42. 国王アグディレス
ザガリルがゆっくりとその瞳を開くと、目の前には先程と同じ様にファスターが立っていた。
「発想の転換ね・・」
ポツリと呟いたザガリルを、ファスターは不思議そうに見つめ返す。
フッと笑いを零したザガリルは、遮音壁を解除すると、今度こそナディアの方へと向かって行った。
「ザガリル。どこか体の具合が悪いの?」
「いや、それは無い。それよりも、もう一度だけ確認したい。こいつらを生かしておけば、ナディーに恨みを持つ者が現れるかもしれない。それでもナディーは、こいつらを生かしたいのか?」
「うん。お願い、ザガリル。大切な人達なの」
「・・分かった。今回だけだぞ。次はナディーが止めようとも、絶対に許さん。分かったな」
「分かったわ、ザガリル」
パァーッと表情を明るくさせたナディアは、マディリアナを見る。
彼女は涙を流しながら深々と頭を下げた。
ザガリルが指を弾くと、子供達に掛けられていた魔法が解除される。
それを見たナディアは、子供達に告げた。
「さあ、みんな。お母さん達の所へ」
ナディアの声と共に、子供達が一斉に走り出した。
親達は、大きく腕を広げて子供達を迎え入れる。
その嬉しそうな声に、ナディアは微笑みを浮かべた。
「ありがとう、ザガリル」
「ナディーのお願いなら仕方がない」
ため息混じりに返したザガリルに、ナディアは抱き着いた。
ザガリルの腕が、ナディアに回される。
優しく頭を撫でたザガリルは、ナディアに告げた。
「だが、アイツらだけは見逃す訳にはいかないぞ。それは分かっているな」
アイツらと言うのが、台の上にある者達である事は、ナディアは分かっていた。
人の命を奪うと言う決断が、ナディアに重くのしかかる。
しかし、彼らは国を混乱に陥れた。
彼らの所為で国がザガリルを失い、魔物達に襲われた沢山の人達が死んだ。
彼らは責任を取らなければならない。
そんな事は分かっているのだが、やはり頷きを落とす事は出来なかった。
そんなナディアを見て、ザガリルが口を開く。
「勘違いをするなよ、ナディー。あいつらが裁きを受けるのは、ナディーの所為じゃ無い。あいつら自身の所為だ。だからナディーが気に病む事ではない。そうだな、女」
ザガリルはマディリアナへと視線を移す。
すると彼女は力強い瞳をナディアに向けた。
「はい。ナディア様の所為ではございません。国を混乱に陥れた責任を、彼らは取るべきです」
「マディリアナ・・」
その強い眼差しの奥には、強い悲しみが見え隠れしている。
マディリアナから視線を外したナディアは、ザガリルの腕から離れ処刑台の方へと歩いて行った。
そして、リバイルナ公爵の前で立ち止まった。
顔を上げた公爵は深々と頭を下げる。
「家族の命をお救い下さり、本当にありがとうございました。これで思い残す事は何もございません。ナディア様、本当に申し訳ございませんでした」
「リバイルナ公爵。・・・・私の方こそ、本当にごめんなさい」
「えっ?」
公爵は驚き、慌てて顔を上げた。
何故ナディアが謝るのか。
不思議そうな顔を見せる公爵に、ナディアが口を開く。
「私はずっと、他の公爵家の者に嵌められたのだとばかり思っておりました。ですが、貴方であったと聞いた時、私は自分の愚かさを嘆きました。私がもっとちゃんとした姫であったのなら・・。マディリアナの様にキチンとした淑女であったのなら・・。貴方はこのような事を絶対に起こさなかった。誰よりもこの国を愛していた貴方を、私は誰よりも知っているのですから・・」
ナディアは幼き頃を思い出す。
マディリアナとナディアは、リバイルナ公爵の公務の合間にある休憩時間に、いつも本を読んで貰っていた。
彼の読む本は、大抵愛すべきこの国の歴史。
そして抱き抱えられてバルコニーから見たのは、城下に広がる美しい街並みだった。
二人とも女ではあるが、未来を背負って立つ者に変わりはない。
この美しき国と、そこに生きる全て者達の幸せを忘れてはいけないと、繰り返し教え込まれたものだ。
リバイルナ公爵の理想とする国の未来を、ただ純粋に願っていた時期であった。
しかしそれは、ナディアがザガリルの婚約者となった事で大きく変わってしまった。
それまで見向きもしなかった他の貴族達が、ナディアに近付くようになったからだ。
彼らは、ナディアを甘やかすだけ甘やかすだけのご機嫌とりを始めた。
