49.昔のザガリル
ようやく静かになった施設内では、ザガリルがホッと吐息を溢していた。
あのバカと話していると本当に疲れるのだ。
良い迷惑だったと顔をあげたザガリルの目の前に、ナディアが無言のまま立っていた。
「もう服の訂正は終わったのか?ナディー」
ザガリルが優しく話し掛けるが、ナディアの視線はずっとシルフィナの方へと向けられている。
「どうしてあの子が、煌紋章の旗を使っているの?」
「えっ?」
プクッと頬を膨らませたナディアの瞳に、ジワリと涙が浮かんできている。
それを見たザガリルは焦り出した。
「手持ちで渡せる布はあれしか無かったからだ。ガキとは言え、仮にも女を素っ裸でいらせる訳にいかないだろ?」
「だから、どうしてそんな事になったの?ちゃんと説明して!」
「説明って・・。だから、シルフィナが泣いていて、どうしたのかと声を掛けてやったんだ。そうしたら、紅蓮が悪戯をしてシルフィナを素っ裸にしたから、俺が体を隠せる布を出してやっただけだ」
「紅蓮って?」
「ああ・・えっと、紅蓮。ちょっと来い!」
ザガリルの声に、天井の梁に止まって様子を見ていた紅蓮が飛んで来て肩に止まる。
「こいつが紅蓮だ。俺が作ったドラゴンなんだが、悪戯好きなんだ」
「魔物なの?」
「うーん。魔物といえば魔物かもしれないが、ドラゴンと言う種族だ」
「へえ・・」
ナディアは、初めてみる紅蓮に興味を持っていかれたようだ。
しかし、スッと伸ばされたナディアの手を見て、紅蓮は肩から飛び立つと、シルフィナの元へと飛んで行ってしまう。
「あっ!ねえ、どうして紅蓮はあの子の方に行っちゃうの?だって、ザガリルのなんでしょ?」
「知らん。シルフィナが雌だからじゃないか?」
「私だって女の子なのよ!」
「うーん。よく分からん」
紅蓮がシルフィナに同族に見せるような甘えを見せていたのは、体内の魔導の所為だと思っていた。
しかし、その魔導を解消しても、紅蓮はシルフィナに懐いているようである。
そう言えば、さっきの事もよくよく考えてみたら何かおかしい。
あれだけベッタリ懐いているシルフィナに、紅蓮が悪戯を仕掛けるだろうか。
紅蓮はシルフィナにだけは、嫌われる様な行動をした事がなかった。
それなのに何故あんな悪戯をしたのか。
不思議ではあるが、ドラゴンの考える事は分からない。
考える事を放棄したザガリルは、服を持ったまま指示を待つネルダルの元へと歩き出した。
どこか納得のいかないナディアであったが、ドラゴンよりも気になる事がある。
それは、あの少女が使っている煌紋章である。
自分だってあの旗に触れた事はない。
ナディアが触らせてと言えばザガリルなら触らせてくれたとは思うが、あれは特別な旗だと父王から言われていた為、遠慮していたのだ。
(あの煌紋章の旗は、ザガリルだけが使えるのに・・)
自分以外の・・まして女性が使っていると言う事に、仕方がない状況だったのは理解しても何と無く嫌だと感じてしまう。
ナディアは、近くに佇むファスターに視線を移した。
「あの、ファスター様。何か、あの子の体を隠せるような毛布のような物か替えの洋服はありませんか?」
「えっ?あっ、はい!直ぐに用意させます」
「ありがとうございます」
ファスターはエミリアを乗せて馬を走らせ、アシュアの服でシルフィナが着られそうな服を持って帰って来た。
その頃には、凍り付いたルベレントが、博物館になんとか戻って来ていた。
薄緑色の髪はパキパキに凍り付いており、服も氷の鎧を着ているのかと言うほどに凍ったまま、ウルウルとした瞳で着替えを済ませたシルフィナの前に立っている。
「お、お父様・・」
「私の可愛いシルフィナ・・。お前を守りきれなかった無力な父を許してくれ」
「あ、あの、お父様。ザガリル様は私の事を助けて・・」
「嫌だぁ!!聞きたくなぁーい!!!」
大号泣へと変わったルベレントは、パキパキの髪を振り乱しながら耳を塞ぐ。
そんなルベレントの元に、訓練所から戻って来たフォガントとディレイルが歩み寄った。
「何を騒いでいる。騒がしいぞ」
「フォガント様、ディレイル様・・」
ウルウルした瞳で見つめる氷漬けのルベレントに、二人は思わず後退りする。
