4.弟子のルベレント
「さて、ルーベン。話をしようか」
室内で黒焦げとなって倒れているルベレントに、ザガリルもといルシエルが話し掛ける。
しかし返事がない。
あれ?死んだのか?と軽い電撃を食らわせてみる。
「ギァー!」
「なんだ。生きているじゃないか。それなら返事くらいしろ。呼ばれたら返事をするくらい当然だろうが。俺の弟子共はそんな事も分からないのか?全く、情けなくて涙が出てくる」
椅子に座ったルシエルは、弟子の不出来を嘆いてみせる。
たった今、意識を取り戻したばかりのルベレントは、反論する気力も無い。
ヨロヨロとしながらも床に正座をして、なんとか話を聞く姿勢をとった。
少しでも気を抜くと、意識を失ってしまいそうだ。
しかしそんな事をしたら、この目の前にいる師匠に、今度こそトドメを刺されてしまう。
ルベレントは必死である。
「ところで、なんでお前が伯爵なんかやってんだ?軍は辞めたのか?よく生きてるな」
「あの日、師匠がいなくなった事で、全ての軍隊員が副官マギルス様により招集されました。師匠捜索の命を受け、全ての軍隊員が各地へと飛びましたが、師匠を発見する事は叶いませんでした」
その頃には日本に転生していたのだから、この世界で探しても見つかるわけが無い。
ルシエルは頷きを落とす。
「姫の起こした不祥事により師匠を失った事で、軍隊員達から不満が上がりました。マギルス様自らが魔族及び魔物の排除を放棄し、他の者達もそれに賛同。各自其々師匠を探す旅に出たのです」
「成る程な・・」
まあ、想像はつく。
ザガリルの婚約者が、結婚発表の数時間前に他の男に抱かれていた等と言うふざけた不祥事を、あの血気盛んな馬鹿どもが許す筈はないのだ。
副官のマギルスは・・まあ、あいつは俺がいないのなら仕事するのや〜めた位の考えだったと思う。
ちなみにマギルスだが、軍隊員からは副官と呼ばれているが、実際の地位は副軍隊長だ。
ただ彼の性格上、副軍隊長の仕事をする事は無い。
と言う事で、事務職をする事はないが、軍隊長ザガリルの補佐と言う意味から副官と呼ばれるようになったのである。
「しかし、そうもいかない事態となりました。百年が経った頃、魔物達の数が増え、人間社会は危機的状況に陥りました。そこで国王は、軍隊員一人一人を見つけ出して頼み込み、その者に合った爵位を与える事で、魔物達の討伐参加を促したのです。その一環として、私も伯爵の地位を授かりました」
「ん?ちょっと待て。百年?お前は一体何の話をしているんだ。俺がいなくなってから八十八年位しか経っていないだろ」
「八十八年ですか?いいえ。師匠がいなくなってから、六百六十六年近く経っておりますが・・」
「はあ?」
ルシエルは驚きを隠せない。
日本にいたのは六十三年。
そしてルシエルとして生まれて二十五年だ。
ザガリルにとっては、二回腹の中に居た事を考慮したとしても九十年程しか経っていない。
しかし、この世界では六百六十六年も経っているらしい。どうやら日本の一年はこちらの十年の様である。
いくら役立たずで使い物にならない奴という認識だったとは言え、ルベレントを見てルシエルが気付けなかったのは、当時の姿からだいぶ変わっていた所為だった。
それで分からなかったのかと、納得をする。
この世界と日本に、ここまでの時間差があるとは思ってもいなかった。
ザガリルがこの世界から旅立ったのは千四百歳ちょっとの頃。それに六百六十六年足すと、二千歳を超す。
百年未満だと思わていた転生が、実は六百年以上経っていたと言う事は、失った者達も数多くいる事であろう。
だがそれは、別にどうでも良く思えた。
この世界に惜しむ物など持っていなかったのだから。
窓の外に視線を移したルシエルを見て、ルベレントは言わなくては。と思っていた話を切り出した。
「あの、師匠。あれは劇での事ですし、娘の役は架空の存在です。どうかご慈悲を!」
急に語られた劇の話に、ルシエルは首を傾げる。
「お前の娘のデップリ天女がなんだって?」
「お怒りなのは重々承知では御座いますが、娘は学校で決められた劇の役をこなしたまでなのです」
「確かにあれは酷いな。配役ミスにも程がある。優しい俺は怒りを我慢してやっているが、本来ならぶちのめす所だ」
「えっ?配役ですか?」
「配役以外に俺が怒る要素がどこにある」
「いえ。劇の題材が、師匠の修羅場でしたので・・」
「えっ?」
驚きを返したルシエルは、劇を思い出してみる。
確かあれは、婚約者を取られた男の話であった。
主役の男がザガリルだとするとナキアはナディアの事になる。
そう言えば、ナキア姫のドレスはピンク色という指定だったと母から聞いていた。
あの時着ていたナディアのドレスがその色だったからの様だ。
成る程。少し内容を変えてはあるが、確かにあの時の出来事を元にシナリオを作り、劇にしたのだという事には納得出来る。