まだ子供であったナディアは、優しくしてくれる貴族達を側に置くようになり、口煩く言ってくるリバイルナ公爵からは距離を取るようになってしまった。
我儘姫はこうして出来ていったのだ。
「ごめんなさい。私が愚かであったが為に・・。本当にごめんなさい!」
頭を下げて瞳を伏せたナディアに、リバイルナ公爵が静かに口を開く。
「やはり私は、愚かな人間でした・・。貴女を信じ切れず、愚かな行動に移ってしまった。一体、貴女の何を心配していたのか。貴女は、こんなにもキチンとした淑女に成長してくれたと言うのに・・」
「リバイルナ公爵・・」
「ナディア様。愚かな男の最後の頼みを聞いて下さい。どうか、この国の未来をよろしくお願い致します」
「ですが、私はもう姫では・・」
「戻りたくないと言うナディア様のお気持ちは、報告にてお聞き致しました。私は貴女が貴女として、この国の未来を支えていってくださる事を願っております」
「はい・・。どんな私でも、この美しい国と国民達の幸せを支えてまいります」
リバイルナ公爵は大きく頷きを落とした。
ポロポロと流れ落ちる涙が、彼との永遠の別れを告げる。
涙を拭いたナディアは静かに頭を下げ、処刑台から離れていった。
そんなナディアをザガリルはジッと見つめていた。
このまま処刑を進める事は簡単だが、その場面をナディアに見せるのは良くなさそうだ。
しかしナディアは、ザガリルを置いて先に帰る事はしないだろう。
あの日本人に言われたからではないが、ナディアの心は守ってやりたい。
ザガリルは視線を、側へと近寄って来た国王へと移した。
「あいつらの始末はお前に任せる。キチンとやっておけ」
ザガリルに頷きを返した国王は、ナディアを見る。
「ナディア。私の愛する娘」
「お父様・・」
うっすらと涙を浮かべている国王を見て、ナディアの心が揺れる。
罪人として娘を切り捨てた父。
しかしそれは、国を守る国王と言う立場から仕方がない決断だった。
そうしなければいけない立場だと言う事は分かってはいた。
でも、それでも父に守って貰いたかった。
そんな甘えから、父を恨んだ時期もあった。
六百六十六年。
ずっと会えなかった父は、昔に比べてだいぶ老け込んでいた。
代々王族の血筋に受け継がれている数千年超と似て長い時を生きる事が出来る力。
それを考慮すると老いが早い様に感じる。
様々な心労を与えてしまったのだと伺える。
自分を大切に育て、愛してくれていた父。
暗くなっていた心は、そんな父に会っただけでモヤモヤが飛散していく。
ナディアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
その涙を見て困ったような表情を向けた国王は、直ぐに柔らかな笑みを浮かべて両手を広げた。
「おいで、ナディー」
何百年ぶりかに呼ばれた愛称。
ナディアは弾かれたかのように走り出した。
「お父様!」
父の胸に抱き付いて泣き出したナディアを、国王は優しく抱き締める。
「苦労したのだな、ナディー。こんなにも、痩せてしまって・・。許してくれ。お前を守る事が出来なかった愚かな父を許してくれ」
ナディアは泣きながら首を横に振る。
「私が悪かったのです。ザガリルを信じ切れなかった私が、全部悪かったのです。ごめんなさい、お父様」
「ナディ・・」
泣き噦るナディアの金色の髪を、国王は優しく撫でる。
国王と王女の美しい家族愛に誰もが涙を浮かべて見守っている中、一人不機嫌な様を隠そうともしないザガリルが、その空気を壊して口を開く。
「そろそろ行くぞ、ナディー」
「う、うん」
ザガリルの言葉に、ナディアは慌てて涙を拭い、国王から体を離した。
名残惜しそうに自分を見上げるナディアに、国王は顔を引き締めて告げる。
「孤児院に残りたいと言う気持ちは、アウレムから聞いておる。子供達を守りたいと言うお前の気持ちは分からなくもない。だが、お前にはお前にしか出来ない物がある。急いで決断する必要はない。もう一度じっくりと、王女として生まれてきた自分の役割を考えてみなさい」
父として、国王としての言葉に、ナディアは素直に頷きを落とした。
踵を返してザガリルの元へと歩いて行ったナディアは、マディリアナの側に、侍女のメリーナがいる事に気が付いた。
ガフォリクスの走らせる馬について来るのは、メリーナの腕では難しかった為、先に走って来たのだ。
「置いていってごめんなさいね、メリーナ」
「いいえ、ナディア様。本当にありがとうございました」