汚い・・そして気持ち悪い。
近寄って来るなら、処分しても良いかな?とか思うくらいである。
綺麗好きなディレイルの顔が酷く歪む。
「側に寄るな!汚らしい」
ディレイルの言葉に、ルベレントが涙目のままシュンとする。少し離れた場所からそれを見ていたネルダルが仕方無しに歩み寄った。
第一小隊の機嫌をこれ以上損ねる訳にはいかない為、回復、復元、清浄魔法をルベレントに掛けてやる。
ようやく姿は元に戻ったが、未だウルウルとした瞳を見せるルベレントに、フォガントはため息を溢した。
「なんなんだ、お前は。いい加減にしろ」
「・・実は、師匠がルベレントの娘を素っ裸にした様で、それにショックを受けておりまして」
ネルダルは、一応状況の説明をする。
相手が第一小隊でなかったのなら、こんなに親切に教えたりはしない。
機嫌を損ねられると後々自分達が大変になると言う危機感からである。
「師匠が?まあ、それならそれで構わん。好きにさせてやれ」
フォガントの驚きの発言に、ルベレントが顔を青くさせた。
「む、娘はまだ未成年なのです!」
「そんな事はどうでもいい!!!師匠がやりたいのならやらせておけ。これ以上刺激する様な事だけは絶対にするな!」
「先程、マギルス様を半殺しにしたばかりだ。これ以上師匠を刺激すればどうなるか、お前達も分かっている筈だが?」
「「えっ!?」」
マギルスの一件の時には、まだこの場に戻って来ていなかったネルダルとルベレントは唖然とした顔をする。
あのマギルスをザガリルが半殺しにした。
一体何をどうすればそんな事になるのか。
いや、そんな事よりも、それ程までに苛立ちを見せたザガリルは、戦闘を意識したマギルスと同じ・・いや、それ以上に面倒臭い存在となる。
そう言う時のザガリルは、些細な事でもキレやすくなるのだ。
あれだけの力を持った男がキレる。
それは、この世界の危機である。
ネルダルは、隣に立つルベレントの頭を強く叩いた。
「お前、さっきまでのは運が良かったんだぞ!分かっているよな。これ以上、師匠にグダグダ言うんじゃねえぞ!」
「は、はい・・」
キレた師匠も怖いが、怒っているネルダルも怖い。
ルベレントは口を閉ざした。
ネルダルの言う通り、マギルスを半殺しにしたザガリルに対して、自分はよくあんな事をガンガン言えたものである。
本当に運が良かった。
昔、ザガリルが本気でキレた時があった。
何が原因だったのかは定かではないが、ザガリルがかなりの怒りと苛つきを見せていた。
それによって巻き起こるザガリルの漆黒のオーラに、マギルス、第一、第二、第三小隊の者達が結界を使って魔力の抑え込みに入る。
なんとか怒りを鎮めて貰おうと、第一小隊が巧みな話術で必死に誘導していった。
ようやくザガリルが落ち着きを取り戻し始めたその時、ザガリルの視界の端を魔物がスッと通り過ぎた。
それが何故かザガリルの最後の怒りスイッチを押して止めを刺した。
健闘虚しくザガリルの力は暴発。
マギルスの結界を突き破り、街三個分位の広さの土地が消滅した。
そして、マギルスと第一小隊は重症、第二、第三小隊は瀕死となったと言う過去がある。
それからと言うもの、ザガリルが本気でキレる事だけは絶対回避しなければならないと皆が認識している。
「恐らくナディア様がお側にいらしたからキレる事はなかったのだろう。しかし、いつどうなるかわからん。気をつけるに越した事はないからな」
「マギルス様を攻撃した時の師匠の瞳は、まるで昔に戻ったかの様だった。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない」
真剣な表情を見せるディレイルとフォガントの言葉に、ルベレントが了承の頷きを落とした。
しかし、その横に立つネルダルは、顔を蒼ざめさせ体を震わせている。
それを見たディレイルとフォガントは、フウッと吐息を溢した。
昔に戻ったかの様だった・・。
この言葉は、その場にいた四人の中で、ルベレントのみ正確に受け取れていなかった。
ルベレントの考える昔と、他の三人の昔が違うからだ。
ルベレントが第三小隊となったのは、ザガリル軍が出来てから二百年ほど後である。