でもはっきり言うが、俺が身分を気にして魔王を倒しに行ったと言う事は無い。
俺は当時から国王よりも力があったんだからな。
それに劇の中の様に、あんな下っ端みたいな扱いをされた事がないから、まさかあの男が自分の役をやっているなどとは思わなかったのだ。
とは言え、言われなければ気付かなかったくらいだから、劇の内容にはなんとも思わない。
こう見えて俺は意外と寛大なのだ。
余裕を見せたルシエルに、物語終盤が浮かび上がる。
【その後、主役のザガリルは、目の前に突如として現れたデップリ天女と恋に落ち・・】
「ふざけんな!なんで俺が、お前の娘と恋に落ちなきゃならないんだ」
「いや、駄目です!うちの娘には、もっと優しくて誠実な男で無いと・・」
「お前の目は腐ってんのか?あれを俺が欲しがるわけ無いだろ。こっちこそお断りだ!」
「私の娘のどこが不満だと言うのですか。火の打ち所のない、とても可愛い娘じゃ無いですか」
「あの贅で肥やしたデップリした体を言ってるんだよ!俺が直々に特訓して、トロールから人間にしてやる。連れて来い!」
「娘を殺す気ですか!可愛い娘に、あんなデス訓練をさせる気はありません」
無意味な言葉の戦いは、この後も暫く繰り広げられ、ブチ切れたルシエルがルベレントに鉄拳制裁を加えた事で終結した。
十分程で意識を取り戻したルベレントは、外の廊下が騒がしい事に気が付いた。
慌てて焼け焦げた服を魔法で元に戻し、ルシエルを見る。
椅子に座ったままのルシエルは、天使の微笑みを向けた。
うわぁ・・と、まるで見たくなかった物を見てしまった時の様に顔を歪めたルベレントは、ルシエルが結界を消し去ったドアノブを回す。
そこには、辺境伯と自分の家の執事達が心配そうに立っていた。
「騒がしいぞ。ルシエル君と楽しくお話をしていた所なんだ」
「大変申し訳ございません。何故か、結界のようなものが張られておりまして。入室出来ない事で、旦那様に何かあったのではと」
「それは私が張った物だ。お前達が来たら解こうと思っていたのだが、思いの外、ルシエル君と話が弾んでしまってな。すっかり忘れてしまっていた。辺境伯もすまなかったな」
「いいえ。ご無事なら、それで」
ペコリと頭を下げた辺境伯の後ろに、青い顔をしたままのリオール男爵がいる事に気が付いた。
これは天の助けである。
「これはこれは、リオール男爵。ささっ。中に入ってくれたまえ」
「失礼させて頂きます」
遠慮がちではあるが、リオール男爵は部屋の中に入って来た。それを見たルベレントは直ぐに本題に入る。
「ルシエル君と色々話をしていてね。君には大変申し訳ない事なのだが、今回の話は無かった事にして貰う事になったのだよ」
「「えっ?」」
驚いたのはリオール男爵だけではない。
辺境伯も話が違うと焦り出す。
「ルベレント伯爵。この子とお嬢様の婚約をお許し頂けないという事ですか?」
途端に天使の微笑みを浮かべているルシエルの額に、ルベレントだけが見える青筋が立った。
それを見たルベレントは焦り出す。
「なっ、何を言っているのだ、辺境伯。婚約なんて幼いルシエル君にはまだ早い!それに、養子についてもだ。こんな小さな子供から、血の繋がった両親を取り上げるなど、許される事では無いぞ」
「えっ?ですが、伯爵」
「黙れ。私の決定に逆らうつもりか?」
ルベレントはまたしても怒りのオーラを発した。
しかし今度のオーラは本気のオーラである。
大切な自分の娘の将来がかかっている。
この魔王よりも魔王らしい我が師匠に、大切な娘を人身御供として差し出すなど以ての外である。
こんな話をこれ以上推し進められたら、たまったものじゃ無い。
この場で完全に消滅させるべき事案なのだ。
怒りを見せた伯爵を見て、辺境伯は慌てて口を閉ざした。所詮は小者である。
「リオール男爵。勝手に話を進めようとした事、許してくれたまえ。あまりに美しい少年の為、外部から狙う者達が大勢いると聞いてね。君が息子の為に腕の立つ使用人を探してはいるが、財政面でそれが困難であると噂で聞いたのだ。それなら養子にするという名目で助けてあげられないかと考えた上での事だったのだよ」
「ーーそうでしたか。そのような噂がルベレント伯爵のお耳にまで届くとは、大変お恥ずかしい限りです」
「いいや。そこまで噂になっている訳では無いから気にしないでくれたまえ。君も私が国を守る為、軍の特権階級を別に持っている事は知っているね。その所為で周りの貴族達の些細な情報でも耳に入る立場なだけなのだよ」
ふーん。とルシエルは心の中で納得の頷きを落とした。
辺境伯よりも身分が低い筈の伯爵であるルベレントが、その辺境伯に対して実に偉そうな態度で接している事が不思議であった。
しかし、あの軍の特権階級がまだ生きているのなら、たかが辺境伯如き身分では逆らう事が出来ないというのも納得である。
さて、ここで問題となるのは父様である。