メリーナは、涙を流しながら頭を下げ、主人の無事を感謝した。そんなメリーナの横にいるマディリアナの前にナディアが立つ。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい、ナディア・・」
「もう良いの。もう良いのよ、マディリアナ」
抱き合いながら、互いに涙する二人。
こんな事になっても、二人の間の友情にヒビが入る事は無かった。
幼き頃から育んだ二人の絆は、互いの立場がどの様な物になろうとも、決して揺らぐ事はなかった。
後日談となるが、ナディアはリバイルナ公爵家への制裁の減刑を求めた。
それにより、父親は公爵家から除名された後に処刑、引退した祖父が公爵としてもう一度復帰となった。
そして、この騒ぎの責任として、リバイルナ公爵家は侯爵へと地位を落とす。
落ち着いて来た頃、全てをコーライムへと受け継がせる事になっている。
互いの友情を確かめる様に抱き合うナディアとマディリアナの背後では、国王がザガリルへと歩み寄った。
「俺に近付くな」
「そう邪険にしなくてもよかろう?」
「邪険にしたくもなる。なんなんだ?さっきのは。貴様のくだらん芝居は見飽きた」
「父と娘の美しい再会であったであろう?」
国王は口角を小さく上げる。
賢王として名高い国王アグディレスは、優しくてほんわかした空気を纏い、情に熱いが、国王としての決断には私情を挟まない。
完璧な国王であり、周りや国民からの人望も厚い。
のだが、本性は腹黒である。
ザガリル同様、自分至上主義であり、本当は他人などどうでも良いと思っている。
しかしザガリルとは違い、国王の地位を得る為に、彼はその本性を隠し続けて来た。
優しくて情に熱いのは演技であり、自分の血を引く者ですら、本当はどうでも良い。
全ては自分が国王として君臨する為の駒であり、道具である。
幼き頃より他者を欺く演技は完璧で、常に仮面を被った生活をしている。
その為、この本性を知っているのはごくわずかな人間のみとなっている。
ナディアですら知らない裏の顔を持っているのだ。
「随分古ぼけた顔をしているがワザとか?」
「何の事だか分からんが、お前が私の元に戻ってくれない心労からなのかもしれないな」
「嘘を言うな。どうせ、ナディアがここに来る事も計算の内なんだろ?ナディアの同情を得る為に作り込んだ顔だという事くらい分かっている」
国王はザガリルに返事を返さなかった。
その代わりに、ナディアへと視線を移し、小さく嫌な笑みを浮かべた。
「まさかお前が、あの様な事をしでかした娘を許すとは思ってもみなかった。だが、それならそれで、こちらは好都合だ」
二人っきりで話をすると、国王は時々こうやって本性を見せる。
互いに自分に似た性格だと言う事は、出会った時に感じ取っていた。だからこそ、国王は自分の本性をザガリルに隠そうとしない。
国王の性格などザガリルにとって、どうでも良い事だと分かっているからだ。
ずっと付かず離れずの一定の距離を保っていた二人であったが、ナディアと言う存在をザガリルが手にした時から、それが少し変わった。
ザガリルは、ナディアが望む父親を国王が演じる事を望み、その対価として軍を作って国に残ったのだ。
「頭の悪い貴様にもう一度だけ言っておく。ナディアを傷付けるな」
「分かっておる。大切なお前の弱みだ。いくらでも可愛がって見せようぞ」
クスッと笑みを零した国王は、ザガリルから離れていく。
チラリと視線でそれを追ったザガリルは、ため息を一つ落としてまたナディアに視線を戻した。
幼き頃に自分の婚約者となったナディア。
彼女がしてくる話から、常に父親からの愛情に飢えているのが伺えた。
外面だけは良いあの馬鹿がみせる言葉だけの優しさ。
それに応える為に、ナディアは必死になっていた。
だが、あの馬鹿がナディアに本当の優しさを与えるなどと言う事はない。
奴の本性を知らないナディアは、まだ自分が未熟で至らないからだと嘆き悲しんだ。
そんなナディアの為に出した交換条件。
奴はウハウハで、ナディアの良き父を演じる様になった。
ナディアが知る家族に優しい父親アグディレスという者は本当は居ない。
だがそれでも、ナディアの顔に笑顔が戻るのであるならば、大した事では無い。
自分が作り上げたナディアが笑顔で生きる為の世界。
彼女が望むままの世界を、また作り上げてやろう。
腕に戻って来たナディアと共に、ザガリルは前を見て歩き出すのであった。