しかし、第一及び第二は、軍が出来る前からザガリルの側にいる。
彼らの思う昔とは、ナディアという存在がザガリルに無かった頃。
魔王よりも魔王らしいと評価される程の存在であった頃だ。
大切な物を持たないザガリル。
自分以外はどうなっても良いと思っていた時代である。
だが、ザガリルが四百歳位の頃までは良かった。
自由奔放なザガリルにも、行動を諌める鎖があったからだ。
彼を育てた施設長の存在だ。
昔、傭兵をしていた施設長の元には、各方面のギルド長から内々にザガリルをなんとかして欲しいと言う連絡が度々入っていた。
百歳までザガリルを手元に置いて育てた男は、ザガリルを知り尽くしている。
ザガリルは彼から諌められれば、それに反抗してまで行動しようとは思わない。
その為、虐殺などの非道な行いはなんとか食い止められていた。
しかし、ザガリルが四百歳を超えた頃、施設長の男は老衰で亡くなってしまった。
鎖を失ったザガリルが、再び鎖を手に入れるまでの百年間。
それはザガリルの周辺にいた者達にとっては、思い出したくも無い地獄の期間だった。
第一、第二共に、一言も喋らず、黙ってザガリルの行動に付き従っていた時代。
第二の魔王軍の出現かと思われた程の、ザガリルによって齎された暗黒の時代である。
「ナディア様やリオール家の者達もいる事だし、今はまだ、そこまでの心配はいらないだろう。だが、油断は出来ない。全軍隊員に、この事を周知させろ」
「「はい!」」
フォガントの言葉に、ネルダルとルベレントが返事を返す。
ザガリルが大切に思う者が増えた事は、鎖が増えた事である。
それはそれで大歓迎ではあるが、その鎖を失った時にどうなるのだろうか・・。
増えれば増えるだけ、失う事も増えるからだ。
しかし、それはまだ先の事だ。
ナディアとラファレイドと共に、鎧などを展示してあるブースへと歩いて行くザガリルの背中を、彼らは静かに見送った。
◇◆◇◆◇
ザガリルと共に博物館の中を歩き出したナディアは、辺りを見回しながら歩いていた。
洋服のゾーンから出ると、次のゾーンは鎧や剣などが飾ってある。
しかし、あまりこういう物には興味がない。
ザガリルが鎧を着たままナディアに会いに来る事はなかった為、これがザガリルの物であるという認識すら持ち難い。
それでも、ザガリルと一緒に歩けると言うだけで、ナディアの脚は軽やかになる。
ザガリルの腕に掴まりながら、館内を歩き続けた。
暫く歩いて行くと、一際明るいブースが目の前に現れる。
他の鎧とは違い、とても広く場所を取ってある場所だ。
そこへと足を進めたナディアは、飾ってある鎧を見て、不思議そうな顔を見せた。
飾ってある漆黒の鎧は、とてもボロボロだった。
原型をなんとか保っていると言う状態である。
なんでこんな壊れた鎧を飾ってあるのかと、ナディアは鎧の前に書かれている看板を覗き込んだ。
『魔王との最終決戦で、ザガリル様が着用なさっていた鎧。腹部の大きな損傷は、魔王の最後の一手によって貫かれた穴である。激しい戦闘を繰り広げたザガリル様は、見事魔王を撃退し、この世に平和をもたらしました』
看板を読んだナディアはヒュッと息を呑んだ。
魔王との戦いでザガリルが着ていた鎧。
こんなにも損傷が激しいと言う事は、ザガリル自身も相当なダメージを受けた事が窺える。
しかしナディアは、そんな事知らなかった。
ナディアの前に現れたザガリルは、怪我一つない元気な姿だったのだから。
人間最強を誇るザガリル。
彼の敵など、この世にいない。
どんな戦闘に出かけて行ったとしても、ザガリルは完全無敵。
城で見せる余裕のある表情のまま、敵を軽々倒していっている。
ずっと、そう思っていた。
でも、それは違ったのだ。
ナディアにその姿を見せなかっただけで、ザガリルはずっと様々な戦闘で、沢山の怪我を負っていたのかもしれない。
魔王との最終決戦。
ザガリルが出かけて行く日、ナディアは機嫌が悪かった。
理由は些細な事だった。
お気に入りのドレスを着たかったのに、うっかり紅茶を溢してシミを作ってしまったからだ。
不貞腐れたナディアは、ザガリルにいってらっしゃいも言わなかった。
そして、ザガリルが戦闘に出掛けた後の三ヶ月。