父様は、ルシエルの為に高いお金を出す覚悟で腕の立つ使用人を探しているようだ。
しかし今のルシエルに護衛は要らない。
お金に余裕があるのなら話は別だが、残念ながらリオール家の財政面は火の車である。
無駄金となる護衛を雇う事を何とか諦めて欲しいのだが、正体を隠したままでの上手い言い訳が思い付かない。
考え込むルシエルを見たルベレントは、リオール男爵に向き合った。
「ルシエル君は、ご両親がとても大好きで離れたく無いと言っていました。私も彼の話を聞いて、家族は離れるべきでは無いと思い直したのです。そこで、リオール男爵に提案と頼みがあるのだが、聞いては貰えないだろうか」
「私に出来る事でしたら、なんでも仰って下さい。ルベレント伯爵」
「そこまで難しい事ではありません。人を一人預かり雇って貰いたいのです。私の手の者ですので、賃金は必要ありません。寝る所と食べる物さえ与えて貰えれば、それで結構です」
「それでしたら、我が家は構いませんが」
リオール男爵から了承を貰ったルベレントは、ホッと吐息を零す。
これで、娘や世界が守れるのだ。
この魔王よりも魔王らしい師匠には、田舎にずっと引っ込んでいて貰いたいというのが本音である。
ルシエルの容姿の事は、かなり広範囲に広まっている。このまま護衛探しを続けられれば、護衛を雇えない程困窮している事が広まり、自分達のように養子にさせようとしたり、婚約者として連れて帰ろうとする者が現れてしまう。
余計なイザコザを周りに起こさせない様に、とっととこの件を片付けて、没落寸前のボロ男爵家に師匠を監禁しておいて貰うのだ。
「感謝します、リオール男爵。そうそう。その者はとても腕が立ちます。そこで周りには、ルシエル君の護衛兼使用人として雇ったと言う体をとって頂きたいのです。勿論、そちらの家にいる間は護衛としてお役に立たせますし、彼の生活費として預かって頂く事への対価を支払わせて頂きます」
「そんな。対価など頂けません」
「いいえ。こういう事はキッチリとしておきたいのです。これは直しようの無い私の性分です」
「ーー分かりました。そういう事でしたら、お受け致します」
「助かります。なるべく早くそちらのお宅に行かせるように致します。詳しくは後日書面で」
「はい。お待ちしております」
頭を下げたリオール男爵に背を向けたルベレントは、渋い顔をしているルシエルを抱き上げた。
「ああ。ルシエル君は、喉が乾いてしまっていたのですね。直ぐに支度をさせます」
ルベレントは、使用人に合図を送って飲み物の準備をさせている間、リオール男爵から離れながらルシエルが死角になる様にした。
魔力を使って透明な遮音壁を立てる。
それを確認したルシエルが小声で尋ねた。
「どういうつもりだ?」
「金銭面での援助及び護衛探しの手間を無くさせて頂きました」
「そういう事か。まあ、お前にしては良くやったと言うべきか」
「有難うございます。護衛ですが、如何致しますか?私の家の者でよろしいでしょうか。それとも、軍の者から選抜した方がよろしいですか?」
「マギルスを探せ。あいつにやらせる」
「承知致しました」
小声で話を済ませた二人に、使用人がジュースを運んで来た。ルベレントはスッと壁を消し去った。
「有難うございます」
両手でコップを受け取ったルシエルは、天使の笑顔を浮かべる。
使用人はその可愛らしさに頬を緩めた。
それを見て込み上げてくるなんとも言えない気持ちから、ゴホッと咳払いをしたルベレントは、ルシエルをソファーに戻してから離れた。
「何から何までお気遣い頂き、本当にありがとうございます。ルベレント伯爵」
「いいえ。こちらとしても、受け入れて貰えて、とても助かりました。決して怪しい者ではありませんので、ご安心を。詳しくは話せませんが、身元は私が保証致します」
「分かりました。ご連絡をお待ちしております」
ペコリと頭を下げた父ファスターを見て、ルシエルは立ち上がる。
チラリとルベレントに視線を移したルシエルだったが、そのまま歩みを進め、ファスターと共に部屋を後にした。
◇◆◇◆◇
後日、ルベレントから父様宛に早馬で手紙が届いた。
どうやら二、三日中に来るらしい。
ルベレントが探し出し、話を聞いたマギルスが向かって来るにしては、少し早い気がしないでもない。
ふと覗き込んだ手紙の枠外の模様の中に、軍に所属している者にしか読み取れない暗号があった。
『会』『前』『向』『話』『無』
会う前に向かった。話は出来なかった。という事のようだ。
おいおい。ちゃんと今の状況をマギルスに伝えろよ。俺が迷惑するだろ!
ルーベンの相変わらずの役立たずぶりにイラっとしたが、よくよく考えてみると、ちょっとした情報だけでマギルスは話も聞かずにルシエルの元へと向かって来た事になる。
あいつが情報を得る前に動くとはねぇ・・。
やれやれ。これからどうなることやら。
ルシエルは深い溜息を零すのだった。