れた。
「何だ?この揺れは!」
辺りを見回すネートガムの横では、空間分離を使ったグルドブが、その衝撃に顔を蒼褪めさせた。
何かは分からない。
しかし、強大な力を持った何かが、分離してある空間に無理矢理侵入しようとして来ている。
「グルドブ、これは何だ?」
「分からない。しかし、何かがこの空間に侵入しようとしている」
「馬鹿な。そんな事出来る訳がないだろ!」
「間違いない。何かが・・来る」
顔を上げたグルドブの視線を追ったネートガムの瞳に、異空間の歪みが飛び込んでくる。
その歪みは、どんどんと大きくなっていく。
ひび割れた歪みからカァッ!と眩い光が辺りを照らした。
眩しさから目を瞑った彼らを、一瞬の静寂が包んだ。
瞳を開いたグルドブ達は、上空に浮かぶ見慣れない赤い小さな物体を目にした。
赤く艶のある鱗を纏った体。
その体から生える二つの翼を羽ばたかせ、太くて長い尻尾を揺らす。
大きな口を開き、真っ白な牙を剥き出して唸りを上げている。
同じ様に顔を上げたハンザナム達は、不思議そうな顔をする。
「あれは、紅蓮か?」
「何であれが此処に?ハウリルラ様がいらしているのかしら」
辺りを見回してみるが、他の者が居る感じはしない。
二人はこの不思議な光景を見つめ続けた。
「何だ、あれは・・。見た事は無いが、魔物か?」
「俺も見た事がない。だが、異空間を侵入してくるくらいの魔物だぞ」
異空間への侵入など、上級高魔族であるグルドブ達でも出来ない事である。
それだけを見ても、力の差は明らかであった。
ギロッと向けられた瞳は、グルドブが掴むシルフィナへと向けられた。
意識が無く、グッタリとしたシルフィナに、紅蓮の怒りが頂点を極めた。
「グアァアァアア!!!!」
大きな叫び声を上げた紅蓮の戦闘力が一気に上がっていく。
それと同時に、体が巨大化していった。
大きな魔物へと変化した紅蓮は、大きな叫びを再び上げた。
化け物じみた力を放つ見慣れぬ魔物に、グルドブとネートガムは後退りをする。
「クソッ!魔物の癖に、我らに牙を向くぞ」
「ガルージ、サジェリナ様を守れ!」
ネートガムが叫び、視線を戻したその時だった。
翼をフワリと仰いだ紅蓮が、一瞬のうちに物凄い速度で二人の元へと移動した。
「速い!」
二人は全力で防御壁を張る。
しかし、巨大化した紅蓮の攻撃はいともたやすく壁を打ち破り、二人を吹き飛ばした。
吹き飛ばされた二人は魔力を放出し、空中で停止する。
「どんどん戦闘力が上がっていくぞ。気をつけろ!」
「急に現れて何なんだ、こいつは!」
唖然とする二人を尻目に、紅蓮は手元に視線を移した。
紅蓮の手には、グルドブから奪い返したシルフィナが優しく握られている。
大切そうにシルフィナを見た紅蓮は、手の鱗からプラチナの魔導合金を滲ませる。それはあっという間に、棺桶の様な形の箱へと変化していった。
その中にシルフィナをソッと寝かせ、守護魔法を流し込む。
空気穴を作成した蓋で箱を閉じて、空間の床に魔力で固定した。
(・・れで・・もう・・誰も・・・・に手・・出せ・・い)
紅蓮の怒りを灯した瞳は、シルフィナを傷付けた敵を再び睨め付けた。
◇◆◇◆◇
再び紅蓮が敵の二人に攻撃を仕掛けたと同時に、ハンザナム達はナディアを安全な場所へと移動させた。
そして、遠く離れた場所で戦う紅蓮に視線を移す。
「紅蓮ってあんなに強かったの?」
「噂では、マギルス様の上解放と同等だったと聞いた。力を使い切ったから、しばらく全力を出せないと聞いていたが・・」
「あれで全力じゃ無いわけ?第一より強いじゃない!」
「お陰で助かったと言うべきか・・。だが、紅蓮は助けに来たと言うよりは、あの娘を守っているだけの様だ」
「その様ね。私達の事なんか眼中に無さそうだわ」
あの場にいたら、間違いなくナディア諸共、紅蓮の攻撃の餌食となっていただろう。
味方が増えたと言うよりは、敵が敵と戦っていると言う状況に近い。
「ナディア様、師匠を呼ぶ事は出来そうですか?」
「空間分離されているので、師匠に届かないかもしれませんけど、試して貰えます?」
「分かったわ」
ナディアは頷きを落とすと、心の中でザガリルを呼んだ。
届いたかどうかは分からない。
しかし一分経っても姿を現さない事から、おそらく届いていないという判断になる。
ハンザナムは、自分達から少し離れた場所で紅蓮達の戦いを見ているサジェリナ達に視線を移した。
「この空間分離を解いて欲しい。このままでは我らだけではなく、そちらも危険だと思うが?」
ハンザナムの言葉に、サジェリナの横に立つガルージが首を振った。
「無駄だ。空間分離はグルドブが掛けた物。奴が死ぬか解除せねば消える事はない。しかし、あの魔物に襲われているグルドブは、解除する余裕がない」
ガルージもサジェリナの身の安全の為、この空間分離から出たいと思っていた。
しかし、グルドブがこれを解除するとなると、魔力を練る時間が多少必要となる。
しかし、あの無茶苦茶な強さを持つ赤い魔物の攻撃は、その多少の時間ですら作らせて貰えない。
しかも厄介な事に、赤い魔物は何故かグルドブを集中的に攻撃しているのだ。