ナディアは、ガフォリクスの息子との逢引を繰り返す。
帰って来たザガリルを見て、もう帰ってきてしまったのかとため息をついたあの日。
魔王の核だと渡された宝石も、私の好きな色では無いとザガリルに文句をつけた。
どれだけ大変な思いをしながら魔王を倒して来てくれたかなど、考えもしないで・・。
ナディアの頬に一筋の涙が伝い流れ落ちる。
自分はなんて愚かで醜い女だったのか。
リバイルナ公爵が自分を排除しようとした本当の理由が、たった今分かった気がする。
ずっと、彼以外の男性に肌を許した事だけが、ザガリルを傷付けたのだとばかり思っていた。
でも、違う。それだけでは無かったのだ。
彼の事を見ようとも知ろうともせず、彼が自分だけに見せる優しさを当然だと思いながら生きていたあの頃。
酷く傲慢で我儘な姫だったあの頃を思い出せば思い出すだけ、流れ落ちる涙が増えていく。
ボロボロと涙を流すナディアに気が付いたザガリルが、驚きの表情を向ける。
「どうした、ナディー」
心配そうに覗き込んだ紫色の瞳が真っ直ぐ見られない。
ザガリルが自分の事を許してくれたのだからと、今もチャッカリと彼の横をキープしている。
本当は、こんな資格なんて自分には無いのに・・。
「ごめんなさい、ザガリル・・」
「えっ?何がだ?」
「全部よ・・。私はどうしようもない女だったわ。謝ったって許されない位酷い女だった」
顔を覆って泣き始めたナディアに、意味が分からないザガリルは頭を掻いた。
鎧を見て歩いていた事と過去のナディアの性格がどう結びつくのかさっぱり分からない。
「そうなのか?俺にはよくわからん。だが、そんなに気にする必要は無いと思うが・・」
ザガリルはナディアの頭にポンッと手を置いた。
「いい加減、過去の事に捉われるのは止めろ。俺は何とも思っていない。俺にとっては今、目の前にいるナディアが全てだ」
「ザガリル・・」
顔を上げたナディアの頬を涙が伝う。
手を離したザガリルは、少し言い難そうに口を開いた。
「正直に言えば、俺はあまり過去の事を覚えていない。さっきの・・俺の服と言われた物も、全く記憶にない位だ・・」
「えっ?」
「毎回ナディーが選んでくれていた事は覚えているが、コンセプトやいつ着たかなんかは全く覚えていない。俺は過去の出来事をあまり記憶する気がないんだ。だから、ナディーが何をそんなに思い詰めているのかも分からん。分からん事で泣かれても、困るだけだ」
ナディアは呆気に取られたポカーンとした表情を見せる。
そう言われてみればそうだったかもしれない。
ザガリルは昔からよく忘れてしまう人だったのだから。
何度教えても、次に城に帰って来た時には、また忘れてしまっている事も多々あった。
興味がない事を記憶しておく気が無いのだと、知っていた筈なのに。
過去の事を思い出して泣く事は、ただザガリルを困らせているだけに過ぎない。
そんなザガリルに謝る事は自己満足でしか無いのだ。
ナディアは涙を拭い、そして真っ直ぐにザガリルを見つめた。
「私はもう、過去の事を思い出して泣いたり立ち止まったりしない。だから最後にもう一度だけ、謝らせて欲しいの」
ナディアは初めてザガリルにあった日から、六百六十六年前のあの日の夜までを思い浮かべた。
英雄を裏切った我が儘姫と言われた行動の全てを思い出し、謝罪する。
「ザガリル、本当にごめんなさい。もう二度と、あの様な馬鹿な事はしません」
「ああ、分かった」
頷きを落としたザガリルの胸に、ナディアは抱き付いた。
長い間ずっと囚われていたザガリルを傷付け裏切ったと言う過去の思いから、今やっと解放された気がする。
ナディアの頭をザガリルが優しく撫でる。
暫くその手の温もりを味わっていたナディアは、クスリと笑って顔を上げた。
「さっき居なくなったのは、洋服の質問から逃げる為だったのね」
「・・すまん」
バツが悪そうな顔で謝ったザガリルに、ナディアはクスクスと笑い出した。
ザガリルの体から離れると、彼の腕に手を回す。
「洋服の場所だけは、私がお手伝いしよっと」
「ああ、そうしてやってくれ」
二人は、眩しい光が差し込む博物館の出口に向かって、仲良く歩き出した。