もう一度紅蓮に視線を移したハンザナム達は、ため息を付いた。
「技を掛けたグルドブとか言うのが、死ぬのを待つしか無いわね」
「その様だな。なるべく奴らから離れるようにしよう。ナディア様に何かあっては困る」
「そうね。もう少し離れておきましょう」
頷きを落とし合った二人は、ナディアを守りながら紅蓮達から距離をとった。
遠くで繰り広げられている戦いは、その後、益々激しさを増して行った。
◇◆◇◆◇
お家で留守番をしているルシエルは、紅茶を差し出したネルダルに視線を移した。
「ん?マギルスはどうした」
「マギルス様でしたら、訓練所で空間分離をして、第一小隊の方達を相手に遊んでおります」
「ふーん、成る程。アイツらも危機感を持ち始めたって所か」
クスッと笑ったルシエルは、ゆったりと紅茶に口を付けた。
第一が修行を始めたのには二つの理由が考えられる。
まず一つは、町づくりを終えた第二小隊が、最近本格的な修行へと移行した事だ。
今までとは違い、空間分離をしてのかなり本格的な修行となっている。
第一は第二の相手をさせられている為、嫌でもその力の上がり具合が分かる。
まだまだ余裕で第二の相手が出来る第一ではあるが、目の前でドンドンと上がっていく第二を見ていて、気持ちが引き締まったのであろう。
そして二つ目の理由。
それは、俺とマギルスの件だと思う。
あの後、アシュアが何度断ろうとも諦めずに何度も何度も頼んで来るので、ザガリルが折れてマギルスを家に戻す事になった。
本来のザガリルなら折れる事はないのだが、怖い思いをさせてしまった大切な姉へのルシエルの謝罪の気持ちからである。
しかし、家族の元にマギルスを戻すにあたって、もう一度キチンと教育をしておくべきだと考えた。
と言う事で、ザガリルの体に戻って空間分離。
全回復させ、全ての解放を許可してやったマギルスを分離した空間内で徹底的にボッコってやった。
それはもう、遠慮なくボッコボコにしてやった。
ここまでするか?と言うほどにフルボコにしてやった。
本当はここまでやる気はなかったのだが、久しぶりの戦闘と言える戦闘に、ノリに乗ったザガリルが自身の魔力放出を止められず・・の結果である。
こんな事もあろうかと、一応止め役として第一の五人を一緒に連れて行ってあったのだが、止める所か気が付いたらマギルスと一緒にボコられていたと言う役立たずぶりを発揮した。
その為、優しいザガリル様は、弟子達に自動回復の魔法を掛けてあげた。
これは昔、良くやっていた遊びだ。
フルボッコにされて倒れても、直ぐに自動回復される。
そしてまたボコられる。
回復されたとしても受ける痛みは鮮明だ。
延々と続く一方的な暴力である。
流石の第一も、この修行はあまり好きでは無いらしい。
あれから二週間が経過しているが、第一は未だにザガリルと話す事が出来ない程に、その目に恐怖を宿していた。
そう言えば、かなり昔にも第一がこんな状態になった時があった気がする。当時の記憶が呼び戻されるほどの、暴れ具合だったのかも知れない。
少々気持ちの高ぶりが過去の自分のようであった事は認める。
魔王と戦って以来、ずっと戦闘らしい戦闘をしていなかった所為で、魔力の放出が楽しくなってしまったのだ。
普段は溜まった魔力を体内で打ち消しながらの生活をしている為、こうやって遠慮なく魔力を放出できるのは、快感や快楽すら覚える。
(やっぱり溜まった物は、定期的に出さないと駄目だな)
ウンウンと頷きを落としたルシエルは、再び優雅に紅茶を口に運んだ。
そんなこんなで、マギルスは俺の許可なく家族とナディアに手を出さない事を徹底的に躾けられた上で、家に戻された。
久しぶりに会ったリオール家の家族に『ザガリルの許可なく、二度とあのような事はしない』と誓ったので恐らく平気だろう。
しかも第一相手にこうやってちょいちょいストレスの発散をしているのなら、この間のアシュアの様な事件はもう起こさないと思う。
自身のストレスが減り、ご満悦なルシエルの横では、テーブルの上で丸くなって眠っていた紅蓮が突如として顔を上げ、一点を見つめた。
「ん?どうした、紅蓮」
ルシエルの問いにも紅蓮は反応しない。
グルルッと低い唸りを上げながら、その体をゆっくりと起こした。
紅蓮の瞳をルシエルが覗き込んだ瞬間、ドックンと体の内から波打つ衝撃がルシエルを襲った。
吸い込まれる様にその瞳から目が離せない。
この瞳を何処かで見たような気がする。
しかし、それが何処だったのかが思い出せない。
飛び去った紅蓮を見送ったルシエルに、ネルダルが尋ねた。
「どうかしたのでしょうか」
「・・さあな、分からん。しかし、少し気になる事があった。俺は出掛ける。ルシエルの体を見ておけ」
「ハッ!承知致しました」
ルシエルの体からザガリルの体へと移動すると、紅蓮の痕跡を追う。
(あれは一体、何だったんだ?)
あの体に伝わった衝撃。
何か思い出せそうで思い出せない。
どこであの瞳見た事があったのか。
思い出す事は出来ないが、とても気になって仕方がない。
ザガリルは紅蓮を追って、空を飛び続けた。




